二十一日目:ピエラ祭り1
美咲が呆然と里長が出て行った店の扉を見つめていると、苦笑を浮かべてミルデが美咲に話しかけてきた。
「ごめんなさいね。里長は気難しい上に疑い深くて、ちょっと面倒な人なのよ。まあ、そのおかげで里の平穏が保たれてるっていうのも、あながち間違いじゃないんだけど」
「何というか、ご老人なのに、凄く矍鑠とした人でしたね」
「そうなのよ。比較的長寿な魔族の中でもかなりお歳を召した人でねぇ。根は悪人じゃないから、なるべく嫌わないで欲しいわ」
「それは構いませんけど、既に私の方が嫌われている気がひしひしとするんですが」
難易度が高そうなミルデのお願いに、美咲は微妙な笑みを浮かべた。
ぷんぷんと、いかにも私怒ってますよ的な表情を浮かべたミーヤが、鼻息荒くまくし立てる。
「あの人酷いよ! お姉ちゃんとミーヤをスパイ扱いしてさ! ミルデも話合わせてるだけで訂正してくれないし!」
「えっ! そんなことになってたの!?」
聞かれることを考慮していない早口での魔族語だったので、全く話の内容が分からなかった美咲は、ようやくあの里長が自分たちに敵意をぶつけていた理由に気付き、愕然とする。
「あら、気付いてたの? ああ、そのサークレットのお陰だったわね。仕方ないのよ。ああ言わないと、あの人機嫌悪くして臍曲げちゃうから」
子どもか。
もう少しで、美咲はそう突っ込みが口を突いて出そうだった。
歳のくせして大人気ないというか、里長はなんともいえない付き合い辛さを持っているようである。
これはこれで、ミルデも大変なようだ。
もしかしたら治療院を開いているマルテルも、それなりに苦労しているのかもしれない。
(後で聞いてみよう)
どうせ後数日は定期的に傷の治療のため通う必要があるのだから、マルテルとリーゼリットの兄妹とは嫌でも顔を合わせることになる。
幸い美咲とミーヤはマルテルとリーゼリットとそれなりに仲の良い関係を築けているので、話の種にはなるだろう。
「それで、何か忘れ物?」
「あ、そうでした」
里長のインパクトですっかり当初の目的を忘れていた美咲は、ミルデの両替屋に戻ってきた目的を果たすために、早速ミルデに尋ねることにする。
「お祭りの間、里中が騒がしいですけど、大丈夫なんですか? ここ、隠れ里なんでしょう? 音でばれたらまずいんじゃ」
「なるほど。心配はもっともね。でも大丈夫よ。隠れ里には元々姿隠しと遮音、探知妨害の結界が張ってあるから」
美咲が戻ってきた目的に得心がいったミルデは、微笑んで説明する。
(やっぱり良い子よねぇ。魔族に憎悪を募らせてるような感じもしないし。っていうか、これってどう見ても、私に懐いてるわよね、この子。これが演技だったら、世紀の大女優だわ)
ミルデの目には、美咲がいくらか鍛錬を積んでいることも、腰に穿いている剣が二つとない値打ちものであることも、全てお見通しだった。
それだけ見れば確かに里長が危惧する通り怪しさ満点なのだが、スパイというには態度がおかしいし、そもそも状況がおかしい。
竜に乗ってやってきたのもそうだし、最近里に受け入れたゴブリンと顔見知りというのも変だ。それも、敵対しているのではなく、むしろ友好的な雰囲気で、ゴブリンの家に寝泊りしている。魔族ならばともかく、人間としては有り得ない。もちろんゴブリンの方も、脅されているのではなく、本心の好意から受け入れている。
(異世界人であることは間違いないのよね。魔法を無効化するのは確かなんだし。なら、魔族や魔物にも分け隔てなく接するのは頷ける)
魔族や魔物と仲良くする人間というのは、この世界で生まれ育った魔族から見れば、信じられないことなのだ。
一部の魔物を魔族の道具を奪って手懐ける人間は、確かに存在する。しかし、ゴブリンのような曲りなりにも人間並みの知能を持つ魔物や、それこそ魔族と友好を結ぶというのは、両者の常識からして有り得ない。
友好的な裏で、お互いにナイフを構えて寝首を掻こうとしているという方が、物凄い説得力があって納得してしまうくらいだ。
(……魔王に挑むとか、馬鹿なことも考えているしね)
馬鹿なこと。正しく馬鹿なことだ。魔族の間において、魔王は生ける伝説そのものなのだ。実力者揃いの魔族の中にあってなお一騎当千、その魔力は天を突き、一度魔族語を口ずさめば、破壊の嵐が吹き荒ぶ。
戦争初期には人族の猛者たちの多くが魔王に挑み、全員一太刀すら浴びせられずに儚く散ったという。それ以来、人族連合軍でさえ、魔王との直接対決を避けているくらいなのだ。
(この子、魔王がどれくらい強いのか、分かってるのかしら。魔族は基本的に実力主義なのよ。強ければ強いほど出世する。軍団長よりも位が上の魔将軍なんかは良い例よね)
魔王に次ぐ実力者として権力が与えられているのが、魔将軍だ。
単独行動権限を持ち、軍の指揮官も彼らに対しては命令ではなくあくまで要請という形を取ることしか出来ない。彼らに命令を下せるのは魔王のみであり、それ以外は基本的に自由裁量が認められている。
(でも、実際に蜥蜴将軍が倒れてるらしいし。あんな化け物を、異世界人とはいえ、こんな非力そうな人族の女の子が、良くもまぁ倒したものだわ)
実は蜥蜴将軍が倒れるよりも前に、魔将軍は一人ベルアニア第二王子によって倒されている。
だがそれは、ベルアニア第二王子が、部下に恵まれ、己も天賦の才に愛された、いわば人間版魔王とでもいうべき存在だからだ。その名声は高く、彼ほど勇者と名乗るに相応しい存在は居ないだろう。もちろん魔族からは蛇蝎のごとく嫌われている。
(里長の奴、旅に同行して見張れとか無茶苦茶だわ。ああ、今から考えるだけでも胃が痛い。ただでさえ、旅商人のことで面倒になりそうなのに)
幸いなのは、旅商人の件に関しては、美咲とミーヤが協力してくれていることだろうか。
この点だけ鑑みても、ミルデには美咲とミーヤが普通の人族とは違うということが分かる。
「あの、これ、もしかしたら聞いちゃいけない質問かもしれませんけど、うっかり知らないで近寄って、万が一消してしまったら大変だと思うんです。結界の基点とかがある場所を、教えてもらえませんか?」
美咲の質問に、ミルデは押し黙った。
理屈は分かる。確かに、知らないで触れてしまうということはありそうだ。なまじ、結界の基点は見つからないように偽装されているから、余計に。
しかし、里長が納得して許可を出してくれるだろうか。
(多分、無理よね……)
むしろ、余計に間諜の疑いを深める可能性が高い。
「さすがにそれは無理だと思うわ。でも、美咲ちゃんの言うことはもっともよ。だから、場所は教えてあげられないけど、私が同行して、それとなく注意しておくわ。危ないと思ったら、止めてあげるから。祭りはあなたとミーヤちゃんだけで見て回るの?」
「いえ、マルテルさんとリーゼリットと一緒に見る予定です」
「じゃあ、マルテルのところに今から行きましょうか」
「ありがとうございます、ミルデさん」
ホッとして、美咲はミルデに礼を言った。
場所を教えて貰えなくても、それなら十分だ。
■ □ ■
治療院に着くと、玄関前には達筆なベルアニア文字とややぎこちない魔族文字らしき文字で、「本日休業。急患はマルテルかリーゼリットまで」という張り紙が扉の前に貼ってあった。
祭りとはいえ、里唯一の治療院まで休んでしまうことに、美咲は驚きを飲み込んで張り紙を見つめる。
(向こうじゃ考えられないわよね……)
開業医ならばともかく、総合病院などでこんな張り紙がしてあったら、物凄く問題になるに違いない。
(でも、命を扱う大事な仕事とはいえ、向こうは向こうで休まなさ過ぎな気もする)
この世界の人間に比べ、美咲の世界の人間は勤勉だ。この世界の時計が不正確で、全体的に時間にルーズだということもあるかもしれないが、こうして異世界に放り出されてみると、自分の身に危険が差し迫っているわけでもないのに、仕事に追われるかのように生活している元の世界の大人たちの姿は、美咲の目には異様に映る。
(……それでも私は、あの世界に、帰りたい)
これだけは、譲れない。
たくさんの未練を、あの場所に置いてきた。取り戻さなければならない。こんな理不尽に膝を着くなど、美咲は真っ平だ。正面から歯向かって、抵抗して、最後は笑って去りたい。その方が、きっと後悔しないで済む。
「こんにちは、マルテル。美咲ちゃんとミーヤちゃんの付き添いで、迎えに来てあげたわよ」
ミルデは治療院の中にずかずかと入り込むと、無遠慮に言い放った。
治療院の中は薄暗く、二階へと続く階段の上から明かりがこぼれているのを見ると、おそらくマルテルとリーゼリットの兄妹は、二階にいるのだろう。出かける準備をしているのだろうか。
しばらく待っていると、マルテルがリーゼリットを伴って降りてきた。
「おや、ミルデちゃんも一緒なのかい」
「あの、こんにちは、です」
いつもどおりの穏やかな微笑みを浮かべたマルテルの後ろで、顔を赤くしたリーゼリットがこそこそと兄の背に隠れるようにして顔だけ覗かせ、挨拶する。
(か、可愛い……)
なまじリーゼリットの容姿が整っているために、恥ずかしがるその姿はなんともいじらしく、庇護欲をそそる。
「ちゃん付けはやめなさい、ちゃん付けは」
決して実年齢を口にはしないが、魔族なので見た目通りの年齢ではないミルデが何とも言えない表情になる。
美咲はリーゼリットと目を合わせ、にこりと微笑んだ。
「おはよう、リーゼリットさん。今日はよろしくね」
「はい、よろしくお願い、します」
目を合わせたとたんみるみる頬を紅潮させたリーゼリットは、かろうじてそれだけ口にすると、完全にマルテルの背中に引っ込んでしまった。
「ははは、済まないね。これでも、昨日の夜は同年代の女の子と遊ぶのが楽しみだったみたいで、凄く騒いでたんだよ」
「お、お兄ちゃんそれ言わない約束……!」
秘密にしたかったことをいきなり実の兄にばらされたリーゼリットが、顔を真っ赤にさせてマルテルを睨んだ。
精一杯怒った表情をしているものの、目が潤んで眉も下がっているので、迫力は全く無い。
「そうだったっけ? ごめんごめん」
マルテルも全く反省していないようであっけらかんとしている。
「そんなところに居ないで、リーゼリットも前に出なさい」
隠れるリーゼリットを、マルテルが美咲たちの下へと引き摺り出した。
上がり症でかちんこちんに固まるリーゼリットの前に、ミーヤが小さい身体で仁王立ちする。
「ミーヤはね、ミーヤっていうの! よろしく、リーゼリット!」
「よ、よろしくね、ミーヤちゃん」
さすがに見るからに自分よりも年下のミーヤに対してはそれほど緊張しないらしく、やや硬いながらもリーゼリットは笑顔を浮かべた。
「こら、年上を呼び捨ては失礼だよ。リーゼリットさん、でしょ」
「ごめんなさーい」
礼儀を嗜める美咲を、リーゼリットが止めた。
胸に手を当てて深呼吸し、気を落ち着かせてリーゼリットは言った。
「いいんです。堅苦しいの、苦手ですから。美咲さんもどうかリーゼと呼んでください。愛称なんです」
どもっていたさっきまでと比べ、滑らかに言葉を発したリーゼリットは、「よし、今度はちゃんと普通に言えた」とばかりに小さく拳を握った。本当に、リーゼリットは人前が苦手らしい。
「そうなの? じゃあ、リーゼって呼ばせてもらうね。なら私も呼び捨てでいいわよ。……えっと、同い年、よね?」
少し自信なさげに、美咲はリーゼリットに問いかけた。
見た目は同年代っぽいのだが、魔族は外見と実年齢に開きがあることを、美咲はミルデの発言から察している。だから魔族と同じ外見のリーゼリットの実年齢を、マルテルの妹だということを知っていても図りかねたのだ。
「たぶん、そうだと思います。私、こんな見かけですけど、一応身体の作りは人間と同じですから。外見年齢と同じ、十六歳ですよ」
「あ、そうなんだ。じゃあ、私と本当に同い年なのね。よろしく、リーゼ」
「こちらこそ、よろしく。美咲」
美咲とリーゼはお互いの名前を口先に乗せて転がすと、くすぐったそうに笑い合った。