十九日目:里の子どもたち3
最初こそ驚いた子どもたちだったが、そこは魔族語が使える子どもたちなので、すぐに魔族語で身体強化をして逃げ出してしまった。
さすがにガチで逃走されてしまうと、身体強化が出来ない美咲では追いつけない。
例の攻撃魔法を利用するロケットスタートを使えば追いつけないわけではないだろうけれど、万が一子どもに激突でもすれば、美咲は無事でも子どもたちが大変宜しくない事態になる可能性があるので自主的に封印している。
(……まあ、死角が多いし、ものはやり様よね)
適当に歩きながら感覚を研ぎ澄ませる。
子どもたちが立てる僅かな足音。
うっかり何かにぶつけたり、こすったりすることで鳴る微かな物音。
押し殺した息遣い。
ある程度近付くと、それらを美咲ははっきりと聞き取ることが出来た。
(いける。何となくだけど、あの子たちが何処にいるのか分かる)
自分の感覚が、元の世界に居た頃よりも遥かに鋭くなっていることに、美咲は自分自身で驚いていた。
この世界での努力が、経験が、生きているのだ。
失ってばかり、負けてばかりだけれど、それでも確かに得たものはあった。
(昔はこんなこと出来なかった。でも、今は違う。なら、もっと強くなることだって、不可能じゃない)
元気付けられた美咲は、力強く足を踏み出す。
さあ、まずは探索だ。子どもたちのうちの誰かを、捕捉しなければ話にならない。
(ただ見つけるだけでも駄目。向こうからも発見されてしまったら、逃げられる。追いかけっこでは私の方が圧倒的に不利。なら)
ある壁の前で立ち止まり、美咲は気配を探る。
息を殺し、物音も出来るだけ立てないようにして佇んでいると、壁の向こうから、微かな声が聞こえた。
感じ取れる気配も、誰かが向こうに居ると美咲に伝えてきている。
(先手必勝、不意を突いて、動かれる前に捕まえる!)
美咲は壁の向こうに手を伸ばす。
手が触れた壁は、魔法が解除され、続いて美咲が踏み込むと、触れた箇所から美咲の能力によって音も無く砂のように崩れ去る。
壁の向こうには、人狼の子であるクラムが壁に背を向けて立っていた。
「ふ、ふん。最初はびっくりしたけど、よく考えたら足は俺たちの方が速いんだし、怖がる必要ないよな」
仮面を被った美咲の姿に驚いて逃げ出したのが恥ずかしいらしく、クラムはぶつぶつと独り言を呟いて自分を勇気付けている。
その両肩に、背後から美咲はそっと手を置いた。
「捕まえた」
「ぴぎゃあああああああああ!」
突然壁だったはずの場所から囁き声とともに捕獲され、クラムが涙目で叫び声を上げた。
「み、みみみみ美咲姉ちゃんどっから現れたの!?」
ルールを律儀に守って逃げ出さずにその場に蹲るクラムは、吃驚し過ぎてどもり気味になりながら、美咲に尋ねた。
「うふふ。そこの壁からよ」
驚かせられたことに上機嫌な美咲が指差す先を見たクラムは、自分の背後にあった壁の一部が崩落しているのを見て絶句する。
「……マジで?」
何故かクラムは心底驚いているのを隠そうともせず、信じられないといった表情で、崩れた壁を凝視している。
(な、何で壁が崩れてるんだよ。壊すような音聞こえなかったし、俺たちが自分から解除なんてするわけねえのに)
「よーし、じゃあクラム君を牢屋にご案内しまーす」
「どうでもいいけど、ノリノリだな、美咲姉ちゃん」
声を弾ませる美咲に、クラムは若干呆れた顔を向けつつも、自分たちで設定したルールを破るつもりはないようで、自主的に牢屋の中に入った。
その様子を、物陰に隠れてラシャとセラが見つめていた。
「どうしよう、ラシャちゃん。クラム君、もう捕まっちゃってるよ」
「私たちの方も危うく鉢合わせるところだったわ。何とか隠れられたから良かったけど」
抑えた声で、二人は会話する。
クラムを囮にするような形で動いていたお陰で、二人は美咲よりも先に相手を見つけることが出来た。
そのため、こうして美咲が気付く前に隠れてやり過ごし、後をつけて此処まで来れたというわけだ。
美咲がこの場を離れてくれれば、後はクラムを助け出すだけである。
まだまだ利は自分たちにあると思っている二人には、まだ余裕があった。
「っていうか、何、今の。壁ぶち抜いて出てこなかった?」
「壊すって感じじゃ無かったよ。最初に手が出て、次に頭が出て、胴体が出ると同時に壁そのものが無くなってた」
ひそひそと囁く二人は気付けない。
会話の内容は聞こえずとも、姿も見えずとも、二人が隠れられるような場所、しかも牢屋から近いともなれば、美咲から見れば怪し過ぎる場所なので、真っ先に調べられるのだということを。
人狼の子クラムを牢屋に入れた美咲は、まずまずのスタートを切れたことに胸を撫で下ろした。
「あと四人、か」
一人捕まえても、俄然として状況は美咲が不利なままである。
それでも、障害物が自分にとって有利に働いているおかげで、最初の鬼ごっこの時のような理不尽さは無い。
(さて、一人は確保したわけだけど、もちろん助けに来るわよね。まともにやればこっちが圧倒的に不利なんだから、助けに来ないわけが無い)
美咲は油断無く辺りを見回す。
何しろ、美咲の方が年上なのに、強化魔法のせいで身体能力では美咲がダントツでビリだ。
捕まえるには、知恵を凝らさなければならない。
(……これも、一種の鍛錬よね。不利な状況で、どれだけ不利を覆せるか。機転や頭の回転と閃き、状況観察能力、それらを鍛える良い機会だと考えよう)
牢屋の周りには、やや開けてはいるものの、曲がり角の向こうや壁の向こうなど、それなりに死角が存在する。
確認せずとも、そのどれかに誰かが隠れている可能性は高い。
(全員近くに隠れているってことは無さそうね。意味が無い。何人かは、宝箱を探しに行っていると考えるのが、恐らくは妥当。あの子たちが、狙ってそうしているかどうかは別として)
誘拐人族ごっこを始める前に見た、子どもたちの顔を美咲は思い浮かべる。
人外の要素が入った子どもたちばかりなので、中には表情が分かり辛い子も居るものの、それほど曲者らしさを感じさせる子は居なかった。
あれで分厚い皮を被っているのだとしたら、子どもらしくなさ過ぎてちょっと引く。
自分にとって良い展開、悪い展開を美咲は予想する。準備をしておけば、雲行きが怪しくなってもまだリカバリーのチャンスがある。転ばぬ先の杖。備えは大切だ。
(私にとって一番最悪なのは、せっかく捕まえたクラム君を助け出された上に、宝箱を探す時間を稼がれること。一番良いのは、クラム君を餌に、助けに来た子たちを捕まえられること)
どちらかならばまだ良いが、クラムが脱走してそれを追いかけたのに、捕まえられなかったではただ時間を与えただけである。
もし逃がしてしまったら、さっさと見切りを付けて次の獲物を見繕うのも手だろう。その辺りは、臨機応変に行くべきか。
すぐにこの場を離れても良かったけれど、美咲はその気にはなれなかった。
ただ離れるだけでは助け出す機会を与えるだけだ。美咲にとっても、離れることで次の一手に繋げられなければその行動を取る意味が無い。
(近くに誰か居るみたい。でも姿は見えない。隠れてる。ということは、向こうからも、私の姿は見えてない。なら)
考えた末に、美咲は決めた。
(誘き出して、奇襲。これで行こう)
いったん離れることで油断を誘い、助けに来たところを捕まえる。
一回タッチすれば子どもたち側は動けなくなるルールだから、全員に一回タッチしてしまえば、あとは一人ずつ牢屋にぶち込むだけで済む。
「一応、罠も作っておこうかな。気休め程度だけど」
念のため、子どもたちの反応をさらに遅らせるために、足を取られるちょっとした罠を仕掛けておくことにする。
地面に生えた雑草を結んで輪にしたものと、足先が埋まる程度の落とし穴である。どれも子供騙しなので大した効果は期待できないものの、数秒でも時間を稼げれば、御の字だ。
美咲は美味く自分の身体で隠して作業をし、その場を離れた。
■ □ ■
しばらく牢屋の前でしゃがみ込んでいた美咲が去っていくのを見て、ラシャとセラはひそひそと相談する。
「今のうちよ。クラムを助けて逃げましょう」
「大丈夫かな。戻ってきたりしない?」
積極的なラシャとは対照的に、セラは消極的な様子で、落ち着き無く回りを見回している。どうやら美咲が戻って来ないか警戒しているらしい。
「牢屋を開けたら合図を出さなきゃいけないから、逃がしたらすぐに戻ってくるわ。だから、その前にまた隠れるのよ」
隠れていた曲がり角から飛び出したラシャは、小走りに走りながら、牢屋を目指す。視線の先で、クラムが牢屋の中で立ち上がるのが見えた。
「クラム、扉の傍に居なさい! 今開けるから!」
「よっしゃ、ラシャ、でかした!」
「うわっ」
表情を輝かせて移動しようとしたクラムの目の前で、ラシャがすっ転んだ。
呆れたクラムがラシャを苦々しく見る。
「何してんだよ。お前ドジっ子キャラじゃないだろ」
「何かが足に引っかかったのよ。……草が、結んである? あれ? これって……」
ラシャが自分の足に絡まった草を訝しげに見た瞬間、自分が出てきた場所で悲鳴が上がる。
「……おい、今の」
「ええ。セラね」
顔を見合わせたクラムとラシャは、声から悲鳴の主がセラであることを突き止める。
「おい、逃げた方がいいんじゃないのか」
「大丈夫。まだ時間はあるわ。人影は見えないし、まだ扉を開いたわけじゃないから、私の居場所はバレてないはず。扉を開けて逃げるくらいの時間はあるわ」
周りを見回して誰も居ないことを確認したラシャは、落ち着いて草から足を引き抜こうとした。
その時、ラシャの背後の壁を消して音も無く美咲が現れる。
先にセラを襲って動けなくしてから、戻ってきたのである。
美咲は抜き差し差し足忍び足でラシャに近付いた。
「お、おい、ラシャ。お前、後ろ」
鉄格子越しに目の前に居るクラムが、唖然とした表情でラシャの背後を指差す。
「え?」
「うん。上手くいった。これで三人目、だね」
きょとんとしたラシャの肩に、背後から手が置かれた。もちろん、美咲である。
「にゃああああああああ!」
油断していたわけではなかったのに、予想外のタイミングでタッチされたラシャは、驚いて尻から伸びる短い尻尾をぶわと膨らませた。
背後を取るまで美咲も気付かなかったことだが、ラシャには猫耳はないのに猫の尻尾があった。
短過ぎて、バランスを取るための尻尾としての機能は殆ど無いだろうが、それでも尻尾は尻尾である。
ルールとは関係なくラシャが硬直している間に、美咲は一度その場を離れ、曲がり角の陰からセラを連れてきた。
最初の悲鳴は、セラがタッチされた悲鳴だったのである。
こうして、ラシャとセラも仲良く牢屋に囚われることとなった。
(これで三人。残りは二人。でも、どっちも新顔で、彼らのことは良く知らないのが困るな。行動の予測がしにくい)
捕まえたラシャとセラ二人の悲鳴は、残りの二人、甲殻の肌を持つマエトと、軟体なタクルにも聞こえただろう。
近くに隠れている気配はしないので、どうも宝箱の捜索を優先しているようだ。
(でも状況が変わったから、どっちか一人は牢屋に来るかな。どうせ残る一人になったら鍵を探す意味は無くなるし、また迎え撃って、動けなくなった状態で止めておいて最後の一人を捜索した方がいいね。一人じゃ誰かを囮に作業を進めることも出来ないから、助けに行くしかない。私にとっては、読み易い展開になる)
美咲は方針を決めると、また草の罠と躓く程度の落とし穴を掘り、牢屋の周りを巡回し始めた。