八日目:ゴブリンの巣壊滅作戦7
先に進むにあたって、グモが描いた地図は大いに頼りになった。
一度訂正された後は嘘が描かれていることもなく、美咲も比較的余裕を持って動くことができた。
この僅かな時間で、美咲はグモと随分打ち解けていた。
元々異世界人である美咲だから、ゴブリンという種に対し特に敵意も悪意も持ち合わせておらず、この世界の人間のように嫌悪感は抱いていない。
それにグモは典型的なゴブリン顔で可愛いとはとてもいえないが、不思議と言動に愛嬌があって美咲を和ませた。
「ねえ、グモならルフィミアさんたちは逃げたあとでどうすると思う?」
横を歩く美咲に問いかけられ、グモはたっぷりと考え込んでから答えた。
その時間の長さがそのままゴブリンの知能の程度を表している。
「どうって……そのまま逃げようとするんじゃないでしょうか。だからこそライジ様も各出口の封鎖をお命じになられたんですし」
会話をする美咲とグモの心の距離は、かなり近付いていた。グモはゴブリン特有の頭の悪さから、美咲はゴブリンに対する悪意の無さから、絶妙な相乗効果で生まれた関係だった。
ただ異世界人とゴブリンというだけでは、この関係は為し得なかっただろう。出会ったのが美咲とグモだったからこそ、二人は仲良くなれたのだ。
グモからも疑問があったらしく、美咲に質問が飛ぶ。
「そういえば、美咲さんたちはどうしてあそこに?」
美咲は慌てることもなく、用意しておいた返答をすらすらと述べた。
「後詰のためだよ。こうやって救出に行けてるところを考えると、一応人間側もこういう展開を予測してないわけじゃなかったみたいだね」
答えを聞いたグモは笑った。
苦笑ではなく、本当に笑っている。
「となると、わしらがあそこで交戦するのは避けられないことだったんですな」
「そうだねぇ。すごいよね、ベブレ様だっけ? 上手くいかなかったけど、予測自体はばっちり当たってたし、凄く頭良さそうじゃない」
人間側である美咲が立場関係なしに己の同族を褒めたことに対し、グモは喜びを露にして口調を弾ませる。
グモは本気でベブレという名前のゴブリンマジシャンを尊敬しているらしく、そのゴブリンマジシャンを語る彼の瞳はきらきらと輝いている。
「そうですそうです。わしらはゴブリン同士の争いに敗れてこの地に流れてきたんですが、ベブレ様とライジ様はここに居付いてから生まれた世代なんですわ。流れる途中で生まれたわしよりもずっと年下なのに、凄い方々です」
グモの話を、美咲は興味深く聞いていた。元の世界でずっと暮らしていた美咲には、ゴブリンという種族が味わってきた労苦というものは、正直ピンと来ないけれど、グモの話はまるでゴブリンの英雄譚を聞いているようで、とても楽しく、興味深い。
ゴブリンマジシャンとゴブリンロードの二匹を語る時、グモの機嫌が良くなるのを察した美咲は、躊躇無く彼らを持ち上げた。他人と仲良くなる秘訣は、彼らが大切にしている物事を否定しないことである。
「そのライジ様って人もいいよね。ベブレ様がいかにも練達の魔法使いって感じだとしたら、ライジ様は切れ者の軍師って感じがする」
「わしらゴブリンの間での認識も、そんな感じですな。実際二人が生まれてからは巣の雰囲気が変わりました。わしは良い兆候だと捉えとります」
美咲の努力の甲斐もあり、グモはすっかり美咲に心を許したようだった。美咲自身もいざ腹の内を割ってグモと話してみれば、意外なほど話が弾み、気が合うことが分かり、演技でも何でもなく、グモが語るベブレとライジの凄さを楽しそうに聞いていた。
黙って前を歩いていたルアンがついに振り返り、小声で文句を言う。
「おい、お前らいい加減にしろよ。これでも敵地にいるんだぞ。もっと緊張感を持ってくれ。特に美咲、お前、ゴブリンに敬称なんてつけるなよ」
「あ、ごめんなさい……」
「す、すいやせん……」
何故か美咲だけでなくグモまで頭を下げた。
グモの方はルアンの言葉が通じていないので美咲が謝っているのでとりあえず謝っておこうという程度の気持ちかもしれない。
いや、そんな腹黒でなくて、何となく謝らなければならないような気がしただけか。
どちらにしろ意味を理解していないのは明らかである。
何でこいつらはこんなに意気投合してるんだ、とルアンは心中で毒づく。
己の相棒の思考レベルがゴブリンと同レベルだと思うのも嫌なので、ルアンは美咲を世間知らずだからということで無理やり自分を納得させる。
(仕方ないよな。あいつは箱入り娘で外の世界なんて知らなかったみたいだし、ゴブリンもちょっと姿形が違う人くらいにしか思ってなさそうだし。帰ったら俺がしっかり常識を教えてやらねえと)
もし美咲がこの心の声を聞いていれば突っ込みが入っただろうが、生憎ルアンは心中で思っただけなので、美咲がそれを知ることはなかった。
先頭を歩くルアンが不意に振り向き、美咲とグモに訪ねる。
「そういえば、今逃げてる奴らって固まって行動してるのか? ばらばらに逃げてるんだったら、見つけるのはかなり骨だぞ」
ルアンの発言をグモに通訳した美咲が、自分の意見を言った。
「誰か見つけて聞いてみた方が早いかもね。グモもいるし、他のゴブリンたちに聞いてみてもいいかもしれない」
「それはいい考えですな。皆さんさえ良ければ、ちょっと聞いてみましょうか」
今度はグモの言葉をルアンに伝えた。
美咲の言葉はルアンとグモの両方に通じるが、ルアンとグモの間では会話が通じないので、必要に迫られ美咲は二人の通訳を行っている。
「俺は反対だ。俺たちの手が届かないところにコイツを置いたら、何をするか分かったもんじゃねえ」
肝心のルアンの返事は芳しくなかった。
能天気な美咲とは違い、ルアンはグモに対する警戒を解いてはいない。
本来ならば、これが普通の反応なのだ。
警戒を解くのを通り越して即意気投合してしまっている美咲の方が異常なのである。
棘のある物言いにグモが落ち込み、美咲がグモを擁護する。
「でも、このまま探していてもいつ見つかるか分からないわよ? 時間が経つにつれて脱出するのも難しくなってくるだろうし、どの道情報を得ることは必要だわ」
美咲の意見も、ルアンの意見も、両方に理があるので、ルアンは美咲の意見を気に入らないからといって切り捨てることはしなかった。
どうしようか迷っているようで、無言で考え込んでいる。
結論を出したルアンは、自分の言葉を美咲に通訳するよう促した。
「……仕方ないな。でも念のため、場所は選ばせてもらうぞ」
ルアンは美咲が持つ地図の、ある一点を指差す。今まで通ってきた場所の一つだ。
「この場所は他の場所よりも狭くて、見張りの近くで隠れられる場所があった。ここならグモが何か企んでいても阻止できる。やるならここがいい。というか、もしもに備えて安全を確保できるのがここしかない」
伝える側の美咲はグモにルアンの意見を通訳しようとして、ふと考え込む。
そのまま伝えるのはちょっとまずいかもしれない。
物事を円滑に進めるためには、配慮が必要だ。
「えっと、グモ、怒らないで聞いて欲しいの。やっぱりルアンはあなたを信じきれないみたいでね、やるならここにしろって言ってるんだけど、どうかな。私はもちろん、グモのこと信じてるからどこでもいいんだけど」
「……わしにしてみれば、そこまで信じてくれる美咲さんの方が不思議です。ルアンさんみたいな態度をするのが普通だっていうことくらいは、ゴブリンにだって分かります」
グモはいかにも不思議そうに美咲を見つめている。
彼自身はルアンの態度に機嫌を害しているような様子はない。
ゴブリンであるグモにとっても、ルアンの態度は納得できるものであるらしい。
悪感情を抱かずフレンドリーに接してくる美咲こそ、どちらかといえばグモには珍妙な存在として目に映る。
美咲は少し返答に困った。
この世界で生まれたルアンやグモにしてみれば、美咲の判断は現実を知らないと言われても反論できないくらい甘いものではあるが、美咲が持つ元の世界で培われた常識で考えれば当然のことでもある。
それに、いったん助けたグモをもう一度殺さなくならなければいけなくなったとして、果たして自分に実行できるのか、という美咲の密かな不安もあった。
いくら能天気に見られていても、美咲はそれなりに自分を観察して判断しているのである。
「私も、信じる方が馬鹿だってことくらいは分かるよ。だけど、そんなの寂しいじゃない。私は信じたいから信じてるだけよ。まあ、もし裏切られたら私が本当に馬鹿だったってことで」
途中で自分の気持ちを正直に語るのが恥ずかしくなったのか、美咲は顔を赤くして曖昧に笑い、誤魔化した。
本心とはいえ、いや、本心だからこそ、青臭い胸のうちを明かすのには勇気が要る。
「そこまで他人を信じられるとは驚きです。わしにはできません」
少し美咲の考えを知り、グモは余計に分からなくなる。
信じる自分の愚かさを知った上で信じるとは、グモにとっては理解不能である。
「私だって最初からそうだったわけじゃないよ。ううん、最初はそうだったけどそれで酷い目にあったの。でもね、やっぱり裏切られるだけじゃないんだよ。信頼に答えてくれる人だっている。私はそれが嬉しかった。だからグモを信じるの」
こんな私でも、信じてくれた人がいたから。
目の前の少女はそう言って、微笑んでグモを見た。
よくよく見れば、その瞳に映るグモの姿は揺らいでいる。
本当は、美咲だって不安なのだ。
信じていればいるほど、裏切られるのは辛い。
「──グモは、どっち?」
グモは口をぱくぱく開け閉めして言葉を捻り出そうとしたが、残念なことに彼の頭では思いつくことができなかった。
質問に答えることができないことはグモにとって珍しくもないことだったが、今回それによって生まれたもどかしさは、初めてグモを焦らせた。
賢くなりたい。
ゴブリンとして生を受けて今まで生きてきて、グモは初めてそう思った。




