二十四日目:奴隷たちの反乱1
宿屋でチェックインをしているミルデに付き従う美咲とミーヤは、魔族が経営する宿屋を物珍しそうにきょろきょろと眺めていた。
「案外普通の宿屋だね。ミーヤ、魔族の宿屋は人の頭蓋骨とか飾られてるんだと思ってた」
「どんな宿屋よ、それ。でも、私も似たようなものかなぁ。魔物の骨で出来た家具とかありそうだと思ってたし」
完全に偏見に満ちた会話だが、二人の認識は、人間の一般的な認識とほぼ同じと見ていい。
敵対種族である以上、人族と魔族の間での相互理解は薄く、相手を化け物と思うのは当然だ。特に、魔族には魔法という本来人間には持ち得ない明確な脅威があったのだから。
今は人族の間でも広まりつつあるとはいえ、依然その脅威は強大だ。
ひそひそ美咲とミーヤが声を潜めて内緒話をしていると、俄かに外が騒がしくなった。
さすがにミルデも気付いて、扉の方に顔を向ける。
「変ね。何かあったのかしら」
間を置かず、扉が開け放たれて魔族の男が一人宿屋の中に駆け込んできた。
しばらく息を切らして荒い息を整えていた男は、大声で叫ぶ
「反乱だ! 人間の奴隷たちが、一斉に反乱を起こした! 早く避難しろ! 巻き込まれるぞ!」
ざわり、と音を立てそうな勢いで空気が張り詰めていく。
不安や戸惑いの声が次々と漏れ、ロビーに居た何人かが外に出て行く。
ミルデが素早く美咲とミーヤを背後に庇い、小さな声で囁く。
「二人とも、深くフードを被って俯いてなさい。いいと言うまで、決して顔を上げては駄目よ」
普段の温かみのある態度とは違い感情を窺わせない緊張した声音に、美咲とミーヤは圧倒されつつもあたふたと言われた通りにフードを被った。
美咲とミーヤはミルデが所有する人間の奴隷という設定で街に入ったのだ。
明日になれば街を出て行くというのに、何とも間が悪い。
「兵士たちが走ってどこかへ行こうとしてるぞ。どうやら話は本当らしいな」
「おいおい、軍はどうしたんだよ!」
「人族軍と戦ってるよ! 手薄になったところを突かれたんだ! 俺たちで街を守るしかない!」
宿屋のロビーにいた魔族たちは恐慌を起こしかけている。
さりげなく美咲とミーヤを引き連れて宿屋を出て行こうとしたミルデは、駆け込んできた魔族に呼び止められた。
「悪いがあんたたちも手伝ってくれ! 人手が足りないんだ!」
美咲はミルデが思わずといった調子で舌打ちするのを目撃した。
ミルデの表情は険しい。
「……仕方ないわね」
注目を浴びてしまった以上、今更逃げ出すわけにもいかず、ため息と共にミルデが了承する。
呼び止めてきた魔族兵に、ミルデは尋ねる。
「それで、具体的に何をすればいい? どんな状況なの?」
魔族兵は懐から丸めた羊皮紙を一枚ミルデに押し付けてきた。
「あちこちで奴隷が暴れてやがる。酷いもんだ。蜥蜴魔将が死んだせいで、抑え付けてた箍が外れちまった。多分人族軍の奴らが扇動したんだろうな。緊急時の避難場所に指定されてる館が街の中央にある! そこまで女子どもを誘導してやってくれ!」
押し付けられたのは地図だった。
本来、地図というのは戦略上とても重要な情報を得られるものだから、軽々しく他人に見せられるものではない。
本屋やコンビニで普通に地図が売られていた元の世界とは、地図の重要度が違うのだ。
それに、どうやら魔族といえども、全員が全員完璧に非常事態に対応できるというわけでもないらしい。
まあ、よく考えれば、戦う手段があるからといって、戦えるということにはならないのは、至極当然だ。
それは、刀を帯びている侍全員が宮本武蔵クラスの剣豪であると主張するのと同じくらい暴論だ。
「さあ、行くわよ、二人とも。逸れないように、ついてきて」
とにかく、避難場所へと早く避難しなければならない。
ミルデに急かされ、美咲とミーヤは宿屋を飛び出した。
■ □ ■
これほど多くの魔族が居たのかと、美咲が驚くくらい避難する住民は多かった。
美咲とミーヤはミルデの先導で、住民を誘導しながら有事の際の避難場所になっているという館へと向かっている。
「結局、いったいどういう状況なんですか!? 反乱とか言ってましたけど!」
本来なら客引きの呼び声で賑わっていた大通りも、混乱で包まれて住民たちが右往左往している。
ミルデはそんな彼らに声をかけ、避難場所を知らせて上手く人の流れを作り出している。
幸い街の中央に向かうにつれ人々も落ち着いてきており、また武装した魔族兵の姿も目立つようになって、この辺りの治安はまだ保たれているのが分かる。
それでも、兵士たちが言うことには、街全体で見れば状況はかなり悪いようだ。
治安を維持できているのは避難場所の館周辺の一帯だけで、中央から離れるにつれ、混乱は激しくなっているらしい。
街の外縁部などは酷い状態だと、兵士たちが話していた。
「さっき、兵士たちが言ってたでしょ? 街にいる奴隷たちが反乱を起こしたんですって。こんなことに巻き込まれるなんて、ついてないわ。美咲ちゃん、ミーヤちゃん、私が良いと言うまで、フードは脱がないように」
真剣なミルデの表情と鋭い声音に生唾を飲み込む美咲とミルデは、硬く繋いだ手と手をぎゅっと握り締め合うと、フードを深く被り直す。
「……ミーヤたち、ちゃんとここから生きて出れる?」
不安を押し隠せず、ためらいがちにミーヤが尋ねた。
暗にここで死ぬかもしれないという可能性を突きつけられ、美咲の心臓が跳ねる。
美咲とミーヤを安心させようと、ミルデは微笑んだ。
「落ち着いて行動すれば大丈夫よ。館に着いたら、街から脱出する方法を考えましょう。今闇雲に動いても、最悪反乱した奴隷たちと鉢合わせて戦う羽目になるわ。私は気にしないけど、美咲ちゃんとミーヤちゃんは人間同士で戦いたくなんてないでしょ?」
「それは……」
ミルデの問いかけに、美咲は答えられずに俯く。
確かに、積極的に暴れているという奴隷たちに対して、美咲は剣を向ける気にはなれない。
同族だからとか、それ以前の問題で、美咲には彼らの行動が果たして正しいのか間違っているのか、それすら分からないからだ。
異世界人である美咲は、奴隷が魔族の間でどう扱われているのか知らない。
だから、この暴動が、本当に奴隷の不満が爆発しただけなのか、それとも人族軍が作戦の一環として火をつけて煽った結果人為的に起こされたものなのか、判別がつかない。
「ミーヤは、戦うよ」
迷う美咲とは対照的に、ミーヤは全く躊躇いを見せなかった。
「分かったの。人間も魔族も同じ。良い人と悪い人がいる。今暴れてるのは悪い人たちなんでしょ? だったらミーヤはそいつらからお姉ちゃんを守るために、戦うよ」
子どもらしい、単純な理屈。
今のミーヤにとって、善悪の判断基準は自分たち、特に美咲に親切にしてくれるかどうかだ。
だから自分たちを保護してくれた隠れ里の魔族たちにもミーヤは隔意を抱いていなかったし、逆にヴェリートの戦いで逃げたタティマ、ミシェル、ベクラム、モットレーに関しては、今もなお強い敵意を抱いている。
理性では彼らが逃げたのも仕方ないことだと分かっていても、それで全ての感情が収まるわけではない。
「……悪い人たちかどうかは、分からないよ。もしかしたら、奴隷として酷く扱われて、それに耐えかねての暴動かもしれないし」
美咲が危惧するのは、もしたとえ人為的に起こされたものだとしても、この反乱の理由が正当なものだったら、という懸念だった。
一応奴隷という名目ではあるが、実際は美咲とミーヤの扱いは決して奴隷ではなく、ミルデは隠れ里に居た頃と同じ、細々とした気遣いを見せてくれる。
だから、美咲は奴隷がどんな扱いをされているのか知らないのだ。
特に、元の世界では大航海時代に新大陸から沢山の人間が奴隷として連行され、使い潰されてきた歴史を知っているだけに、美咲は奴隷の扱いといえば、悪いものだという先入観を捨てきれない。
実際に、ミルデが反論してこないのを考えると、そう間違ってもいないのだろう。
裏で魔族が糸を引いていたラーダンでの違法な奴隷売買組織でも、奴隷はかなり悲惨な境遇だった。
魔族が関わっていたのだから、実際の扱いもセザリーたちの場合と似通っている可能性がある。
その場合はどうやって支配から抜け出せたのかは分からないが、自由意志を取り戻して最初に行うのが暴動というのが、美咲としては少し悲しい。
「まあ、最もな意見だけれど、魔族とはいえ女子どもが酷い目に遭わされるのを見ているわけにもいかないわ。兵士だけを狙うならともかく、暴動に参加してる奴隷たちは魔族であれば見境なく襲うでしょうね。いやむしろ、武装してる兵士よりも、一般人の方を選んで襲うかもしれないわね。その方が反撃される可能性が低いから」
無意識に、美咲は歯を噛み締める。
「無抵抗な相手を狙うってことですか」
「秩序の無い暴動なんて、そんなものよ」
遣る瀬無い美咲の表情に対し、ミルデは吐き捨てるように答えた。
視線を彷徨わせた美咲は、道の所々に、混乱の後が窺えて思わず唇を噛み締める。
倒れて積まれていた食物が散乱する屋台に、誰か子どもが落としたのであろう可愛い縫いぐるみ。
安否が不安になる量の血痕の痕や鎧戸が落とされ固く締め切られた家屋。
中に誰かが居るかは定かではない。
しばらく走り続け、ようやく館らしき建物が見えてきた。
魔族兵らしき魔族たちが館を警護している様子を見え、街の住人たちが安堵するのを、美咲は雰囲気で察した。
「避難しに来られた方々は、こちらに並んでください! 身分照会を行います!」
集まってきた魔族たちを、魔族兵たちが誘導していく。
その波に乗りながら、美咲は不安を覚えた。
(……私たちが人間だってばれたら危ないんじゃ)
間の悪いことに、魔族兵たちは避難民の一人一人を調べているようだった。
避難場所の治安を維持するためには仕方ないとはいえ、人間である美咲とミーヤにとっては恐ろしくなる要素でしかない。
(ミルデさんが、私たちの身の安全を保証してくれればいいけど……)
それを魔族兵たちが信じるかどうかは未知数だ。
美咲はミルデに縋るような眼差しを送った。