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美咲の剣  作者: きりん
五章 変わらぬ営み
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十九日目:今は恋よりも1

 ミルデの両替屋で虫型魔物の選別を終え、お土産にいくつかを譲り受けると、美咲とミーヤはグモの家に帰ってきた。


「ただいまー」


「ただいまー」


 美咲が元の世界での習慣からそう言うと、ミーヤが真似して同じことを言った。

 ミーヤと美咲間ではサークレットの効果が働くので、美咲にはミーヤが実際に「ただいま」と言っているのかは分からない。

 ただ、グモがミーヤの台詞に特別反応を見せていないので、おかしいわけでもないのだろう。

 もっとも、グモの場合はゴブリンなので、そもそも人族の習慣に詳しくないだけかもしれないけれど。


「おや、お帰りなさい、二人とも、風呂が沸いていますぞ」


 玄関に立つ二人を出迎えたグモは、ゴブリン顔を歪めて笑顔を浮かべ、そのまま居間へと先導する。

 どうでもいいことだが、最近、美咲はゴブリンの表情が分かるようになってきた。グモの笑顔を判別したこともそうだし、困っている顔、不機嫌な顔、泣き顔など、よく観察すればグモは結構表情が豊かだ。


(ずっと飼ってると、ペットの表情が何となく分かってくるのと同じ理屈なのかなぁ)


 もしグモに考えがばれていれば本人を微妙な気持ちにさせたであろうことを思いつつ、美咲はマジマジとグモの横顔を見つめる。

 当の本人のグモは、風呂という単語に反応したミーヤに張り付かれており、その対応に追われているので、美咲の視線に気付く様子は無い。


「えっ!? この家お風呂あったの!?」


 ミーヤはよほど風呂に入れるのが嬉しいようで、グモに抱きついてぶら下がっている。

 抱きつかれているグモは対応に困っているようで、ミーヤに触れようとしては何かを躊躇うように手を離している。美咲には分からないけれど、何か葛藤があるのかもしれない。まさか、ロリコンではないと思いたい。

 さりげなく美咲にロリコン疑惑を持たれたグモは、ついに決心したらしくミーヤの胴に手を回して持ち上げた。

 その光景を見た美咲はあることに気付き、目を丸くする。


「あれ? グモ、背が伸びた?」


「ああ、気付かれましたか。とっくに成長期も過ぎているのに、この里に住むようになってから、伸び始めましてな。まあ、それでも里の方々と比べればまだ低い方なんですが」


 片腕でミーヤを抱き抱え、若干照れた様子で、グモが己の頭をかく。

 背丈が小さいゴブリンであるグモだが、分かれてからいくらか背が伸びたようだ。

 以前ゴブリンの洞窟で出会った時には、明らかに美咲よりも背が低かったのに、今は一目では美咲とグモのどちらが低いが判別がつかない。

 今までは先入観で自分の方が背が高いままと思っていた美咲は、それどころかよく見たら体格すらグモに負けていることに気付く。


「わーい! わーい!」


 諸手を挙げて、ミーヤが全身で喜びを表現する。

 がっしりとした寸胴体型のグモは、ミーヤを片腕に抱くのを苦にしない。

 よく見ればグモの上半身は日々の畑仕事のおかげが中々にたくましくなっており、一回りほど大きくなっていた。

 以前美咲が洞窟で戦ったホブゴブリンほどではないが、ゴブリンの中では肉体的に恵まれているといえるだろう。


「狭いですが、風呂は備え付けですぞ。昨日は恥ずかしながら、薪がありませんでな。ほら、夕飯の準備はわしがしておきますから、遠慮せずに」


 風呂に入れるなら汗を流してさっぱりしたいのは確かだったので、美咲は有難く一番風呂をいただくことにした。


「ありがとう、グモ。これ、ミルデさんに貰ったお土産。それじゃあ、私たちはお言葉に甘えるね。行こう、ミーヤちゃん」


 グモに虫型魔物が大量に詰まった籠を渡し、美咲はミーヤに声をかける。

 何やらグモが「おお、ご馳走ですな! では今夜のメインはこれにしましょうか!」などと言っているが、風呂で頭がいっぱいになっている美咲には聞こえない。聞こえていたら、後の阿鼻叫喚は防げただろう。


「うん! ミーヤ、準備する!」


 着替えやタオル、石鹸、髪油などを準備した美咲は、ミーヤを連れてグモの家の浴場に向かった。

 浴場は母屋とは別に作られており、吹き抜けになった土間を歩いた先にあった。

 概観は木の壁と天井で覆われた簡素なつくりで、中に入ると、身体を洗う洗い場と、五右衛門風呂のような樽の形をした浴槽が壁に設置されている。

 風呂場が煤だらけにならないように、点火などは外で行うようになっており、風呂場の窓からは風呂焚き用の薪が外に積んであるのが見える。


「確かに狭いけど、うん。立派なお風呂だね」


 風情豊かな光景に、美咲は大いに満足した。

 さすがにユニットバスやシャワーまでは求めはしない。身体と髪を洗えて、しっかり湯に浸かれるのなら、この世界ではそれだけでも恵まれているのである。そのことを、美咲は今までの旅で過ごした日々で学習している。

 街では湯を貰って身体を拭くのがせいぜいだったし、野宿では水が貴重だったのでそれすら出来なかった。湖や川などがあれば沐浴が出来ると思っていた美咲の目論見は、肉食性の魚型魔物の存在ですぐに打ち砕かれ、見つけてもせいぜい水を汲んでその水で身体を拭く程度が限界だった。

 ある程度魔法が使えるようになってからは、水の確保にもそう困らなくなったけれど、やっぱりできるのは湯や水を浸した布で身体を拭く程度だ。お風呂のような設備を持ち運びできるようになったのは、装甲馬車を買ってからで、それすらろくに使わないまま、美咲は仲間ごと失ってしまっている。

 皆で旅をするために買った馬車だった。できることなら回収したいけれど、今も残っているかどうかは分からない。

 壊れて馬車そのものがガラクタになってしまっているかもしれないし、魔族軍や人族軍に接収されてしまっている可能性もある。どちらの手に渡っていても、取り返すのは難しい。それに、そもそも美咲では御者が務まらない。


「わーい! ミーヤお風呂久しぶり」


「私も久しぶりだよ。……ゆっくり楽しもうね」


 美咲は風呂桶を手に取り、湯を汲んで肩から流しかけた。

 元の世界の基準でいえばやや温めの湯だが、冷たくなった肌には温度差で熱く感じるので、かえってこれくらいがちょうど良い。


「……良い気持ち」


 目を細めてうっとりとしている美咲に、ミーヤが恐る恐る声をかける。


「お姉ちゃん、腕の傷、大丈夫?」


 ミーヤの目は、美咲の左腕に注がれていた。

 風呂に入るに辺り、美咲は左腕の包帯を解いている。

 一度は踏み躙られて開いてしまった傷口だが、きちんと処理していたお陰で、傷が開いただけで済んだ。

 今のところは酷く悪化することも無く、腕の傷は綺麗なものだ。


「痛いけど、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう、ミーヤちゃん」


 もし化膿していたら、大変なことになっていただろう。なんだかんだ言って、この世界の傷薬も中々高性能で、魔法薬のように即時治癒こそ出来ないものの、鎮痛、消毒、解熱など、効果そのものは申し分ない。治療に時間が掛かること意外は、むしろ元の世界の薬よりも優秀かもしれない。

 何しろ、傷を負ってから一週間、できるだけ気をつけていたとはいえ、完全に清潔にできていたとは言い難い状態だったのに、傷が悪化していないのだから。

 今ではもう痛みにも慣れてきて、我慢すれば左腕に力を篭めることもできるようになってきた。以前は痛くて力が入らない状態だったのに比べれば、大きな進歩と言えるだろう。

 度重なる戦いと経験によって、美咲自身も身体のリミッターが外れつつある。そしてそれにより、美咲の身体そのものも変化していた。骨格はより太く、筋肉はより強靭に、かかる負荷に耐えられるよう、発達しようとしているのだ。

 改めて考えてみれば、目覚めてから身体の節々が痛むのは、そのせいかもしれない。成長痛というやつだ。

 エルナの私物だった石鹸を使い、タオルで泡立てて身体を洗っていく。


「んしょ、んしょ」


 美咲の横で、ミーヤも自分のタオルを使って一生懸命自分の身体を擦っていた。

 もう、二人とも石鹸の泡まみれだ。

 さすがに洗顔フォームやシャンプーなどというものは無いので、石鹸で代用する。髪がごわごわになってしまう点は後で髪油をつけることでカバーするつもりだ。顔の皮膚が荒れてしまうかもしれないけれど、それだけはどうしようもない。出来るのは、なるべく擦らないようにして、洗い過ぎないように気をつけるくらいだ。洗い過ぎると、かえって肌が荒れてしまう。

 それどころではないことが殆どなので、普段は意識などしていられないものの、こういう時くらいは女の子らしく、綺麗さを意識しても罰は当たらないはずである。

 身体についた泡を洗い流し、美咲はミーヤと一緒に湯船に身を沈めた。

 使った湯の分だけ嵩が減ってしまっているものの、美咲とミーヤの体積が加わればちょうど良い塩梅だ。溢れさせるのももったいないので、使って良かったと思うべきだろう。

 身体の先からじわり、じわりと溶かされるように、疲れが抜けていく。


「……生きてて良かった」


 しみじみと、美咲は心の底から呟いた。


「お姉ちゃんの胸の音が聞こえる。何か、凄く安心する」


 背筋を逸らして美咲の胸に耳を当て、ミーヤが穏やかな表情を浮かべている。

 湯船が狭いので、美咲の上にミーヤが座る形となり、自然と美咲は後ろからミーヤを抱き締める姿勢になっていた。

 余裕が出来て、ようやく美咲は一昨日の出来事を思い返すことが出来た。

 ヴェリートを巡る戦いの数々。

 魔族軍との戦争。

 蜥蜴魔将との死闘。

 払った犠牲は決して少なくは無いけれど、美咲はようやく此処まで来た。

 古竜バルトを仲間に加えたことで、美咲は魔族領の情報を得ることが出来た。バルトの傷が癒えれば、魔王城に飛ぶことが出来る。


(でも、今の私で魔王に勝てるの……?)


 美咲の懸念は尽きない。

 蜥蜴魔将単体との戦いですら、あれだけの死闘になったのだ。死霊魔将、牛面魔将とまだ二人の魔将が控えているし、当の魔王だって魔将以上に強いに決まっている。それどころか、まだ見ぬ魔将すら居てもおかしくない。

 バカ正直に魔王城に飛んで行くのは、間違いなく下作だ。万全の体勢で待ち構えられては、美咲に勝ち目は無い。

 理想は魔王以外が出払っている隙に魔王城に忍び込んで、魔王だけサクッと暗殺して脱出することだが、まあ、そんなに簡単に行くのなら苦労はしない。とっくに魔王は殺されて、美咲がこの世界に召喚されることも無かっただろう。

 一番の敵は時間だ。

 死出の呪刻によって明確に期限が定められている美咲は、準備の程度に関わらず、その時が来れば魔王に挑まなければならない。魔王を倒さなければ呪刻によって自分が殺される以上、美咲にとって、魔王を殺すのは元の世界に帰るための絶対条件だ。方法は恐らく、二つに一つ。

 戦力を揃えて、正面から戦いを挑み総力戦を仕掛けるか、少人数で魔王城に忍び込んで魔王との直接対決を狙うか。

 どちらも、きっと過去に人族軍が試して失敗した方法には違いないけれど、それくらいしか他に方法が無いのもまた事実だ。

 ただ、前者の場合は人族連合軍の協力が必要不可欠だし、後者は後者で美咲に魔王を殺すだけの実力が無ければどうしようもない。どちらにしろ、達成するためのハードルが高過ぎる。


(とにかく、強くならないと。魔王に負けないように)


 命を賭けることは大前提で、なお努力するのだ。

 美咲に出来ることなど、今までだって、命を張るくらいしかなかったのだから。


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