二十日目:グモの畑仕事3
まずは、グモが用意してくれた畑仕事用の野良着に着替える。野良着については、元の世界でよく見る農家のおじちゃんおばちゃんがしている格好とは結構違う。
グモは長袖のチュニックの下に長ズボンを穿き、靴を履いている。この靴は一応革製ではあるのだが美咲の世界の靴とは違い、どちらかといえば靴と靴下の中間のような作りをしていて、柔らかめの作りになっている。靴底が補強されており、作業すること自体には支障はない。
女性用の靴も似たような作りだ。靴や服装に関しては、魔族も人族もあまり変わらないらしい。
魔族も人族も種族的にお互いが反目していながら、文化が影響を与え合っている。その殆どが略奪品や奴隷を通じて齎されるというのは皮肉という他ないけれど。
この世界で農業に従事する男性は、皆大体がグモのような服装をしているようだ。少なくともこの隠れ里では、グモと似たような服装しか見ない。
美咲とミーヤのために用意された服は、チュニックではなく、長袖のシャツに長スカートだった。美咲としては、現代の野良着のイメージが強かったので、全く違う服装に少し戸惑う。
もっとも、服装が違うのは当然の話で、異世界であるという事実を差し引いても、日本の野良着は和服が変化して出来たものなので、ルーツが違う。大本となる服装が違うのだから、異なるのは当然だ。
ちなみに、グモ本人のものとは違い美咲とミーヤのため、野良作業用に手袋が別に用意されていた。
「今日はエンデル芋の収穫ですな。こちらです。案内しますぞ」
現在の季節は秋で、ちょうど収穫の季節を迎えている。
まだ皆が居た頃はもう少し温かく、長袖が必要な日もあれば、半袖がちょうどいい日もあったのだが、この隠れ里に来てからは肌寒い日が続いている。
ただ、天気そのものは晴れで日差しが差すところならばまだまだ温かい。北風が吹くと少々寒く感じることもあるけれど。
案内されてやってきた畑では、植えてある芋のものらしき蔓と葉っぱが元気に繫茂していた。
エンデル芋は、かつて美咲も食べたことのある芋だ。個体差があるものの見た目はサツマイモのように細長いものが多く、色はサツマイモが紫色をしているのに比べ、かなり黒色が強い。
ただし、味はむしろサツマイモではなくジャガイモに近く、サツマイモほどの甘みは無い。主な調理方は、ジャガイモと同じように焼いたり、茹でたり、または揚げたりだ。
「こいつはあちこちに根を伸ばしますからな。何処に芋がついているか分かりませんので、出来るだけ素手か移植ごてで優しく掘るようにしてくだされ。一応、スコップも用意しとりますが。ああ、ミーヤちゃんは小さめのこての方がいいですかな」
グモが一度納屋に戻り、ミーヤ用の移植ごてを手にして戻ってくる。
他にもグモは必要な道具一式を用意してきたようで、それぞれ美咲とミーヤに渡してきた。
「これ、使っていいの?」
「もちろんですぞ。ミーヤちゃんは非力でしょうしな。美咲さんも、状況に応じて移植ごてを使って構いませんぞ。まあ、わしは素手で十分ですが」
二人に道具の使用を勧めるグモの手は、自信が窺える発言の通り、ごつごつとしていて皮膚が岩のように硬くなっている。
これはゴブリンの特徴だ。硬いといっても一部の魔族のような刃物すら通さない域ではなく、人間の皮膚と比べて頑丈だという程度に過ぎないが、畑仕事をするには便利であることに違いはない。
(私はどうしようかな……グモの言う通り、基本移植ごてで、見つけたら素手で掘ればいいか)
考える美咲と、移植ごてを手にワクワクしている表情を隠そうともしないミーヤの目の前で、グモが手本を見せる。
素手でグモは畑の一部を掘り返し、蔓を辿ってエンデル芋を掘り当てる。
場所の検討がつくと、繊細な手つきで周りの土をかき分け、腰に巻いたベルトの鞘から園芸用の鋏を抜いて、蔓を切って収穫する。
収穫した芋を、グモは美咲とミーヤに見えるように掲げた。
「基本はこの繰り返しですな。大体これくらいの大きさの芋が手頃です。これより小さい芋はまだ未熟な場合が多いですから、残しておいてくだされ」
「分かったわ。やってみる。私たちも行こう、ミーヤちゃん」
「うん! ミーヤ頑張る!」
美咲とミーヤは見様見真似で腰にベルトを巻き、ベルトにそれぞれの鞘を吊るし、それらの鞘に園芸バサミと移植ごてを納める。
「これ、便利だね。道具の置き場所にも困らないし、鞘に納めておけば両手が開くのもいい」
興味深げに自分の格好を見回す美咲に、グモが恥ずかしそうに頭をかいた。
「移植ごての鞘はわしの手作りでして。本来は鞘なんてないのですが、すぐ置き場所を忘れてなくしてしまうもので、自作したんですわ」
「あはは。私も忘れっぽいところあるから、他人事とは思えないや」
苦笑して、美咲は手袋を嵌め、ミーヤと芋掘りに取り掛かった。
■ □ ■
芋掘りは思いの外楽しかった。
無心になってする作業は、僅かなりとも、多くの喪失を経験して疲弊した美咲の精神に、安らぎを齎した。
(……何だか、小学生の頃を思い出すな。学校の敷地内に畑があって、季節ごとに野菜を植えてた。芋の他にも、トマトとか胡瓜とかゴーヤとか、色々収穫した記憶がある)
作業に従事しているうちに、美咲はまだ自分が小さかった頃のことを状況に重ね合わせた。
(ちょうど、ミーヤちゃんと同じくらいの年齢だったっけ)
作業自体は自由参加だったので、いつも大して人数が集まらず、担当の先生と一緒に生徒数人でへいこら言いながら収穫したものだ。
当時の美咲にとっては結構な重労働だったけれど、収穫物をどっさり貰えるので、美咲は毎回欠かさず参加していた。
別に食い意地が張っていたわけではない。いや、皆無と言うと嘘になるかもしれないけれど、それよりも母親に収穫物を渡して褒められるのが、美咲には嬉しかったのだ。
(……お母さん)
切ない郷愁が、美咲の胸を突き上げる。それでも、今までと比べると、感情の動きが、少し薄い気がした。
時間の流れは残酷だ。良くも悪くも、全ての物事を平等に風化させてしまう。悲しい出来事による心の傷を時間が癒してくれるように、かけがえの無い思い出を通して呼び起こされる喜びも、少しずつ錆び付いていく。そして最後には、「ああ、そんなこともあったな」程度にしか、感慨を抱けなくなるのだ。
帰りたいという願いが消えるのが、美咲は怖い。それは、美咲にとって、帰還を諦める、ということでもあるから。
この世界に留まれば留まるほど、しがらみが増えていく。それは魔王を倒すという意味では悪いことばかりでもないものの、元の世界への未練を残す美咲にとっては、最後に痛みを伴うことが確定しているしがらみだ。
心を許せば許すほど美咲の中でその存在は大きくなって、別れ難くなる。
それでも、美咲の帰りたい世界は、あの平和で退屈な世界なのだ。
(頑張らなきゃ)
滲みかけた涙を服の袖で乱暴に拭う。
今は目の前のことに集中すべきだ。つまり、芋掘りである。
(……何やってんだろ私)
畑の真ん中でしんみりしてしまった美咲は少し恥ずかしくなって、誤魔化すかのように作業に没頭する。
そんな美咲に、ミーヤが突進してきて抱きついた。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん! ミーヤね、こんなに大きなお芋さんみつけたよ!」
きらきらと目を輝かせるミーヤの手には、かぼちゃかと思うくらい大きなエンデル芋がある。もちろん、比較対象はハロウィンとかでよく見る、大きい品種のかぼちゃだ。
もちろんミーヤの筋力では持ちきれずに、引きずって畑に跡を残している。
本来のエンデル芋はサツマイモに似た細長い形なのに、このエンデル芋は、中央が大きく膨らみ過ぎて丸くなってしまっている。
しかも、大きさそのものがまず大きい。ミーヤが小さいということを差し引いても、かなりの大きさだ。
「凄いね……。こんなのもあるんだ……」
演技でもなんでもなく、本当に驚いた美咲は、絶句してミーヤが引きずるエンデル芋を眺めた。
「えへへ。ミーヤ、偉い?」
「うん、偉いよ」
「やった! ミーヤ褒められちゃった!」
褒める美咲に喜ぶミーヤを、グモが好々爺のような眼差しで見つめる。
「本当に、歳の離れた姉妹のようですなぁ」
その間も、グモは慣れた手つきで芋を掘っていた。既に、彼が掘った芋は、美咲とミーヤの分を合わせた数よりも多い。
「よし、じゃあ、私たちもグモに負けないくらいどんどん掘ろう!」
「うん! ミーヤ頑張る!」
美咲とミーヤは手を組んで、グモに負けじと芋掘りに精を出す。
結果として、三人で収穫した芋は、結構な量になった。
「いっぱい取れたねー」
「お二人ともお疲れ様でした。豊作ですな」
芋の山に目を丸くするミーヤの横で、グモは上機嫌だ。
「ちょっと、掘り過ぎちゃったかな。夢中になっちゃった」
「構いませんぞ。貯蓄分が増えますし、いざとなったら行商人に売ってしまえば現金化できますから」
三人のうち、やはり一番多く芋を掘ったのはグモだ。
やり慣れている上に、素手なので芋を傷付ける心配もなく、どんどん芋を掘り当てて加速度的にグモの収穫速度は増していた。戦った時に比べると、農業をしている時の方が、グモは生き生きしているように美咲の目には映る。
もしかしたら、グモは戦うよりもこうして働くことの方が性に合っているのかもしれない。
さすがの手際の良さを見せるグモに比べて、美咲とミーヤは芋を探す手つきが恐る恐るなので、掘り当てた量は少ない。
しかし、美咲とミーヤの二人で比べるならば、収穫した芋の数は僅差でミーヤの方が多かった。
ただ、丁寧に芋を傷付けないように掘っていた美咲に比べ、ミーヤはまだ幼いせいか思慮が足りない時があり、掘っている時にいくつか移植ごてを芋に当ててしまい、傷をつけてしまっている。
もっとも、非力なミーヤなので、当てても傷がつかないことも多く、傷がついたのは数えるほどだ。
傷がついたものは、優先して消費すればいいだけなので、大した問題ではない。
「そろそろいい時間ですし、お昼にしますかな」
首から下げたタオルで汗を拭きながら、グモが言った。
太陽は既に真上に上がっている。
昼休憩を取るにはちょうど良い頃合だ。
「ミーヤ串焼きがいい!」
「ハハハ、本当にミーヤちゃんは串焼きがお好きですな。ですが、今日の昼はこのエンデル芋ですぞ」
「ええー……」
露骨に残念がるミーヤに、美咲は苦笑しながら提案する。
「お芋の串焼き、作ってあげようか?」
「本当? やったー!」
三人は持参した籠に芋を詰め始めた。