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美咲の剣  作者: きりん
六章 守るべきもの
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二十三日目:近付くタイムリミット1

 夜明け前に、不吉な生ぬるい風を感じて美咲は目を覚ました。

 目覚めた後で、不思議に思う。

 いくらなんでも、屋内なのに目が覚めるほどの強さの風が吹くはずが無い。

 グモの家は、隠れ里の住宅の中ではごく一般的なものだ。

 簡素な作り木造住宅で、小さな庭がついており、農耕具などが仕舞われている納屋がある。

 元の世界の住宅のような見栄えのする家ではないが、それでも隙間風が吹き荒ぶようなボロ家ではない。

 辺りを見回して、もう一つ異常に気付く。

 一緒に寝ていたはずのミーヤが居ない。

 気付いた瞬間、美咲の全身が総毛立った。

 脳裏を過ぎるのは、エルナが死んだ日の朝のことだ。あの日も、目を覚ませばエルナが居なかった。

 反射的に、血の臭いがしないか探ってしまうのは、あの時の光景が、美咲にはトラウマとなって根強く印象に残っているからだろう。

 幸いと言っていいのか分からないものの、血の臭いはしない。するのは木の匂いと、ミーヤや美咲自身の体臭の残り香、そしてグモのものであろうゴブリンの臭いくらいだ。

 ベッドから立ち上がると、足元に何かがぼとりと音を立てて落ちた。

 次いで、何か飲み物を地面に零したような音がする。

 暗くて美咲には何が落ちたのかよく分からなかった。

 目を凝らすと、辛うじて暗闇に白い棒状の何かが落ちているのが見えた。


(……何だろう)


 暗い中でいくら目を凝らしても見えないものは見えないので、美咲は明かりを用意しようと魔族語を唱える。


「エァケェアロォ(明かりよ)イユゥ」


 普段なら、ピンポン玉くらいの明かりでも出てくれたものだが、美咲の発音の調子が悪いのか、魔法が発動する様子は無い。

 何度繰り返しても出なかったので、美咲はミルデの両替屋でミルデに教えてもらって復習しようと思いつつ、明かりをつけるための道具を探すことにする。

 この里に来てからグモは簡単な魔族語なら話せるようになっていたものの、魔法を使うまでには至ってなかったから、彼が普段使うランプがあったはずだ。

 グモの家を動き回り手探りでランプを探し出した美咲は、今度は身体の違和感に首を捻っていた。

 何だか動き辛い。

 身体が右に傾くというか、普通に歩くと気付いたら緩やかに右に曲がっている。

 左手で全く物を掴めない。

 というか、左手の感覚そのものが無い。


(寝てる間に、血の巡りが悪くなったのかな……?)


 特に痛みのようなものは無かったので、美咲は気にせずに寝泊りしている部屋に戻り、ランプに火を点す。

 まあ、そのうち左腕の感覚も戻ってくるだろう。

 そう思っていた美咲は、床に落ちているものと、床を汚している液体を見て、息を呑んだ。


「……何、これ」


 ほっそりとした腕が、ちょっと誰かが忘れ物をしていったかのような自然さで、地面に落ちている。

 そして、その腕を、血のように赤い紅が彩っている。

 いや、血のように、ではない。

 これは血そのものだ。

 さらに美咲は、ぽたり、ぽたりという小さな水滴の音を聞きつけた。

 その出所がどこか気付いた瞬間、今度こそ美咲の顔から血の気が引いた。

 左腕があるはずの空間を右手で払う。

 空を切った。

 感覚が無い。

 空を切った。

 地面に誰かの腕が落ちている。

 ほっそりとした白い腕だ。

 多分女性の腕だ。

 誰の腕だ。

 左腕の感覚が無い。

 ならば美咲の左腕は、何処にある?


「──!」


 声無き絶叫を、美咲は上げた。

 躓きながら駆け出して外に飛び出し、井戸まで走って桶に水を汲む。

 グモの家の水瓶に水が残っているか確認することも考えから抜けるくらい、動転していた。

 月明かりの下、水を張った桶を覗き込む。

 美咲の左腕の肘から下の部分が、ちょうど死出の呪刻が刻まれている部分に沿って、欠落していた。

 傷口からは、血が、未だに滴っている。


「やだ……! やだ……! 何これ……!」


 パニックに陥った美咲を、更なる異常が襲う。

 体中の死出の呪刻が、一斉にまるで口を開けるように傷となって開いたのだ。

 痛みは無いことが、美咲の混乱をさらに加速させた。

 もし痛みがあったなら、激痛で美咲の意識はとうにどこかに飛んでいただろうに、なまじ苦痛が無いせいで、美咲は嫌でも自分の身に起こっていることを理解してしまう。


「何でよ! まだ、時間があるはずでしょ! 一ヶ月も経ってないのに!」


 ずるりと、服の下で腹の肉がずり落ちそうになって、美咲は反射的に右手で押さえる。しかし、押さえた右手が落ちていった。

 急に立てなくなって、美咲の視界が目まぐるしく変わる。

 転んだのだと気付くのに、数瞬の時間を要した。

 分かれば何ということもない。ただ、左足が太ももの付け根から取れただけだった。その左足も、すぐに死出の呪刻のラインに沿ってバラバラになっていく。

 乳房がバラバラになって、腹の肉と一緒に服の隙間から足元に大量の血と共に零れ落ちていく。

 他にも肩の肉、背中の肉、どこかの筋肉、内臓、良く分からない赤黒い何か、細長い腸、身体に開いた穴から次々と中身が零れ落ちていく。


「嫌だ……! 死にたくない……!」


 もう自分がどうなっているのかも分からない状態で、美咲は泣いた。

 首から下の感覚が完全に無くなった。

 動かせるのは目と口くらいで、目の前には細切れになった肉塊と、内臓の欠片、そして血の海が広がっている。

 血の海に沈んで、美咲は死んだ。



■ □ ■



 誰かの悲鳴が聞こえる。

 身体が痛い。

 まるで身体を生きたままバラバラに解体されているかのような痛み。

 今が夢と現実のどちらかなのか分からない。

 どうして死んだのに、今頃激痛を感じているのだろうと、美咲は混乱した頭で考える。

 そんな思考も、すぐに痛みの波に飲まれていく。

 自分の名前を呼ぶ誰かの声と、揺さぶられる感覚で、ようやく美咲はまだ自分が五体満足で生きていることに気がついた。

 痛みはまだある。

 しかし峠を越えたのか、徐々に引きつつあった。

 冷静な思考をする余裕が少しずつ戻ってきて、美咲はそこで見慣れた面々に見下ろされている事実を認識した。

 ミーヤとグモ以外にも、ミルデとマルテル、リーゼリットが何故か美咲の部屋に居た。


「あ……れ……? どう、し、て、みん、な、こ、こに……?」


 声を出して、恐ろしいほどしわがれて枯れた声になっていたことに、美咲は驚く。まるで自分の声じゃないみたいだ。

 体中が痛くて全然気付かなかったが、そういえば、喉が凄く痛い気もする。

 そう。まるで、ずっと長い間痛みの余り泣き叫んでいたかのような。


「お姉ちゃん、お姉ちゃん! 良かった! お姉ちゃんが起きたよ!」


 何故か美咲の腕を掴んでミーヤは号泣していて、訳が分からず美咲はミルデを見上げた。


「あなた、夜明け前に呪刻の発作を起こして、ミーヤちゃんを叩き起こしたのよ。ミーヤちゃんに感謝しなさいよ。あの子が咄嗟に動かなかったら、今頃あなた、ショック死していたかもしれないわ」


 絶句した美咲に、真剣な面持ちで今度はマルテルが美咲に状況を説明する。


「君の身体に刻まれている死出の呪刻が、刻限に近付いたことで起動し始めた。今は薬で落ち着いているけど、一時は本当に危ないところだったんだよ」


 良く見たらマルテルは寝巻きらしき綿の服を着ていて、それはリーゼリットも同じだった。

 どうやら、連絡を受けて治療器具だけ持って駆けつけてきたようだ。


「呪刻の一部が傷口となって開いていたんです。今は閉じていますが、あと一歩遅ければ手遅れになっていたかもしれません」


 語るリーゼリットの顔色は悪い。


「間に合ったようで何よりですぞ。ワシも、ひとっ走りした甲斐がありました」


 ホッとした表情で、グモが笑う。

 どうやら、美咲の異変に半狂乱になったミーヤがグモを起こし、マルテルとリーゼリットの兄妹を連れてきたらしい。そして連絡を受けたミルデも、飛んできたようだ。ミルデの場合、文字通り飛んできた可能性もある。


「今後はこの薬を朝と晩に一回ずつ、適量を飲み続けるように。呪刻の刻限前起動を抑える薬だ。刻限での完全起動を防ぐことは不可能でも、これならぎりぎりまで耐えることができる」


 マルテルは、美咲に液体の薬が入った陶器の瓶を掲げて見せる。


「……マルテルさん。私、後何日、生きられますか?」


 か細い声で尋ねた美咲に、マルテルは一瞬痛ましいものを見るかのような目を向けると、淡々として声音で尋ね返した。


「この世界に来て、今日で、何日目なのか、君は覚えているかい?」


 勿論、美咲は覚えている。

 元の世界に帰ることを夢見て、定期的に日にちを刻んできたのだ。

 間違えはしない。


「……二十三日目、です」


「なら、君も分かってるんじゃないかな。残された君の寿命は、後一週間しかない。その呪刻を解除しない限りは、一週間後に、君は死ぬ。おそらく今以上の苦痛の果てに」


 取り繕うことをせず、マルテルは残酷な事実を美咲に告げた。


「そう、ですか」


 召喚された時に説明されていたのだから、最初から分かっていたはずだった。

 魔王を倒さない限り、この世界に呼ばれた日から数えて三十日後に美咲は死ぬ。

 死にたくなければ、呪いをかけた元凶である魔王を倒して解呪するしかない。

 分かっていたはずなのに、いざこうしてその一端を味わうと、その時が来るのが恐ろしくてたまらない。

 一日を過ごすのが怖い。

 これから死ぬまでこんな気持ちで生き続けなければならない可能性を思うと、美咲は挫けそうになる。


(……知らなかった。呪刻で死ぬのが、あんなに痛いなんて)


 今なら、悪夢の正体も美咲は理解できた。

 あの悪夢は、呪刻で死にかけたことによる副産物だ。死に掛けるような状態になったから、死ぬ夢を見た。

 分かれば、笑えないくらい当たり前で、単純な話。

 実際に美咲が体験した痛みは、終わりかけのほんの一部に過ぎない。その時が来た時に感じる痛みは、今の比ではないらしい。


(どうすればいいの。まだ、バルトの傷が治ってないからここから動けないのに)


 それに、これからは呪刻を抑えるために薬を飲まないといけないのだという。

 ということは、里にいる今のうちに、足りるだけの薬をマルテルに調合してもらわなければならない。

 どうしようもない現実に、美咲は泣いた。


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