二十一日目:騒がしい朝1
異世界で過ごす二十一日目の朝は、ミーヤに起こされることから始まった。
「今日はお祭りだよ、お姉ちゃん! 凄いよ! お祭りの音が家の中にまで聞こえてくる!」
ミーヤは目をキラキラと輝かせて、興奮した面持ちで美咲の腕をぐいぐいと引っ張っている。
「ちょっと待ってね、今起きちゃうから。顔はもう洗った?」
「まだ!」
無駄に元気良く、何故か自信満々にミーヤが答えた。
気が早いミーヤに苦笑しつつ、美咲はベッドから起き上がり、靴を履いた。
基本的にはベッドの上以外では靴は必須だ。この感覚は、元の世界での西洋の常識に共通するものがあるかもしれない。
「じゃあ、洗面所で一緒に顔を洗おう」
「うん!」
美咲とミーヤは寝泊りさせてもらっているグモの家の洗面所を借り、洗顔を済ませた。ついでに水瓶に新しい水を魔法で補給しておく。美咲は異世界人の体質のせいで使えないので、自分の分だけは別途井戸で汲んでくる必要があるものの、こういう時魔法は便利だ。
部屋に戻って着替え、居間に向かう。
居間から台所を覗くと、グモが台所で朝食の準備をしているのが見えた。
「おはよう、グモ」
「おはよー! 今日はお祭りだねっ!」
グモに挨拶をすると、美咲の真似をしてミーヤも元気良くグモに挨拶した。
振り向いたグモは、美咲とミーヤの姿を見ると、ゴブリン顔いっぱいに笑顔を浮かべた。
「おはようございます、美咲さん。ミーヤちゃんも、おはようですな」
台所の上に並ぶ皿には、虫の姿は無く普通の野菜や火で炙ったベーコンが並べられている。異世界の野菜なので見た目と色の不一致に違和感があるし、肉も何の魔物の肉かという問題があるものの、虫よりかはよほど良い。
(……今日はゲテモノを食べる必要は無さそうね。良かった)
好物としているミーヤには悪いが、グラビリオンを始めとする虫型魔物を食べなくて済むことに、美咲はホッとした。
居間のテーブルの上のバスケットに積まれたパンも、ふすまが多そうな黒パンだが、食べられるだけマシであることを美咲自身痛感しているので、特に文句は無い。召喚された当初なら文句たらたらだっただろうけれども。
「あれ? 今日はグラビリオンは無いの?」
「昨日の夜に残っていたのが最後でしてな。申し訳ない」
(むしろそれでいいのよ!)
密かに拳を握る美咲である。
「ちぇ。仕方ないかー」
ミーヤはグラビリオンに未練があるようで、不満そうな表情をしている。
それでもすぐに祭りのことで頭がいっぱいになったのか、笑顔になってグモにまくし立てた。
「聞いて聞いて! 今日ミーヤね、お姉ちゃんとお祭り見に行くの!」
「それは良かったですな。わしも里の祭りは始めてですし、楽しみにしておりますぞ。まあ、行けるのは午後からですが」
話しかけてくるミーヤに答えながら、グモは朝食を台所から居間に運ぶ。
三人分の食器を運ぶのはグモ一人で、大変そうだったので、美咲は手伝いを申し出た。
「私もやるよ、グモ」
「ありがとうございます。では、お願いしますぞ」
グモが持ちきれなかった分を美咲が持ち、居間に運んでいく。
その隣を、ミーヤがうろちょろと移動する。
「お手伝い、ミーヤもする!」
「じゃあこれ、テーブルに置いてくれる?」
皿の一つをミーヤに渡すと、ミーヤはしっかりとその皿を抱えて居間に運んでいった。ちなみにミーヤが運んでいるのは、グモ特製のグリーンサラダだ。
ターネやメメト、タネルにチョンローといった野菜の数々を特製のドレッシングで和えたもので、見るからに美味しそうである。ドレッシングはグモの手作りらしい。
ちなみに美咲の世界で似た野菜を挙げるなら、ターネはたまねぎ、メメトはトマト、タネルはレタス、チョンローは胡瓜が該当する。ただまあ、色など微妙な差異は割と多いので、全てが全て同じではない。
美咲が運ぶのはスクランブルエッグにエンデル芋とベーコンのソテーを乗せた皿だ。
(この卵とベーコンもきっと魔物の卵と肉なのよね……)
皿をテーブルに並べながら、美咲は心中一人ごちる。
台所に転がるダチョウの卵くらいの大きさの殻はきっと気のせいだ。やたらとスクランブルエッグの量が多い気がするのもきっと気のせいだ。美咲はそう思うことにする。
こうして朝食になって出てくるのだから、食用に適している卵なのだろう。
(……食中毒とか、無いよね?)
火を通してあるのだから大丈夫だと思いたい美咲だが、異世界であるという認識が邪魔をしてしまい、いまいち安心出来ない美咲だった。
朝食を盛った大皿と、人数分の取り皿を全員でテーブルに並べ終え、美咲たちはそれぞれ席に着く。
本日の朝食のメニューはスクランブルエッグにエンデル芋とベーコンのソテー、グリーンサラダ、黒パンだ。
ちなみにペットたちは基本的に自給自足である。食べるものがそれぞれ違うので仕方ない。経済的で美咲としては助かっている。
「いただきます」
「いただきます」
元の世界での習慣が口をついて出た。
思わずハッとして口を押さえる美咲の隣で、ミーヤが美咲の真似をして手を合わせる。
「今日の糧を与えてくださる女神様に感謝します」
グモは魔族と同じ食前の居に祈りを行った。以前見た時と同じように、その動きは少しぎこちない。
「美味いですぞー!」
早速自分の取り皿に取り分けて食べたグモが、自分で自分の作った料理を自画自賛している。
(……お祭りか。私も、少しだけなら、楽しんでもいいよね?)
心が浮かれる自分に若干の後ろめたさを感じながらも、美咲は今日だけは童心に返ることを自分に許すことにした。
今日も一日が始まる。
■ □ ■
朝食を終えると、すぐにミーヤが騒ぎ出した。
「お祭り行こうよ、お姉ちゃん! ほら行こう! すぐ行こう!」
ぐいぐい手を引っ張ってくるミーヤの表情は好奇心でキラキラと輝いていて、美咲は苦笑しながらグモに外出を告げた。
「というわけなので、私たち、ちょっと出かけてきますね」
「楽しんでくるといいですぞ。わしも、仕事が終わったら祭りを楽しみますわ」
グモの台詞で後片付けを失念していたことに気付いた美咲は、慌てて申し出る。
「あっ。それくらいやってから行きますよ。ミーヤちゃんもそれでいいでしょ?」
「やだー! 今すぐ行きたい!」
「もう。我侭言わないの」
「やーだー!」
駄々っ子モードに入ったミーヤは美咲の胴体に飛びつくと木の幹に留まる蝉のように両手両足で抱き付き、身体全体で拒否を表現した。
ごねるミーヤに美咲が困惑していると、グモが堪え切れないかのように笑い出した。
「片付けくらいワシ一人で十分ですから、美咲さんはミーヤちゃんと一緒に一足先に楽しんできたらどうですかな」
「……すみません。じゃあ、お願いします」
「やったー!」
ミーヤ蝉はみさ木から飛び降りるとその場でピョンピョン飛び跳ねて喜んだ。どうやら空は飛べないらしい。
「お祭り楽しもうね、お姉ちゃん!」
小言を言おうか迷った美咲だったが、無邪気なミーヤに、美咲も毒気を抜かれる。
「そうだね。楽しもうか」
苦笑を浮かべ、美咲はミーヤの手を取った。
「えへへ。お姉ちゃんとお出かけー」
にまにましているミーヤは心底嬉しそうで、美咲は少し不思議に思ってしまう。
(変なの。いつも一緒なんだから、普段から二人で出歩いてるのに)
「行ってきまーす!」
「行ってらっしゃい。楽しんでくるんですぞ」
玄関から外に出たミーヤが、見送るグモに元気良く手を振る。
グモもまた、笑顔で手を振り返した。
外に出ると、聞こえていた祭りの音楽が一際大きくなった。
笛の音、太鼓の音、祭囃子。それらは異世界でありながらどこか美咲の知る祭りの音楽と似ていて、美咲の郷愁が擽られる。
衝動的に泣きたくなってくるのを頭を振って堪えると、美咲は祭りの喧騒が里全体を賑やかにしているのを心配して、憂いを帯びた表情を浮かべた。
(こんなに煩くして大丈夫なのかな。ここ、隠れ里なんだから見つかったらまずいんじゃ)
もしかしたら、里の外に音が漏れないように、魔法で遮音でもしているのかもしれない。何か良く分からないもの、大事そうなものにはなるべく触らないようにしようと、美咲は祭りの浮かれた熱気に引きずられて緩みかけていた気を引き締め直す。
(うっかり私が触っちゃって魔法が消えちゃったら大変なことになるだろうし。気をつけないと)
そうと決まっているわけではないが、何がしかの対策はしてあるだろう。そして魔族領の、混血を含む魔族の村なのだから、魔法が多用されていることは想像に難くない。
「とりあえず、先にミルデさんの両替屋に行こうか。例の偽札の件について打ち合わせしておかないと。祭りを楽しむのはその後でもいいかな?」
またごねられたらどうしようと内心戦々恐々としていた美咲だったが、以外にもミーヤは聞き分け良く返事をした。
「うん! ミーヤ、我慢できるよ!」
(さっき我慢できてなかったような気が……)
頭の中に疑問符が浮かぶも、美咲は突っ込まないでおくことにした。ミーヤ本人がそう言っているのだから、わざわざ水を差すこともあるまい。機嫌を損ねてまた駄々っ子モードに戻られても困るのだ。
手を繋いで美咲とミーヤは歩く。
美咲は腰に勇者の剣を佩き、ミーヤは首から魔物使いの笛を下げているものの、それ以外は軽装だ。戦いに行くわけではないのだから、わざわざ重い防具を付けていくこともない。最近は体力がついてあまり気にすることもなくなってきたものの、鎖帷子は結構重いのだ。革製とはいえ、そこに鎧も加わるとさらに重くなる。
両替屋につくと、いつものように扉を開けて中に入る。
「あら、いらっしゃい」
店を開ける準備をしているミルデが、カウンターの向こうから美咲たちを出迎えた。
「今夜の打ち合わせに来ました」
「なら奥へ。ミーヤちゃんもいらっしゃい。お茶菓子もあるわよ」
「行く!」
笑顔を浮かべるミルデに対して、ミーヤは即答だった。
完全にお茶菓子に釣られている。
この世界では甘味類は貴重なので仕方ない部分もある。
ミーヤの食い意地が張っている、という点は否定しきれないけれども。
店の奥の休憩室に移動した美咲とミーヤが、ミルデに勧められて席に着くと、ミルデは茶を淹れる準備を始めた。
「魔法を使えば手軽なんだけど、やっぱりきちんと淹れた方が美味しいから私は好きだわ。終わるまで、これでも食べてて」
ミルデが出してきたのは、ガラスの器に盛られたクッキーの山だった。
「わあい! クッキーだ!」
さっそくミーヤが食いついて、一枚口の中に放り込んだ。
「甘くてサックサクー」
幸せそうに咀嚼するミーヤの表情を見ていたら、美咲もクッキーの味が気になってきた。
(少しくらいなら、いいよね?)
筋肉をつけた関係上、自分の体重が増加していることを確信している美咲としては、甘いものを食べ過ぎて太るのは困る。こんな異世界くんだりに着てまで太るのを心配するのはおかしいかもしれないけれど、美咲とて乙女だ。筋肉で重くなるのならまだ諦めもつくが、脂肪で重くなるのは百害あって一利なし。本当に困る。
(甘い。それに、バターの香りもする)
口の中でほろりと崩れるクッキーは、元の世界のお菓子専門店で売っていてもおかしくない味だった。
材料が手に入りにくいこの世界でここまでのレベルのお菓子を作るミルデを、美咲は密かに尊敬した。
「このクッキー、殆ど砂糖使ってないのよ」
「えっ? そうなんですか?」
驚く美咲に、ミルデは茶の準備をする手を止めないまま告げた。
「グラビリオンを絞ったクリームで代用してるの。美味しいでしょ?」
美咲は急に難聴になった。
(あーあー聞こえない。こんな美味しいクッキーの材料が虫だなんて聞こえない)
現実逃避をする美咲の横で、ミーヤがクッキーの粕を頬につけたまま顔を上げた。
「えっ! グラビリオンを使ってるの!? だからこんなに甘いんだ!」
「そうなのよ。砂糖の代用品になるし、安いし、グラビリオンって良い食材よねぇ」
「きーこーえーまーせーんー!」
耳を塞いだ美咲はテーブルの下に潜り込んだ。
「……ねえ、ミーヤちゃん。美咲ちゃんはどうしたのかしら」
「お姉ちゃん、グラビリオンが苦手なんだって。ミーヤ、頑張ってお姉ちゃんがグラビリオンを好きになれるように努力してるんだけど。お姉ちゃん意外なところで結構頑固だから」
(酷い言われようだわ……)
いくら美味しくても、生理的に駄目なものは駄目なのである。
「こんなに美味しいのにねぇ」
茶の準備を終えたミルデが、人数分のカップに茶を注いだ。
「ほら、美咲ちゃんも出てきなさい。お茶を淹れたわよ」
「……はぁい」
のそのそと、美咲がテーブルの下から出て席に座り直す。
クッキーの材料がグラビリオンだと聞いて、露骨に美咲のテンションが下がっていた。