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美咲の剣  作者: きりん
六章 守るべきもの
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二十四日目:情報収集2

 ミルデが注文したのは、本人が言った通り食事というには頼りない量だった。

 食事というよりは、酒のつまみ、と言った方が正しいかもしれない。

 塩茹でした豆や野菜の酢漬け、チーズなど、食事として見るには少々物足りない。

 もっとも、昼食を取ってからまだそう時間が経っていないので、今はこれくらいで十分だ。むしろ多いくらいである。


「はいこれ、美咲ちゃんの分ね」


「えっ!? 私もいただけるんですか!?」


 何気なくミルデに杯を渡され、美咲は吃驚してミルデに振り返る。


「私だけ呑んでてあなたたちには無しっていうのも何だしね。遠慮せずに呑みなさい。度数が低い果物酒にしておいたから、呑みやすいと思うわ」


 手ずからミルデによって杯に果実酒を注がれる美咲を見て、ミーヤも同じものを欲しがった。


「ミーヤも! ミーヤも呑む!」


 つまり酒である。

 子どもでも酒を嗜むのがこの世界では一般的とはいっても、さすがにミーヤほども幼くなると、そう簡単には飲ませられない。


「ガキはジュースよ」


 案の定、ミーヤの希望はミルデによってばっさりと切り捨てられた。


「ええー」


 露骨にがっかりした表情になるミーヤを、美咲は苦笑して慰める。


「あはは……。そればかりは仕方ないよ、ミーヤちゃん」


 一方で、ミーヤをあしらったミルデは、酒を持って席を立ち、一人カウンター席に移動して酒場のマスターと対面で呑み始めていた。

 残された形になった美咲とミーヤはどうすればいいか分からず、二人して顔を見合わせる。

 対外的には奴隷という形になっているので、自分で動いていいのか分からない。


「ところでマスター、最近の景気はどう?」


 飲酒の影響か、僅かに血色が良くなった顔に澄ました表情を浮かべ、ミルデはマスターに尋ねる。


「悪くないですよ。戦争の影響で柄の悪い奴は増えましたし、物価も少し上がってきていますが」


 マスターは答える間も、次々と酒を開けて出している。

 それを給仕の娘たちが各テーブルへと運んでいた。


「まあ、その辺りは仕方ないかもねぇ。戦争が終われば落ち着くんじゃない?」


「だと良いんですね。せっかく奪ったヴェリートを奪い返されて、さらには魔将を一人失って、さらには人族如きに逆侵攻を許したたことで、今、軍はかなり殺気立ってますよ。穏便に終わらせられますかねぇ」


 困り笑顔のマスターに、ミルデが首を傾げた。


「浮かない顔ね。戦況自体はまだ勝ってるんでしょ?」


「そうなんですけど。魔将を討ち取ったのは人族軍じゃなくて、たった一人の人間だったって話ですよ。今、巷じゃその噂で持ち切りです。何でも、追撃を振り切って魔族領に潜伏している可能性が高いらしいですよ。兵士の方々が来店時に愚痴ってました」


 どうやらマスターは戦争の戦況自体よりも、来店する客の質の低下を懸念しているらしい。

 言動の端々から、早く捕まってくれればいいのに、というマスターの願望が見え隠れしている。


(わ、私だってことばれてないよね……?)


 件の魔将を討ち取った本人である美咲は、テーブル席で会話を盗み聞きしながら、密かに冷や汗を流していた。

 よく考えてみたら、魔族の街にいる現状はとても危険な状況なのではないだろうか。


「そうなの? 嫌ねぇ。早く捕まらないものかしら。私も人間の奴隷を持ってるから飛び火が怖いんだけど」


 美咲の危惧など知らぬげに、ミルデはいかにも迷惑そうな表情を作っている。

 大した役者っぷりである。


「今度一斉に奴隷検めも行われるらしいですよ。人相書きも出回ってますから。ちょうど店にも張り出してます。右の壁ですよ」


 さすがにそれにはミルデも驚いたらしく、目を見開いて美咲へと視線を飛ばしてきた。

 続いてミルデはマスターの言う人相書きに目を向ける。


(げっ。やばいんじゃ……)


 美咲も慌てて壁の人相書きを探した。

 先に見つけたらしいミルデが、何か面白いものを発見したかのような、にんまりとした笑みを浮かべる。


「……なるほどねぇ。ところで、これってちゃんと本人に似せて描かれてるって確証はあるの?」


 肩を竦め、マスターは答えた。


「さあ? 私らには人間の区別なんてつきにくいですしねぇ。人間は誰も彼も同じ顔過ぎる。男女の違いは裸にさせれば分かりますが」


「なら、この子たちもマスターには同じ顔に見えるのかしら」


 唐突にミルデは話題の矛先を美咲たちへと変更してきた。

 当然マスターも美咲とミーヤに目を向ける。

 注目された美咲が緊張で固まり、ミーヤは困惑で目を瞬かせた。


「ここまで年齢が違うと流石に区別がつきますが、同年代なら多分分かりませんな」


 どうやら本人だということが、マスターには分かっていないらしい。その点については安心した美咲だが、とても心臓に悪い。

 マスターと会話を終えてテーブル席に戻ってきたミルデに、美咲は囁き声で文句を言った。


(ちょっと、ミルデさん引き合いに出さないでくださいよ! バレたらどうするんですか!)


(安心なさい。注目されてるのに何も起こらないってことは、まだバレてない証拠よ。それに見てみなさい。あの人相書き、笑っちゃうくらい似てないわ)


 悪戯っぽく笑うミルデの視線の先には、件の人相書きがある。


(あ、本当だ……)


 視線を追って人相書きを見つけた美咲は、拍子抜けした。


(ミーヤでも分かるよ。すっごい下手糞)


 子どもであるミーヤにすらボロクソに言われる出来で、これで美咲を特定するのは難しそうである。

 例えるなら、子どもがうろ覚えで書いた似顔絵を手掛かりに、犯人を捜索するようなものだ。

 美咲はホッと胸を撫で下ろした。



■ □ ■



 酒場で軽く一杯引っ掛け、ミルデは美咲とミーヤを釣れて酒場を出た。


「これで用事は終わりよ。宿で一泊して、明日の朝に帰りましょうか」


 一仕事終えたとばかりに伸びをするミルデを、美咲は驚いた表情で見つめる。

 完全に酒を飲んでいただけの美咲としては、何かをしていた気がしない。


「えっ。もう済んだんですか?」


 目を丸くして唖然とする美咲に、ミルデは説明をする。


「街に来た一番の目的は、情報を仕入れるためなの。物資とか必要なものは定期的に旅商人が売りに来てくれるけど、情報は旅商人だけじゃどうにもならないから。特に戦争の情勢なんかは、逐一新しいものを耳に入れておかないと、いざという時逃げ遅れるわ。そうなると悲惨よ」


 確かに言われてみればその通りで、美咲は思わず唸った。

 同時に疑問も沸く。

 隠れ里は文字通り隠されているのだから、下手に逃げるよりもそのまま隠れていた方がいいのではないか。

 見つかってしまうのだとしたら、どうして見つかってしまうのだろう。

 それに、美咲は気を失っている間に隠れ里に運ばれたので、詳細な位置を知らない。


「今は魔族軍が有利なんですよね。隠れ里が危険に晒されることなんて、あるんでしょうか」


 魔族軍と敵対しているのに、魔族に肩入れするのもおかしい話だけれど、美咲にとって魔族と魔族軍は別物だ。

 魔王と戦う以上、魔族軍と事を構えるのは避けられないだろうが、魔族そのものと敵対する必要も理由も、美咲には無い。

 そして同時に、必要以上に人族軍に肩入れする必要も理由も、美咲には無い。

 美咲としては、魔王を殺して己の身体に刻まれている死出の呪刻を解呪出来ればそれでいいからだ。

 疑問を述べる美咲に、ミルデが苦笑する。


「そうだったんだけど、どこかの誰かが魔将を倒してくれちゃったから、きな臭いのよね。大規模な人族の反攻作戦が近々あるとか何とか、噂になってるみたいよ。この街も危ないみたいだし、侵攻具合では、隠れ里も巻き込まれるかもね」


「そうでした……。すみません」


 蜥蜴魔将ブランディールを討ったからこそ今があることを思い出し、美咲は複雑な表情を浮かべる。

 彼を討ったことを後悔するつもりは無い。彼はルフィミアの仇だったから。

 でも、当のルフィミアがアンデッドとして蘇って敵の手に落ちてしまった。

 これでは何のために死ぬような思いをして戦ったのか分からない。

 挙句の果てに、魔王の強襲を受けて美咲の傭兵団は壊滅した。同行してヴェリートに入っていた人族騎士団や傭兵団も、無事では済んでいまい。


「まあ、戦争だし仕方ないことよ。美咲ちゃんが謝るようなことじゃないわ」


 感情が溢れそうになるのを堪えて息を止める美咲の頭に、ミルデが慰めるように己の翼を優しく多い被せる。

 何かを思い出しているのか、ミーヤが遠くを見ながら言った。


「戦争なんて、起こさなきゃいいのにね」


 幼いながらに、ミーヤの表情には憂いがある。

 ミーヤはこの世界の人間ではあるけれども、まだ幼いせいか、魔族に対する憎しみは深くない。

 あるいは、美咲のように隠れ里での穏やかな生活が、気持ちを和らげてくれたのか。

 ミルデがミーヤの呟きに同調した。


「その通りよ、ミーヤちゃん。戦争なんて、起きて喜ぶのは上層部くらいで、末端は人族も魔族も忌避するのが普通だわ。誰だって死にたくないもの」


 美咲としては初めて聞いたかもしれない、魔族の一般人としての、ミルデの言葉だ。

 隠れ里に隠れ住み、魔族軍とは距離を置いているミルデだからこそ、その言葉には実感が篭っているし、説得力がある。


「でも今は、そうじゃないんですよね」


 死にたくないのは誰だって同じだ。現に、美咲が戦う理由だってそうだ。すぐに帰ったところで死出の呪刻で死ぬと分かったからこそ、美咲は傷付きながらもここまで歩んできた。

 出会いは多く、別れも多く。大切なものがぽろぽろと掌から零れ落ちていくことに泣きながら、それでもやっと魔族領まで辿り着いたのだ。

 バルトの怪我が癒えれば、魔王城まで飛べる。今更、歩みは止められない。


「根本的な感情は、同じだと思うわ。でも、人族も魔族も血を流し過ぎた。どちらも決着をつけないと、もう引くに引けないところまで来てる」


 今ならば分かる。人族と魔族の間に横たわる因縁に、美咲も飲まれかけていた。第三者としての視点を取り戻せたのは、隠れ里での経験のおかげだ。


「今では、戦争が原因で家族を失っていない奴を探す方が難しいわ。ミーヤちゃん然りね。私も両親は兵士として徴用されてそのまま戦死してるし」


 ミルデが語る魔族側の事情は、美咲にさらなる視点と驚きを与える。


「そうだったんですか……」


 魔族も人族も苦しんでいる。苦しんでいるのに、戦争は終わらない。

 因縁が、二つの種族を戦争に駆り立てている。


(全然、知らなかった。ミルデさんの事情……)


 敵には敵の事情があるということも、二つの種族の間に横たわる溝も、美咲は知っているつもりだった。でも、いざ魔族であるミルデから聞かされると、人間から聞くのとはまた違う重みを感じる。

 知らないことが恥ずかしい。

 初めの頃は無知でも良かった。

 美咲は自分のことで一杯一杯だったし、敵の事情を慮る余裕など無かったから。

 でも今は、そうじゃない。


「だから、そういう意味では美咲ちゃんはまだ恵まれているかもしれないわね」


 ミルデの言葉が意外で、美咲はミルデを仰ぎ見る。

 意外にもミルデは背が美咲よりも高く、歩いているよりも飛んでいることの方が多いので、結構見下ろされる場合が多いのだ。

 現に今も、ミルデは地面から一ガート、つまり一メートルほど上空を飛んでいる。

 それくらいの高さなら歩いても変わらないんじゃないかと内心美咲は思うものの、ミルデの足は膝から下が完全に鳥なので、長時間歩くのには向いていないのかもしれない。


「どうしてですか?」


 尋ねた美咲に、ミルデは僅かに羨望が見える眼差しを向けた。


「だって、元の世界で家族全員生きてるんでしょ? 私たちは、もう会いたくても会えないから」


 気まずくなり、美咲は思わず黙り込む。

 何を言えばいいのか分からない。

 それに、ミルデの発言に対する反発もある。

 魔王を倒せなければ、美咲はもうすぐ死んでしまうのだ。

 家族と再会できないままこの世界で死ぬのと、家族に先立たれるのと、何が違うのか、美咲には分からない。


「……元の世界に帰れなければ、私の家族だって、死んだみたいなものですよ。会いたくても会えないのは、私も同じです」


 今も変わらず、美咲の胸を郷愁が焦がしている。

 一時は人が増えて癒された心は、皆を失って再び傷付き、寂しさに震えている。

 死ぬのは怖い。

 家族に会えないのも嫌だ。

 何よりも、美咲はこれ以上誰かに死なれるのが、一番嫌だった。


「あ……ごめんなさい。今のは無神経だったわ」


 気まずげに謝罪するミルデに、美咲も流れかけた涙を拭う。

 泣いて事態が好転するならいくらでも泣いてみせるけれど、それは少なくとも今ではない。


「いえ、私の方こそ、泣いてすみません。泣いたところで、何が解決するわけでもないのに」


 美咲とミルデの会話を聞いていたミーヤが、美咲の服の裾を掴む手に力を篭めて、寂しげに呟く。


「会いたくても会えないのは、辛いよね。ミーヤも、パパとママに会いたい。ママのご飯、食べたいなぁ」


「ミーヤちゃん……」


 胸を突かれる思いの美咲に、ミーヤは振り向いてにぱっと笑った。


「でも、こうしてお姉ちゃんと出会えて、良かったと思う。悲しいことはいっぱいあったけど、それだけじゃないこと、ミーヤはちゃんと知ってるよ」


 天真爛漫な笑顔は、ミーヤが敢えてそう見せようとしているものだ。

 そのことに、美咲は気付いている。

 でも、その思いやりに、今は救われた気がした。


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