十九日目:里の子どもたち4
ラシャとセラの悲鳴は、牢屋から離れた場所にいたマエトとタクルのところにまで響いていた。
二人は顔を見合わせる。
「どうする。ちょっと前には、クラムの悲鳴もあった。もしかしたら、残りは俺たちだけかもしれないぞ」
深刻な表情のマエトに対し、タクルはあっけらかんとした表情で笑う。
「一緒に行動するのは、不利みたいだね。ここは一つ、別行動にする? 最後の一人になっても出口の扉さえ見つければ、後は鍵無しで脱出できるんだからね。そうなれば僕たちの勝ちだ」
ぶっきらぼうな言葉遣いであるものの、実直な性格のマエトに対し、タクルの性格はそのふにゃふにゃと曲がる身体のように捉え所が無い。
「……それは、嫌だ。友達は見捨てたくない」
頭を振って出された選択支を拒絶するマエトを見て、タクルはさらに笑みを深めた。
二人の仲が悪いということはなく、むしろ仲は良い方で、タクルはマエトの真面目な態度を好いているし、マエトもタクルの飄々とした態度を好んでいる。
現に話し合いは建設的に纏まりそうだ。
「君らしいよ。じゃあ、まずはあの人族のお姉さんの居場所と行動範囲を把握しなきゃね。でなきゃ、僕たちが行っても同じように捕まるだけだ」
「賛成」
「よし、じゃあ動こう。僕が先行するから、ついてきて」
「うん」
マエトとタクルでは、以外にもタクルの方がリーダーシップを取るらしく、寡黙なマエトはタクルの後に続いた。
なるべく音を立てないように、忍び足で歩き、さらには少しでも発見される危険性を少なくするため、中腰になって姿勢を低くして進む。
しばらくそうやって歩いた後、タクルが振り向いて囁き声でマエトに尋ねた。
「ねえ、マエトって敵意感知の魔法使えたっけ」
「使えない。気配感知の魔法なら使える」
「んー、仕方ないか。マエトはそれほど魔法が得意ってわけでもないもんね」
「お前も他人のことは言えないだろ」
「代わりといっては何だけど、僕たちにはこの身体があるから」
ふにゃふにゃと身体を水中を漂うわかめのように揺らしてみせるタクルを見て、マエトは己の肌の硬質化した部分を撫でた。
一目瞭然であるタクルと同じように、マエトもまた普通の人間とは違う。
「……まあ、確かに」
「味方との判別は出来ないけど、クラムたちは三人とも捕まってる可能性があるし、そっちでもいいかな。マエト、索敵お願い」
「分かった」
頷くと、マエトは小さな声で魔族語を呟き、気配感知の魔法を使った。
この魔法は、その名の通り、近くに居る生き物の気配を感じ取る魔法だ。魔法を使わずとも、十分に経験を積んで強くなれば似たようなことは出来るが、この魔法の利点は相手が範囲内に居れば確実に気付くことが出来る点にある。
魔法の使い手が歴戦だろうが駆け出しだろうが、信頼性が変わらないというのは大きい。
ただ、そんな便利な魔法も、魔法無効化体質に守られた美咲を捉えることは出来ない。居ないものとして扱われてしまうのだ。
そうなると、魔法に頼らず美咲のように五感を駆使して感じ取るしかないものの、美咲のように短期間で濃密に経験を重ね実力を引き上げたわけでもなく、混血なだけの子どもであるマエトとタクルでは、その行為に頼るには荷が重い。
故に、魔法によって設置された壁をものともせずに直進できる美咲の接近に、どちらも気付くことが出来なかった。
特に油断したわけでもなかったのに、気付けばマエトは美咲に捕まっていた。
いや、この言い方では語弊があるかもしれない。
すぐ傍の壁の向こうからまるで幽霊のような唐突さで美咲が現れ、マエトをタッチしたのだ。
突然過ぎて絶句しているマエトに、美咲は自分の人差し指を口元に当てて「静かに」とジェスチャーすると、マエトを素早く物陰に引きずり込んだ。
反射的に叫ぼうとしたマエトの口を押さえて、美咲はにこりと笑い、耳に口を寄せて囁く。
「静かにしててね?」
何故か顔を赤くしたマエトがこくこくと頷いたのを確認し、美咲はルール上動けなくなったマエトを残して残る最後の一人、タクルを狙って再びどこかへと姿を隠した。
(……良い匂いがした。何の匂いだろう)
計らずしも、年上の女性の体臭を嗅いでしまったマエトは、嗅ぎなれない甘い香りにしばらくぼうっとしていた。
「……あれ?」
ふと後ろを振り向いたタクルが、ようやくマエトが居なくなっていることに気付く。
「マエト、何処にいるの?」
囁き声でマエトを呼べども、返事は無い。
それどころか押し殺したとはいえ声を出したことで自分の居場所を美咲に教えてしまった気がして、タクルは不安に身を震わせた。
(あ、あれ? 僕、もう最後の一人?)
慌てて空を見渡すが、魔法が打ち上げられた様子は無い。
(まだ僕一人になったわけじゃない。とすると、マエトは人族に追いかけられてるのかな)
まさか既に無力化されて放置されているとは思わず、タクルはマエトが時間を稼いでいるものと考えてしまった。
(よし、じゃあ今のうちに牢屋に行って皆を助けよう。三人が脱出できれば、例えマエトと僕が捕まってもまた巻き返せる)
宝箱探しを中断し、タクルは牢屋へと足を伸ばす。
問題の美咲は、先回りして既に牢屋の近くに身を潜めていた。
(あっぶない。読みが外れた。マエト君を探すかと思ったけど、牢屋の方に来るか。まあ、考えたら当然ね。牢屋は場所が割れてるし、三人もいるから、こっちを狙う方が自然だわ)
美咲が間に合った理由は、道なりに進んで回り道をしたタクルと、真っ直ぐ壁をぶち抜いて進んできた美咲の距離の差である。
異世界人の魔法無効化能力が無ければ間に合わず、完全に詰んでいた。危ない。
完全に牢屋に意識が行っているタクルを、背後から捕まえる。軟体のタクルは、イカやタコを思わせる、柔らかくも弾力のある触り心地だった。
(本当に骨が無いみたいな柔らかさだわ……)
触れば分かるタクルの身体の特異さに吃驚した美咲だったが、同時にタクルも突然背後から抱き締められて目を白黒させていた。
「あれっ、美咲お姉さん。どうして此処に」
「どうしてって、君が牢屋に行こうとしてるのが見えたからね。先回りしました」
にっこりと笑って、牢屋を指出す。
「それじゃあ、入っててね。私はマエト君を連れてくるから」
精一杯加減した火の魔法を空に飛ばして大爆発させ、合図を出した美咲は、最後の一人を回収に行く。もちろん、動けなくなっているので逃げられる心配はない。
まるでいくつもの花火を暴発させたような音に、タクルが吃驚して目を瞬かせた。
「お姉さん。魔法の威力高過ぎじゃない? 里の結界が無かったら酷いことになってるよ。もうちょっと制御しなよ」
空を見上げて若干ドン引きしているタクルに、美咲は恥ずかしそうに頬を染める。
「実は、加減が難しくて。精一杯制御してこれなの」
「……間違っても、僕に向けて魔法を撃たないでね」
美咲とタクルの間で、微妙な沈黙が流れた。
気まずい雰囲気の中、微妙に目を逸らしながらわざとらしく美咲が言う。
「さて、残ってるマエト君を連れてこないと」
我に返ったタクルは、遊びの最中だったことを思い出し、まだ希望は失われていないと考えて表情を輝かせた。
「そ、そうだ! 最後の一人になったから、マエトだけでも逃げられる! そうすれば僕たちの勝ちだ!」
若干タクルの目が泳いでいるが、それくらいは許容範囲内だろう。
牢屋にいる三人も、ラストが近いことに気付きそれぞれ騒ぎ始めた。
「頼む、逃げ切ってくれぇ」
祈るクラムに対して、ラシャとセラは諦め気味だ。
「でも何か、美咲お姉さんのことだから、あっさり捕まえてきそう」
「……もう、私たちが勝つのは無理かも」
そして、すぐに美咲に手を引かれてマエトがやって来た。
「何でもう捕まってるの……。逃げるチャンスだったのに」
「ごめん。合図には気付いてたけど、君より前に、一回タッチされた状態で放置されてたから、動けなかった」
がっかりするタクルに、マエトはばつが悪そうに謝罪した。
決着がついたので牢屋から出てきたクラム、ラシャ、セラの三人が口々に感想を言う。
「ちぇ。俺たちの負けかー」
「凄いね。強化魔法使ってないのに、美咲お姉さんが勝っちゃった」
「……楽しかった、です」
マエトとタクルの二人も、物怖じせず気さくに美咲へ話しかけた。
「次は、勝つ」
「後少しだったのになー。惜しかった。また遊ぼうね」
それから子どもたちは広場の片付けに取り掛かる。魔法を解除して、作った牢屋や壁を取り去るのだ。
この作業を美咲も手伝った。触れるだけで済むので、いちいち魔法を使った本人が解除するよりも遥かに早い。
美咲が神出鬼没だった理由を知った子どもたちは、美咲が異世界人だということを知り、さらに美咲に懐いた。
「すげー! 俺、異世界人なんて初めて見た!」
「道理で、人族なのに私たちに優しくしてくれるのね。合点がいったわ」
「……お姉さん、好き」
はしゃぐクラムの横で、ラシャが腕を組んでうんうんと頷き、セラがうっすらと頬を染める。
「負けるべくして、負けたのか」
「異世界人は魔法が効かないっていうの、本当なんだね。凄いなぁ」
マエトとタケルも美咲に興味深々な様子を隠さない。
わいわい騒いだ子どもたちは、完全に美咲に対する人見知りや遠慮を無くしたようで、美咲を囲んでやいのやいのと騒ぎ始める。
「お昼まではまだ時間があるな。何しようか」
考え込むクラムにラシャが意見を出す。
「中途半端な時間だし、このままお喋りしてようよ。美咲お姉ちゃんと、色々お話したいわ」
「……私も、したい」
「俺も、興味ある」
「僕も、異世界とか興味あるし、話聞きたいな」
ラシャの意見に、セラとマエト、タクルの三人が賛成した。
きらきらした視線を向けてくる子どもたちに、美咲も自然と微笑みを浮かべた。
「じゃあ、ちょっとだけ話してあげる。私が生まれた世界ではね……」
子どもたちは、美咲が語る話を目を輝かせて聞き入る。
特に、魔法が一切使えない世界から来たというのが、子どもたちには驚きだったらしく、車や、電車、飛行機といった地を走ったり空を飛んだりする乗り物の話に、子どもたちは目を白黒させていた。
「そういえば、もうすぐお祭りだよな。美咲姉ちゃんも参加するだろ?」
「あるのは知ってるけど、どんなお祭りなの?」
話が一区切りついたところで、質問してきたクラムに美咲は首を傾げて尋ね返す。
「元々は豊作祈願のお祭りなのよ。旅商人が色々お店を出すし、里の大人たちも食べ物の露店を出したりするから楽しいわよ! きっと美咲お姉ちゃんも気に入ると思うわ!」
「……私も、大好きなお祭りなんです。毎年楽しみにしてます」
「普段は食べられない美味いもの、いっぱい食べれる」
「まあ、里じゃ他に娯楽らしい娯楽なんて無いし。一年に一度の贅沢ってやつだね」
ラシャ、セラ、マエト、タクルの四人が口々に説明してくれた。
聞いてみた限りでは、とても楽しそうなお祭りだ。
(あの旅商人も、店を出すのよね。しっかり見張ってなきゃ)
ミルデとの約束がある美咲は、なんとしても祭りのうちに尻尾を掴まなければならないので、気を引き締め直した。
子どもたちの会話というのは移ろいやすいもので、再び話題は祭りそのものから祭りの中身へと移っていく。
「今年は出るかなー、甘いものの出店」
「出るんじゃない? 少なくとも、グラビリオンは手に入るし」
「……グラビリオンもいいけど、食べ慣れてるから別なのがいいわ」
やはり幼くとも女は甘いものが好きなのは異世界でも当て嵌まるのか、クラムが出した話題にラシャとセラが即座に食いつく。
「一番簡単に手に入るのが、グラビリオンだからなぁ」
「っていうか、仮に材料が手に入っても、里に調理できる人って居るかな。僕も甘いものなんて、グラビリオンくらいしか食べたことないし」
甘いもの談義にはマエトとタクルも参加し、五人でわいのわいのと雑談で花を咲かせるのを、美咲は温かい眼差しで見つめた。
(……そういえば、アリシャさんと、いつかお菓子作りする約束してたな。……約束、果たせないまま終わっちゃった)
甘いものの話で盛り上がる子どもたちを見ながら、美咲は寂寥を感じて身を震わせる。
アリシャも、ミリアンも、ヴェリートで美咲を逃がすために足止めに自ら残り、それ以来行方が知れない。
生きていて欲しいけれど、その望みが薄いことも、美咲は良く理解している。あの場には大勢の亡者たちに加え、死霊魔将、牛面魔将と二人もの魔将がいた上に、魔王までもが姿を現していたのだ。
事実、美咲はミーヤと二人きりで隠れ里に居る。
あの場から逃げ出せたのは、結局美咲とミーヤだけだった。
たくさんの借りを作ったまま、美咲はその借りを返す機会を永遠に失ったのだ。
(悲しんでなんていられない。ルフィミアさんがまだ囚われてるんだ。絶対に、助けないと)
美咲は決意を新たに、瞳に炎を燃やした。