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美咲の剣  作者: きりん
五章 変わらぬ営み
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十九日目:今は恋よりも2

 唇を真一文字に引き結んで俯く美咲を見上げたミーヤは、美咲が何を考えているのか、何となく察していた。


(お姉ちゃん、また思い詰めてる)


 ミーヤは美咲のことが心配だった。美咲が思っている以上に、ミーヤは聡明だった。表情を窺えば美咲の心情を推し量ることなど容易い事だったし、そもそも他人の顔色を窺うことは、花売り時代に鍛え上げられたミーヤの得意技だった。

 特にそのことについて、ミーヤは何も思わない。そうしなければ生き残れなかったから、必死にそうしているうちに、知らず知らずの間に身についていた。ただそれだけのことだ。

 器用に身体の向きを変えたミーヤは、向かい合った状態で、人並みに膨らんでいる美咲の胸をおもむろにむんずと掴んだ。そのままむにむにと手を動かす。


「ちょ、ちょっと! ミーヤちゃん! 何するの!」


 驚いた美咲が顔を真っ赤にして身をよじるが、狭い浴槽の中では身動きが取れず、ミーヤを引き剥がすことは出来ない。

 浴槽から出てしまえば振り解くのは簡単だろうけれど、ミーヤには美咲はそうしないという確信があった。美咲はミーヤに甘いのだ。そのことを、ミーヤ自身も気付いている。気付かないはずがない。

 これほど大切に想われて、気付かない方が、どうかしている。


「一緒に強くなろうよ、お姉ちゃん。ミーヤも、手伝うから」


 身を捩っていた美咲の動きが止まった。


「ペリ丸もいるし、マク太郎もいる。ベウ子もいるし、ゲオ男とゲオ美だっている。ベルもルークもクギもギアだっているし、ミーヤも頑張ってもっと友達を増やすから、皆で強くなろうよ。ミーヤたちが道を開くから、お姉ちゃんは魔王だけを狙って。お姉ちゃんならきっと、魔王を倒せるって、ミーヤ信じてる。ミーヤ、お姉ちゃんとずっと一緒に居たい。二人で一緒に、お姉ちゃんの世界に帰ろう。お姉ちゃんと一緒なら、ミーヤは何処でだって生きていけるよ」


 それは、子どもらしくない、ある意味ではとても現実的で非情な作戦だった。同時にある意味では、とても子どもらしい我侭な作戦だった。

 大切に想っているミーヤにそんなことを言われて、美咲が奮い立たないはずが無い。異世界人であるミーヤを連れ帰れば間違いなく大騒ぎになるだろうけれど、ミーヤが残りたがっているならいざ知らず、お互いが共に居たいと思っているのだから、美咲はそれこそ死に物狂いで何とかするだろう。

 それでも、連れ帰れば今度はミーヤから故郷を奪うことになる。美咲にとって、ミーヤは血が繋がっていなくとも、間違いなく家族だ。そして、そうである以上、美咲は異世界人としてのミーヤが経験するであろう苦悩に目を向けずには居られない。


「でも、私の世界に着たら、ミーヤちゃんは身寄りが無くなっちゃうんだよ。それに、言葉だって違う。こっちの世界と違って、魔法が全く無い世界だから、サークレットとかに頼らずに、自力で覚えるしかないんだよ」


「大丈夫だよ。ミーヤ、まだ子どもだもん。お姉ちゃんの言葉、覚えるよ。ミーヤ、物覚えは良いもん」


 ミーヤは自信満々に胸を張った。

 確かに、外国語を学ぶなら子どもの頃からの方が吸収が早い分有利なのは確かだし、実際に美咲の世界でも、年々英語を学び始める年齢は下がっていっている。

 環境というものは重要で、英語と日本語が乱れ飛ぶ家庭で育った帰国子女が、両方こなせるバイリンガルに育つなど、例を挙げれば枚挙に暇が無い。

 既に高校生である美咲とて、必死に魔族語を覚えた結果、今ではかなりおぼつかない部分もあるとはいえ、それなりに話せるようになり、いくつかは魔法として正しく発動できるようになっているのだから、実際に環境の中に身を置くというのはとても重要だ。ミーヤなら日本語とて、きっと話せるようになるに違いない。

 問題はミーヤの国籍だけれど、これに関しては美咲に出来ることは無い。大人がどうにかすべき問題だからだ。美咲の両親に頼み込んでもどうにもならない可能性を考えると、ミーヤが異世界人である証拠を準備しておくことも選択肢の一つである。

 美咲の身体の奥から、熱が沸き上がってきた。


(……うん。元気出てきた。悲しいことがたくさんあったけど、まだ希望が全部失われたわけじゃない。明るい未来を信じよう。私は生きてる。時間だってある。私はまだ、負けてない)


 多くの仲間を失った。たくさんの心の傷を抱えた。それでも、美咲は死んでいない。ならば、戦えるはずだ。


(皆。私、頑張るよ。だから、どうか見守っていて)


 湯船に浸かったまま、美咲は空を見上げた。

 同じ夜でも元の世界に比べて明かりが少ない分周りは暗く、現実の未来もそれと同じくらい不透明だけれど。

 空の上では、いくつもの星が煌いていた。



■ □ ■



 その日の深夜。

 美咲はグモの家の客間で、今日の出来事を思い返していた。

 隣では、ミーヤが美咲に身を寄せてすやすやと眠っている。

 一つの布団を美咲とミーヤの二人で使っているので、ミーヤには窮屈な思いをさせているのではないかと心配になってしまうけれど、かといって間借りさせてもらっている身でグモに布団を増やせとも言えないし、当のミーヤ本人は美咲と一緒に眠るのを喜んでいるようなので、美咲も何も言わないでいる。


(好きな人、か……)


 昼間に、里の子どもたちと話した話題を思い出す。

 元の世界よりも危険が身近な世界であるせいか、歳の割にこの世界の子どもはませているようだ。

 殆ど人間と同じ姿だが、猫目が特徴的な女の子のラシャ。

 人狼あるいは狼男の姿そのものである、クラムという名の少年。

 背中に蝙蝠の羽を生やし、やや発達した八重歯を持つ、まるで御伽噺に出てくる吸血鬼のような少女、セラ。ただし別に血は吸わないらしい。メメトジュースも嫌いだそうだ。ちなみにメメトとはこの世界のトマトっぽい野菜のことである。色は黄色いが。

 マエトという少年は、肌の一部が所々茶色く鉱石化していた。病気か何かではなく、元からそういう身体で生まれてきたらしい。魔族である母親の特徴を濃く受け継いだ結果なのだそうだ。

 彼に限らず、この世界の人間は、多くが母親の形質を受け継いで生まれてくる。遺伝法則に真っ向から喧嘩を売っている事実だ。元の世界の遺伝学者が調べれば、何かメカニズムが分かるだろうか。現実を直視出来なくて卒倒するかもしれない。

 母親の形質を強く受け継いだのは、クラムが特にそうだが、最後の一人、タクルも特異さでは負けてはいない。

 彼の母親は元の世界のタコやイカのような脊椎を持たない魔族だったようで、子どもであるタクルも人間の姿でありながら、骨を持たずに生まれてきた。

 骨を持たないタクルがどうやって歩行しているのか美咲にはさっぱり分からないものの、異常に身体が柔らかいタクルは、どんなに狭い隙間であってもその柔らかい身体を駆使して入り込む。

 頭も自由に潰せるみたいなのだが、本当にタクルの身体はどうなっているのか、美咲にはさっぱりだ。

 正直、人外ばかりの里であるけれど、それでも優しい人ばかりで、美咲は里の人間たちに深い感謝を抱いている。


(好きな人、か。昔は、友達とそういう話で盛り上がってたりもしたのにな)


 枕に顔を埋め、出そうになるため息を堪える。

 誰某と何某が付き合ったとか、サッカー部の先輩が格好良いだとか、思い出せば必ずと言っていいほど、誰かが色恋沙汰の話題を持ち込んでいた。

 友人に恋人が出来れば全員で応援したし、その恋人が気に食わない奴なら、友人には内緒で陰口を叩いたりもした。

 そんな平凡な日々も、既に失って久しい。

 エルナが生きていた頃は、まだ美咲も平和ボケしていて元の世界の気分を多大に引きずっていたから、エルナとフェルディナンド王子の馴れ初めを興味津々に聞いていたりもしたけれど、そんな余裕はエルナが死んだことで無くなってしまった。

 それからはがむしゃらに走り続けて、魔王を倒すためにはどうすればいいかということだけを考えてきたから、それ以外に思考を回すことなど考えもしなかった。


(ルアンが生きてたら、今頃恋人関係になってたのかな……)


 美咲は、ルアンのことが嫌いじゃなかった。むしろ、好きか嫌いかでいえば、好きな方だったと思う。美咲に色々教えてくれたし、パーティだって組んでくれた。魔王を倒す旅にも同行すると決めてくれた。

 当時からアリシャに懐いていたとはいえ、アリシャには明確に同行を拒否されていたから、心の奥底では美咲は孤独を感じていた。

 告白されたら、きっと受けていただろう。実際には、別れ間際の告白で、結局返答も伝えられずにルアンとの関係は終わってしまったけれど。

 それ以来、美咲は無意識に恋愛事からは目を背けていた節がある。

 大切なものが次々と掌から零れていくのは、自分が弱いせいだと思い、強くなることだけを求めて、ただひたすら努力した。

 その結果、大切なものがまたどんどん増えていって、今度はそれを守るために躍起になり、また奪われた。

 どれだけ強くなればいいのだろう。

 どれだけ失えば魔王に手が届くのか。

 自分が死ぬのはもちろん怖い。けれども、大切な人たちに死なれるのも嫌だ。

 でも、それを乗り越えなければ魔王に届かない。この先、自分がどれだけの屍を積み上げていくのか、美咲は考えるだけで心が折れそうになる。

 元の世界に帰りたいという願いはあくまで美咲自身のためであって、そのために犠牲を出すのは間違っていると、美咲は知っているから。

 魔王を倒すのはこの世界に生きる人間のためになると自分に言い聞かせているものの、あくまで一番の願いが元の世界への帰還である以上、後ろめたさが消えたことは無い。

 犠牲を出すたび、美咲のために誰かが命を落とすたび、託されたものや背負ったもの、皆の願いの重みと、自分の望みの間で、美咲は板挟みになる。

 目的が一致している今は、まだ良い。でも、万が一、皆の願いと自分の願いが決定的に相反してしまい、どちらかを選ばなければならなくなったとしたら。どちらかを選ぶことが、どちらかを捨てることと、同義になってしまったら。

 美咲は、自分の願いを捨てるのだろうか。どんなに焦がれても、望んでいても、自分の願いの方を、捨ててしまうのだろうか。あるいは、それだけのものを、背負ってしまっているのに、それら全てを裏切って、自分の願いを優先してしまうのだろうか。

 答えは美咲自身にも分からない。その時になってみないと、答えなど出ない。一つだけ分かるのは、少なくとも今は、背負っているものを、今更下ろすことなど出来ないということだけ。


(やっぱり、誰かが好きとか、考えられないよ。だって、誰かを好きになっても、また失うことになったら)


 同性の仲間たちだって、死なれたらこんなに辛いのだ。

 本気で誰かに恋をしても、失うことを考えたら、恋なんて今はしない方がいい。

 まあそもそも、今の美咲にそんな人は居ないのだけれど。

 ぐるぐると考えを巡らせたまま。

 やがて、美咲は眠りに落ちていった。

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