二十四日目:魔族の街での昼食3
続いてミルデが説明をしたのは、カーリーの恵みだった。
料理の名前だけだと、もはや何がなんだか分からない。
「カーリーっていうのはね、魔族の間で信仰されている女神の一柱よ。破壊と再生、火と土、飢饉と豊穣を司る神様なの。その神様にあやかって名付けられたのが、この料理」
ミルデの薀蓄を聞きながら、美咲はミーヤと一緒にカーリーの恵みという料理を観察していた。
「お姉ちゃん、これ、まっきっきだよ」
「うん、黄色いね」
全体的に、カーリーの恵みは黄色だった。
挽肉は焼けば茶色になるはずだし、材料に使われている野菜だって本来なら色取り取りなはずだ。
しかし、何故か全体的に黄色い。よくよく見ればちゃんと挽肉が微妙に茶色だったりして、元の名残を残しているのだが、それ以上に視界を占拠する黄色のインパクトが強い。
「挽肉と刻んだ野菜、ブルーネを混ぜてよく炒めて、香辛料で味付けすると、こんな色になるの。この上に、こっちのソースをかけて食べるのよ」
「えっ! これ、プルーネを使ってるんですか!?」
驚いて、美咲はテーブルに齧りつき、カーリーの恵みを目を皿のようにして観察した。
ここまでプルーネに固執するのは、プルーネが米だからに他ならない。
もちろん異世界だから米と一口に言っても何から何まで同じというわけではなく、色は黒いし食感も米より少し固めなのだけれど、それでも日本食に慣れ親しんで育った美咲にとって、やはり米は特別だ。
「あっ。本当だ。これ、プルーネですね」
野菜に紛れて、確かにカーリーの恵みの中にはプルーネが入っていた。
いや、量から見て、主食ではなく野菜の一種として使われているのかもしれない。
既に、主食としてはパンが広まっているという点もある。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん、このソース、凄く良い匂いがする。でも見た目が何か汚いよ」
「汚い言わない。こういうソースなのよ」
下品な連想をさせる茶色いソースに若干ミーヤが怖気付き、ミルデが笑いながら口元を引くつかせた。
(……何か、カレーみたい。具は入ってないし、カレーとして見るには緩いし、若干匂いも違うけど)
美咲はミルデに薦められたソースをまじまじと見つめた。
この世界に来てから普段よく飲むスープよりは濃く、ソースが入った器の底まで見透かせたりはしないものの、それでもカレーというよりカレーうどんの汁と言われた方がしっくりきそうなソースだ。
あるいは、カレー味のスープか。
ソースは銅製の器に入っていて、器には流し入れるための注ぎ口がついている。
器の形状は、元の世界で見たことがあるのと同じ、ご飯とカレーを分けて出された時に、カレーが盛られている方の器と似た形状をしていた。
「こうやってソースをかけて、スプーンを使って食べるのよ。手だと食べ辛いから、大抵カーリーの恵みにはスプーンがついてるわ。活用してね」
ミルデは自分の分のカーリーの恵みに、茶色のソースをたっぷりとかけた。
食欲をそそる香辛料の香りが一層強くなる。
(……ごくり)
漂う匂いに大いに食欲を刺激された美咲は、ミーヤと顔を見合わせると、いそいそとミルデに倣って同じようにソースをかけた。
スプーンで一口掬って、食べる。
「……美味しい」
ぽつりと呟いた美咲は、夢中でカーリーの恵みを食べ出した。ミーヤも二口目から露骨にペースが速くなったので、気に入ったようだ。
このカーリーの恵みという料理も、さっき食べたピリンギのアルファーマ風煮込みと同じくかなりの辛さだが、辛さの質と方向性が違う。
ピリンギのアルファーマ風煮込みが、元の世界の唐辛子のような辛さなら、このカーリーの恵みの辛さは、カレーに似た辛さだ。
カレーライスというより、カレー粉を使った料理の方がイメージとしては近いかもしれない。
だが確かにカレーライスとも共通する部分もあって、特にソースとプルーネを一緒に食べると、その認識が顕著になった。
「ミーヤ、さっきのよりもこっちの方が好き!」
どちらも辛いことには変わりないものの、辛さそのもので言えば、カーリーの恵みの方が辛くない。
だからかミーヤはピリンギのアルファーマ風煮込みより、カーリーの恵みの方を気に入ったようだった。
「美味しいでしょ? 栄養価も高いし、良い料理よ。カーリー神の賜物よ」
(何か、カレー神として覚えちゃいそう……)
あまりにもカレーに似た味のインパクトが強かったので、美咲は説明を受けたカーリー神の本来の役目について印象が薄い。名前もなんだかカレーに似ているので、破壊と再生を司る神様ではなく、カレーの印象が先に出来てしまった。
そして、残る一つの料理に、ついにミルデが目を向けた。
「こっちも冷めないうちに食べちゃいましょうか」
おそらくは、これがタエアンテイルのステーキなのだろう。
というか、見た目がまんま爬虫類の尻尾だ。
ただし、大きさは大人が一抱えできるほどもある。
料理として出されているのは輪切りになった一部分だけなのに、それでも大きい。
(魔物とはいえ、尻尾なんて始めて食べるわ……。どんな感じなんだろ)
美咲はごくりと喉を鳴らした。
■ □ ■
タエアンテイルのステーキは、とても噛み応えがあった。
噛めば噛むほど肉のうま味が染み出してくるので食べ続けていられるものの、そうでなければ食べるのに挫折していたかもしれない。
「これ、美味しいけど顎が疲れますね」
なんとか一切れ食べ終えた美咲が、ふうと満足というよりは安堵の息をついて言った。
「そうかしら? まあ、美咲ちゃんにはまだ食べにくいかもね。でも、その分顎を鍛えられるから、そのうちもっと固いものでも食べられるようになるわよ」
四苦八苦している美咲に比べ、ミルデはナイフで小さく切ったステーキを、ついばむようにさらに齧り取って食べている。
確かに美咲は元の世界では比較的柔らかいものしか食べていなかったので、身体能力だけでなく顎の力も弱い。
元の世界で固い食べ物といえばごぼうなどだけれど、この世界の人間は同じくらい固い野菜でも、たやすく噛み砕く。むしろ、ごぼうと同じくらいの固さなら柔らかい部類に入るのだ。
「かたい……」
もっとも子どもは別のようで、美咲とは違い肉を噛み切れず、ミーヤがしょぼんとした顔で自分の歯型がついた肉を恨めしげに見つめていた。
これが野外であればペットに与えるなどの有効な消費方法があったろうけれども、流石に屋内、それも料理を提供する店に毛皮を纏った魔物を連れ込むわけにもいかず、ペットたちには店の裏の目立たない場所で待ってもらっている。
こういう時も、翻訳サークレットの存在は便利だ。
本来なら安全などで縄で木などに繋いでいたり、檻の中に入れておかなければならなくても、襲わないように言い聞かせることができるので、そのまま放置しておくことができる。
さすがに人通りが多く注目されやすい大通りのまん前で放しておくのは問題外とはいえ、人気の無い店の裏ならば問題ない。
基本的に魔族の街では、街の中にいる魔物は魔物使いの魔物であることが分かりきっているためだ。
これが人族の街だったりすると、それはそれで話が違ってくる。
「貸して。切ってあげるよ」
そもそもミーヤはタエアンテイルのステーキを食べやすい大きさに切ることも出来ずに、そのまま齧り付いていた。硬いのは当たり前である。
美咲は腰を浮かせると、ミーヤの皿に乗ったタエアンテイルのステーキを切り分けてやった。
これが曲者で、肉が硬いせいか、なかなか切れなくて苦労する。美咲でもそうなので、ミーヤが切れなくても無理はない。
「もぐもぐもぐもぐもぐももぐもぐ」
かなり小さめに切ったせいか、どうやらミーヤでも食べられる程度にはなったようだ。
しかしミーヤは一口目を口に入れたっきり延々と噛んでいるし、普通なら肉の形が潰れてぐちゃぐちゃになるくらい小さめに切ったのに、それでもまだ綺麗なサイコロ状の形を保っている時点で、硬さが見て取れる。
だが幸いと言っていいのか、味そのものは美味だ。
元の世界で食べた肉を含めても、かなり美味しい。
硬いだけでゴムのような味の肉ではなく、噛めば噛むほどうま味が出てくる不思議な肉だ。
「タエアンテイルは保存食の材料にも適してるのよ。干し肉にすれば普通の肉の何倍も持つわ」
ミルデの薀蓄を聞いて、美咲はなるほどと感心した。
食べた印象から、元々肉に含まれている水分は少ないみたいだし、その水分をさらに抜けば保存性は確かに増すだろう。
それに、もしかしたら、まだ美咲は知らないファンタジー要素が働いているのかもしれない。
美咲にとってこの世界が異世界なのだから、あまり元の世界の常識をそのまま当て嵌め過ぎるのも問題だ。
「まあ、その分硬さも何倍にもなるんだけどね」
あっけらかんとしたミルデの口調に、美咲は思わず「ダメじゃないですか」と気安く突っ込みを入れそうになった。
さすがにミルデの頭にチョップを入れるのは憚れるので、代わりに苦笑するに留める。
「殴ったらちょっとした魔物くらいなら倒せそうですね……」
「実際死人が出たことあるわよ」
「何それ怖いです」
思わず美咲は身体を震わせる。
肉で殴り殺されるとか、死んでも死に切れない。
少なくとも、魔王討伐をしている旅の途中でそんな死に方をしたら、美咲はあの世でもう一度憤死するだろう。
(死ぬならもっとまともな死に方が良い。いや、そもそも死にたくないけど)
「くっ……!」
タエアンテイルの肉を振りかぶって殴りかかってくる敵を一瞬想像してしまい、その絵面の酷さに美咲は笑い出しそうになるのを堪える。
(駄目、何かツボに入った……!)
何とか身体に力を入れて我慢が決壊するのを堪えた美咲は、笑いの波をやり過ごしてタエアンテイルの肉を完食する。
全ての料理を食べ終えた美咲は、最後にパーリンジュースを飲む。
「あまーい!」
同じようにジュースに口をつけたミーヤが歓声を上げて喜ぶ。
(桃? でももっと濃厚な感じ)
喉の奥へ滑り落ちて行く甘い液体に、美咲は目を細めた。
パーリンジュースは真っ赤で見た目はとても辛そうに見えるのだけれど、飲んでみるととんでもなく甘い。
今まで飲んだことのあるピエラジュースとはまた違った甘さで、甘みだけで言えばパーリンジュースの方が間違いなく甘い。むしろ、甘すぎるくらいだ。
だが辛さに慣れた舌には、その甘さがちょうど良い。
ミーヤも同じ感想だったようで、二人ともあっという間に飲み干してしまった。