二十一日目:ピエラ祭り3
広場に着いてまず目に飛び込んできたのは、凄く嫌そうな顔をしているバルトの表情だった。
まだ怪我は治り切っていないし、下手に動いて周りの里人たちを巻き込むのを危惧して、バルトはその場に蹲って身体を休めたままだ。
その身体にはたくさんの里の子どもたちが群がっており、すっかり子どもたちのアスレチックと化している。
バルトは巨体だし、鱗も硬くて取っ掛かりには事欠かないので、上り易そうだ。
かなり情けない格好でも、美咲を見つけるや否やバルトは偉そうに言い放った。
「オイ。人間ノ小娘。コイツラヲドウニカシロ」
「私、人間の小娘じゃなくて、美咲って立派な名前があるんですけど」
美咲が言い返すと、沈黙の後にバルトから返事が帰ってくる。
「分カッタ。コレカラハ美咲ト呼ブ。ダカラコイツラヲドウニカシロ」
どうやら、バルトは心底子どもたちの扱いに困っているようだ。
なまじ子どもたちには悪意が無く、バルトもうざったいだけで害があるわけでもないので、実力行使にも出れないらしい。
何せバルトは大きい。ちょっと身動ぎするだけでも、下手をすると大事故に繋がり兼ねない。
まあもっとも、この里の子どもたちは皆美咲よりもよほど上手く魔族語が使えるので、宙に放り出されたくらいではむしろ遊んでもらっていると勘違いするのだけれど。
「うーん、私には無理かな。せっかくのお祭りだし、水を差すのもちょっとね。子守りをしてると思ったらどう?」
「……子守リナドシタコトナイ」
途端に凄く不安そうな表情になったバルトは、何故かそわそわし始めた。
「そうねぇ……ミーヤちゃん、ちょっと来てくれる?」
「はーい! なぁに? お姉ちゃん」
呼ばれたミーヤがやってくると、美咲はミーヤに頼みごとをした。
「ベルークギアの幼竜の子たちいたじゃない? ちょっとバルトと一緒に居させて欲しいのよ」
「いいけど、どうして?」
「ほら、バルトったら凄く里の子どもたちに懐かれてるでしょ? でもさすがに大変みたいだから、あの子たちを連れてけば、興味が分散するかなって」
美咲の説明を聞いたミーヤは、目を輝かせた。
「面白そう! おいで、ベル、ルーク、クギ、ギア!」
ミーヤが声をかけると、広場の一角に屯していたペットたちの中からベルークギアの幼生体たちが集まってくる。
「(なにー?)」
「(遊ぶのー?)」
「(わーい)」
「(おー)」
集まってきた幼生体たちに、ミーヤは言い聞かせた。
「これから、ミーヤと一緒にバルトで遊ぼうね!」
「オイ!」
わざとかそうでないのか分かり辛いが、失礼なミーヤの物言いに、すかさずバルト本人からの突っ込みが入った。
「もう。バルトでじゃないでしょ? バルトと、でしょ」
「えへへ。ごめんなさい。ミーヤ、間違えちゃった」
美咲とミーヤのやり取りは、見るものに歳の離れた姉妹を見るような微笑ましさを感じさせた。
「その竜と仲が良いのねぇ、あなたたち」
二人を見守るミルデは、感心したような、呆れたような微妙な表情を浮かべている。
「怪我の経過も順調なようだね。里に来たばかりの頃は半死半生だったのに、やっぱり、竜の生命力は凄いな」
マルテルは物怖じせずにバルトに近寄り、医者としての見地からバルトのタフさに驚いている。
「竜っていったら、生命力の象徴ですものね」
リーゼリットが兄の言葉に相槌を打った。
「俺ハ竜ノ中デモ古イ血ノ流レヲ汲ム古竜ダカラナ。コノ程度ノ怪我ジャ死ナン」
ぶおん、と大きな鼻息を吹かせて、バルトが言った。
ただの鼻息も、巨体のバルトがやると突風だ。
(鼻くそとか、お団子くらいの大きさがありそう。……って、何考えるんだ私!)
思わず下品なことを考えてしまった美咲は、自分で自分に突っ込みを入れた。
「あっ! 美咲姉ちゃんじゃん!」
バルトの上で遊んでいた子どもたちの中から、何人か子どもたちが降りて美咲の下へと駆け寄ってきた。
最初に声をかけてきたのはクラムだ。狼の獣人という表現が、しっくりくる容姿をしている。
狼にかなり近い顔に、二足歩行で人間とほぼ変わりない骨格だが、毛皮で覆われた身体や、接地面積の小さい足などに、狼の特徴が現れている。
クラムは混血なので、片親が元々彼と同じ人狼姿の魔族なのか、それとも完全に狼姿の魔族だったのかは分からないけれど、彼は魔族としての特徴を多く受け継いで生まれたと言える。
おそらく、普通に魔族の村や街で暮らしていても溶け込めるに違いない。
「キャー! 何、この子たち! カワイイ!」
ベル、ルーク、クギ、ギアのベルークギアの幼竜四兄弟姉妹を見て黄色い悲鳴を上げたのは、茶色い頭髪をポニーテールに括った猫目の女の子、ラシャだ。
ラシャの場合、目以外は完全に人間なので、目さえどうにかしてしまえば、比較的人族領で暮らすのは楽そうである。
ただ、目は目立つので隠すには工夫が必要だろうが。
違いが目しかないとはいえ、いや、他が人間と変わらないからこそ、一部分の差異が強調されてしまうのだ。
「ドラゴンさんの子どもじゃ……ないよね?」
興味はあれども、ラシャの陰に隠れるシャイな女の子。
長い黒髪に赤い瞳、口元から覗く発達した八重歯、そして背中に生えた蝙蝠の羽が特徴的な、吸血鬼姿のセラだ。
セラはクラムやラシャのように、どちらかに極端に寄らず、見事に人と魔族の両方の特徴を受け継いでしまっているので、どちらの領域でも目立ってしまう。
迫害を受け易い混血の特徴が多く出てしまっている彼女が、この隠れ里で生まれ育ったのは幸運といえるだろう。この里には、混血というだけで差別するような魔族や人間は居ないのだから。
この里は混血のための隠れ里。家族や恋人、友人に混血を持つ魔族が集まって出来た、迫害を逃れて暮らすための楽園なのだ。
「違うけど、親戚みたいなもの、なのかな? ベルークギアの赤ちゃんだから。バルト、合ってる?」
「間違ッテナイゾ。マア、存在規模ノ格二天ト地ホドノ差ガアルガナ。奴ラハぶれすモ吐ケンシ、空モ飛ベン。魔法モ使エン。チナミニ俺ハ全部出来ルゾ。ダカラがき共チョットハ敬エ。オイ、俺の頭ヲ遊具ニスルナ!」
美咲が尋ねると、里の子どもたちを背や頭の上に乗せたバルトが答えた。
少し動けばあっさり振り払えるだろうものを、怪我させることを恐れてバルトはなすがままになっている。子どもに優しい紳士な竜だ。
「ええっ!? ベルークギアって、あのベルークギア!? すげー!」
ベルークギアは有名な魔物なようで、名前を聞いた途端クラムが目を輝かせた。
男の子らしく怪獣が大好きなようで、本物の竜であるバルトも、美咲の世界の恐竜を大型化させたような魔物であるベルークギアも、クラムにとっては憧れと興味の対象なようだ。
それに、良く見れば、興味を持っているのはクラムだけではなく、他の少年たちも同様なようで、マエトとタクルも興味津々な表情でベル、ルーク、クギ、ギアのベルークギア四兄弟姉妹を見つめている。
「よく親の目を掻い潜れたわね。子どもがいる時期の魔物って、ベルークギアに限らず凶暴なのに」
感心半分、呆れ半分といった様子で、ラシャが言った。
元の世界でも、子育ての時期の野生動物は外敵に対して警戒心が強くなり、凶暴化するのは当たり前のことだったけれど、この世界でもそれは同じことで、魔物にも当て嵌まるようだ。
でも、不思議なことに、彼ら彼女らが孵化した時、周りには親のベルークギアどころか、魔物そのものが居なくなっていた。
アリシャやミリアンは魔族に調教されて根こそぎ連れて行かれたと予想していたけれど、結局ヴェリートでの戦いで、魔物たちは出てきていない。
連れ去られた魔物たちは何処に行ったのか。謎は深まるばかりだ。
分からないことでいつまでも悩んでいても仕方ないので、美咲はラシャの疑問に答える。
「それがね、逆なの。親が居なくて、孵化する瞬間に居合わせちゃって。親は戻ってこないし、放っておいたら死んじゃうしで保護したのよ」
今改めて思い返してみても、あの状況は異常だった。
森の外延部はゲオ男とゲオ美と同じ種族であるゲオルベルや、他にも様々な魔物が跋扈していた魔境だったというのに、さらに危険な魔物で溢れ返っていると言われていた中央部は、一部の無害な魔物を除いて、根こそぎ姿を消していた。
明らかに自然の現象ではない。
何かの伝染病のようなものが蔓延して全滅してしまったのだとしても、それが外延部にまで広がっていないのはおかしいし、もしそうであるならば美咲たちもとっくに発病しているだろう。
そうでないということは、少なくとも病気が原因ではないということだ。
やはり、かつてアリシャやミリアンが指摘した通り、魔族が何かを企んでいるのだろうか。
(って、そんなの私に分かるわけないじゃない)
いくら考えたところで答えなど出ないと分かっていても、謎のままなのは気持ちが悪く、ついつい美咲は考えてしまう。
「えっへん! ミーヤの友達なんだよ! 他にもマクレーアとかいるよ!」
幼い小さな胸を張って、ミーヤがふんぞり返った。
「マ、マクレーア? き、危険じゃないの?」
熊型魔物であるマクレーアの脅威を知っているらしく、セラが怯えた表情を見せる。
まあ、美咲の世界で言えば、自分がホッキョクグマに追い回される様を想像すれば、セラが感じた恐怖にある程度共感できるかもしれない。
「危険じゃないよ。友達だもん」
あっけらかんと答えたミーヤに、セラが絶句している。
相当驚いた様子で、セラの口がぽかんと開いていた。
「凄いな……」
普段は寡黙な岩石少年マエトが、感嘆のため息を漏らす。
「他にどんな魔物が居るの?」
興味津々に尋ねてくる軟体少年タクルに、ミーヤは笑顔で答えた。
「後はゲオルベルとか、ベウとか、ペリトンとかいるよ」
「そうそうたるメンバーの中にしれっと入ってるペリトンは非常食かな」
「違うよ!」
肉食、あるいは雑食の魔物の中に混じっている、食肉の代表格であるペリトンの名前にタクルが思わず突っ込みを入れ、憤慨したミーヤが叫んだ。
「こう見えてもペリ丸は強いんだよ! 自分の身体を丸めて敵に体当たりする必殺技だって持ってるんだから!」
「必殺技って聞くと凄そうだけど、要するにそれってただの体当たりだろ」
「むきーっ!」
ペリ丸を馬鹿にされ、ミーヤは地団駄を踏んだ。
ミーヤにとってはペリ丸は初めて自分の笛で仲間になってくれた第一号であり、頼れる相棒であり、愛着のある魔物なのだ。
一方で、ミルデはベウの姿を見て表情を引きつらせていた。
「っていうか、私としては普通にベウが居ることに驚きなんだけど。しかも働きベウの他に女王ベウも居るってことは、仲間にしてるのは女王ベウってことじゃない」
魔物には危険な種も多く存在するが、その中でもベウはかなり危険度が高い。
もちろん危険度自体を比べるならば、そもそもベウよりも危険な魔物などたくさんいるわけなのだけれど、ベウは基本的に大群で襲ってくるのだ。
しかも、大きさが尋常ではない。この世界の魔物としては小さめとはいえ、それでも元の世界の犬や猫程度はある。
犬猫並みの大きさのオオスズメバチの群れに襲われるのと、同じようなことだと考えて、おそらく間違いないだろう。
姿形は、大きさを除けばベウはオオスズメバチに良く似ている。
大きくても飛ぶスピードは衰えず、それでいて巨大化した相応に攻撃能力と防御能力は向上している。
スズメバチはあの大きさだから飛べるのであって、巨大化したら飛べなくなってしまったり、運動性能が落ちてしまったりすると元の世界では考えられていた。
しかし、ベウは運動性能が下がるどころか、全く落ちていない。
特に前進する速度と急降下する速度はかなりのものだ。
逆に、旋回速度と上昇速度はそれほどでもない。
だからこそ、襲われても撃退できた。
ベウとの遭遇を思い出した美咲は、苦笑する。
「運が良かったというか、何というか。働きベウの群れに襲われて撃退した後で、巣を見つけたんですよ。試しにミーヤちゃんに笛を吹いて貰ったら上手く懐いてくれました」
災いを転じて福と為すとでもいうべきだろうか。こういう出来事を経験すると、何が幸運になるか、分からなくなってくる。
当時のことを思い返すと、あの頃は賑やかで良かったと美咲は思う。
彼女らと、こんなに早く死別することになるなんて、美咲は思ってもみなかった。
(皆を守れるだけの強さを得たって、思ってたのにな……。現実は、厳しいね)
やっとの思いでブランディールを倒した美咲を嘲笑うかのように、彼女たちの命は刈り取られてしまった。美咲はよりにもよってその時気絶していた自分が、歯がゆくてならない。
でもそれは結果論だ。アリシャがあの時美咲を気絶させなければ、美咲は制止に耳を貸さずに死霊魔将に挑んでいただろう。後の魔王の襲撃を鑑みれば、結果など見えていた。もちろん全滅だ。
故に、美咲を気絶させたアリシャの選択は正しい。例え生き残ったのが美咲とミーヤだけであったとしても、現に美咲はこうして生きているのだから。
バルトの怪我が治れば、魔王城まで飛べる。行く先さえ定かではなかった頃と比べれば、間違いなく大きな進歩だ。
嬉しさと同時に、後ろめたさがある。それが、美咲が意図したことではないとはいえ、皆の死と引き換えに得たものであるが故に。
祭りの音楽が、どこか遠く感じた。