二十二日目:リーゼリットと恋話2
服飾店に入店しようとしたところで、魔物を連れての入店を咎められるなど、一騒ぎあったものの、久しぶりに戦闘や旅とは関係の無い趣味の買い物を楽しみ、美咲はとても満足した。
買ったの主に街や村などの安全な場所で着る私服などだ。さすがに戦闘が予想される旅の服装を、お洒落優先で決めるわけにもいかず、美咲とミーヤの旅装は今までと変わらない。
「似合ってるよ、美咲ちゃん。可愛いね」
「そ、そうですか?」
マルテルに褒められて、美咲は照れた。
特に恋愛感情を抱いているわけではないものの、それでも美咲は医者と患者という関係もあり、マルテルに気を許していて、ミルデやグモ、リーゼリットと同じくらい親密な仲だ。
流石に美咲にとって保護者であり、ある意味では母親代わりのようになっていたアリシャほどではないが、それでもアリシャの知己だったミリアンと同じくらいには、美咲は彼らのことを信頼している。
その一人であるマルテルに褒められたということは、美咲の気持ちを少し浮つかせた。
精一杯お洒落をして、それを褒められれば誰だって嬉しいと思うはずで、美咲もその例に漏れず、上機嫌になった美咲の口から鼻歌が漏れる。
「ね、ね、美咲ちゃんから見て、お兄ちゃんってどう思う?」
珍しく悪戯っぽい笑顔を浮かべたリーゼリットの問いに、美咲はきょとんとして答えた。
「どうって、良い人だと思うけど」
素直に思っていることを伝えた美咲に、リーゼリットはもどかしそうに眉を寄せ、さらに質問を被せてきた。
「そうじゃなくって! ほら、お兄ちゃんって頼りになるし、格好良いでしょ? 妹の私が言うのも何だけど、男の人として魅力的だと思わない?」
「確かに格好いいし、包容力あるし、素敵な人よね。まだ独身なのが信じられないくらい。彼のお嫁さんになる人は、きっと幸せ者だわ」
前をミルデと二人で歩くマルテルに、美咲は視線を移す。
マルテルは服装は簡素だが医者という職業故か私服も清潔さを感じさせるものだし、センスも良い。一見何でもない格好が似合うのは、元々の素材が良いためだろうか。
背が高く、腰の位置が高く、顔つきも端正で、しかもこれだけ条件が揃っていて、本人の性格が整った容姿から連想される冷たさをかき消し、暖かさと柔和さを強調している。
実際に大人として包容力があり、彼なら付き合った女性のことは、きっと大切に扱うはずだ。
そう考えて美咲が答えると、リーゼリットは笑顔の中に気まずそうな苦笑を忍ばせた。
「それについては、私にも原因が、ね。ほら、私、こんな姿だから。いくらお兄ちゃんが良くても、家族に私みたいなのがいるだけで、ベルアニアに居た頃は向こうからお断りされちゃってたのよ」
「ああ、そうか。私は別に気にならないけど、この世界の人たちは、そういうわけにもいかないか」
この里での生活ぶりから分かるように、マルテルは見るからにミルデを大切にしている。
おそらくは、この里に来る前から、マルテルはミルデのことを大切にしていたに違いない。でなければ、マルテルはリーゼリットのために混血の隠れ里があるという噂を調べ、危険を冒して里へと旅立ちはしなかっただろう。
ふと思いついた疑問を、美咲はリーゼリットにぶつけてみる。
「そういえば、先生はこの里じゃ恋人は作ってないのね。医者として頼りにされてるみたいなのに」
「最初の頃に人間だっていうことで警戒されたし、良くも悪くも、お兄ちゃんは私を優先しちゃう人だから」
どうやら、マルテルは親馬鹿ならぬ妹馬鹿であるらしい。
まあ、兄妹仲が悪いよりかは良いことの方が、リーゼリットの友人である美咲にとっても良い事に違いないので、美咲自身も二人の関係については暖かく見守ることにしている。
「でも、最近、お兄ちゃんったらね、毎日美咲ちゃんのカルテを真剣な表情で眺めては、憂いを帯びた表情でため息をついてるのよ! これはきっと、美咲ちゃんに気があるに違いないわ!」
「……は?」
一人で盛り上がり始めたリーゼリットのテンションに完全に置いていかれた美咲は、リーゼリットの台詞を脳内で反芻する。
(マルテルさんが、私に気がある……?)
理解が追いついた途端、美咲の顔に朱が上った。
「え、ちょ、リーゼリット、それ本当なの!? 本当に、マジで!?」
「本当よ、本当! 妹の目は誤魔化せないわ!」
動揺する美咲に対して、リーゼリットの表情は好奇心で満ち溢れており、目が爛々と輝いている。
「どうしたんだい、二人して」
驚いて上ずった美咲と、興奮して声量が上がったリーゼリットの声を聞きつけて、マルテルが不思議そうな表情で振り向いた。
どうやら、肝心な会話は聞き逃したようで、マルテルの態度はいつも通り平然としている。
「何でもありません!」
「お兄ちゃんは黙ってて! 今女子トーク中だから!」
逆にマルテルに対して意識してしまい、しゃちほこばって答えた美咲と一緒に、リーゼリットがぴしゃりとマルテルの疑問を遮った。
翼で顔の下半分を隠して、ミルデが目を楕円上に細めている。翼の後ろの口は間違いなく弧を描いていそうだ。
ミルデは生粋の魔族だし、もしかしたらマルテルが聞き逃した会話も聞いていたのかもしれない。
そう考えると、何だか恥ずかしくなる美咲だった。
(本当に、マルテルさんが私のことを……?)
恋愛らしい恋愛なんて、元の世界では縁が無かったし、この世界ではルアン相手に淡い感情が芽生えかけたくらいで、それすら彼の死後に自覚したくらい、美咲は恋愛に疎い。
だから、美咲は振って沸いた疑惑に、困惑するしかなかった。
「ずるい! ミーヤも女の子だよ! 女子トークまざりたい!」
「はいはい。じゃあ、ミーヤちゃんもこっちに来ようか」
笑うリーゼリットと僻むミーヤの声も、今の美咲にはどこか遠くに聞こえた。
■ □ ■
リーゼリットと買い物を楽しんだその日の夜、美咲は寝付けずにいた。
思い浮かぶのは、昼間にリーゼリットに言われたことだ。
マルテルが、美咲に気があるそぶりを見せているという。
正直言って嬉しさよりも戸惑いの方が多いけれど、もし本当だとしたら、美咲はマルテルにどんな顔をして会えばいいのか分からない。
変に意識して、挙動不審な態度を取ってしまいそうだ。
(今更、恋愛なんて……)
憂鬱さを感じてため息をつく。
世界の危機、さらには自分の命のタイムリミットが迫っている状況で、美咲は恋愛事に現を抜かすことが、本当に良いことだとは思えなかった。
それに、恋愛を意識するには美咲はマルテルと少々歳が少々離れすぎている。
流石に親子ほどではないが、それでも歳の離れた兄妹程度には離れているはずだ。
面の向かって実年齢を尋ねたことこそなくとも、そのくらいは見た目で予想できる。マルテルは魔族ではないから、見た目と実年齢が乖離しているということもない。
(もし告白されたらどうしよう、って思うのは自意識過剰なのかな……)
正直に言うと、今の状況で告白されても、美咲には断る以外の選択肢は無い。
今の美咲にこの人族と魔族の戦争を人族の勝利に導くという、皆に託された大事な目的があるし、死出の呪刻を解呪するという美咲自身の目的のためにも、魔王の打倒が最優先事項だからだ。
恋愛に意識を裂いてる暇があるなら、その分の時間を鍛錬に当てたいという気持ちがある。
しかし、美咲も元々は恋愛に興味を持つ普通の女の子だったからこそ、マルテルに好意を抱かれているとリーゼリットに教えられて、変にマルテルを意識し始めてしまった。
とはいえ、ルアンに対して申し訳ないと思う気持ちも強い。
別れ際の彼の告白は、美咲の心に今も強く焼き付いている。
結局ルアンが生きているうちに返事を返すことは出来なくて、お互いに好意を抱いていてある意味両思いであったことに気付いたのも、ルアンが死んだ後だったけれど、だからこそ、美咲は新しい恋愛をすることに尻込みしてしまう。
ルアンとの別れを、彼の夢を継ぐという決意を、台無しにしてしまう気がして。
(やっぱり、新しい恋をしてる場合じゃないし、こんなことで心を浮つかせてるのも、皆に申し訳が立たない。今日のことは、聞かなかったことにしよう)
そう決めて、無理やり寝入ろうとしても、頭の中でリーゼリットの言葉が木霊する。
曰く、マルテルが美咲のカルテを見て切なげにため息をついていた。
曰く、マルテルが度々美咲のことを目で追っている。
曰く、マルテルが美咲に好意を抱いている。
(……眠れない!)
考えないようにしようと思えば思うほど変に意識してしまって返って目が冴えてしまった美咲は、もういっそのことすぐに寝るのは諦めて夜風にでも当たろうと考え、同じベッドで寝ているミーヤを起こさないように注意してベッドから降りた。
慣れた手つきで勇者の剣を鞘ごと手に取ると、剣帯で固定する。
少しの間外に出る程度で武器など要らないと美咲自身思うものの、勇者の剣が手元に無いとどうにも安心できないので、美咲は常に持ち歩くようにしている。元の世界とは常識が違い、普段から帯剣していても咎められないというのも、それを後押ししている。
途中で喉の渇きを覚えて台所に行き、置いてあった水差しから木のカップに水を汲んで一息に飲み干す。
恋愛事を考えていたせいか、いつの間にか火照っていた身体から、食堂から胃に滑り落ちていく水の冷たさが作用して熱が抜けていく。
「……ふう」
一息ついた美咲は、台所の勝手口から外に出て、夜空を見上げる。
冷たい風が心地よく、元の世界に比べて異世界の空気は澄んでいてどこか美味しく感じる。
(星もたくさん見えるし、科学技術が無いと、こうも違うのかな)
異世界の空は、全てが天の川なのかと思うほど、煌く星空で覆い尽くされている。
召喚されてから美咲を取り巻く環境は目まぐるしく変わったが、この夜空だけはいつも変わらない。
エルナと二人、見上げた同じ夜空を今、美咲は一人で眺めている。
(綺麗。エルナとルアンと、ルフィミアさんと、セザリーさんたちと皆で、眺めたかったな)
犠牲ゼロで済むというのが、いかに現実を直視していない都合の良い考えかということは、美咲でも分かる。
それでも、美咲は誰も失わずにいられたら、というもしもの話を考えてしまう。
想像の中では、美咲がルアンと初々しい恋人みたいなやり取りをする横で、エルナが通信魔術で主であるフェルディナント王子に対して甘い言葉を囁きながら身体をくねらせていた。
そんな美咲たちをルフィミアが苦笑しながら見つめて「私も恋人、作ろうかしら」などとぼやき、セザリーたちはルアンが美咲に相応しい存在かどうか、目を三角にして見定めようとしている。
考えるだけで、賑やかで幸せな空想だった。
空想の中にいる美咲はいつも笑顔で、仲間たちに見守られている。そしてその美咲が、笑顔のまま美咲に問いかけてくるのだ。
──どうして今、あなたは一人なの? あまつさえ、敵である魔族と仲良くしているの? と。
隠れ里で目を覚ましたばかりの美咲ならば、それらの問いに答えることは出来ずに、ただ嫉妬で睨みつけることしか出来なかっただろう。
でも、里での経験が美咲を変えた。
魔族にだって、善良な人々はいるのだ。魔族だからといって誰彼構わず殺して良い理由にはならない。そんなものはただの殺人鬼に過ぎない。
(……あ)
ふと思いついて、美咲は愕然としてしまった。
もし、魔王が善良な人格だったとしても、美咲は魔王を殺すのだろうか。
いや、もっと具体的に言えば、もし魔王がミルデだったとして、果たして美咲に殺せるのか。
魔王を絶対に殺すというのならば、この問いと無関係ではいられない。
実際には魔王がミルデであるはずは無いけれど、魔族に対する魔王が善良であるというのは、十分に予想できることだ。人間に対して殺戮を行っているのは、敵対している以上仕方ない。
(最悪だ。今更、迷うなんて)
気持ちを切り替えに来たはずが、さらなる悩みを抱え込み、美咲は鬱屈した思いを抱えて部屋に戻る。
今夜の寝入りは遅くなりそうだった。