二十五日目:新しい住人2
ちょっとしたハプニングを挟みつつも、美咲はグモの家にやってきたミルデから事情を聞いた。
何でも、昨夜のうちに、偽札事件で捕まった旅商人のヴァンドが逃げ出したらしい。
「逃げ出したって、どうしてそんなことになったんですか? せっかく捕まえたのに」
嘆く美咲に、ミルデもため息を返す。
「言い訳になっちゃうけど、外から新しい人員を受け入れるかどうかで里も揉めててね。結局受け入れるって方針に決まったんだけど、その間人手を取られて牢の見張りが疎かになっていたらしいのよ」
「……私たちが、エメルダさんとティータくんを連れてきたからですか?」
硬い表情で尋ねる美咲に、ミルデは苦笑して顔の前で手を振って否定する。
「流石にそれは違うわ。直接的な原因は、里長の判断ミスと、里人全体の油断よ。牢の見張りを夜間も増やしておけば済む話だったし」
「問題は、罪人を逃がしたことで、外に里の問題が露見しないかどうか、ですな」
美咲とミルデの会話に、グモが真剣な表情で口を挟んでくる。
普段は暢気なグモも表情を引き締めている辺り、事態は深刻のようだ。
「里が見つかっちゃったら、どうなるの?」
不安を声音と態度に滲ませて、ミーヤが恐る恐る尋ねた。
その手は美咲の服の袖を、きゅっと掴んでいる。
「魔族軍か人族軍かどちらかに見つかるかどうかによって多少差異はあるけど、最終的に攻められることには変わりないでしょうね。この辺りは魔族領だから、人族軍にとっては敵地も同然。戦略的な意味も含めて、略奪をしない理由も無い。自分たちで持ち込める補給物資にも限界はあるから。魔族軍だったら話はもっと簡単よ。奴は里の事情も、最近起こった出来事も知ってる。混血の子たち、美咲ちゃんたち、そして今回加わった母子。攻められる理由はいくらでもあるわ」
「すみません。私のせいで……」
「美咲ちゃんが気に病むことじゃないわ。多かれ少なかれ、混血を匿って税も払わずに隠れ住んでいる時点で、いつかこうなる危険性はあったわ」
「そういえば、アレックスは?」
ミーヤの質問に、美咲はそういえば、ミルデはいるのに、朝から一度もアレックスのことを見ていないことを思い出す。
ミルデが好きなアレックスのことだ。こんな事態になっているのだから、ミルデの側についていてもおかしくないのだが。
「アレックスは脱走が判明した時点で街に戻ったわ。もしヴァルトの奴から情報を得たのが魔族軍だったとしたら、あいつなら少しでも時間を稼げるから」
どうやら、アレックスは一足先に街に戻っているらしい。
昨日の時点で、一泊したら帰ると本人も言っていたので、何もおかしくはない。
ただ、美咲にしてみれば、挨拶も出来ないのはちょっと寂しくも感じる。
完全に心を許したわけではないとはいえ、ミルデが信用しているのだ。美咲もそれなりに心の距離を詰めてはいた。
「でも、アレックスさんって門兵なんですよね。そんな権限あるんですか?」
浮かんだ疑問点をミルデに尋ねる。
初めて街で会った時、アレックスは街の門前で人の出入りをチェックする門兵として仕事をしていた。
門兵が時間を稼ぐとは、具体的にどういう方法を取るのか、美咲には分からない。
これについては、ミルデの口から意外な事実が語られる。
「今は門兵だけど、元々は魔族軍の将校だったのよ、彼」
驚いて、美咲はあんぐりと口を開けた。
しかし、思えばあり得ないことではない。人族側の常識では論外なことでも、そもそも寿命が違う魔族では成立してしまう場合もある。
具体的に言えば、ミルデもアレックスも外見上はまだまだ若く見えるものの、実年齢はそれなりのキャリアを積んでいてもおかしくない年齢だということだ。
魔族という種族は、それほど見かけの年齢は当てにならない。
見かけ通りなのは、せいぜい子どもくらいだ。
「エリートじゃないですか……なんでそんな人がわざわざ門兵なんかに」
問題は、そんな将来有望だったはずのアレックスが、故郷とはいえわざわざ魔族軍の将校という地位を蹴ってまであの街で門兵などをしていたのかだ。
よほどの理由があったのだろうか。
美咲の質問に、ミルデが頭を振った。
「さあ。理由を聞いても、赤面して怒り出すだけで教えてくれないのよ」
不思議そうに首を捻るミルデは、本当に分かっていない様子だ。
一方で、アレックスがミルデを好いているという事実を知る美咲は、ミルデから伝え聞いたアレックスの反応で察してしまった。
「あ、なるほど。そういうわけですか」
「え? 今ので何か理解したの?」
不思議そうなミルデが目を見張るが、何てことはない。
アレックスは、好きな女を守るために、街に戻ってきた。ただそれだけのことだ。
しかし、この話にはアレックスが街に戻るのと入れ違いになる形で、ミルデが里にその居住を移すというオチがついていたりする。
ミルデが比較的頻繁に街を訪れるのでなければ、完全にアレックスはキャリアを棒に振っただけで終わるところだった。
そういう意味でも、アレックスは報われない男である。
■ □ ■
先行きが不透明でも、日々の営みは変わらない。
朝食が済んだ後、グモは畑仕事に行き、ミルデも店に戻って営業を始めた。
ミーヤと二人、美咲は顔を見合わせる。
「私たちはどうしよっか」
「えっとね、ミーヤはバルトとお喋りしに行くよ」
「あ、そうなんだ……」
既に予定が決まっているらしいミーヤに、美咲は遠慮がちに微笑みを向けた。
どうやらすることが何も見つかっていないのは、美咲だけらしい。
(……鍛錬でもしようかな。それとも、ティータくんたちの様子を見に行く?)
今日一日の予定を模索していると、ミーヤがもじもじしながらお誘いをかけてきた。
「お姉ちゃんが良かったらだけど、ミーヤと一緒に行く?」
「そうだね。うん。一緒に行こうかな。バルトにちゃんとお礼も言いたいし」
元々がミーヤに甘く、猫かわいがりしている美咲であるから、考えていた計画を即座に投げ捨てて、ミーヤのお誘いを了承する。
考えていた計画は、また後の時間に回せばいい。
「やった!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねて、ミーヤが喜びを露にする。
「それじゃ、お姉ちゃん、早速行こう!」
「こらこら、走らないの。転ぶと危ないわよ」
美咲の手を引いて走り出そうとするミーヤを笑顔で嗜めながら、美咲はミーヤと一緒に足取り軽くグモの家の玄関を出た。
里の道は素朴で長閑な風景が続いている。
目に付くのは畑が主で、そこだけ見るとまるで田舎のようである。
森の奥深く、その一角を切り開いて作られている里は、日光も良く届くので、日差しも暖かく、いっそう長閑さを助長させている。
上から見れば丸見えだが、そこは魔族の領域にある隠れ里。結界を敷設して、森林風景の幻影を被せている。中からは見えず、外に対して作用する結界だ。美咲が基点に触れない限り解除されないので、美咲が基点に近寄らない限り、結界が破られる可能性は極めて少ない。
それこそ、里の内部を知る誰かが、外敵を招き入れない限りは。
バルトはいつも通り、ピエラ祭りの会場となった大きな中央広場に居た。
あの時と違うのは、すっかり元気になって、のしのし動き回っていることか。
何気なく見れば、バルトの背にはいつぞや見かけた混血の子どもたちの姿がある。
人狼の子クラム、猫目猫耳の女の子ラシャ、吸血鬼少女セラ、岩石肌の少年マエト、軟体少年タクルの混血五人組だ。
「……バルト、何やってるの?」
助けに来た時の雄雄しい姿を知っている美咲からすると、奇行としか思えない行動を取っている美咲が思わず尋ねると、バルトは意外なほど気さくな態度で答えた。
「子守リダ。コイツラノ親タチニ頼マレタ」
声音にはそれほど今の境遇に対する不満は含まれていない。
もしかしたら、バルトも楽しんでいたりするのだろうか。
そして、年齢が近い子どもたちが遊んでいる光景を見れば、自分もと思う少女が、美咲の横にもいた。
それが誰であるかは言うまでもない。
「あっ、いいな! ミーヤも乗りたい!」
バルトの背に揺られる子どもたちの姿を見たミーヤは、目を輝かせてバルトへと走り出す。
少し前と全く同じ展開で、美咲はミーヤを捕まえた。
「止まるまで待とうね。危ないから」
「はーい」
いけないということは分かっていたのか、ミーヤは可愛らしくペロリと舌を出す。
まだ歩き続けているバルトの上で、クラムが美咲とミーヤを見つけ、ミーヤに声をかけた。
「おっ、いいぞ、来いよお前も!」
バルトが立ち止まり、ミーヤが今度こそ駆け出していくのと同時に、ラシャが身軽にバルトの背から飛び降り、美咲にぺこりと頭を下げた。
ベルアニアとは違う、魔族の挨拶だ。元の世界の挨拶とも似通っていて、美咲も馴染み深いお辞儀である。
美咲もラシャを始めとする子どもたちに挨拶を返し、ふと疑問に思ったことを尋ねてみる。
「そういえば、親御さんたちは居ないの? あなたたちだけ?」
「母さんたちは、今日は私たちの面倒を見れないんです、凄く重要な会議があるらしくて」
ラシャは両親に構ってもらえないことが不満なのか、ややふて腐れた表情で答えてくれた。
彼女が言う会議というのは、それはもしかしなくとも、逃げ出したヴァルトと、それによって齎される危険についての会議だろう。
事が事なので、真剣な表情になって考え込む美咲へ、セラがおずおずと尋ねる。
「ごめんなさい。迷惑ですか?」
「え? ああ、そんなことないわよ。バルトも退屈してるだろうし、気分転換になるわよね。そうでしょ?」
「マア、否定ハシナイ」
バルトに話を振ってみると、案外まんざらでもなさそうな声音で答えが返ってきた。
「そういうわけだから、気にしないでね」
快く許可を出すと、無表情でも、嬉しいという気持ちが伝わってくる、弾んだ声でマエトが美咲を誘う。
「ありがとう。良かったらお姉さんも一緒に遊ぶ?」
ニヤニヤしながら、タクルが口を挟んできた。
「おい、マエト。この人もうそんな年じゃないだろ」
(確かに、高校生だしこの子たちに比べたら大人かもしれないけど、まだ私だって若いんですけど!?)
大いに反論したかった美咲であったが、お調子者のタクルにからかわれているというのは分かっていたので、美咲は口に出すのは我慢した。
言い返したいのを我慢してぷるぷる震える美咲を見て、バルトが面白そうに牙を剥いて口角を歪め、プシューと鼻息を漏らした。