十八日目:美咲と旅商人1
入り口を見張る兵士に挨拶をした後、美咲はミーヤを連れて村を歩き回っていた。
「ミルデさんの話だと、もうそろそろ旅商人が着てるはずなんだけど、何処に居るんだろ」
隠れ里にはラーダンのような旅商人が気軽に出店出来るような露天通りはないし、おそらくどこか土地か店舗を借りて営業するのだろうが、その旅商人の居場所がまず分からない。
「ミーヤちゃん、旅商人、何処にいると思う?」
思い切って、美咲はミーヤに尋ねてみた。
忘れがちだが、ミーヤはこう見えて、ヴェリートに居を構えていた商家の子女だ。貴族でこそないものの、裕福な家の出身であることは間違いなく、旅商人の商いの仕方についても、何かしら知っているかもしれない。
少し思案するかのように視線を宙に彷徨わせたミーヤは、美咲に振り向いて答える。
「うーんとね、ラーダンやヴェリートみたいなある程度規模の大きな街では、需要が多くて商品がよく売れるから、当日にお店を出してることが多いの。でも、此処みたいな小さな里だと、人も少ないし購買意欲も普段はそれほどでもないから、宣伝を兼ねて、数日前からお店を出してると思う」
「そっか。じゃあ場所さえ分かれば、買い物出来そうね」
「お財布の紐が緩むタイミングを狙って、お祭りとかと合わせることも多いから、お祭りがあるなら盛り上がる場所を予め確保してる可能性が高いよ」
「お祭りか……。この里でもあるのかな。一度ミルデさんに聞いてみた方が良いかもね」
美咲はミーヤの台詞を聞いて、方針を考える。
ならば、ある程度開けた広場が必要だろう。この里のお祭りがどんなものかは分からないが、元の世界でのお祭りならば美咲にも分かる。誰かから情報を得る以外では、そこから想像していくしかないだろう。
「待って。お祭りって、今日やってるんじゃないのよね。だとすると、旅商人も里に泊まるのよね。……里に宿屋って、あったっけ」
尋ねた美咲に対し、ミーヤは首を横に振った。
「無いよ。隠れ里だもん」
基本的に来訪者のことを想定していないので、混血の隠れ里の中には、宿泊施設そのものが無いのだ。
「そういえば、昔パパが、宿屋が無い村や里では、旅商人は里長や村長の家か、知り合いの商人の家に泊まることが多いって言ってたよ」
しばらく考え込んだミーヤが、思い出したように言った。
「里長の家か。里長の家って何処だろ。ミーヤちゃん知ってる?」
「ごめんなさい。ミーヤも分からない」
期待に添えないのが悲しいのか、目を潤ませ始めたミーヤを見て、美咲は慌ててフォローした。
「ああ、いいのいいの。そんなの、グモかミルデさんに聞けば分かるだろうし。旅商人が何処に泊まるかっていう情報が得られただけでも充分よ。っていうか、知り合いの商人の家ってことは、ミルデさんの家に泊まる可能性もあるってことよね?」
「うん。たぶん」
頷くミーヤに、美咲は提案した。
「じゃあ、一度ミルデさんのお店に戻ってみようか。里長の家が何処にあるかも、聞けるだろうし」
「ミーヤも、それでいいと思う」
微笑む美咲に、安心したようにミーヤも微笑み返す。
一度ミルデの両替屋に戻ることに決めた美咲は、ミーヤを連れて戻った。
両替屋に戻ると、ミルデが出迎えてくれた。
「お帰りなさい。お買い物は出来た?」
「それが、旅商人がお店を出してる場所が分からなくて。いつも何処でやってるか分かりますか?」
「あら、ごめんなさい。そういえば言ってなかったわね。たぶん、里の中央広場に居ると思うわよ」
里の中央広場といえば、バルトが居る場所である。
(……バルト、ちゃんと寝れてるかな)
里の子供たちに遊具のように扱われていたバルトの姿を思い出し、美咲は遠い目をした。
「お姉ちゃん、戻ってみようよ!」
目を好奇心で輝かせたミーヤが、美咲の服の袖を引っ張る。
「そうね。行ってみたらどうかしら?」
ミルデも勧めてきたので、美咲はもう一度広場に向かうことにした。
「そうですね。なら、そうしてみます。よし、ミーヤちゃん、行こう」
「はーい!」
もう一度ミルデに別れの挨拶をし、美咲はミルデの両替屋を出る。
ミーヤと一緒に里の道を歩き、広場に向かう。
広場に着くと、寝ているバルトを見上げ、入り口で呆然としている中年男性を発見した。
ワルナークの上に大荷物を載せ、自分自身もワルナークに載せているほどではないが大きな荷物を背負っている。
「何だこの巨大な竜は……。前に来た時は、こんな化け物居なかったぞ。眠っているようだが、大丈夫なのか」
美咲とミーヤは思わず目を見合わせた。
おそらく彼が件の旅商人だろうが、完全にバルトを見て腰が引けている。
そのまま逃げ帰ってしまいそうな怯え様だったので、美咲は慌ててミーヤを連れて旅商人に駆け寄った。
「すみません、旅商人の方ですか? どんな売り物があるのか、見せていただきたいのですけれど」
丁寧に尋ねた美咲に、驚いたように振り向いた中年男性は、美咲の姿を上から下まで見回して、疲れたように笑みを浮かべた。
「ああ、露天を広げたいのは山々なんだが、予定していた広場がこんな有様で」
「それなら大丈夫ですよ」
にこりと微笑んで、美咲はミーヤと一緒に広場に足を踏み入れ、真っ直ぐバルトに近付き、寝ているバルトの鼻面を撫でた。
「あ、危ないぞ! 何やってるんだ!」
目を剥く旅商人の目の前で、寝ていたバルトが目を覚ます。
「……今度ハナンダ」
「気持ちよく寝てるところ起こしちゃってごめんね。彼が、この広場で露天を広げたいそうなの。でも、あなたを警戒してそれが出来ないみたいだから、危険は無いってアピールして欲しいのよ」
「……面倒ナ。オイ、オ前、店ヲ出スナラトットヤレ。別ニ取ッテ食ッタリハシナイ。俺ハ眠インダ」
バルトに声をかけられた旅商人は、おっかなびっくりの表情で広場に入ってきた。
「ほ、本当に大丈夫なのかね? 生きた心地がしないんだが」
「大丈夫ですよ。彼、さっきまで子供の遊びに付き合ってたくらいなんですよ。ねえ、バルト?」
恥ずかしい話題を振られ、バルトは狸寝入りをする。
そんなバルトの様子を見て微笑を浮かべた後、美咲は旅商人に向き直る。
「というわけで安全ですから、商品、見せていただけませんか?」
古竜であるバルトと親しげに会話する美咲を見て、旅商人はあんぐりと口を上けて驚愕する。
そしてその後ろでは、何故かミーヤがどうだと言わんばかりに、美咲の代わりにドヤ顔をしていた。
■ □ ■
旅商人が露天の準備をするのを、美咲は興味深く眺めていた。
ワルナークの背から荷物が降ろされる。ワルナークが背負っていたのは、露店の設営道具のようだ。
まず地面に敷物が敷かれる。敷物の真ん中には穴が開いていて、旅商人は其処に木製の支柱を立てた。
そして敷物の四隅にも短めの支柱を立てると、そこからいくつもの枝を格子状に組み、そこから真ん中の支柱へと放射状に梁を掛けていき骨組みを作る。この時、骨組みを作るのは壁、屋根ともに三方向だけで、残る一方向は何も置かない。
あとは骨組みを布で多い、風除けと雨避けを作って完成だ。
完成した店舗は元の世界でのゲルに似ているが、ゲルよりも入り口が大きく、店らしく中が見易くなっている。壁と屋根の一面が開けているので、中に入らずとも奥まで見通すことが出来、もし雨が降っても商品を濡らさずに済む。
続いて旅商人は自分が背負っていた荷物を降ろし、敷物の上に並べ始めた。
服や食器、鞄などの日用品から、食材の数々、あるいは娯楽品まで、手品のように次々と商品が出てくる。
「これなんてどうだい? 魔族領の料理店で売ってる、魔族の郷土料理を詰めた弁当だ」
興味本位で見ていた美咲は、旅商人の口上を聞いて、目を丸くした。
(弁当まで売ってるんだ……。でも、保存とか大丈夫なのかな)
感心すると同時に、心配になってしまう。
何しろ、旅商人は商品を仕入れてからこの隠れ里を訪れるのに、それなりの日数を消費しているのは間違いなく、食べ物ならば痛んでいてもおかしくないのだ。
(……でも、腐ってるような変な臭いはないわね)
痛んでいるならばそれなりの悪臭があるはずだが、弁当箱からは異臭はしない。
「ああ、もしかして、鮮度を心配しているのかい? ならその心配は無用だよ。新鮮なまま魔法で保存してもらって運んでるからね。だから、好きな時に出来立ての味を楽しめるよ」
にこやかに語る旅商人の言葉に、美咲は驚かされた。
魔法による保存。まさかの冷凍食品を超える保存方法である。
魔族領だからだろうか。誰でも魔法が使えるという魔族の特徴は、こんなところにも現れている。
ただの旅商人であれば、日持ちという観点でどうしても諦めなければならない商品でも、魔法の恩恵が受けられるなら、多くの需要が見込める食品類を、より遠くまで運ぶことが出来る。
単純な話、豊作で余剰分が出ている地域から食べ物を買い取って、不作で不足している地域に売りに行くだけでもかなりの額が稼げるのだ。そして魔法で食品を保存することが可能なら、それは単純に商売機会の増大をも意味する。
本来ならば先に痛んでしまって届けられないような僻地へも、魔族は品物を届けることが出来る。これは、魔族の大きなアドバンテージであることは間違いない。
(……魔族の郷土料理か。ちょっと食べてみたい気もするけど、ミルデさんが作れる可能性もあるしなぁ)
買ってみたい気もするものの、わざわざ、弁当を買うまでもない気もして、美咲は考え込んだ。
必要ない気がするものの、魔族の郷土料理に興味が無いわけではない。食べてみたい。とはいっても、そのためだけにミルデにお願いするのも無理がある気がする。そもそもミルデが作れなければどうしようもない。
ならば弁当を買うのも一つの手ではあるけれども、美咲の場合は弁当箱に気軽に触れることも出来ないのがネックだ。
異世界人の体質は、自分にかけられた、あるいは自分から触れた魔法を消してしまう。美咲が弁当箱を触れば、間違いなく弁当箱にかけられているという保存魔法は解除されてしまうだろう。
「ミーヤちゃん、食べてみたい? 晩御飯、これにする?」
美咲は選択権をミーヤにぶん投げた。
「え? ミーヤが決めていいの?」
まさか自分にお鉢が回ってくるとは思っていなかったのだろう。ミーヤは目を白黒させている。
「もちろん」
にこやかに美咲が許可を出すと、ミーヤは真剣な表情で悩み始めた。
「うーんうーん……」
(本当はミーヤは串焼きが食べたいけど、お姉ちゃんはこれも食べたそうだし、今回は我慢しようかなぁ……。でも、やっぱり串焼きも食べたい)
悩むミーヤは、完全に美咲の内心を見透かしている。そして相変わらずの串焼き好きである。
「お姉ちゃん、ミーヤ、これもいいけど串焼きも食べたい」
「もう、仕方ないなぁ、ミーヤちゃんは。じゃあ、グモの分を含めて三人分、お弁当を買って帰ろうか。あと食料品店に寄って串焼きの材料も買おうね」
いかにも折れた風を装いながらも、美咲はいそいそと旅商人に向かう。
「そのお弁当、三人分もらえますか?」
「毎度あり。弁当一つ二ソォイだよ」
(たっか!)
告げられた値段に、美咲は思わず目を剥いた。
一ソォイは五十ペラダと同等の価値であり、つまり、この魔族の郷土料理の弁当は、日本円に直すと一つ一万円もするということになる。
ラーダンで食事が一回五ペラダから十ペラダ程度だったことを考えると、少なくとも十倍以上の価値が弁当にあるということになる。
(魔法の値段、とかなのかな)
基本的に魔族の領域では人族の領域よりも物価が高いようで、美咲は仕方なく一ソォイ紙幣を六枚支払う。
「毎度あり。はい、どうぞ」
弁当を三つ受け取り、美咲はそろそろ広場を出ようとして、旅商人が広げている露店の隅に置かれたある商品に目を留めた。