二十四日目:救出作戦7
慌てた様子で、先ほどの魔族兵が部屋に踏み込んできた。
「どうした、何があった! 侵入者を見つけたのか!?」
詰め所内の図書室に入った魔族兵は、中の惨状に呆気に取られた。
等間隔に並べられていた本棚が倒れ、収められていた本が床に散らばっている。
美咲の姿は無い。
当然だ。美咲は入り口のすぐ横、ちょうど扉を開ければ扉の影になって見えない位置で待ち伏せしていたのだから。
図書室の中に踏み込む魔族兵の後ろに立ち、美咲は拾ったハンマーを振り上げる。
(えっと、ごめんなさい!)
敵とはいえ、不意打ち騙まし討ちと汚い手を使うことに若干申し訳なく思いながらも、美咲は躊躇無く振り上げたハンマーを魔族兵の頭部目掛けて振り下ろす。
ハンマーを見た時は、こんなもので殴られたら人の頭なんて簡単に潰れてしまうのではないかと思った美咲だが、心配は杞憂だったのか、はたまた美咲にそれほどの腕力が無かったせいなのか、魔族兵は昏倒こそしたものの、死んだ様子はない。
生きていることを確認した美咲はほっと安堵の息を漏らした。
敵であることに違いはないものの、この魔族兵自身が美咲に何かしたわけでもない。魔族というだけで、誰でも彼でも殺せばいいという理由にはならない。
何より、命を殺めるという行為はどうしようもなく美咲の心を軋ませる。
それに、ブランディールを殺しても、美咲の心は晴れなかった。むしろ嘆き悲しむバルトを見て、自分の方が悪者になったような気さえした。
元の世界の道徳心は、捨てるべきではない。
完全にこの世界の価値感に染まってしまえば、いざ元の世界に戻った時、今度は元の世界に馴染めなくなるに違いないのだから。
無力化した後に行うのは魔族兵の持ち物検査である。
治癒紙幣は忘れず回収だ。
後は、自力で復活した後すぐに追跡に行けないように、服も剥いでおくことにする。
脱がせた魔族兵の服は、図書室の別の場所に隠しておく。
後は、気絶した魔族兵をどこに安置しておくかが問題だ。
(クローゼットがあれば一番簡単なんだけど、さすがに図書室には無いわよね)
隠し場所を吟味する美咲は、床に散らばる大量の本に目をつける。
無ければ、クローゼットに代わる隠し場所を作ればいい。
伸びている魔族兵を倒れた本棚の陰に寝かせ、椅子を一脚拝借して頭が椅子の下に入るように置く。
後は頭以外に本を乗せてしまえば、崩れた本棚と、本の小山の出来上がりだ。
パッと見たくらいでは人がいるとは分からないし、きちんと呼吸するだけの空間は確保してあるから、魔族兵が本に埋まって窒息することもない。
本の重みによる、圧迫感くらいは感じるかもしれないけれども。
(まあ、それくらいは我慢してもらおう)
処理をし終えた美咲は、意気揚々と図書室を出る。
次に入った部屋は、訓練室だった。
どうやら、天候が悪い日などに使われるトレーニングルームなようで、色々な訓練機器らしき道具が置かれている。
とはいえ元の世界のように明らかに機械と分かるものは一つもなく、等身大の人型だとか、刃を潰している以外は本物と同等の重さの武器とか、そういうものが目に付く。
武器があるので若干美咲は興味を引かれるものの、刃が潰されているのを見て取ると、実用には耐えないと悟りため息をついて諦める。
さすがに真剣が置いてあることを期待するのは、虫が良すぎた。
ここでも魔法を放って騒音を起こし、美咲は一目散に逃げる。魔族兵が単独、または少数でやってきたら、それを無力化してまた別の場所に向かう。
大人数で来たならば隠れて遣り過ごすか、魔族兵を演じて何食わぬ顔で捜索に加わる。
その繰り返しで、美咲は少しずつ魔族兵の戦力を削りながら、適度に魔族兵たちの注意を引いて、ミルデとアレックスの間接的な支援を行った。
二人から合図が上がるまで、同じことの繰り返しである。
事前の取り決めで、合図は外に魔法を放つことになっている。
目視が一番分かりやすいけれど、大きな音が鳴るので屋内に居ても分かる。
何度目かの騒ぎを起こし、遣り過ごした後で、美咲は外で爆発音と共に、魔族兵たちの騒ぎ声を聞いた。
(合図だ!)
美咲は即座に移動を開始し、適当な窓から飛び降りて、魔族語で落下の衝撃を和らげて着地する。
これくらいの魔法の行使なら、流石に美咲も慣れてきた。
「いたぞ! 侵入者だ!」
(へ?)
突然聞こえた誰かの声と共に、美咲は待ち構えていた魔族兵たちに囲まれる。
「もう逃げられんぞ! 大人しくしろ!」
「縛るロープを持って来い! 隷従の首輪もだ!」
取り押さえられた美咲は、魔族兵たちの中に、信じられない顔を見た。
ミルデと、アレックスである。
愕然とする美咲の前に、アレックスがやってきた。
「ど、どうして……!」
叫ぼうとした口を乱暴に手で塞がれ、アレックス自身の手によって、美咲は首に隷従の首輪を嵌められる。
異世界人である美咲にとって、隷従の首輪はただの首輪でしかないが、気持ちの良い物であるわけではない。
しかも、この状況は、ミルデとアレックスに裏切られたに等しい。アレックスはともかく、ミルデに裏切られたなんて、美咲には信じられなかった。
泣きそうになった美咲は、何食わぬ顔のアレックスの後ろで、ミルデが必死にバチバチとウインクしてアイコンタクトを美咲に送っているのに気付く。
まるで、何かに気付け、といわんばかりの態度だ。
(……あれ?)
美咲の背に、嫌な汗が伝った。
(もしかして、救出、失敗しました?)
そうであるならば、全て合点がいく。
ミルデとアレックスは、魔族の子どものところに辿り着く前に見つかり、咄嗟に作戦を切り替えて、当初の予定通り美咲を送り込むことに決めたのだ。
裏切られたのではないと悟った美咲は、ほっとして事態が流れるに任せた。
まあ、早い話が魔族の子どもが捕まっているのと同じ、地下一階の牢屋に叩き込まれたのである。
■ □ ■
牢屋の中はひんやりとしていて、空気が淀んでいた。
涼しいのは、牢屋が地下にあるのと、建物が石造りであるからだろう。
地上部分ならば日光に照らされてそれなりに暖かくなるものの、日の当たらない地下は石そのものの冷たさを如実に美咲に伝えてくる。
唯一の出入り口には鉄格子が嵌まった扉があり、鉄格子の少し下には食料などを投げ入れるための鍵付きの蓋がある。当たり前だが、こちらからは開けられない。
使われている石材はほぼ等間隔にカットされているようで、平らな床はそれだけで過ごし易い。
この世界の石畳は、結構でこぼこなのが普通なのである。
事前に予測していた通り、美咲は投獄されるに辺り、装備と所持品を全て没収された。
全員捕まっていたらほぼ確実に戻ってこないだろうから、あらかじめ回収できるよう動いているミルデたちには頭が上がらない。
裏切られたと勘違いした時は胸が締め付けられるような思いをした美咲だったけれど、実際はミルデとアレックスはきちんと美咲のことを考えて動いてくれている。
いや、アレックスの方は心の底から美咲のことを助けたいと思っているわけではないだろうが、少なくともミルデはそうだ。
魔族としては変わり者のミルデは、かなり美咲に心を砕いてくれている。ミルデは魔族としては珍しいことに、人族に対して好意的だ。
もちろん自分が好意的だからといって相手もそうであるとはミルデ自身思っていないから、無警戒に人族の領域に近付くようなことはしないとはいえ、魔族の領域内に迷い込んだ人間を助けるくらいはするし、助けた相手が好意を抱くなら、自分も好意を返す。
ミルデが本当に美咲のことを心配していることを理解しているからこそ、美咲もミルデに心を許した。
一方で、アレックスについては美咲はまだ信じ切れていない。
信じてもいいと思える要素はある。
アレックスはミルデの幼馴染だし、傍目から見てもミルデに好意を抱いているのが丸分かりだ。それも、同郷の好程度のものではなく、見たところ、ミルデを意中の異性として捉えているように思える。
要は、アレックスはミルデに惚れているのだ。
だから信用してもいいと思うものの、一方でまだ信用しきれない疑り深い自分が存在することを、美咲は悟っている。
美咲とミルデの命を天秤にかけるような状況になった時、アレックスはきっとミルデを選ぶからだ。
悪いことだとは思わない。
でも、心の距離は置いておく。
それが、アレックスに対する美咲の基本的なスタンスだった。
(何はともあれ、捕まっちゃったなぁ)
首には隷従の首輪を嵌められ、御丁寧に足首には鎖まで付けられている。
アレックスは大真面目な顔で、美咲の隷従の首輪を操作している振りをしている。
隷従の首輪の効果が効いていないことを悟られないためにも、下手に動けず、美咲は暇だった。
とはいえ、何もできないわけではない。
看守はいるものの、いつも美咲のことを見張っているわけではないし、そもそも牢屋は一つではなく、囚人も美咲一人ではない。
定期的に見回りはされるものの、それ以外は誰にも見られていないことの方が多い。
その間に、美咲は牢屋内の探索をしていた。
(まあ、何もないんだけどね)
探索結果が奮わないのは当たり前である。
牢屋内にあるものといえば、この世界の基準でも粗末と呼べるベッドに、用を足すための蓋がついた壷だけだ。
投獄される際に受けた説明では、基本的にこの壷は囚人が入れ替わるまではそのままらしい。
つまり、美咲は脱出するまでずっとこの壷で用を足し続けることになるのだ。
(臭いとか、凄いことになりそう)
まだ一度も使用していないので、当然何も臭わないとはいえ、時間が経てば経つほど耐え難くなるのは想像するに容易い。
(ベッドも、シーツすらない藁だけなのよね……)
己の寝床を見つめて、ため息を一つ。安い宿なら、藁のベッドなども普通だったけれど、さすがにシーツを敷いていたし、寝台の上に藁を敷いていた。
それに比べ、牢屋は床に直接藁を敷き詰めて、その上で寝る。
文句など言える義理ではないとはいえ、これは酷い。
でも、悲観するばかりではない。
勿論良いことだってある。
美咲は今、牢屋にいる。つまり、魔族の少年だって近くの牢屋にいるはずなのだ。
少なくとも、同じ階にまで、美咲は来ることができた。
後は、正確な位置さえ分かれば、助けに行ける。
もっとも、脱出できなければ意味はないので、問題は行動に移すタイミングだ。
魔法も問題なく使えるため、脱獄するくらいなら難しくない。
だが詰め所から脱出できるかというと、微妙なところだ。少なくとも、ミルデとアレックスの助けは必須だろう。
それに、詰め所を脱出しても、次は街を脱出しなければならない。街を脱出したら、迎えに来たミーヤにバルトで拾ってもらって、隠れ里に逃げる。
つまり、脱出をミーヤの来訪に合わせなければならないのだ。
その連絡を、美咲に同行して牢屋にまでついてきているフェアリーのフェアが行っている。
「頼りにしてるわよ、フェア」
「♪」
フェアは任せてとばかりに、その小さな羽根をぱたぱたと動かした。
彼女は小さいので見つかりにくく、飛んで隠れることも出来るため、発見されずに此処まで付いてきてくれた。
種族特性としてテレポートすることができ、本人だけしか転移できないものの、連絡役にはもってこいの能力である。
問題は、ミーヤが居ないので意思疎通がし辛いことである。
牢屋を出るのはフェアなら簡単なのだが、見てきたことを美咲に伝える手段が無い。
それでも、やり様はあるはずだ。
頭を振り絞り、美咲は作戦を練り始めた。
そんな美咲を一目見て、フェアは鉄格子をすり抜けて飛んでいった。