二十四日目:救出作戦3
ミルデが調べた結果、二階の窓も三階の窓も全て閉まっていたものの、屋上から屋内へと続く扉の鍵が開いていた。
どうやら閉め忘れたのではなく、鍵が壊れているらしい。
「屋上から入れそうよ」
飛び降りて戻ってきたミルデが、美咲とアレックスに報告する。
報告を聞いたアレックスが考え込んだ。
「ふむ。となると、下に降りていくことになるな」
「牢屋は地下一階でしたよね。逆側からの侵入になりますか。ついてませんね」
一階から入れればすぐなのに、わざわざ屋上から入らなければならないことに美咲が不満を漏らすと、ミルデが苦笑する。
「入り口があるだけマシでしょ。あそこが開いてなかったら、最悪窓を破らなきゃならなかったんだから」
確かにミルデの言う通りである。
それに、元の世界のように、鍵をこじ開けて不法侵入すると警備員がすっ飛んでくる仕掛けがあるかもしれない。いや、この場合は警備員ではなく、魔族兵だろうか。
「一応中に入る前に魔法探知をしておいた方がいいな。うっかり踏み入って警報が鳴りでもしたら面倒だ」
アレックスの台詞は、この世界にも警報で侵入者を知らせる装置があることを示している。
元の世界との違いは、その仕組みが機械で出来ているか、魔法で出来ているかだろう。
そして、魔法ならば大抵のものは美咲が無効化できる。
ただ、この方法は今回は使えない。
美咲の事情を知らないアレックスが同行しているためだ。
ミルデとは違い、美咲はまだアレックスのことを信用し切れていない。
魔法無効化能力は、知られているのといないのとでは大きな違いがある。
知られていなければ、魔族に対して初見殺しにもなり得る能力なのだ。魔族の戦力は、それほど魔法の比重が大きい。
もちろん、魔族と一括りにしても実際は人間以外の多種族の集合体なので、種族的な特徴で頑強な肉体を持つ魔族も勿論存在する。
だが例外なく強化魔法で肉体を強化して戦う魔族は、魔法無効化能力に極めて脆い。
戦闘中に無理やり強化を解除されると、急激に弱体化した肉体に感覚がついていかないためだ。
以前美咲と戦ったブランディールの敗因も、それに当たる。
このからくりは、強化魔法をかけられた時は効果が最大にまで発揮されるまでに時間が掛かるので、慣らしの時間があるのに対し、無効化された時は即座に元に戻ってしまうためだ。強化魔法の度合いが高ければ高いほど、この落差は大きく、見逃せない隙となる。
今回は無理に美咲の魔法無効化能力を使わずとも、アレックスもミルデも魔法がかけられていないか探知する魔法を知っているようなので、美咲の出番は無さそうだ。
(凄く便利そうな魔法だと思うけど……私にも使えるのかな)
怪しい場所に直接かけて調べるような形式ならば美咲にも使えるだろうが、自分にかけて移動しながら範囲内に入れば反応して探知するような形式だと、まず美咲には使えない可能性が高い。
「では、巡回の魔族兵が戻ってくる前に屋上に移動するか。美咲は空は飛べるか?」
「一応は。でも、大きな音がするので確実にばれると思います」
アレックスの問い掛けに、美咲は正直に答える。
美咲の飛行方法は、風系統や炎系統の攻撃魔法を自分に向けて放ち、そのエネルギーを利用するものだ。
魔法無効化能力を最大限生かしたもので、美咲にとっては無くてはならない手段ではあるけれども、元が攻撃魔法である以上騒音はどうしようもない。絶望的に隠密には向かないのである。
「消音結界でも張るか?」
「止めた方がいいわよ。結界を張った時点でばれるわ」
ミルデがアレックスの提案を退ける。
口にした理由以外にも、基点を用いる敷設型でない限り、結界に触れた時点で美咲が無効化してしまうという理由もあった。
良くも悪くも、美咲の魔法無効化能力は見境がない。
「わざと騒ぎを起こして陽動に回るのはどうでしょう。私がミルデさんたちについていくより、此処で魔族兵たちの目を引き付けた方が良いかもしれません」
「……いいの? 危険よ?」
気遣わしげな視線を向けてくるミルデに、美咲は微笑んだ。
「大丈夫です。蜥蜴魔将と殺し合った時に比べれば、その程度どうってことありません」
「比較する対象が間違っている気がするけど……」
なおも美咲のことが心配な様子を見せるミルデに、アレックスが焦れた。
「本人がやると言っているんだ。したいようにさせてやればいいだろう。それに、陽動してくれるというのなら俺たちにとっては願ったり叶ったりだ」
美咲が魔族兵の目を引き付ければ、それだけミルデとアレックスが見つかる可能性は低くなり、安全度が増す。ミルデのことが一番大事なアレックスにとっては、喜びこそすれ反対する理由がない。
「仕方ないわね。悪いけど、お願いできる?」
「任せてください」
美咲は不安げなミルデを安心させようと、自信ありげな笑みを浮かべた。
「♪」
そんな美咲の頭の上で、フェアリーのフェアが羽を羽ばたかせた。
■ □ ■
ごくりと、唾を飲み込んだ。
ミルデとアレックスは既に移動し、今は美咲一人きりだ。
いや、一応はフェアがいるから一人ではないけれど、彼女は戦力には数えられないので、実質的には一人でいるようなものである。
(落ち着け、落ち着け……)
一人きりという心細さと、自らに課せられた陽動という任務の重要さに気を抜けば震えそうになる身体に意識して力を入れつつ、美咲は精神を集中させていく。
魔族語を用いて発動させるのが魔法であるが、何も口にした魔族語全てが魔法として発動するわけではない。
よく考えれば当然だ。そんなことになれば、魔族は日常会話すらままならなくなる。
魔法を発動させるために必要なのは、正確な発音と、正しい魔法のイメージ、そして魔法を行使するという強い意志力だ。
これら三つがある程度の水準に達していれば、魔法は発動する。
しかしそれはあくまで発動するだけで、魔法を高いレベルに押し上げるには技術が必要だ。
言うまでもなく魔族語の発音は最重要で、いわゆるネイティブに近ければ近いほど、魔法の発動率が高くなる。つまり、魔法を発動させる際の信頼度に関わるのだ。この世界において、魔族が人族を上回っている点の一つである。
魔法のイメージも忘れてはならない。自分が使う魔法がどんな魔法か知っていないと、いかに発音が正しくとも魔法はその効果を発揮しきれない。イメージが曖昧だと、魔法のコントロールに難が出る。その結果、フレンドリーファイアだって起こり得るのだから、イメージを固めるのを怠ってはならない。
そして、威力に直接関わるのが、意志力だ。
感情を伴った強い志が、魔法の効果を高める最高の原動力となる。
この三つの観点はそれぞれが複雑に関係し合っており、どれを欠いても魔法として完璧とはいえない。
以前アリシャに教えられた魔法の知識で、多少は詳しくなっている美咲は、覚えている知識を総動員して魔法を唱える。
「ベェアカァウヘタシィエユゥ」
紡ぐ魔族語は、簡潔に。
文章が長くなればなるほど色々なことが出来るようになるとはいえ、同時にその分だけ発動や制御が難しくなる。
特に、今は敵を倒すことが目的ではなく、思い通りの現象を起こす正確さが何より重要なので、長ったらしい言葉は要らない。
締め切られている正面玄関付近で、爆発が起きてそこそこ大きな音を立てた。
爆竹をいくつか纏めて使ったようなチンケな音ではあるけれども、それでも騒音は騒音だ。それなりに煩い。
それに、奴隷の反乱からまだ日が経っていないのだ。
当然魔族兵たちも完全に警戒態勢を解いておらず、しばらくして見回りの兵がやってきた。
「何だ、今の音は?」
「変だな。大きな音がした割には異常が無いぞ」
やってきた見回りの魔族兵は二人で、しきりに爆発があった辺りを調べている。
爆発とはいっても、所詮は美咲が起こしたもの。
威力はたかが知れているし、実際に爆発した割に回りに被害は全く無い。
その理由は、美咲は実際に何か可燃物を指定して爆発させたわけではなく、ただ何も無い空間を指定して爆砕しただけの、いわゆる「空砲」に当たる魔法の使い方をしたせいだ。
既存の概念に囚われない魔法というこの世界特有の技術は、時にはこのような物理法則に真っ向から喧嘩を売るような現象を引き起こす。
科学者が知れば卒倒するに違いない。
(二人か……。まだまだ少ないな。もっと引き付けないと)
美咲は追加で魔法を唱えた。
「ヘェアゾォイキィエルゥ」
今度は連続して、ポップコーンが熱されて弾けたのを大きくしたような、破裂音が連続してあちこちで起こった。
破裂音は規則性無しにあちこちで連続して鳴り、止む気配が無い。
これは美咲のミスだ。
魔法の発音に気を取られ過ぎて、魔法のイメージのうち、範囲を指定するイメージが甘かった。そのため、どこで魔法が炸裂するか術者である美咲自身にも分からない状態で発動してしまった。
(やっちゃった……。下手に動けないよ)
思わず頭を抱えたくなる美咲であるけれども、魔族兵たちの方がもっと困った状態にあった。
「何だ、一体何が起こってる!」
「くそっ、誰だ、真夜中にこんな近所迷惑な魔法を使ったのは!」
悪態をついているものの、思ったより混乱していない。
それどころか、美咲の魔法を全く脅威に感じていないらしく、テロ行為というよりも、ただの悪戯として捉えられている節がある。
(もうちょっと焦燥感を与えないと駄目だわ……。今度はもうちょっと過激に行こう。……死にませんように)
三度、美咲は魔法を使用する。
自分に対する攻撃魔法なら躊躇無く最大威力でぶっ放せるのに、いざ敵に放つとなると上手くいかないことに、美咲は困惑していた。
「ムゥオイェセェアケラァウフヌウォ」
若干の焦りと苛立ちが魔法に伝わったか、またしても魔法のイメージが崩れて制御が美咲の手を離れ、本来の照準を無視して美咲の足元で炎が吹き上がった。
しかも、感情が高まったせいで今度の魔法は今までとは逆に威力と規模が大きい。
突然美咲を閉じ込めるかのように巻き起こった炎は、魔族兵たちの度肝を抜いた。
「うおっ!? 火事だ!」
「消せ! 消せ!」
何しろ人間一人を完全に包み込む規模の炎である。放っておいたらたちまち回りに延焼し大火災に発展する可能性が高い。
魔族兵たちが慌てるのも当然だ。
そして、炎越しに魔族兵たちにばっちり注目されて美咲も動けない。
炎で隠れて見つかってはいないものの、炎の外に出れば完全に目と目が合う距離である。
案の定、消火活動が終わり美咲と二人の魔族兵はしっかりと顔を合わせた。
まさか炎の中から無傷で人間が出てくるとは思ってもいなかったらしく、二人の魔族兵は口を大きく開けて、完全に固まっている。
「こ、こんにちは」
あまりの気まずさに、美咲はにへらと笑う。
「に、人間だー! 人間が出たぞー!」
「応援だ! 応援を呼べ!」
まるで魔物が出たとでもいうような魔族兵の叫びに、美咲はあんまりだと思った。