二十日目:治療院の兄妹1
お昼ご飯はその場でエンデル芋を調理することになった。
休憩所を兼ねた畑の傍の小さな空き地で焚き火を作り、その四隅に平たい石を見繕って積み、ある程度の高さになったところで鉄板を載せる。
次に別の石をまな板代わりに、エンデル芋の下処理をしていく。
皮を剥き、芽を取り、適当な薄さにスライスしていく。
「これ、芽に毒があったりするのかな?」
以前食べた時にはジャガイモのような味だったので、美咲が見当をつけて問うと、グモは笑って首を横に振った。
「いえ、特に毒はありませんぞ。ただ、生命力が強いので一度発芽すると、体内で根を張ってしまうんですわ」
(何それ怖い……)
予想外の答えが返ってきて美咲は震え上がった。
ある意味、芽に毒があってそれに当たる方がまだマシかもしれない。
「根が張ると、どうなるの?」
「栄養分を吸われ、最終的には死にますな」
恐る恐る興味本位で尋ねた美咲は、聞かなきゃ良かったと後悔した。
美味しい美味しいと喜んで食べていた食べ物が、そんな危険な食材だったなんて、美咲は知らなかった。
「私……食べるの止めるわ」
「お姉ちゃんのこと驚かし過ぎだよ。エンデル芋食べて死んだ人なんて、ミーヤ聞いたこと無いよ」
青褪めた表情になった美咲を心配げに見たミーヤは、頬を膨らませてグモに文句を言った。
「へ? そうなの?」
きょとんとした表情になった美咲に、グモが悪びれずに笑い声を上げた。
「はっはっは。少々美咲殿を怖がらせてしまいましたか。芽を取れば無害ですし、すぐに死ぬわけじゃありません。芽下し薬を飲めば治りますぞ。大抵どこにでも売っていますし、もちろん里の道具屋でも扱っていますな」
詳しい話を聞いて、美咲は少し安心した。
危険度で言えば、ジャガイモの芽の毒と似たようなものだろうか。
対処法があるのとないのとでは、危険の度合いに大きく差が出る。
虫下し薬ならぬ芽下し薬とは、さすが異世界である。寄生するのは虫だけではないらしい。
「ささ、今から焚き火に火をつけますからな。少し待っていてくだされ」
グモが木の切れ端に木屑を載せ、木の棒を回して摩擦熱で火をつけようとし始めたので、美咲は不思議に思って尋ねる。
「魔法は使わないの? それ、大変じゃない?」
声をかけた美咲に振り返ったグモは、苦笑して頭をかいた。
「恥ずかしながら、わしには火の魔法の相性が悪いみたいでしてな。使えんのですわ」
どうやら、グモは火の魔法が全く使えないようだ。
人それぞれ、声質や発音の癖等の差によって同じ魔族語でも向き不向きがある。ルフィミア然り、グモ然り、千差万別だ。
「じゃあ私がやるよ」
美咲はというと、特に苦手な属性は無い。主に扱ったことがあるのは火、水、風、土、雷くらいだけれど、どれも問題なく発動した。まあ、魔族語の習熟度そのものが低くて効果が微妙なものも多いが。
「ホォイユゥ」
魔族語を呟き、小さな火の玉を作り出して焚き木の上に落とす。
魔法の火はしばらく焚き木の上に残留し、焚き木をある程度燃え上がらせてから消えた。
本来なら簡単ではない火付けも、魔族語があればそれほど苦労せずに済む。美咲は気をつけないと、うっかり意図せず触って火を消してしまう場合があるのが玉に瑕だ。
鉄板がある程度火で炙られると、グモは鉄板に脂を落とした。何かの魔物の脂だろうか。熱された脂は鉄板の上で溶け、なんともいえぬ匂いを放つ。
そこへ、グモはスライスしたエンデル芋を並べていく。
ある程度焼いて片面に焦げ目がついたら、ひっくり返す。
平行して、一口大に切ったエンデル芋を木を削って作った串に差し、焚き火の傍に刺して焼く。
「そろそろいいんじゃない?」
スライスしたエンデル芋に火が通り、良い塩梅になったのを串でつついて確認した美咲は、グモに声をかける。
「そうですな。では、塩で味付けして食べましょう。串の方はもう少しですな」
「早く食べたーい」
串を待ち切れなさそうに見つめるミーヤに苦笑しながら、美咲はグモが紙に包んだ塩の塊を懐から取り出し、鉄板の上のエンデル芋に削って振りかけるのを眺めた。
「ささ、冷めないうちにどうぞ。熱いので残りの串を使ってくだされ」
グモに勧められるまま、美咲は串焼きに使ったのと同じ串を一本手に取り、鉄板の上のスライスされたエンデル芋に突き刺した。
ほど良く焦げ目がつき、湯気が立つそれを、息を吹きかけながら一口齧る。
「うわっ、ホクホク。美味しい」
たかが芋、調理ともいえない調理法で、ただ下処理をしてカットして焼いて塩を振っただけだというのに、青空の下で食べるエンデル芋はとても美味しく、美咲に衝撃を与えた。
(塩って、最高の調味料かもしれない)
塩のしょっぱさが良い塩梅で、芋のホクホク感とマッチしている。
「串焼きの方もそろそですな。こっちは塩じゃなくて、このグルダーマのモッサムで食べましょう」
続いてグモが懐から取り出したのは、牛型魔物の乳で作ったバターだった。グルダーマが牛型魔物の名前で、モッサムはバターのことである。
「わーい! いただきます!」
さっそくミーヤが一串手に取り、グルダーマのモッサムをたっぷりつけて頬張った。
「美味しいー」
ミーヤは目をとろんとさせて、幸せそうに表情をへにゃへにゃにしている。
そんなミーヤを微笑ましく思いながら見つめた美咲は、自分も頬張ったとたん目を見張った。
(じゃがバターだ……。エンデル芋は黒いから、まるで焼き過ぎて炭になったみたいだど)
保存の観点からか美咲馴染み深いバターの味よりやや塩気が強いようにも思えるものの、舌先で感じるのは間違いなくバターの甘みである。塩を振ったエンデル芋とはまた違った意味で美味だ。
昼食用に取っておいたエンデル芋は、三人で全て食べ尽くした。
ちなみに、言うまでもないことかもしれないが、エンデル芋の串焼きを一番多く食べたのは、やはりミーヤだった。
■ □ ■
午後になり、グモは畑仕事の続きへ、美咲とミーヤは予定通りマルテルの診療所に向かった。
用件はもちろん、美咲の腕の傷を診てもらうためである。
まだ治り切っておらず、毎日包帯を取り替え、消毒をしているから傷口の経過は今までいたって良好だったが、蜥蜴魔将との戦いで踏み躙られたせいか、さすがに少し膿んできた。
このまま放置して悪化してしまったら洒落にならないので、これ幸いと専門家に治療を頼むことにしたのだ。
懸念はこの世界の医者の医療水準がどの程度なのかで、元の世界のような高水準の治療を望むのは高望みであろうことは、美咲にも分かる。
回復魔法が美咲にも効けば簡単に完治できるのだが、こればかりは仕方が無い。不便だけれども、この体質だからこそ、美咲は魔族と戦えているのだから。
(診てもらわないよりはマシでしょ、きっと)
包帯が巻かれた左腕をそっと撫でる。
傷口の上を指が滑ると、ぴりっとした痛みが走った。
この世界に来てから痛みに慣れたというか、鈍ったというか、痛みだけならば行動するのにも大して支障は無くなった。
痛いことには違いないし、無理やり激しい動きをすると相応の苦痛を伴うものの、もうそれで美咲の身体は硬直したり、怯んだりはしない。
(何だか変な感じよね。頭のネジが外れたって言うと、変な表現になるけど)
蜥蜴魔将と死闘を繰り広げている最中、美咲は無我夢中だった。
開いた傷口がある左腕は燃えるように熱かったし、実際自爆魔法で体中が燃え上がっていた。
あの時は確実に、精神が肉体の限界を上回っていたと断言できる。今でも信じられない事実だが、魔法による強化を無効化したとはいえ、三ガート、つまり三メートル近い巨体の敵と真正面から斬り結んで、美咲は一歩も引かなかったのだ。
それも、相手の獲物は、超重量級の大剣であり、武器を含めた重量はかなりの差があったにも関わらず。
実際に、美咲の身体能力は蜥蜴魔将と戦う前と後では明らかに違っている。
以前と比べて走っても疲れなくなったし、バク転や前方宙返りなども難なくこなせるようになった。やろうと思えば、ムーンサルトだって出来る。
もちろん、この世界に来る前の美咲の運動神経では出来なかったことだ。
(まあ、悪くないわよね。今まで出来なかったことが、出来るようになったのは)
魔王討伐という無理難題をこなさなければならない以上、身体能力は高いほど良いことに間違いはない。
「そういえば」
ふと何かを思いついた様子で、ミーヤが口を開いた。
ミーヤはマク太郎に乗って移動している。
己のペットたちが居なければ自分は無力だということをよく理解しているミーヤは、ペットたちと合流してからというもの、必ずマク太郎、ゲオ男、ゲオ美の誰かに騎乗して行動していた。
一番巨体で戦闘能力が高いのは言うまでもなくマク太郎だ。
美咲の世界のホッキョクグマの毛の色を変えてさらに大きくしたような魔物であるマク太郎は、四足の状態でも美咲の背より大きく、その上に乗るミーヤと話すためには美咲はミーヤを見上げなければならない。
いつもはミーヤが美咲を見上げなければならない立場なので、そのことに対して美咲が何かを言うつもりはもちろん無い。
初めてマク太郎と出会った時こそ腰を抜かすほど驚いたものの、こうして仲間になったマク太郎は味方としてとても心強い。ゴブリンの巣になっていた洞窟から人身売買をしていた貴族の館に乗り込んだ時も、マク太郎が敵の殆どを惨殺していたほどである。
ホッキョクグマでさえ、噛む力、打撃力共に、陸上の捕食動物の中で最大級だったのだから、それをさらに強力にしたような魔物であるマクレーアが恐れられるのも、頷ける話だ。
ゲオルベルはマクレーアと比べれば大きくはないが、ゲオルベルとて決して小さいわけではない。美咲の世界に生息するライオンを少し上回る程度の大きさで、美咲の常識で言えば十分大型肉食獣に分類される。
しかしマクレーアもゲオルベルもこの世界の常識では中型魔物に分類されるのだから、異世界というのは侮れない。
この世界の大型魔物はドラゴンやベルークギアなどの、もはや歩く災害的な魔物になってしまう。
ベルークギアの幼生体であるベル、ルーク、クギ、ギアの四体が成体になれば、バルトと合わせてそれこそ美咲とミーヤだけでも魔王城に突撃できそうな気がするものの、幼生体のうちはどうしようもなく弱いので、無理はさせられない。
ちなみにベウ子たちは留守番だ。彼女らは現在ベウ子を含めて三匹しか居ないので、仮の住まい作りに忙殺されている。
「マルテルおじさんの妹さん、今日は会えるかな?」
ワクワクを隠し切れない表情で、ミーヤが美咲に尋ねる。
ミーヤが言うマルテルの妹というのは、先日マルテルの診療所を尋ねた時、風邪を引いて床に臥せっていたということで、会わなかった人物である。
今日なら多分会えるとマルテルが言っていたことを覚えているらしく、ミーヤはそれが楽しみなようだ。
まあでも、気持ちは分からなくも無い。何しろこの隠れ里は混血と魔族が殆どで、人間はマルテルを除けば偽札をばら撒いている疑惑のある旅商人のみである。同じ人間として、ミーヤはマルテルの妹がどんな人物なのか、気になるのかもしれない。
人間でありながらこんな魔族領にある隠れ里に住んでいるのだから、間違いなく何かの事情持ちだろう。
「会えるでしょ。昨日、マルテルさんは風邪自体は殆ど治ってるって言ってたし」
話しているうちに診療所についたので、美咲は診療所の扉を開けた。