二十一日目:ピエラ祭り2
隠れ里中で開かれている祭りは、バルトが休んでいる広場で大きな催しがあり、そこに至るまでの道筋には、普段は無い屋台がずらりと軒を連ねている。
「そういえば、ここのお祭りってどういう祭りなんですか?」
元の世界で美咲が祭りと聞いて思い浮かべるのは、神社で行われる夏祭りなどなのだが、さすがにこの世界では神社にお目にかかったことはない。江戸時代頃の日本に似ている国が遠く東の辺境あったらしいが、それも今は魔族に滅ぼされてしまっている。
文化風俗のいくらかは、もしかしたら魔族たちに吸収されているかもしれないけれど、さすがに隠れ里に神社が建っていたりはしない。
でも、魔族にも信仰の対象が無いわけではないらしい。この世界の人族が元の世界のキリスト教のような一神教であるのに対し、魔族たちは、その多くが自然信仰だ。
自然信仰は精霊崇拝、つまりアニミズムの源流とも言うべき信仰の形で、自然という概念が出来る前にそれらを神として神格化させたものだ。超自然的存在と交信するシャーマニズムと関わりが深く、それは里人たちの信仰にも現れている。
そして自然信仰は、突き詰めれば多神教に行き着く。仰々しい神殿こそ無いが、隠れ里には里人たちが立てた質素な神殿がある。その中では多数の神様が祭られており、普通に人族が信じる神と魔族が信じる神々が同列で祀られていたりするのだ。
つまりどういうことかというと、魔族のお祭りというのは、様々な地方独自の祭りを混合させて発展してきたものだということである。
「そうね。里の祭りは収穫祭を兼ねてるから、食べ物の屋台がたくさん出て、無料で振舞われるわよ。後は収穫物を使った催し物が行われるわ。今年はピエラが豊作みたいだから、ピエラ祭りね」
「ピエラって、あの果実のピエラですか?」
「ええ、そうよ。ある程度肥えた土ならどこでも育つ、あのピエラよ。エンデル芋ほどじゃないけど、重宝する食材よね」
ミルデの発言に、美咲は以前己が食べたピエラの記憶を掘り起こした。
甘酸っぱい果実の味は、オレンジやグレープフルーツといった、柑橘類と同列のものだった。
緑色の皮をむけば、赤い房が顔を出す。味はグレープフルーツの甘みをやや強くした感じで、美咲は今ではピエラがすっかり好物になってしまっている。
甘み自体で言えばグラビリオンが断トツなのだけれど、アレは駄目だ。味が良くても、美咲には見た目が受け付けない。
「食べたことありますよ。美味しいですよね、ピエラ」
「やっぱり人族の間でも食べられてるのね。種族が違っても、ピエラを栽培しているのは変わらないのね」
感心したようにミルデが頷く。
「それじゃあ、実際に回ってみましょうか。色々口で説明するより、実際に目で見て足で回った方が早いし、良く分かると思うわ」
「はい!」
「さんせーい!」
提案に、真っ先に美咲とミーヤが飛びついた。
お祭りなのだから、きっとめでたい祭りなのだろう。
この世界に来てから色々心労ばかり溜め込んで、嫌な目にもいっぱい遭ってきたんだから、今日くらい羽目を外して楽しんでも罰は当たるまい。
「マルテルとリーゼリットもそれでいい?」
確認を取るミルデも実はお祭りが楽しみなのか、盛んに両の翼をばたつかせている。顔自体はクールなままポーカーフェイスを気取っても、翼の動きから感情が駄々漏れなのでは台無しだ。
「僕はそれで構わないよ、ミルデちゃん」
「私も賛成、です」
美咲は何だかマルテルがミルデをちゃん付けする理由が分かった気がした。
「結構。でもちゃんは余計よ」
ばたばた。ばたばた。
(か、可愛い……)
しっかり名前に拘るいつも通りの態度のミルデだが、羽の動きだけいつも通りじゃない。
(し、指摘してあげた方がいいのかな……?)
愛想笑いを浮かべながら、美咲は迷う。
ミーヤは祭りのことで頭がいっぱいな様子でミルデの奇行には興味が無いようだし、リーゼリットは人前が苦手な性格が災いしてか、外を歩いているだけで挙動不審なので、本人がそれどころではない。
ただ、マルテルだけがいつも以上に何だか含みのある笑顔を浮かべている。
(あ。マルテルさん、ミルデさんが浮かれてることに気付いてそう)
これはしばらく、ミルデはマルテルにからかわれそうである。敢えて指摘せずにミルデのするがままにさせている辺り、マルテルも意地が悪い。
まあ、それを言うなら、黙っている美咲も同じことなのだが。
「それじゃ、本番の広場に向かうまでに、道すがら屋台を色々覗いてみましょう」
いつもより歩幅が大きく跳ねるように、ミルデは先頭に立って意気揚々と歩き出した。
■ □ ■
祭りの最中、隠れ里の通りは普段とは違う様相を見せている。
両脇には屋台や露店がずらりと並び、食べ物やアクセサリー、交易品などを売っている。
店主は主に元から里に住む食料品店や飯屋の店員や、外から祭りを目的に訪れた旅商人などである。
商人というのは商魂たくましく、こんな森深くの僻地にある隠れ里でも、商品を満載してやってくる。
中には武器防具を持ち込んでいる旅商人も居て、今も里の戦士たちが群がっているのが見える。
「そういえば、隠れ里に武器屋とか防具屋ってありませんでしたっけ?」
「無いわよ。鍛冶屋ならあるけど」
ふと気になって尋ねた美咲に、ミルデが首を横に振って答えた。
美咲が見つめる先の里の戦士たちは皆軽装だ。もちろん祭りの最中に今から戦に行くような格好をしているわけが無いので当たり前なのだが、以前美咲と一緒に里の外に行った時のミルデ自身も、自分は武器防具は一切着けておらず、普段着姿だった。
「じゃあ、武器や防具が必要になった時って、どうしてるんですか?」
「基本的には、既に里にある物を修繕して使ってるわ。後は、今みたいな祭りの時に買うのよ」
返ってきた返答に、美咲はしばし絶句する。武器屋、防具屋が無いというのは驚きだ。
元の世界の常識に照らし合わせれば、まあ当たり前な気もするけれど、この世界には魔物という脅威が身近に存在する。
であるから、人族領域ならば、村規模であっても、普通に武器屋と防具屋が最低一軒あるのが普通だった。
現に、エルナが死んだ地であるザラ村にも、武器屋と防具屋は存在している。
それに、普段から居るわけではない旅商人しか供給先が無いのでは、有事の際に不足する危険性があるし、足元を見られて高く売りつけられる可能性も無いとは言えない。
「自分たちで作って売った方が利益が出るような気がするんですけど……」
ミルデは肩を竦めた。
人間ならば、確かにそう考えるだろう。
しかし、魔族は少々人間とは考え方が違う。
「需要があまり無いのよね。ほら、私たち魔族だから、魔法で結構代用出来ちゃうじゃない? だから、魔族軍みたいにちゃんとした軍隊ならともかく、せいぜい里の周りの魔物を掃討するくらいしか戦う機会が無い私たちだと、使う機会そのものが少ないのよ。現に、里の鍛冶屋も武器防具よりも、調理器具や農作業具ばかり作ってるし」
要は、武器防具など無くても、里の周りの魔物程度なら何とでもなるくらい、魔族は強いのだ。
人族ならば武器防具で武装して戦わなければならないような相手でも、魔族ならば身体強化魔法で身軽さを維持したまま同等以上の強さを得られるし、そもそも間合い外から魔法で仕留めてしまえばそれで済む。
武器防具に拘る必要性自体が存在しないのだ。
「そうなんですか……」
改めて魔法の凄さを実感した美咲は、絶句して相槌を返すことしか出来ない。
でも、確かに頷ける話である。
美咲自身、異世界人の体質だけでは、決して蜥蜴魔将に勝つことなど出来なかったろう。
身体能力で圧倒的に負けている美咲が勝機を見出すためには、ハンデ差を覆すだけの圧倒的な破壊力を持つ魔法が必要不可欠だった。
強力故に例え自分ごと巻き込むような魔法であっても、逆に異世界人としての体質が美咲を守ってくれる。
あの時、美咲が蜥蜴魔将を焼き殺した時のように。
「僕たちもこの里に来て日が浅い頃は驚きの連続だったよ。だって、幼くてもこの里で生まれ育った子達は、多少の傷くらいなら医者に掛からずとも魔法で自己治癒しちゃうからね」
さすがに病気まではそう便利に治療出来ないみたいだけど、とマルテルは笑う。
どうやら万能に思える回復魔法も、病気の治癒は出来ないようだ。
「症状を緩和することは出来ても、原因を根絶することが魔法では不可能なんです。私もこの里で暮らすようになってから知ったことなんですけど」
恐る恐る遠慮がちに、リーゼリットが口を挟む。
「魔法にも色々あるんだねぇ」
ミーヤが皆の会話を聞いてしみじみとした表情でコメントする。ミーヤは魔法を使えないので、完全に他人事である。
あるいはこのまま隠れ里に居付けば、十年も経てば魔族語を習得出来ただろうけれど、ミーヤはどこまでも美咲に着いて行くつもりなので、バルトの怪我が治り次第里を離れることが確定している。ミーヤがバイリンガルになる日は遠い。
「あ、何だか良い匂いがするよ、お姉ちゃん」
屋台で売られている食べ物に釣られ、ミーヤがふらふらと歩き出そうとする。
「一人で行ったら逸れちゃうよ。手を繋ごうね」
「うん!」
美咲がミーヤの手を取ると、ミーヤが笑顔で美咲の手でぐいぐい引いた。
「というわけで、すみません。ちょっと寄り道します」
苦笑して美咲がミルデたち三人に断りを入れると、三人はそれぞれ笑顔を浮かべた。
「構わないわよ。祭りの時期は色々里じゃ珍しい食べ物も売ってるから、見ていて飽きないわ」
「結構人族領で食べられてるものも売られてたりするんだよ」
「魔族の他の村や街の郷土料理が売られていることもあるので、私は逆にそれがいつも楽しみなんです」
結局美咲とミーヤだけでなく、ミルデ、マルテル、リーゼリットも屋台を覗くことにしたようだ。
おもむろに魔物使いの笛を吹いたミーヤが、ペットたちを呼び寄せた。
魔物使いの笛はこのように、野生の魔物の他に、応用で既にペットにした魔物を呼び寄せるのにも使える。ミーヤがペットたちと合流するまでの間、魔物使いの笛を吹き続けていたのはそのためだ。
さすがにバルトのような、極めて高い知能と自我を持つ魔物は来ないけれど。ちなみに、知能と自我の発達度合いは魔物の強さとは全く関係が無いので、ゴブリンであるグモも笛の音に誘われて出てくるようなことは無い。
彼らを仲間にしたいと思うなら、笛に頼らず、自力で仲を深めるしかないのだ。
そういう意味では、美咲たちは運がいいと言えるだろう。
本来ならば到底仲間にするのが無理なバルトを、ブランディールの酔狂で仲間に加えることが出来たのだから。
屋台や露天を冷やかしつつ、美咲たちはバルトが休む広場へたどり着いた。