二十二日目:祭りの後2
朝食を済ませた美咲は、ミーヤとペットたちを連れて今日もマルテルの治療院へ向かう。
腕の傷はまだ治ったわけではないので、定期的に診てもらう必要がある。
それでも、こまめに通っているお陰で、傷の治りの経過は順調だ。
傷痕が残るのは避けられないものの、魔獣に噛まれた傷がそれほど悪化せずに済んでいるのだから、幸運と思うしかない。
元の世界で犬や猫に噛まれた場合ですら、最悪腕を切断しなければならなくなることだってあるのだから、そうならないだけマシである。
完治とまでもいかなくとも、数日も経てば美咲は今のように痛みに煩わされることは無くなるだろうし、ペットたちの場合は魔法薬という便利な薬が使えるので、もうほとんど良くなっている。
魔法薬の効果は劇的で、一番安いものでも、明らかに美咲が使っている傷薬とは比べ物にならないくらい傷の治りが早い。
「うん、悪くない。これならもうすぐ包帯も外せそうだね」
マルテルのお墨付きが貰えたので、美咲は少しホッとした。
ちょっと傷の治りが早過ぎやしないかとも思ったが、マルテルの言うところによると、これは治療に使っている傷薬のお陰らしい。
この傷薬が膿を外に出し易くしてくれているのと共に、細菌の繁殖を抑えてくれている。それが結果的に患部の腫れも抑え、順調な経過に繋がっているのだ。
最初に傷口を開いたミーヤの判断も、効果的だった。これにより、傷口の奥まで洗浄や消毒が出来るようになり、結果的に傷の悪化を防いでいる。
まあ、そのせいでしばらく美咲の左腕は包帯を解くとグロ画像状態だったけれど、そればかりは仕方ない。
「凄いわね。最初に応急処置したの、ミーヤちゃんなんですって?」
「ふふん! ミーヤ、これくらい知ってるよ!」
感心したリーゼリットが笑顔でミーヤを褒めると、調子に乗ったミーヤは小さな身体を大きく反らせて自慢げに踏ん反り返った。可愛い。
ミーヤは平民としては破格の教育を受けていたようで、幼児にしては信じられないほどの知識がある。
もっとも、傷口の処置方法などは知っているのと知らないとではこの世界では文字通り死活問題なため、早くから教えるのが常識という側面もあったりする。
それでも、ミーヤくらいの年齢で教えられているのは十分早い。
どうやら、生家であったヴェリートの商店はかなり繁盛していたようだ。でなければ、ミーヤの教育にここまで金を掛けられない。
「ああ、そうだ。昨日の祭りの露店で良い茶葉が手に入ったんだ。良かったら一服していかないかい? お茶菓子も出すよ」
治療が終わると、そのままマルテルとリーゼリットにお茶に誘われた。
「する!」
お茶菓子に釣られたミーヤが真っ先に飛びつく。
このなんとも緩い感じが、この里の特徴だ。客が居なければ、店の人間は平気で店内で寛ぎ始めるし、一日のうちに、気分で何度も店を開けたり閉めたりする。
里人もそんな店のあり方に慣れていて、寛容だ。
閉まっていても必要なら交渉次第で一時的に店を開けてもらうことも出来、そういうところは柔軟で、元の世の店よりも融通が利く。
マルテルの治療院も例外ではなく、美咲は誘いを受けることにした。
決してお茶菓子に釣られたわけではない。
(……じゅるり)
釣られたわけではない。
「良かった。それじゃあ、案内しよう。リーゼリット、準備を頼む。僕は二人を案内したら、いったん戻ってここを片付けてから向かうよ」
「分かりました。それじゃあ、美咲ちゃん、ミーヤちゃん、ちょっと待っててね」
マルテルの指示を受け、リーゼリットが奥の生活スペースに戻っていく。
案内されたのは、治療院の中庭だった。
中々の広さで、木々や花々が良い感じに彩っており、眺めが良い。
治療院から中庭に下りる入り口には広々としたウッドデッキが設えられており、ウッドデッキの上には丸いテーブルと椅子が四脚置かれている。
「わあ。綺麗」
風情のある光景に、美咲は目を輝かせた。
天気も程よい快晴で、風も強くも無く弱くも無く、陽気に包まれていながら、時折吹き抜ける風が涼やかさを運んでくれる。
外に居るには絶好の天気だ。
「ミルデさんも誘いたかったです。こんなに気持ちいいのに」
「ああ、それならちょっと待っててくれるかな」
残念そうな美咲の呟きを聞きつけたマルテルが、魔族語で魔法を唱えた。
さすがに生粋の魔族のように滑らかな発音ではないが、それでもしっかり魔法が発動する辺り、少なくとも通常時の美咲よりも良い発音をしている。
美咲とて追い込まれれば滑らかに口が動くようになるのだが、追い込まれなければどうにもならない点ではダメダメである。
「ユゥオボォイデェアソ モォイラァウヂィ ウォトォイヨァケェアオィ」
「此処でお茶会をすると聞いて!」
驚いたことに、美咲の体感で三分も経たないうちに空から空気を裂いてミルデが舞い降りてきた。
唖然として美咲は空を見上げ、続いて着地して翼を畳むミルデに視線を移す。
どうやら今のはミルデに連絡する魔法だったらしい。
(お店に居たはずなのに、すっごく早い……。別に、後でミルデさんのところにどうせ行くんだし、ここで顔を合わせるのも悪くないけど、ちょっと吃驚)
流石のミルデも女性らしく、甘いものは好物なようだ。
この世界では甘味は貴重品なので、余計に人気があるのだろう。
虫であるグラビリオンが、好んで食されるわけである。
美咲には理解することは出来ても、同じように実行するのはちょっと無理があるけれども。
そんなわけで、お茶会に参加する人数は、全部で五人になった。
■ □ ■
お茶会の後、リーゼリットが美咲に声をかけてきた。
「あの、良かったら、これから私と一緒に買い物に行きませんか!?」
リーゼリットはよほど美咲を誘うのに緊張しているのか、物凄く強張った笑顔である、表情が不自然になっている。
それだけ人付き合いに慣れていないのだろう。それでもリーゼリットの瞳は美咲から良い返答を貰える期待で爛々と輝いており、気持ちが手に取るように分かってしまうから、美咲は断るのは気が引けてしまう。
里人の中では、リーゼリットは美咲と年齢が近く、ほぼ同年代と言って良い。
彼女が魔族ならば、魔族はミルデのように外見年齢と実年齢が違うので、リーゼリットの方が遥かに年上だっただろうが、ミルデは先祖返りで魔族と同じ容姿に生まれ付いただけで、その成長速度は人間と変わらない。
つまり、その精神も外見年齢相応であり、今のリーゼリットはまるっきり「入学したばかりの学校で一生懸命友達を作ろうとしている新入生」と同様だった。
「えっと……ごめん。ミルデさんと約束があるんだ」
勇気を振り絞った彼女の熱意が伝わってくるので、美咲も受けてあげたかったのだが、生憎今は予定がある。
今日は、偽札を持ち込む旅商人を捕まえる、大捕り物の予定なのだ。
「そんなぁ」
断られてしまったことで、リーゼリットはがっかりした顔をする。
「なら、リーゼリットにも手伝ってもらえばいいじゃない。終わった後で、宴会の準備も兼ねて買い物に行けばいいわ」
「わ、私もお手伝いします! させてください!」
即座にリーゼリットがミルデの提案に飛びついた。
「いいんですか?」
美咲が言外に「部外者を巻き込んでも大丈夫なのか」という質問を篭めて尋ねると、ミルデは笑顔で頷いた。
「構わないわ。里人は皆私の両替屋を利用しているから、強ち無関係ってわけでもないし」
「なら、僕も手伝おうか。何をするか知らないけれど、人手は多い方がいいだろう?」
妹のリーゼリットが手伝うことに決まったからか、兄のマルテルも同じことを申し出てきた。
もしかしたら、妹のことが少し心配なのかもしれない。
マルテルとリーゼリットの兄妹は、部外者の美咲から見ても仲が良いようなので、リーゼリットがマルテルに大切にされているであろうことは、美咲にも予想がついている。
「そうね。ならあなたにも手伝ってもらおうかしら」
ミルデの鶴の一声で、リーゼリットに引き続き、マルテルも手伝うことに決まった。
「あれ、でも二人とも手伝ってくださるのは嬉しいんですけど、治療院はどうするんです?」
「閉めとくよ。ちょっとした怪我なら皆勝手に自分で治しちゃうし、それが出来ないような重症患者が出た場合には、僕に直接連絡が来るようになってる。だから大丈夫だよ」
何しろ、人族と魔族の混血を保護するために作られた隠れ里とはいえ、里人の割合としてはやはり魔族がそれなりの数を占める。
また、隠れ里が魔族の領域にあるのもあってか、里で使われている公用語も魔族語だ。ただし、魔法を使う時の魔族語ではなく、会話用にわざと発音を崩している魔族語であるが。
魔族は長年の慣れからか、魔法としての魔族語と言語としての魔族語を綺麗に使い分けている。
同じことをするのは美咲には少々骨が折れ、普段は魔法を使うために綺麗な発音が心掛けようとしているので、うっかり魔法を暴発させてしまいそうになることも多い。かといってわざと崩してそれに慣れてしまうと、いざという時に魔法が使えなくなりそうで怖いので、崩せない。
(翻訳サークレット、もう一個あればいいのになぁ)
自分がつけていた時はそれが当たり前だったので、その有り難味がいまいち実感を以って伝わらなかったが、今現在こうして問題に直面していると、翻訳サークレットがどれだけ便利だったかが分かる。
とはいえ、今のところは美咲はミーヤから翻訳サークレットを返してもらう予定は無い。
美咲はミーヤよりも魔族語を扱えるし、ちょっとヒアリングに失敗したり適切な単語が出てこなかったりで困ることもあるものの、翻訳サークレットが無くったって意思疎通は交わせる。
言葉が使えるというのは大きなアドバンテージだ。それだけ情報を手に入れることができるし、会話が出来れば相手の警戒心を解くことだって出来る。
「ところで、ミルデさんの用事ってなんですか?」
ふと何気なく、リーゼリットがミルデに尋ねた。
リーゼリット本人としては、特に深い意味で言ったわけではなく、ちょっとした興味でしかないだろう。
しかし、美咲とミルデはお互いの顔を見合わせた。
(どうします? 話します?)
(そうねぇ。手伝ってもらうなら、話さないわけにはいかないわねぇ。私の失敗談でもあるから、ちょっと恥ずかしいけど)
ひそひそ内緒話をする美咲とミルデを見て、リーゼリットは不思議そうに首を傾げた。
一方で、マルテルは己の眼鏡のフレームをくいと指で持ち上げ、意味ありげに笑みを浮かべた。
思案したミルデは、リーゼリットに告げる。
「私の店で話すわ。準備もしなくちゃいけないし」
というわけで、お茶会はこれでお開きになり、一行はミルデの店に移動することになった。