二十四日目:アレックスという男3
口を挟んできた美咲に、アレックスはぴくりと眉を動かす。
「……いいの? 後戻り出来ないわよ?」
自分たちの会話を遮った人間の奴隷に、アレックスは不機嫌そうな表情を浮かべたものの、気遣わしげな態度で美咲に接するミルデを見て、文句を言うのはぐっと堪える。
「構いません。この際、多少の危険には目を瞑ります。何より時間がありません」
「どういうことだ?」
「蜥蜴魔将ブランディールを倒したのは私です」
「……何だと?」
「えっ」
アレックスとミーヤが二人して間抜けな表情になった。
ミーヤはまさか美咲があっさり自分の情報を漏らすとは思わなかったことと、アレックスの方はただ単純に、目の前の少女が魔将とまともに戦えるほどの実力を持つとは思えなかったためだ。
「おい、笑えない冗談は寄せ。お前などに魔将を倒せるものか。まさか自分が犯人として名乗り出る代わりに子どもの助命を嘆願するつもりか。そんな嘘を信じるほど、軍の目は節穴じゃないぞ」
「でも、本当なんです」
「……おい、ミルデ。奴隷の教育はしっかりしろ。こんな状況で口にする冗談じゃないぞ、これは」
たまらずミルデに苦情を言ったアレックスは、ミルデから返ってきた言葉に唖然とした。
「本当のことよ。今、隠れ里で蜥蜴魔将の朋友だったドラゴンを保護してるの。彼は、美咲ちゃんとそこのミーヤちゃん、そして蜥蜴魔将の遺体を乗せていたわ。彼の遺体は、私もこの目で確認した」
「……どうして、今まで黙っていた」
「勿論、美咲ちゃんを守るためよ。魔将を殺せる人間を、軍が生かしておくはずがない。捕まれば処刑は免れない。良い子なのよ。今だって、黙っていればばれずに帰れたのに、子どもを助けたいからって自分から話すんだもの」
呆然としたまま、アレックスは視線を彷徨わせる。
その視線が、自分を見上げてくる美咲と交わった。
真剣な表情だ。
「おい、美咲。お前は俺に何をさせたいんだ」
「私は処刑される魔族の子を助けたい。私の身柄と引き換えに、子どもを助けてください。絶対に、処刑なんてさせないで」
人間である美咲がそんなことを言い出すのが以外だったのか、アレックスのしかめっ面が僅かに緩む。
しかし、アレックスはすぐに表情を引き締め直した。
「俺はただの門兵だぞ。そんな発言権があるものか」
「でも、もうただの門兵じゃありません。『魔将を殺した人族の勇者を捕らえた英雄』です。その功績は、あなたの発言力を間違いなく上へと押し上げる。それに、同族の、しかも子どもを助けたいと思うのは、魔族にとっても総意のはずです。違いますか?」
自分を睨みつけてくるアレックスを、美咲は真正面から睨み返す。
もう、奴隷を演じて目を逸らすことなどしない。
「駄目だよ、お姉ちゃん! それじゃ、お姉ちゃんが」
涙を浮かべて抱きついてきたミーヤを、美咲は優しい表情で見下ろした。
「勿論死ぬ気は無いわよ。これから詳しい話をするから、もう少し聞いててね」
それでもぐずるミーヤの頭を、美咲は優しく撫でてやる。
苦い顔で、アレックスが話しの続きを促した。
「……この際、全部聞いてやる。全て話せ」
「前提となる情報をまずお話します。私は蜥蜴魔将の竜を、蜥蜴魔将本人から譲り受けました。彼に勝った対価だそうです。バルトという名前の竜なんですけど、彼の傷は後一日もすれば癒えて飛べるようになります。……ここからはミーヤちゃんにお願いなんだけど、子どもの安全を確認したら、今度は私が処刑される前に、助けに来てくらたら嬉しいなって」
普段守るとか行っておいて、いざという時になって逆に頼るのは情けなく思うけれど、捕まったら自分は拘束されるだろうし、軟禁もされるだろうから、自力で抜け出せるかどうかは分からない。
それに拷問を受けて怪我をしている可能性もある。
自力で脱出できればそれが一番良いものの、何が起こるか分からない今はなるべく多くの手段を講じておくべきだ。
「助けに行く! ミーヤ、絶対助けに行くよ!」
「ミーヤちゃん一人だと心配だわ。私も同行しましょう」
すぐにミーヤが了承し、ミルデが手伝いを申し出る。
美咲の肩を持ったミルデに、アレックスが舌打ちした。
「くそ、ミルデまで手を貸すのか。分かったよ。俺は立場上手は貸せないが、子どもの助命嘆願はしてやる。確かに、見過ごすのは寝覚めが悪いからな」
「あ、ありがとうございます!」
お辞儀をする美咲を、アレックスは手を振って遮った。
「一つだけ聞かせろ。腑に落ちないことがある。おそらく俺だけでなく、多くの魔族が思うことだ」
「……何でしょう」
神妙な表情で身構える美咲に、アレックスは疑問をぶつけた。
「お前が魔将を殺せるほど強いとは思えん。どうやって蜥蜴魔将を倒した」
「申し訳ないですけど、お話できません。あなたは、私の仲間ではありません。それに、蜥蜴魔将を殺した手段は私の生命線でもあります。身を守るためにも、明かせません」
ある意味、アレックスには予想出来ていた答えだった。
過去の経験から人族に甘いミルデはともかく、アレックスは根っからの魔族らしい魔族だ。
容易く気を許さないのは、間違いではない。
「ミルデには話したのか」
「ええ。ミルデさんは、私の仲間になってくれましたから」
だが、アレックスはミルデの知己であり、さらに言うなら、ミルデに懸想している。ミルデの幼馴染は、ぶっきらぼうな態度の裏で、ミルデにぞっこんなのだ。
本人には気付かれていないけれども。
「ええい。乗り掛かった船だ。何をしようとしているのか知らんが、俺も手伝ってやる。だから全て話せ!」
「アレックス。止めた方がいいわよ。あなたには立場があるでしょう」
「煩い! お前が手伝うと決めたのに、俺が傍観などしていられるか! いいから話せ!」
好きな女のために協力すると決めたアレックスは、当の本人に止められて、やけくそ気味に怒鳴った。
■ □ ■
異世界人であること以外の美咲の事情を聞いたアレックスは頭を抱えていた。
(魔王を殺すとは、とんでもない話を聞いてしまったぞ)
門兵とはいえ、アレックスも魔族兵の端くれ。
死出の呪刻を身体に刻み込まれたことについては多いに同情するものの、自らが属する国家の王を殺害しようとしている人間を放ってはおけない。
見た目通りの実力しか持たない人間ならば、放っておいてもどこかで勝手に野垂れ死ぬだろうが、相手は仮にも魔将を一人殺している人物である。
その手段が分からない限り、放置しておくには懸念があり過ぎるので、捕まえる以外に選択肢は無い。
とはいえ、ある意味美咲の申し出は、有り難くもあった。
どんな力を隠し持っているか分からない以上、本来ならば、捕縛することすら難儀していたかもしれないのだ。
自分から捕まってくれるというのだから、言うことはない。
「分かった。だがどうやって捕まえたことにする。今日の俺はもう非番だ。非番である俺が捕まえたと主張するのは、いかにも不自然だぞ」
仕事をもう上がっているアレックスは現在私服で、いわばプライベートを過ごしている状態だ。
非番のアレックスが何故そこに居たのかという疑問は絶対に出て来る。
「それに、もう一つ問題がある。お前たちが街に入ったことが、街に入る時の手続きで記録として残っている。ミルデが関係性を疑われ兼ねん」
自分の名前を挙げられて、ミルデが興味深げに笑みを浮かべた。
「あら、私を心配してくれるの?」
茶化すような声音のミルデに、アレックスは不機嫌そうな表情でフンと鼻を鳴らす。
「幼馴染の心配くらいするさ」
気安いやり取りを見せる二人へ、美咲はふと抱いた疑問をぶつけてみた。
「質問なんですけど、ミルデさんとアレックスさんが知り合いだというのは、有名なんですか?」
「有名というほどじゃないが、共通の知り合いなら大抵は知ってるな。魔族は長寿だから、俺たちのことを生まれた頃から知ってる奴らもそれなりに居る」
アレックスの返答を聞いて、美咲は少し考え込むと、意見を述べてみた。
「なら、私がミルデさんに正体を隠して好意に乗じて近付いたことにして、不審に思ったアレックスさんがミルデさんに注意を促した結果、私の正体が判明したことにするのはどうでしょう。どうせ人間は魔族の間では良く思われませんから、どうせなら逆に悪者に仕立て上げればいいんですよ」
ある意味美咲自身の身を削る作戦に、アレックスは顔を顰め、ミルデは美咲に対し気遣わしげな視線を向ける。
「それは、俺たちにとっては願ったり叶ったりだが……」
「美咲ちゃんはそれでいいの? 多分、凄く辛い目に遭うわよ」
二人の懸念は最もだ。
この場合、単身捕まることになる美咲の身が一番危険になる。
何をされるか分からないというのは、正直怖い。
それでも、美咲は怯みそうになる心を叱咤して胸を張った。
「怖くないといえば嘘になりますけど、大怪我さえ負わないなら、必要な犠牲と割り切れます。迫害される程度なら想定の範囲内です」
((迫害で済めばいいけど……))
女二人、美咲とミルデは同じことを思う。
「まあ、そこは危険性を大げさに吹聴すればいいだろう。どんな力を隠し持ってるか分からんから、要らんことをして刺激するなとでも言っておけば、まずは尋問から行うはずだ。すぐに処刑されることはあるまい。実際に魔将を殺しているわけだから、信憑性はあるはずだ」
示し合わせたわけではないが、会話が途切れたところで美咲、ミルデ、アレックスが同時に茶に口をつけたことで、具体的な話し合いに入る。
「詳しい計画を詰めましょうか。決行は今日中がいいかしら? それとも明日にまで見合わせる?」
「今日行いましょう。万が一助命嘆願が聞き入れられない可能性もありますから、魔族の子を助け出して、ミルデさんに預けて隠れ里に連れて行ってもらえるだけの時間の余裕を作らなきゃなりません」
今日行うことによるメリットは、それだけではない。
ある程度近いとはいえ、街と隠れ里を徒歩で移動するにはそれなりに時間が掛かる。
ミルデは飛べるし、ミーヤもペットにした魔物の助けを借りられるから、移動時間の短縮は可能とはいえ、猶予時間が大いに越したことはない。
「ミーヤ、絶対に迎えに行くからね! お姉ちゃん、待っててね!」
「うん、信頼してるよ、ミーヤちゃん。ごめんね、こんな大役押し付けちゃって」
申し訳なく思う美咲がミーヤに謝ると、ミーヤはぶんぶんと首を横に振った。
「全然ミーヤは気にしないよ。念のため、フェアをお姉ちゃんに預けておくね。フェアなら小さいし、隠れ場所には事欠かないから。ミーヤが来るまで、きっとお姉ちゃんを守ってくれる」
「♪」
この街で新しく仲間に加わった、フェアリーという魔物であるフェアが、蝶のような羽をはためかせてにっこりと笑った。