二十四日目:救出作戦10
意識を取り戻した魔族の少年は、しばらく自分の置かれている状況が理解出来ないようで、困惑の表情を浮かべてしきりに回りを見回している。
同時に何度もも美咲に対して物問いたげな視線を向けてくるので、美咲は自分から口火を切った。
「私、美咲っていうの。君の名前は?」
早い話が自己紹介である。
いつまでも魔族の少年では座りが悪いし、呼び難い。
名前くらいは聞いておいて損は無いはずだ。
「……ティータ」
小さな声で名乗った魔族の少年は、耳が尖っていて青白い肌の所々に鱗が浮いている以外は、ほぼ人間と姿形が変わらない。
外見から判断できる年齢は、ミーヤよりやや年上といったところか。
魔族の年齢はミルデのような例からも分かる通り当てにならないものの、精神の成熟度とはまた別である。
長い年月を生きているからといって、外見に似合わぬ老獪な精神を獲得できるわけではないのだ。
そういう意味では、外見相応とも言える。
「ティータ君。君は今の状況をどれくらい認識してる? どうしてここの牢屋に捕まっていたのか、覚えてる?」
美咲が尋ねると、ティータは唇を噛んで悔しそうな顔をした後、頷いた。
俯くティータに向き直り、美咲は頭の猫耳ヘアバンドを外す。
魔族兵の制服姿と猫耳から、美咲のことを魔族だと思っていたのか、ティータが驚愕の表情で美咲を見上げる。
「そう。じゃあ話は早い。私はあなたを助けたい。そう思って此処にいるの。もうすぐ私の仲間が迎えに来るから、一緒に安全な場所に逃げましょう」
「……どうして、人間が魔族を助けようとするんだよ」
ぶっきらぼうに呟いて、ティータは美咲へ猜疑心に満ちた目を向けた。
どうやら一度人間に唆されて裏切られたことで、人間に対して悪感情を抱いてしまっているらしい。
まあ、無理も無い。
「だって私、魔族が憎いわけじゃないし。この世界の人間の都合なんて知らないし。義理は果たすし、個人的なけじめはきっちりつけるつもりだけど、それ以外は魔族に対してどうこうしようとは思わないわ」
隠れ里での生活は、美咲の考え方を大きく変えていた。
知らず知らずのうちにこの世界の人族寄りの考え方に染まっていたのを、客観的に中立な状態へと引き戻したのである。
個人的な魔王への恨みはあるものの、魔族そのものが嫌いなわけではない。
人間が善悪様々な感情を持ち合わせているように、魔族も見方を変えればまた別の一面が見えてくるのだ。
「……あんた、何で魔族兵の制服着てるんだ」
「ああ、これ? 詰め所のロッカーから拝借したの」
「その耳は?」
「魔族兵の落し物。持ってたのが男性だったのが何だか解せないけど、上手く化けれてるでしょ?」
ティータの問いに、美咲は笑って猫耳ヘアバンドを付け直す。
正確に言えば気絶させた魔族兵から分捕ったのだけれど、そこまで言う必要もあるまい。
「何で、人間がこんなところに居るんだ。また、何か企んでるのか。もう騙されないぞ」
まるで傷付いた野生動物のように、ティータは美咲のことを警戒している。
「別に、何も企んでないわよ。ただ、君が処刑されることを、黙って見ていられないだけ」
「俺はもう用済みだろ。勝手に始末してくれるんだから、放っておけばいいじゃいないか」
「ひねくれてるわね。勘違いを一つ正しておくわ。私、君を騙した人間たちとは一切関係ないからね。だから、魔族と人間の思惑や確執なんて、どうでもいいの。魔族といえど、勇気ある前途有望な少年が殺されるのは我慢がならない、それだけよ」
本当に、それだけが美咲が動いた理由だった。
異世界人である美咲とは違い、この世界の人間と魔族が手を取り合うのは難しい。蓄積された流血と怨嗟の歴史が邪魔をするからだ。
そんな異世界に生まれながら、ティータは人間の奴隷を哀れみ、助けようとした。
美咲は所詮無知でさらに無知な自らを肯定し開き直っているだけで、常識に囚われながらもその選択をしたティータの心こそが稀有なのだと、美咲は知っている。
「変わってるな、アンタ」
「自覚はしてる。まあ、そもそもこの世界に来てからまだ一ヶ月も経ってないし。……もう随分ずっと前から居る気がするけどね」
思わせぶりな美咲の台詞を聞いて、ティータが不思議そうな表情を浮かべて美咲の様子を窺う。
「どういうことだ?」
「続きは、私たちと一緒に来るなら教えてあげる。後、御両親はいるの? 居るなら、街に残して行ってもアレだから、希望があればついでだし拾っていくけど」
ティータが反射的に真っ直ぐ美咲の目を見つめた。
強張った表情からは、彼の逡巡が透けて見える。
「親父はいい。頑固だからどうせ聞く耳持たない。お袋だけ頼む」
「そう。で、どうする?」
「一緒に行くよ。このまま街に居ても、処刑されるだけってことは分かってる。俺とお袋を、助けてくれ」
屋上に、竜の形をした影が落ちる。
ようやく到着したバルトを背に、美咲はティータに微笑みかけた。
■ □ ■
バルトの背からベウたちに下ろしてもらったミーヤは、美咲の下へ一目散に駆け寄ってきた。
「お姉ちゃん、無事!?」
「無事だよ。ありがとう、迎えに来てくれて」
表情を綻ばせて美咲が両腕を広げると、ミーヤがその中心に飛び込んでくる。
抱き付いたミーヤを、美咲はしっかりと受け止め、抱き締めた。
「遅くなってごめんね」
「大丈夫だよ。私もさっき着いたところだから」
自分の台詞がまるで元の世界で交わされていてもおかしくないものだったから、美咲は少しおかしくなった。
同時に、元の世界のことが懐かしくなる。
帰りたいと願う気持ちが、また少し強くなった。
「なんだこのドラゴン……! っていうか、降りてきたのは、人間のガキじゃないか!」
ティータが屋上に降り立ち翼を休めるバルトに目を剥き、ミーヤがティータに言い返す。
「ミーヤ、もう子どもじゃないもん!」
「そもそも誰なんだよお前!」
「ミーヤはミーヤだよ! そういう君こそ誰なの!?」
「知らないで助けに来たのかよ!?」
口喧嘩を始めるミーヤとティータを見かねて、美咲が割って入る。
「まあまあ二人とも。紹介するわね。この子はミーヤちゃん。私の仲間で、妹分みたいなものよ」
「仲間って、俺よりガキじゃねーか!」
「ガキじゃないもん!」
「はいはいまたすぐ喧嘩しない」
またしても言い合いになりそうな二人を押し留め、美咲は説明を続ける。
「で、こっちはティータくん。ミーヤちゃんも知ってる通り、今回の奴隷の反乱の咎で投獄されていた子よ」
「ええ! ミーヤが思ってたのと違う! もっと格好良いと思ってたのに、これじゃちんくしゃじゃない!」
「誰がちんくしゃだ! ていうかちんくしゃって何だよ! 何となく罵倒だってことは分かるけどさ!」
「ちんくしゃはちんくしゃだよ!」
「はいはいはい、どーどー、落ち着いて」
ふーっ! と猫のように威嚇するミーヤと、がるるるると犬のように唸り声を上げるティータを、美咲はそれぞれ宥めすかす。
(この二人、思った以上に相性悪いのかな……?)
水と油のような反応を見せるミーヤとティータに、美咲は手を焼かされっ放しだった。
とはいえ、いつまでも手間取っているわけにはいかない。
忘れてはいけない。今、美咲たちは敵地に居るのだということを。
(長居は無用ね。さっさと脱出しちゃいましょ)
美咲は、ミーヤとティータから、バルトへと視線を移す。
バルトは、静かな感情を湛えた瞳を、美咲へと向けていた。
「……久しぶり。ありがとう、迎えに来てくれて。正直、来てくれなくても仕方ないと思ってたわ」
「オ前ハ約束ヲ守ッタ。ダカラ俺モ約束ヲ守ル。ぶらんでぃーるトノ約束モアルシナ」
「傷は、もういいの?」
「アア。竜族ノ治癒力ヲ舐メテモラッテハコマル」
どうやら、本当にあの僅かな期間で全快してしまったらしい。
元の世界では空想上の存在だったとはいえ、こうして実際に接すると、つくづく常識外れだということを実感する美咲だった。
「凄いのね……」
「マアナ」
バルト本人にとっては当然のことだから、彼の返事は素っ気無い。
無造作に突風のような鼻息を出すと、バルトは美咲に目を向ける。
「トコロデ、脱出スルナラサッサトシタ方ガ良インジャナイノカ? ぐずぐずシテルト追手ガ来ルゾ」
「そうだった。ねえ、その前に街でティータくんのお母さんを拾っていきたいんだけど、いいかな?」
「俺ハ構ワンガ、街トナルトおれガ降リラレル場所ハ無イゾ。ココニ降リラレタノモ、建物ガ頑丈デ平ラデ面積ガアッタカラダ」
「あっ、そうか。じゃあ、どうしよう……」
考え込む美咲の服の袖を、美咲たちの回りを飛ぶベウたちが引いた。
「ん? どうしたの? あなたたち」
不思議そうな顔の美咲に、ベウたちは盛んに羽を震わせて見せた。
「(それについては大丈夫よ。これを見越したお母様からちゃんと頼まれてるの)」
「(直接乗り降りできない場合は、私たちで運んであげるわ)」
「(ミーヤちゃんの乗り降りも、私たちが手伝ってあげてるのよ)」
魔族語はある程度聞き取れるようになったとはいえ、言語ですらない魔物の意思までは、美咲といえども流石に読み取れず、苦笑して美咲はミーヤに助けを求めた。
「……ミーヤちゃん、悪いけど通訳お願いしてもいいかな?」
「任せて! あの子たちはね、バルトが直接降りられない場所では、代わりに地上とバルトの間の昇降を手伝ってくれるって言ってるよ」
ようやく提案を理解した美咲は、目を丸くしてベウたちを見た。
この三匹は、女王ベウのベウ子が仲間になってから最初に生んだ働きベウだ。
個体の名前こそ無いものの、美咲たちと付き合いはそれなりに長い。
もっとも、美咲には彼女たちの区別がいまいちつかないのであるが。
大きいとはいっても所詮は犬猫程度の大きさでしかないベウであるが、その馬力は大きさに似合わず、協力すれば人一人くらい簡単に持ち運び出来てしまう。
軽いミーヤならば、それこそ鼻歌交じりに運ぶことが出来ただろう。
「皆、ありがとうね」
「お姉ちゃんが、ありがとうだって! 良かったね」
ミーヤが笑顔で美咲の言葉を通訳して伝えると、三匹の働きベウたちは喜んだ。
もっとも、それが分かったのはミーヤだけで、美咲やティータにはいまいち反応が伝わっていない。
「(そわそわ)」
「(きらきら)」
「(えへえへ)」
それでも、ミーヤの嬉しそうな表情から、三匹の感情を予測した美咲は、微笑みを浮かべるとミーヤとティータを急かした。
「それじゃ、さっさとバルトに乗り込んで、ティータくんのお母さんを迎えにいこう。ティータくん、道案内よろしくね」
「ああ。この近くだから、すぐ着くよ。……なあ、俺が登っても、齧られないよな?」
頷いたティータは、バルトを前にして恐る恐る美咲に尋ねる。
「俺ハソンナコトシナイゾ。サッサト乗レ」
「お、おう」
意外にも身軽に、ティータは一人でバルトの背に登ってしまった。
さすがは魔族というべきか、魔法で補助しているのだろうけれど、子どもという点を差し引いても結構な運動能力である。
「……ずるい」
「ぶはっ! お前、変な格好だな!」
働きベウ三掛かりで運搬されるミーヤが、一足先にバルトの背に辿りついたティータにじっとりとした視線を送る。
対するティータは、荷物のように空中を運ばれるミーヤのおかしな光景に、噴出しそうになるのを堪えた。
微妙に堪えきれず、実際は少し噴出しているけれども。
ちなみに美咲はというと、足の部分は一人で登ったけれども、そこで力尽きて結局働きベウたちに運搬された。
いかに実力をつけたといえども、素の力では美咲など所詮この程度である。