二十二日目:旅商人を捕まえろ1
ミルデの店に移動した美咲とミルデは、マルテルとリーゼリットに事情を話した。
「ええええ、に、偽札ですか!?」
目を丸くしたリーゼリットは、慌てて懐から自分の財布代わりの巾着を取り出すと、中から小さく折り畳んだソォイ紙幣を三枚取り出して、美咲とミルデに広げて見せてきた。
「これ、後で美咲ちゃんとお買い物する時に使おうと思って用意してたんですけど、も、もしかしてこれも偽札だったりします……?」
恐る恐る問いかけるリーゼリットは、既に泣きそうになっている。
美咲はミルデと顔を見合わせた。
調べる方法は簡単だ。美咲が手に取ればいい。
「お姉ちゃん、はい!」
ミーヤがとことことリーゼリットに近寄ってソォイ紙幣を受け取り、美咲に向かって差し出してきた。
ソォイ紙幣は魔族の領域で流通している通貨、治癒紙幣の一つで、一枚が日本円に換算して五千円程度の価値がある。
その価値は紙幣に刻まれた回復魔法あっての価値なので、偽札だと本当に紙幣の回復魔法が必要になった時、使えないという致命的な事態が起こる。
見た目を魔法でそう見せかけているだけの偽札なので、実際に回復魔法が発動する魔族文字が刻まれているわけではないのだ。
そもそも回復魔法は、魔族語でも魔族文字でも難解な部類で、魔族でもその習熟度には大きな差がある。だからこそ治癒貨幣は価値を持ち、通貨として使われていると言える。
偽札の見分け方は簡単だ。美咲が手に取った時点で魔法が解け、見破ることが出来る。
本物の治癒紙幣は魔族文字で治癒魔法が刻まれているため、死出の呪刻と同じように、美咲の体質によって無効化されることはない。
この場合の治癒魔法自体は魔法であるため、美咲に効果は無い。治癒紙幣に刻まれている魔族文字は、治癒魔法を対象に「発動する」ためのもので、治癒魔法そのものではないからだ。
治癒魔法そのものの魔族文字だけでは、治癒魔法は刻んだ対象に発動する。これは美咲に既に刻まれている死出の呪刻と同じ原理で、直接肌に刻み込むため対象が美咲であっても効果を及ぼす。
ただし、肌に物理的に魔族文字を刻むため、傷を癒すために新たな傷を作ることになる。それに美咲の身体には既に顔意外ほぼ満遍なく死出の呪刻が刻まれているため、そもそも他に魔族文字を刻む場所が無い。流石に美咲とて、いくら治癒魔法であっても顔に刻まれるのは嫌だ。
「美咲ちゃん、やってみて」
「分かりました。ミーヤちゃん、ありがとう」
「えへへ」
はにかむミーヤに礼を告げ、美咲はミーヤからリーゼリットのソォイ紙幣を受け取る。
リーゼリットが持っていたソォイ紙幣のうち、二枚が美咲の手に触れた途端、刻まれていた文字が全て消えただの白紙の紙切れになった。
まあ、ある意味では予想された結果である。
ただリーゼリットに対する不憫さが半端無い。美咲には特に責任は無いはずなのに、何故か申し訳なくなる。
「ごめん。こうなったわ」
若干気まずい思いをしながら、美咲はリーゼリットに紙くずと化した偽札二枚と、本物のソォイ紙幣一枚を返す。
「わ、私のなけなしのお金が……」
唖然とした表情のまま震える手で受け取ったリーゼリットは、じわっと目に涙を浮かべた。
「……これは、ちょっと洒落にならないね。リーゼリットの給料は僕が治療院の収入から支払ってるから、これは治療院の方にも偽札が紛れ込んでるってことじゃないか」
流石にこの結果にはマルテルも笑えないらしく、真顔でため息をついた。
「とまあ、こういうわけだから、偽札をばら撒く元凶をとっちめなきゃいけないわけ。誰が犯人かは大体目星がついてるから、店に来るのを待って現行犯で取り押さえようっていうわけよ」
肩を竦めるミルデに、重々しくマルテルが頷く。
「なるほど。それが今日ってわけか」
「そういうこと」
ミルデは美咲、ミーヤ、マルテル、リーゼリットをぐるりと見回した。
「事態の深刻さに気付いてもらえたところで、早速だけど話を詰めましょう」
「件の旅商人が来るのって、後どれくらいなんでしたっけ?」
美咲の質問に、ミルデは羽を腕のように組んで答える。
「大体いつもお昼回って昼食が済んでお店に戻ってきた頃に来るから、お昼過ぎよ。大体五レンディアから一バルくらい経った頃が多いわ」
ちなみに、五レンディアは地球時間で表すと大体十一時四十分くらいになる。
この世界と元の世界の時間の単位はかなり違うので、結構誤差が出るのだ。
一バルは大体七十分と同じで、つまりこの場合ミルデが言っている旅商人がやってくる時刻を地球時間に直すと、十二時五十分頃となる。
(相変わらず、計算しにくい……)
額に皺を寄せた美咲は、頭の中で話題に出てくる時刻を地球時間と摺り合わせて確認していく。
異世界人の常として、この世界の時間の単位を言われてもピンと来ない美咲は、頭の中で地球時間に換算する必要があるのだが、これが中々手間が掛かる作業なのである。
「大体の段取りは、決まってるんだろうね?」
「ええ。旅商人が帰ってきたら、こっそり魔法で鍵をかけて、それから旅商人が持ってきたお金を美咲ちゃんに鑑定してもらうわ。偽札だったらその場でふんじばる」
自分の財産の半分以上が偽札だった事実を思い出した鼻息荒く答えたミルデに、マルテルはなおも問いかける。
「でも、その場合自分でも気付かなかった、濡れ衣だって言い逃れされるんじゃないかい?」
「状況証拠は出揃ってるのよ。偽札が一番多かったデェア紙幣をうちに持ち込んで来るのはあの旅商人だけなの。他の旅商人たちは魔族なら売り上げをそのまま次の仕入れに使うから両替はしないし、人間でも売り上げで得られるのは大体がソォイ紙幣と、高くてもトォイ紙幣ばかりだから。デェア紙幣なんて、本来ならぽんぽん手に入るものでもないし。まあ、思えばその時点で怪しむべきだったんだけど」
「状況証拠だけでは厳しくありませんか?」
不安そうな様子で尋ねるリーゼリットに、ミルデは胸を張って答えた。
「だからこその現行犯よ。捕まえて、偽札を調達するルートを突き止めるわ。やっぱり製造元を断たないと、完全解決っていうわけにはいかないもの」
この辺りまで話が進んだところで、くぁ、とミーヤが小さくあくびをした。どうやら話についていけなくなってきたらしい。
それでもミーヤは目を擦って眠気を堪え、真剣な表情で話にもう一度耳を傾ける。
美咲はミーヤを元気付けるように、視線は話をするミルデたちに向けたまま、ミーヤの頭を優しく撫でた。
要は、捕まえてからの尋問が一番重要なのだ。個人的犯行か、組織的犯行かだけでも話ががらりと変わってくる。
人間の旅商人なので、魔族側と深く繋がっている可能性は無いと思うものの、人族国家、つまりベルアニアと繋がっている可能性は高い。
偽札を魔族領域にばら撒いて力を殺ぐというのは、中々謀略として有効だ。
何しろ隠れ里を経由するので発見そのものがされにくい。隠れ里が隠されているためだ。偽札が広範囲に広まり経済的な損失が多大になれば、それだけ発見されるリスクが増大するものの、それで失うのは所詮魔族の隠れ里一つ。人間である旅商人、ひいては存在すればだが、彼を背後で操る何者かには痛くも痒くも無い。
特に魔族の通貨は治癒魔法の発動媒体でもあるので、それを集めるということは、信頼の置ける回復アイテムを集めるということにも繋がる。それは来る魔族と人族の最終決戦において、人族有利に働くだろう。
(人族のことを考えたら、見て見ぬ振りをした方がいいのかもしれないけど)
美咲はこの隠れ里の住人たちに、命を救われた。その恩を、仇で返すような真似はしたくない。
それに、美咲が首を突っ込まなければ、このままミルデは気付かずにもっと大量の偽札を掴まされ、魔族の領域にばら撒く片棒を担がされていただろう。その場合、当然魔王も動き出す可能性が高いわけで、そうすると隠れ里の存在がバレて魔王に滅ぼされる恐れがある。
差別の対象である混血を匿い、さらには偽札の出所にもなっているのだから、魔王が許すはずもない。
里人ごと、隠れ里は姿を消すことになるだろう。
(それは、嫌だ)
基本的には、美咲は人族側に立って戦ってきた。その立ち位置は、今も変わっていない。
それでも、悪い魔族ばかりでもないことを、美咲は知ってしまった。
魔族に味方するつもりは毛頭ないけれど、受けた恩は返したい。何より、この隠れ里にいる魔族たちは人間だからといって無闇に敵対せず、比較的好意的で、魔王からも距離を取る、稀有な魔族ばかりなのだから。
■ □ ■
昼食を取った美咲たちが待ち構えるミルデの両替屋に、ようやく旅商人がやってきた。
もうすっかり出立準備を整えたらしく、彼は旅装を纏っている。
旅商人の背には大荷物が背負われていた。
外から微かにワルナークの嘶きが聞こえることから、荷物はそれだけではないのだろう。
何しろ店を開いていたのだ。商品となる品物、露店を開くための敷物や木材、さらには旅に必要な調理道具、寝具類など、必要なものは挙げればきりが無い。いくつかはもしかしたら隠れ里で現地調達したかもしれないが、それでも大荷物であることに代わりはない。
「いやあ、こんにちは、ミルデさん」
「こんにちは、ヴァンドさん」
柔和な笑みを浮かべて挨拶をする旅商人に、ミルデはにこやかに微笑んで挨拶を返した。
そういえば美咲は知らなかったが、彼はヴァンドというらしい。
(そういえば、名乗られたこと無かったな。全然気にしてなかったけど)
ミルデの隣で店員として雑事を片付けながら、美咲は雑談を始めるミルデとヴァンドを眺める。
雑談の内容は、やはり昨日の今日のことだからか、祭りのことについてのようだ。
「いやはや、今回の祭りも大盛況でしたな。お陰様で、私も随分稼がせていただきましたよ」
ぴくり、と微笑むミルデの眉が僅かに動いた。
今までなら言葉通りに受け取っていたところであるが、今ミルデはヴァンドが偽札をばら撒いた犯人だと疑っている。容疑者である彼が今の台詞を口にすると、ミルデには煽られているように聞こえるのだ。
(こんのくそタヌキ……!)
一度そう思うと、ヴァンドの愛想笑いすら、ミルデには嘲笑いに見えてくる。
少しずつ、ミルデの頭に血が上っていった。
(落ち着いてください、ミルデさん)
激昂する直前、ミルデは美咲に袖を引かれて我に返った。
ハッとした表情でミルデが美咲に振り向くと、美咲はミルデを真剣な表情で見つめ、首を横に振る。切れてはダメ、とでも言うように。
(……危なかった。止めてくれてありがとう、美咲ちゃん)
深呼吸して気持ちを落ち着かせたミルデは、自分も営業スマイルを浮かべて接客を続ける。
「そう。それは良かったわ。今回も両替していくの?」
ミルデが尋ねると、ヴァンドは背負っていた荷物を降ろして中身を漁り始めた。
「ええ、事前に他の里や村、街にも寄りましたから、結構量がありますが、お願いします」
前置きの後にヴァンドが出したのは、大量の治癒紙幣だ。
ソォイ紙幣、トォイ紙幣、デェア紙幣、全て揃っている。
枚数としてはソォイ紙幣が一番多いものの、トォイ紙幣とデェア紙幣まであるので、日本円に直せば物凄い額になるのは間違いない。
これらが、全て本物であればの話だが。
「美咲ちゃん、数えて」
「分かりました」
指示を受けた美咲は、治癒紙幣の山を一枚一枚数え始める。
そんな美咲を隠すように、ミルデがカウンターの外に出てヴァンドと世間話を始めた。
「毎年思うけど、凄い量を稼ぐのね。あやかりたいくらいだわ」
裏など皆無ですよと言わんばかりの輝かしい微笑みを浮かべるミルデは、大した役者振りだった。
ヴァンドはミルデの態度に不審さを覚える様子も無く、照れたように笑う。
「いやあ、この里だけなんですよ。こんなたくさんの両替でもしてくださる両替屋は。他の街じゃ、どこで手に入れた、とか証人は居るのか、とか追求が厳しくて。挙句の果てに人間ということで足元を見られますし。いやはや、最初の頃は酷い目に遭ったもんですよ。今じゃ授業料だと思っておりますが」
頭に手を当てたヴァンドは、その時のことを思い出したかのように、笑顔を苦笑に変えた。
「それは、魔族の領域に商売しに来てる時点で今さらでしょうに」
世間話を続けながら、ミルデはちらりとヴァンドの表情を窺う。
ヴァンドの態度は例年通りだ。毎年、こうやって雑談をして、両替を済ませて売り上げをベルアニア通貨に換金して帰って行く。
「全くです。商人たるもの、金の匂いに敏感でなければなりませんからね。商売になるなら、敵地であろうとお邪魔しますよ。それに、あなたたちには行き倒れていたところを介抱してもらい、お世話になりましたし」
「ミルデさん。数え終わりました。黒です」
ついに、枚数を数え終えた美咲が動いた。