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美咲の剣  作者: きりん
六章 守るべきもの
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二十三日目:人間と魔族1

 治療院に着くと、美咲はマルテルとリーゼリットに迎えられた。


「良く来たね。じゃあ、早速傷を見ようか」


「はい。よろしくお願いします」


 患者用の椅子に座るよう促すマルテルに、美咲はちょこんとベルアニア式の挨拶をすると、椅子に腰掛けマルテルと向かい合った。


「では、包帯を取りますね」


 助手としてマルテルの傍に控えるリーゼリットが前に出てきて、慣れた手つきで美咲の左腕に巻かれた包帯を解いていく。

 包帯の下から現れた傷を見て、マルテルが微笑んだ。


「うん。今日も特に悪化している様子は無いね。化膿はしてないし、膿も傷口の中に入り込んでいる様子は無い。まあ、でも、念のため今日も傷薬を使おうか」


 処置してもらっている間、美咲はきゅっと唇を引き結んで耐え忍ぶ。

 噛み傷というのは傷口が小さい割に深いというのが共通点であるが、ゲオルベルに噛まれた痕はゲオルベルの牙が大きいせいか普通に傷口自体もそれなりの大きさだ。猫などの小動物に噛まれるのとは訳が違う。

 特に、濃い緑色の傷薬を傷口に擦り込まれるのは想像を絶する痛さだ。容赦なく傷口の中まで塗りたくられるので、その度に美咲は思わず叫びそうになる。

 しかし傷口が大きいということはそれだけ処置をし易いということでもあるし、痛い思いをするだけの効果があることは、美咲の良好な経過が証明しているので、文句は言えない。


「はい、終わり。じゃあ、包帯を巻いていくよ」


 元と同じように新しい包帯を巻き直され、再び傷口は見えなくなった。

 経過は順調なものの見た目が酷いので、包帯で傷口が覆われるだけでも、安心感が違う。

 治療のための一時的なものならともかく、四六時中傷口を直視してしまう状態は精神的にも余り良くない。第一剥き出しのままだと衛生的にも問題がある。元の世界のように、何処も彼処も清潔なわけではないのだ。

 医療費の支払いを済ませると、恒例のお茶会タイムが始まる。

 ミルデの両替屋もそうだが、隠れ里の人間はティータイムを大事にするようで、例え仕事中だろうと気が向けば一時閉店してでもお茶にする。

 初めこそ美咲も吃驚したものだが、今ではすっかり里の常識に慣れて、逆にお茶会を楽しむようになっていた。

 それに、リーゼリットが作るお茶菓子は美味で、甘味が手に入りにくいこの世界では菓子は高級品だというのに、リーゼリットはお茶会の度に茶菓子を用意してくれるのだ。

 茶菓子を喜んで食べたのは美咲だけではなく、ミーヤの喜びようも凄かった。今日は一緒に来ては居ないが、以前治療院に来た時は、凄く喜んでいたのを覚えている。


「これ、ミーヤちゃんへのお土産にしてくださいね」


 その時の印象はリーゼリットにも強く残っていたらしく、リーゼリットはわざわざミーヤの分を追加で作って取っておいたようだった。

 小さな木の箱に綺麗に収められた茶菓子を手渡され、美咲は恐縮する。


「すみません、わざわざミーヤちゃんの分まで」


「いいんですよ。喜んで食べてもらえるなら、私も作り我意があって嬉しいですから」


 微笑んだリーゼリットは、三人分のティーカップを用意して、茶を淹れる。

 供される茶はブラウド茶で、相変わらず血液かと見間違えそうになるくらい鮮やかな紅色をしている。

 こんな見た目でも味はかなり紅茶に似ていて、しかも紅茶よりも苦味や渋みが無く飲みやすい。

 今回リーゼリットが作ったお茶菓子は、白いクリームでふんだんにデコレーションされ色取り取りのフルーツが飾られたマドレーヌだった。

 まあ、美咲の目にはマドレーヌに見えるだけで、実際の名称は違ったりする。


「今日はレクレミルにしてみました。お口に合えばいいんですけど」


「凄く美味しそうです」


 年頃の少女として例に漏れず、人並みに甘いものが大好きな美咲は、豪華な茶菓子に相好を崩した。

 皿にはフォークが添えられていて、ラーダンやヴェリートの食事所では使い回したり、手掴みで食べる客も多かったのをしっかり見ていた美咲は、しっかり食器が客人にまで不足なく行き渡っている里の現状にちょっとだけ安心する。

 勿論ラーダンでも美咲が泊まっていた宿や、高級な食事所ではきちんと食器が用意されていたが、屋台や場末の安さを売りにしているような宿や店だと、普通に平たく焼いたパンを皿代わりに手掴みで食べる、ということがザラにあるのだ。

 特に肉などを食べる場合は確実に手が油塗れになり、それをこの世界の人間はテーブルクロスやら自分の服やらで拭うので、美咲はそれも少し嫌だった。

 流石に貴族でそんなことをする人間は少ないものの、例外は勿論存在する。というか、貴族出身でも傭兵や冒険者稼業が長いと普通にそっちの常識に染まっていて、一目では貴族と分からない場合も多い。

 もちろん時と場合に拠るので夜会などでそんな無作法を働く人間は居ないけれども、そう美咲が心配してしまうくらいには、彼らの無作法は衝撃的だった。

 和やかに続いているかのように見えるお茶会だったが、美咲の顔をじっと見ていたマルテルは、ふと美咲に問い掛けてきた。


「浮かない顔をしているね。悩み事でもあるのかい」


 見事に内心を見透かされた美咲は、驚いて目を見開いた。


(分かっちゃうくらい、顔に出てたの?)


 顔色を青褪めさせる美咲に、安心させるようにマルテルは柔和に微笑んだ。

 ミルデをからかう時とも違う、純粋に相手のことを思いやる表情だった。


「話してごらん。話を聞くことくらいなら出来るよ。それに、話すことで君も少しは楽になれるかもしれない」


「……実は、最近、分からなくなってきたんです。私のやってることって、本当に正しいことなのかなって」


 内心を吐露するのは、美咲にとって勇気が要る行為だった。

 此処まで来て今更迷うなんて、美咲に後を託した人間たちに対する裏切り行為にも近い。

 我武者羅に魔王を倒すためにその命燃え尽きるまで戦い続けることこそが、美咲にとって彼ら彼女らに対する何よりの供養になるであろうことを、美咲自身分かってはいるのだ。

 でも、知ってしまった。考えてみれば、当たり前のことだった。

 積極的に人間と殺し合いをしているのは戦争に参加している魔族だけだった。

 殆どの魔族は人間と同じように生活をしていて、笑い、泣き、日常の些細な出来事に一喜一憂して、平和に暮らしているだけの無辜の民なのだ。

 彼らにしてみれば美咲こそが侵略者で、奪う者で、そのことに気付いてしまったからこそ、美咲はどうすればいいのか分からなくなってしまった。

 魔王を殺せば、魔族軍は崩壊し、彼らに守られている魔族にも多くの犠牲者が出るだろう。

 魔族軍はともかく、ただ暮らしているだけの魔族さえも傷付けたいとは美咲は思わない。

 しかし、魔王を倒さなければ美咲が死んでしまうのもまた事実で、元の世界に生きて帰るためには、魔王の殺害は必要不可欠だ。

 美咲は自身が気付かずとも、自分の命のために、魔族に将来起こるであろう混乱を許容していた。

 それは魔族のことを良く知らないからでもあったし、こんな酷い目に遭っているのだから、少しくらい自分本位になっていたって許されるだろうという、一種の甘えとも呼べる感情があった。

 その感情を甘えと呼ぶのは、少し酷かもしれない。

 理不尽に異世界に召喚されて、戦力外通告をされた上に、元の世界に生きて帰るためには魔王を倒すしかないと放り出された。

 旅慣れず、この世界の常識も殆ど知らない美咲はすぐに召喚者であり、同行者でもあったエルナを喪い、用意された道具も失くしてしまい、此処からは美咲の予想ではあるが、おそらくはエルナの主であり、美咲に魔王討伐の命を下したフェルディナントに見限られた。

 勝手に命じて、勝手に落胆して、酷い話だ。

 それでも旅を続けたのは、それがこの世界のためにもなると思っていたし、第一魔王を倒さなければ元の世界に帰ったところですぐに死ぬことが分かっていたからに他ならない。

 そして何よりも、旅の途中で美咲の双肩に託された仲間たちの願いが、美咲に引くことを許さなかった。

 もはや、美咲だけの問題では無くなっていたのだ。

 自分のために、仲間のために、この世界の人間のために美咲は戦ってきた。戦う理由に敵である魔族は守る対象として含まれてはおらず、その事実に、この隠れ里暮らして魔族であるミルデや、魔族そっくりな混血の子どもたちと過ごして、美咲は初めて気がついた。

 美咲が突き進めば突き進むほど、彼らや、彼らと同じように罪の無い魔族たちが、死ぬかもしれない。

 いくら死んだ仲間のためとはいえ、そこまですることが、果たして正しいのか。


「多分、きっと、魔王を殺しても、私が代わりに起こる混乱から魔族を守ることが出来るなら、一応の答えにはなると、思うんです。でも、きっと人族側にはそんなことを望まれてはいないだろうし、魔族の人たちだって、私が魔王を殺したと知れば、守られるのは真っ平かもしれない」


 そもそもが美咲が手を出さなければ起こることもない混乱なのだから、どちらにしろ、美咲の真意は、誰にも理解されないに違いない。

 今、美咲は相反する目的と感情の間で板挟みになっている。

 魔王に対する憎しみは未だある。

 しかし、魔族に対する情もまた、沸いてしまった。

 今の美咲には、今まで進んできた道が本当に正しい道だったのか、分からなくなってしまっている。


「そうだね。とても、良く分かるよ。僕も、君と同じように、複雑な気持ちを抱いている。この里に暮らしている者たちは皆、多かれ少なかれ、似たような気持ちを抱いていると思うよ」


 美咲の言葉に対して同意を返したマルテルは、改めて美咲に問い掛けてきた。


「僕が妹を連れて迫害を逃れて人族の領域から此処に落ち延びてきた理由は知ってるね?」


「……はい。リーゼリットが話してくれましたから」


 頷く美咲に、マルテルは自分の過去を語り始める。

 リーゼリットを連れて、隠れ里にやってきた時のことを。


「里で生活を始めた当初は、こう見えて、僕たちは随分荒んでいたんだ。僕にとっては妹を傷付ける奴は、人間だろうと敵だと思っていたけれど、魔族はそれ以上に天敵だったし、妹は優しい性格が災いして、迫害され続けてもなお、人族を魔族よりも憎めなかった。いくら自分だけ姿が違っても、リーゼリットの価値感はあくまで人間寄りなんだ。こんな風に最初に作り上げられた価値感からは、中々抜け出せないものなんだよ」


 確かにその通りかもしれないと、美咲は思う。

 酷い目に遭って個人を恨むことはあっても、魔族という種全体を憎むのは、美咲には到底無理な話だし、召喚されて酷い扱いを受けているからといって、この世界の人間に冷淡になれるわけが無い。

 この世界に生まれて、人族と魔族の憎悪の連鎖にたっぷり漬かって育った人間ならば可能なのかもしれないけれど、異世界人である美咲には無理な話だ。


「生活は人を変える。最初こそ警戒されたけど、事情を知るに連れてこの里の人間は種族に関わらず僕たちを快く受け入れてくれるようになったし、ミルデみたいに、魔族にも心を許せる人が出来た。リーゼリットも、故郷に居た頃よりも多く笑顔を見せてくれるようになった」


 これもまた、今の美咲と共通する部分が多くある。

 敵であったバルトが仲間になり、仲間たちが全滅したことで芽生えかけた魔族に対する憎しみは、この隠れ里での生活もあって実を結ばずに立ち消えた。今では、ミルデのように、魔族であっても心を許している存在もいる。


「それでも、最後まで人族を裏切ったっていう罪悪感は消えなかった」


「裏切ったって、そんな」


 反射的に反論しようとする美咲の語気は、弱い。

 当然だ。その罪悪感は、美咲の悩みと共通する。

 同じように、美咲は今、魔族に心を許しかけている現状が、背負った人族を救うという願いを踏み躙っているような気がして、罪悪感に揺れているのだから。


「裏切ったんだよ。僕は人族としての常識よりも、妹の身の安全を優先して、魔族の領域に逃げ込んだんだからね。この里にたどり着く前に、持てる情報は全て魔族兵に渡して、越境を見逃してもらった。魔族そっくりの妹が居たからね。僕が魔族を助けたと思ったのか、魔族兵も見て見ぬ振りをしてくれた」


 マルテルは言葉を区切り、目を閉じる。何かを思い出しているかのように。

 目を開けたマルテルは、穏やかな表情と強い意志を宿した瞳で、美咲を見つめた。


「悩んだ末に、僕は決めたんだ。僕にとって、一番大事なのは妹だ。だから、それだけを大事に胸に抱いていればいいってね」


「それって開き直っただけじゃないですか……」


 何の解決にもなっていないと、美咲は唇をひん曲げる。

 不満そうな美咲にマルテルが苦笑した。


「いいんだよそれで。何より君は異世界人だ。本来、君を縛る鎖は何も無い。今の君は、自分で自分を縛っているに過ぎない。自分が間違っている。自分はこうあるべきなんだってね」


 反論したくても、美咲は出来なかった。図星だった。

 美咲自身、魔族であるミルデと仲良くしているのには後ろめたさがあった。グモの時とは違うのだ。エルナ以外にも、魔族や魔王との戦いで、美咲の仲間たちは殆どが死に絶えた。その死の瞬間を目撃したわけではなかったから、明確な憎悪は無かったけれど、それでも美咲にとって魔族は明確な敵と認識されつつあったのだ。

 もし無事にラーダンに戻れていれば、完全に魔族を敵と認識していただろう。

 だがそうはならなかった。

 個人的に蜥蜴魔将ブランディールと誼を結んでいたバルトは、身の危険を理由に人族領域を飛ぶことを良しとせず、魔族の領域を飛び、最終的に美咲はこの隠れ里の住人に保護された。

 最初に美咲を見つけたのが里人だったのは、ある意味幸運だったろう。

 魔族の街の近くに落ちていたりしたら、今頃は美咲は奴隷にされていたか、処刑されていたか、どちらにしろ碌なことになっていなかったことは確かだ。

 幼いミーヤは言うまでもない。

 ただ単純に、魔族だから敵と思い込めれば、どれだけ気が楽だったろうか。

 この世界の人間と同じように、魔族を敵だと完全に認識していれば、バルトに対して、ブランディールを殺したことで気まずい思いをすることもなかった。それどころか、ブランディールの死は、美咲に勝利の美酒に酔うに相応しい快感を齎していたはずだ。

 人間のための勇者として呼ばれたのだから、そう振舞うべきなのだと、美咲とて分かっている。分かってはいるのだ。


「最初に擦り込まれた価値感は捨ててしまいなさい。魔王を倒さなければ呪いが解けないのなら、倒せばいい。その上で、魔族の民を守りたいのなら守ればいい。僕たちなら矛盾する行為でも、どちらの側でもない異世界人である君だけは、それが許されるんだ」


 やりたいようにやれと、マルテルは言った。

 どちらかの側に立つことだけが、選択肢ではないと。


「でも、そんな都合の良いこと」


 本当に可能なら、一も二も無く美咲は飛びついたろう。

 しかし現実は残酷だ。

 蝙蝠のようなどっちつかずの態度など、どちらからも信用を得られないに違いない。


「もちろん、そのための力は必要だ。自分の意思を押し通すためには、その背景に武力が無いと話にならない。でもそれは結局、魔王を倒すことと同じことだ。どちらにしろ力が要るのだから、どうせなら、自分にとって一番良い未来を目指すべきだと、僕は思うよ」


「私にとっての、一番良い未来……」


 そこまではっきり言われて、明確なビジョンが無かったことに、美咲は初めて気がついた。

 今まで漠然と魔王を倒して元の世界に帰ることを考えていたけれど、さらにプラスアルファを求めるつもりなんて、美咲には無かった。

 魔王を倒す時点で無理難題なのだ。その上さらに上積みするなど、自分には不可能だと思っていたから。


(……我侭になっても、いいの?)


 一番の目的は、やはり死出の呪刻の解呪だ。そして元の世界へ帰還すること。

 死出の呪刻を解くためには術者である魔王を殺さなければならないから、魔王を殺すことも確定事項だ。

 でも、魔族側に余計な混乱を出したくもない。

 悩む美咲は、自分が魔族のことを殆ど知らないことに気付く。

 生活振りも、政治体制も、どんな暮らしをしているのかさえ、分からない。

 隠れ里の生活と同じなら、ある程度予測することは出来るけれど、隠れ里は外の情報があまり入ってこない、


(魔族について、もっと知らないといけない)


 知らないままでは対策も立てられない。

 美咲は、魔族についてもっと知識を得る必要があると感じた。


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