二十一日目:祭りの合間1
ミルデが言った通り、昼になると広場に集まっていた里人たちは各自昼食を取るために広場を出て方々に散っていった。
後に残されるのは地面に散らばる潰れた無数のピエラの残骸と、ピエラの果実と果汁塗れになった美咲たちのみ。
「うっわ、改めて見たら酷い惨状じゃない、これ」
「もったいないよねぇ。ミーヤ一つくらい食べたかった」
ミーヤは地面を見下ろして、潰れたピエラの中でマシなものを探している。
「一レンルール」
「いや、そんなの無いから」
比較的形が残っていたピエラをミーヤが拾い上げたのを見て、美咲は慌ててそれを取り上げた。
「お姉ちゃん、返してー。ミーヤそれ食べるのー」
「これはばっちいからやめておきなさい。ピエラくらい外の屋台で売ってるだろうし、買ってあげるわよ」
「本当? わーい! じゃあミーヤそれ要らない!」
手を伸ばして取り返そうとするミーヤに新しいピエラを買うことを約束すると、ミーヤはたちまち機嫌を直して美咲の腰に抱き付いた。
「お姉ちゃん、行こう!」
ころっと態度を変えたミーヤに苦笑する美咲の後ろで、ミルデとマルテル、リーゼリットも広場を出る準備を始めた。
「僕たちも行こうか、リーゼリット、ミルデちゃん」
いつも通りの笑顔を浮かべるマルテルへ、ミルデが額に青筋を浮かべながら振り向く。
「マルテル、あなたいい加減にしなさいよ?」
「あわわ、ミルデさん落ち着いて。お兄ちゃんもミルデさんをからかわないでぇ」
妹のリーゼリットが、慌てて兄のマルテルを嗜めた。
「それじゃあ、僕たちはいったん治療院に戻るよ」
「皆さん、また後で」
広場の入り口で、美咲はマルテルとリーゼリットの兄妹と別れた。彼らは治療院を兼ねている自宅に戻って、まず水浴びをしてくるらしい。
確かに美咲自身も体中ピエラの果汁でべたついているので、身体を洗いたい。
正真正銘の人間と、魔族にしか見えない人間の兄妹を見送った後、ミルデが美咲とミーヤに笑いかけた。
「じゃあ、美咲ちゃんたちは私の店に来る? 他に行きたいところがあるなら、私がついていってもいいわよ」
本人はほぼその可能性は無いと思っているものの、ミルデはこれでも一応美咲とミーヤの監視役である。
目を離すとどっちに対してもろくなことにならないのが目に見えているので、ミルデは出来るだけ美咲とミーヤに付き添う必要があるのだ。
「あ、私一度グモの家に戻るつもりなのでついてきてもらってもいいですか? グモも私たちのこと待ってると思うので」
「分かったわ。じゃあ、行きましょう」
美咲の返答を聞いて、ミルデは二人と一緒にグモの家に向かうことにした。
グモはもう完全に里の一員として受け入れられており、既に監視も無い。
勿論ミルデとも知り合いで、友人というほどではないが面識はある。
「クマー(オレも行く)」
「ぷうぷう(ずっと隠れてたから被害ゼロで済んだ。こっそり潰れる前のピエラも食べられて満足満足)」
のっしのっしと歩くマク太郎の背中に、ちゃっかりペリ丸が飛び乗った。
食肉として重宝されるペリトンは、姿形がウサギに似ていて、さらにはウサギ以上のジャンプ力がある。マク太郎の背中に飛び乗るなど朝飯前だ。
「あっ、近くに居ないと思ってたら、ペリ丸そんなことしてたの? ずるーい!」
ミーヤがテテテテテとマク太郎の下へ走り寄り、ペリ丸を羨ましそうに見た。
「(わたしたちもお腹いっぱい)」
「(満たされる空腹感。幸せ)」
「(今度生まれてくる妹たちのために、貯蓄しておきたいわ)」
空からベウ子とベウ子の娘の働きベウ二匹が舞い降り、マク太郎の背中に乗る。
マク太郎が身体が大きいので、四足歩行の状態だとペリ丸やベウ子たちの乗り物として丁度いいようだ。
器が大きいマク太郎は、乗り物にされていても文句を言わず、暢気に歩いている。
「クーンクーン……(自慢のワシの毛皮が……)」
「クーンクーン……(ピエラの匂いしかしないわ……)」
逆に尻尾を力なく垂れさせて切なげな泣き声を上げているのは、狼型魔物であるゲオルベルのゲオ男とゲオ美だ。
毛皮を持つペットたちは、隠れていたペリ丸以外皆大なり小なりピエラのしぶきを浴びているのだが、ゲオ男とゲオ美は特にそれが顕著だった。
普段はもふもふの毛皮も、今はピエラの果汁で濡れそぼり、しかもそれが生乾きになってごわごわになっている。
「ぴーぴー(ミルデは強敵だったわ)」
「ぴーぴー(パパは強いねー)」
「ぴーぴー(パパとママはラブラブね)」
「ぴーぴー(そんなことより僕もピエラ食べたい)」
ベルークギア四兄弟姉妹のベル、ルーク、クギ、ギアは、まだまだ元気いっぱいな様子で、小走りで美咲やミーヤの周りをうろちょろしている。
翻訳サークレットをミーヤに貸しているので美咲にはペットたちの会話は分からないものの、ミーヤがにこにこ機嫌良さそうにしているのを見ると、問題ないのだろうと納得する。
「ゲオ男とゲオ美はもう少し我慢してね。グモの家に帰ったら、水浴びしようね」
ミーヤに声をかけられ、ゲオ男とゲオ美は嬉しそうに尻尾を振り回してワオンと鳴いた。完全にしぐさが犬である。
やがて、グモの家についた。
■ □ ■
一度ミルデの家に寄ってミルデの分の着替えだけ持ち出し、美咲たちはグモの家に行く。
美咲たち一行は、グモに出迎えられた。
「お帰りなさい。どうでした? 祭りの方は」
「楽しかったよ。ピエラ塗れで酷いことになったけど。ちょっと井戸で水汲んでくるね。水浴びして綺麗にしないと。服も着替えなきゃ」
苦笑する美咲と一行を、笑ったグモは庭に案内した。
「ははは。そうなると思って、湯を用意しておきましたぞ。使ってくだされ」
庭の一角が衝立で仕切られ、たらいの中に湯が並々と湛えられている。
「あら、気が利くじゃない。私たちも使っていいの?」
ミルデの問いかけに、グモは頷く。
「勿論ですとも。さすがに量がありますから、沸かすのではなく、焼き石で温めただけですが」
「十分だよ。お湯がすぐに使えるってだけで、凄く嬉しい。ありがとう、グモ」
恐縮するグモを美咲は労った。
ちなみにグモが湯を用意した方法は、たらいに水を入れて、焚き火の中に放り込んで熱した石を、水の中に入れて水の温度を上昇させるというものだ。
沸かすより手間が掛からず、大量の水を一度にぬるま湯に変えられるので、こういう時はこちらの方が便利だ。
早速各自の着替えを持って庭に移動した美咲とミーヤ、ミルデは、庭に設置されたたらいとその中に湛えられている湯に表情を綻ばせた。
焼き石で温めただけなので、さすがにもうもうと湯気を立てた熱湯ではないが、水浴び目的ならば十分な温度とお湯の量である。
「思ったよりピエラ塗れですねー、私たち」
たらいのお湯を桶に汲み、頭から湯を被った美咲は、透明な湯が黄緑色のピエラの果汁の色に染まって流れ落ちていくのを、呆れ気味に見つめた。
「ミーヤ、凄く楽しかった! 午後からもあるんでしょ? 楽しみ!」
小さい身体で楽しみにしていることをアピールするミーヤに振り返り、美咲は苦笑して桶に湯を汲む。
「じゃあ、綺麗にして午後に備えなきゃね。ほらミーヤちゃん、お湯かけるから、辛かったら目を閉じててね」
「大丈夫だよ! ……ほら!」
美咲がミーヤの頭から湯をかけようとすると、ミーヤは下を向いて湯が目に入らない体勢を取った。
「うん、凄いね、ミーヤちゃん。偉いよ」
「えへへー」
褒めちぎる美咲に対し、ミーヤは謙遜しようとして失敗したような、にまにまと締まらない笑みを浮かべる。
そんな美咲とミーヤに、お湯をぶっ掛ける狼藉者が居た。
一人でさっさと水浴びを終えたミルデである。
「わっ、びっくりした」
「ミルデ、何するのー」
慌てて目に入りそうな水滴を手で拭う美咲と、猫のように全身を振るって水滴を飛ばすミーヤに、にっこりと微笑みながらミルデが言った。
「遅いのよ、あなた達。手伝ってあげる」
ミルデは笑っているが、良く見ると額に青筋が浮かんでいる。どうやら待ち草臥れたらしい。
「え、ちょ、ミルデさんもう終わったんですか!? カラスの行水過ぎません!?」
驚いた美咲が叫ぶと、ミルデはきりりと眦を吊り上げた。
「カラスが何なのか分からないけど、何となく良い意味じゃない気がするわ! こうしてやる!」
「えー! 理不尽ー!?」
叫んだ美咲の上からお湯が降り注いだ。
「がぼぼぼぼ!」
「あーっ! お姉ちゃんが頭からお湯をぶっ掛けられて水も滴る良い女にー!?」
その様を見たミーヤが、少し思案した後叫んだ。
「ミーヤちゃん、上手いこと言ったみたいなドヤ顔してないで助けてー!」
庭で美咲、ミーヤ、ミルデが騒ぐ中、居間で寛ぐグモが茶を啜りながら苦笑した。
「……姦しいですなぁ。しかし、ワシが踏み入ったらそれはもうえらい目に遭う予感がしますので、ワシは何も見てないし聞いていませんぞ」
危機回避能力が高いグモであった。