二十四日目:ミルデの過去1
一口に魔族の子どもを助けるといっても、そう簡単なものではない。
まず何処に囚われているかという時点で美咲はその情報を持たないし、仮に助け出せたところで、どうやってこの街から脱出すればいいのかという問題がある。
この街は魔族の街で、美咲は人間だ。誰にも見つからずに街から出られるとは思わないし、見過ごして貰えるとも思えない。
誰かに見られれば、確実に魔族兵を呼ばれるだろう。
そうなれば脱出は絶望的になる。
いくら魔法を無効化できるとはいっても、美咲が発揮できる身体能力には限界があるし、攻撃魔法を身体能力に上乗せする方法も、同行者が居る場合は危な過ぎて使えない。美咲は良くても、同行者が攻撃魔法に巻き込まれるからだ。
故に、美咲が目的を達成するためには、まず魔族の子どもが囚われている場所を探し出して、脱出経路を確保することが必要だ。
脱出経路を確保するのは、事を起こす前ならば難しくない。というか、このタイミングでしか出来ない。
助け出してから調べるのでは遅過ぎるし、助け出したのなら街に留まっていたらまた捕まってしまう。早急に街から出る必要がある。
最適な脱出経路は、ある程度道が複雑で追っ手が巻き易く、人通りが少ない道だ。
囚われ場所によって最適な脱出経路も変わってくるに違いないので、脱出経路を決めるためにはまず魔族の子どもが囚われている場所を見つけなければならない。
(多分、牢屋とか、そんな場所だよね……? あるいは、まだ子どもだし、自宅謹慎とかかな……)
兎にも角にも、情報を得ないことには何も始まらない。
何とかして門兵の魔族たちから話を聞き出さなければならないが、人間である美咲が口を挟んでも先ほどのように注意されるだけだろう。
いや、あれはかなり穏便な対応だったようだから、実際は殴られたりくらいはするかもしれない。
どの道まともに話をして貰えないのなら、意味はない。
ならば、他の人に聞いてもらうのはどうか。
(ミルデさんに頼めないかな……。あのアレックスっていう虎頭な魔族の人、ミルデさんの幼馴染らしいし、彼経由で聞き出せそうではあるんだけど)
問題は、ミルデが美咲の思惑通りに聞いてくれるかどうか。
これについては、可能性は低いと考えた方が良いだろう。
ミルデは隠れ里に帰ることを優先しているから、余計なことに首を突っ込むのは嫌がりそうだ。
目的も、顔も見たことのない魔族の子どもを助けるためである。
仮に助けるのに成功したところで、得られるのは自己満足だけ。リスクに対して、得られるリターンがあまりにも少な過ぎる。
誰にも見つからずに脱出できれば、魔族の子どもが一人行方不明になるだけで済む。まあ、警備責任者当たりは責任問題で不幸なことになってしまう可能性はあるけれども、それは仕方ない。子どもの命と大人の命、優先するならば美咲は子どもの命の方を取る。
命の取捨選択をするなんて、エゴかもしれない。
でも悔しいことに、どちらも助けるという都合の良い方法が、美咲の頭では思いつけないのだ。
(このポンコツ! こういう時くらい、働きなさいよ!)
毒づいてみるものの、自虐しても虚しくなるだけで、何の解決にもならないことが再確認できただけだった。
可能性が低くても、ミルデの協力が無ければ情報を得られそうにない。
自分の足で探すという手はあるにはあるものの、美咲一人で歩き回るのは別の問題を呼び込みそうで怖い。
美咲は人間で、この街では人間は支配される側である。のこのこと一人で出歩いていては、何をされるか分かったものではない。
よって、どうにかしてミルデの協力を取り付ける必要があるのだ。
「ちょっといいですか? 相談したいことがあるんです」
美咲は小声でミルデに声をかけた。
結局、一人で考えても無理という結論に至ったのだ。
全てを話して、協力を求めるしかない。
「相談? 何かしら」
聞く体勢を取ってはくれるものの、ミルデは美咲に対して僅かに警戒する素振りを見せる。
魔族の子どもが捕まったと聞いた時に露骨に反応してしまったから、もしかしたらミルデは美咲の考えを見透かしているのかもしれない。
「どこか、落ち着ける場所はありませんか? あまり人に聞かれたい話じゃないんです」
念には念を押して、まずは密談に適した場所を探す必要がある。
遠慮がちに、ミーヤが美咲の服の袖を引いた。
「ミーヤも駄目なの……?」
ハッとして、美咲は慌ててミーヤを見下ろした。
「勿論、ミーヤちゃんはいいよ。だって仲間だもんね」
「うん! ミーヤはお姉ちゃんの一番の仲間だよ! むふー」
仲間と言われて、ミーヤは満足そうに得意げな顔でにまにまと鼻の穴を膨らませた。可愛い。
(って、そうじゃない!)
和んでずれそうになった思考を元に戻す。
同時に美咲とミーヤのやり取りで毒気を抜かれたか、ミルデが呆れた表情でため息をついた。
「……なら、私の実家に行きましょう。もう誰も住んでないから、聞き耳を立てるような輩も居ないわ。案内してあげる。話はそこで聞きましょう。着いて来なさい」
というわけで、ミルデの実家にお邪魔することになった。
■ □ ■
ミルデの実家は、商店でも何でもない、こじんまりとした造りの一般住宅だった。
住宅が密集している一角に建っており、美咲がこの世界で見てきた家の中では小さめだ。
隠れ里の両替屋の方が印象に残っているミルデとしては、ミルデがこのような一般家屋で生活していたと聞くと、少し不思議な気分になる。
いや、美咲とてミルデが生まれた頃から両替屋の店主をしているわけがないというのは、分かっているのだが。
初対面の印象というのは中々抜けないもので、美咲の中ではミルデといえば両替屋というように、認識が定着してしまっている。
(よく考えたら、ミルデさんって何歳だろう?)
ふと疑問が思い浮かんだ美咲は、口には出さずに胸の内で考える。
さすがに面と向かって年齢を聞くのは失礼だろう。
(見た目の割に長生きだっていうのは、聞いたことあるけど……)
そもそも魔族は皆長寿なので、外見年齢が当てにならないことも多い。
子どもは大体見かけ通りなのだが、ある程度成長すると、急激に遅くなるのだ。
人間ならば子どもから成長して大人になり、老化が始まって老人になっていく。
多少個人差はあるだろうけれども、人間の場合このサイクルは殆ど同じで、環境が良く大体百歳前後まで生きれば長生きと言っていい。
元の世界などは特にそうだ。
こちらの世界の場合は、環境が劣悪な分、怪我や病気などの要因で命を落としやすく、五十歳程度が平均寿命になる。
しかし平均寿命というのが曲者で、実はこの世界でも、美咲の世界と同じくらい長生きする者もそれなりにいるのだ。具体的に言えば、貴族などの特権階級にある者である。
そもそもこの世界の平均寿命が低いのは、幼児の死亡率が極端に高いのも一因としてある。
体力が少なく、働くことも出来ない幼児は、飢饉で真っ先に死にやすく、また戦争でも犠牲になりやすい。母体からの抗体が無くなれば病気にもかかりやすくなるので、死亡率は跳ね上がる。
環境が整っていれば話は別だし、ある程度成長してしまえば抵抗力も上がってそうそう死ぬことは無くなるものの、そういう意味では、この世界の平均寿命は低いといえるだろう。
扉を開け、ミルデが一番先に中に入り、美咲とミーヤを居間へ先導する。
途中の廊下は、柔らかい茶色の色彩で統一されている。建材として使用された、木そのままの色だ。
居間も木材の茶色と、柔らかな色合いの赤い絨毯が映える、品の良い内装だった。
置いてあるソファーの色も茶色で、同じ茶色でも濃さが違い、ソファーの茶色は限りなく薄く、ベージュ色に近い。
「懐かしいわねぇ。中に入るのは、街を出て以来だわ」
荷物を置いてソファーに腰掛けたミルデが、どこかアンニュイな表情で呟いた。
「じゃあ、この街に来た時は、今回みたいにいつも宿に泊まってたんですか?」
ちょうど良いタイミングなので、美咲は疑問に思ったことを尋ねてみる。
明かされるまで、この街がミルデの故郷だなんて美咲は全く知らなかった。
当然のようにミルデが宿の手配をしていたので、まさかミルデの実家があるなんて、美咲は夢にも思わなかったのだ。
「踏ん切りがつかなくてね。……思い出が、この家には色々詰まってるから」
自嘲気味なミルデに、美咲は胸を突かれる思いだった。
同時に、無神経だったかと、質問したことを少し後悔する。
「答えたくなければ、答えなくても……」
質問を取り下げようとした美咲を、ミルデは苦笑して制止する。
「ああ、いいのよ。思い出したくないわけじゃないし、辛い記憶ばかりってわけでもない。むしろ、良い思い出の方が多いから」
本人の同意を得たので、美咲はこれを機に、もう少し踏み込んでみた。
「御両親のこと、聞いてもいいですか?」
美咲が尋ねると、ミルデは柔らかく微笑む。その顔に浮かぶのは、懐古だろうか。
「この街が、元々は人間の街だったことは知ってるわね?」
その話は、以前にちらりと耳にしたことがある。
詳しいいきさつは知らないものの、最低限の知識は美咲にもあった。
「魔族軍がこの街を攻め落としたのは、三百年くらい前ね。私の両親は、入植者として移り住んできた夫婦なの。この街で働いて、私を生んだ」
ミルデは美咲が知らない、この街の過去を語り始める。
昔話を、懐かしむかのように。
「何ていうことのない、特筆することもない普通の生活だったわ。両親はどこにでもいるような夫婦で、ありきたりの生活をしていた。質素な生活だったけれど食べるものに困ったことはないし、私たち魔族には魔法があるから、その気になれば魚なり果物なり、川や森に分け入って取って来れたのよ」
少なからず、美咲は驚いた。
暮らしぶりではなく、小さな頃から川や森に行っていたというミルデに対してだ。
「魔物とか、当時はいなかったんですか?」
「勿論いたわよ。でも、魔法を使えば追い払うことは子どもでも難しくなかったし、危険というほどじゃなかったわね」
どうやら同じ魔物でも、人間と魔族では危険度の認識に大きな差があるようだ。
まあ、仕方ないかもしれない。
魔法という存在は、それほどの差を、両種族にもたらしている。
「それでね。まあ、当然といえば当然なんだけど、街には逃げ遅れた元々の住民も居て、彼らは奴隷として私たちに使役される存在だった」
人間の奴隷の話になって、無意識に美咲は身体を強張らせる。
セザリーたちのことを連想したのだ。
「この家にもね、昔、奴隷が居たのよ。そうね。美咲ちゃんと同じくらいの年頃の、人族の女の子だったわ」
そこまで話して、ミルデは言葉を切って立ち上がる。
「お茶でも淹れましょう。この話は、少し長くなるから」
「手伝います」
「ミーヤもお手伝いする」
ミルデに続いて、美咲とミーヤもソファーから立ち上がった。