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美咲の剣  作者: きりん
五章 変わらぬ営み
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十八日目:ミルデのお願い3

 午後になり、食後の一服として、ミルデは皆に茶を振舞った。

 前回と同じ、琥珀色の紅茶のような茶である。

 興味深そうにカップを覗き込む美咲に、ミルデが微笑んで説明する。


「これはね、エルベル茶っていうの。エルベルっていう国のお茶で、とっても香りがいいのよ。エルベル国は昔は人族の国だったんだけど、戦争で魔族が治めるようになった土地なの。今では魔族領なら大抵の場所に流通してるんじゃないかしら」


 カップを手に取ると、芳しい芳香が立ち上る。

 茶を入れる工程を目の前で見ていたから、砂糖が入っているわけではないことは分かっている。でも、エルベル茶からは、どこか甘く優しい香りがした。

 一口飲んでみれば、深い味わいでありながらすっきりと切れのある甘さの中に、僅かにアクセントのように渋みが混じった絶妙な味で、甘過ぎず渋過ぎず、文句無しに美味しい。

 最初にミルデが入れてくれたお茶も美味しかったが、今回のお茶はそれ以上である。もしかしたら、ミルデにとっても会心の出来なのかもしれない。


「私の世界にも、似たようなお茶がありますよ。紅茶っていうんですけど。……このお茶も、美味しいですね。何だか懐かしい」


 エルベル茶の香りに誘われ、美咲の過去の記憶の蓋を開く。

 美咲の母親も紅茶が好きで、よく休日に美咲を誘っては三時のティータイムを楽しんでいた。

 成長するにつれ、美咲は母親のティータイムに付き合うよりも、友達と遊ぶ方を優先するようになっていたから、自ずと美咲が参加する回数は減っていたけれど、数少ないその日は、母親がとても喜んでいたのを覚えている。

 今日の紅茶はとっても美味しく入れられたのよ、と声を弾ませた母親が淹れた紅茶を、本当はとても気に入っていたのに、面と向かって言うのは恥ずかしいから、まあまあね、と余裕を見せて振る舞ってまで誤魔化そうとしたのに、しっかりお代わりまで頂いたことでばれてしまって、慌てて自室に逃げ込んだこともあった。


(……お母さんの紅茶、飲みたいな)


 胸を焦がす郷愁に、美咲は胸の奥がつんとするのを感じた。

 元の世界に帰るために、美咲は今まで頑張ってきた。未だ道半ばではあるけれど、確かに前に進んでいる。

 何が何でも、魔王を倒して元の世界に帰るのだ。絶対に。そのために、何人もの仲間たちが、死んでいったのだから、今更その歩みを止めることは出来ないし、したくない。

 エルナ。ルアン。ルフィミア。セザリー、テナ、イルマ、ディアナ、ペローネ、イルシャーナ、マリス、ニーチェ、ドーラニア、システリート、ミシェーラ、ユトラ、ラピ、レトワ、アンネル、セニミス、メイリフォア、アヤメ、サナコ、タゴサク。

 皆、良い人たちばかりだった。誰もが、美咲を守ろうとした。もう、誰もいない。唯一、いるとすればルフィミアだけれど、彼女は一度死んで、死霊将軍の手駒としてアンデットとして蘇生し、敵に回った。

 ルフィミアを取り戻したい。でも、自分にそれが可能なのか、美咲には自信が無い。

 手を触れても、ルフィミアは敵のままだった。その事実は、ルフィミアが魔法で単純に操られているのではないということを示している。

 おそらくは、美咲には思いもつかない技法が使われているのだろう。

 もしかしたら、それこそ美咲のように、体のどこかに何かの呪刻が刻まれているのかもしれない。そこまでは、美咲も確認することは出来なかったから、可能性はある。

 あるいは、もう一度、ルフィミアに死を与えるべきなのか。

 一緒にいる間、ルフィミアは美咲をヴェリートの外に逃がしたがっていた。

 その事実が示していることは、少なくともその間は、敵に回っていたとしても、ルフィミアは美咲に敵意を抱いていなかったということだ。あるいは、正気を保っていたと言うべきか。

 解決の糸口は、その辺りに隠れているのかもしれない。

 ヴェリートでのことを思い返していた美咲と同じように、故郷であるヴェリートでの暮らしを思い出したのか、ミーヤがカップを両手で掴んだまま、少し湿った声で言った。


「ミーヤも、まだヴェリートでパパとママと暮らしてた時、飲んだことあるよ。すごく高級品だったから、一回だけだけど」


「えっ! そんな高級品だったんですか、これ! わし、がばがば飲んでしまいましたぞ!」


 慌てるグモがおかしくて、美咲は思わず笑みを零す。ミーヤもグモの態度に笑顔を浮かべた。

 気持ちが沈んでいても、グモが笑いを取って気分を引き上げてくれる。

 狙ってやっているのではないことは分かっているけれど、それでも有難かった。

 ミルデもおかしそうに笑って、グモの勘違いを訂正する。


「エルベル国はもう、魔族領に組み込まれてるから、魔族領だと安く手に入るのよ。人族領で値が高騰しているのは無理もないけれど。手に入れる方法が限られているものね」


 しばらく穏やかな沈黙が場を満たす。

 窓の外から、里の子供たちが駆けていくのを見て、美咲が呟いた。


「……そういえば、魔族の里なのに、結構人間もいるんですね」


「魔族の里っていうよりは、混血の里だからね。私は魔族だからこんな姿だけど、ほとんど人間と変わらない姿の子もいるわよ」


 呟きを聞きつけたミルデの言葉を聞いて、美咲は今まで出会った魔族と人族のハーフを思い出す。

 エルナはウサ耳があったり、明らかに人間とは違う特徴が多かったけれど、クォーターだったアンネルは、ほとんど人間と変わらない様子だった。

 唯一の差異だったらしい耳も、切り取られてしまえば、人間とほとんど見分けがつかない。


「里人たちも、元を辿れば人族領や他の魔族領から逃げてきた混血や、その関係者たちなのよ。人族領じゃ魔族の形質の方が強く出てしまえば魔族と同じように奴隷として扱われるし、魔族領ではその逆で、人としての形質が強く出てしまえば、迫害を受けるわ。人族であろうと魔族であろうと、戦に負ければその土地は根こそぎ略奪されて、女は犯され、混血を孕むことになる。ほとんどはそのまま連れ去られて奴隷になるけれど、逃げ伸びた一部の子たちが集まって隠れ住むようになったのが、この里の始まり」


 語られるのは、美咲にとっては想像もつかない話だった。

 人権のじの字も無いような話で、戦争に勝った側には略奪する権利があるとでも言わんばかりの行動を、人族も魔族も繰り返している。どちらが先に始めたのかは分からないし、それを調べることにも意味はもう無いのだろう。


「じゃあ、人族も、魔族に対して、略奪をしたりしているんですか」


「ええ。最近はあまり聞かないけど、昔は特に」


 ミルデの答えに、問いを発した美咲は黙り込んだ。

 もちろん美咲だって、人間ばかりが綺麗な存在だとは思っていない。それは元奴隷であるエルナが証明している。お互いがお互いの街を攻め落とした時、犯された女が魔族であれば魔族寄りの混血が、人族ならば人族寄りの混血が生まれ、奴隷として扱われる。ただそれだけのことだ。

 遺伝法則的にはおかしいが、元の世界の遺伝の法則が、この世界でも適用されるとは限らない。まったく別の法則が働いていても、別に不思議ではない。

 もう、美咲には人族と魔族、どちらが被害者で加害者なのかは分からない。

 ただひとつ分かるのは、それでも美咲は人間で、魔王を倒さない限り、いずれ呪刻に殺されるということだけだ。

 美咲のすべきことは、変わらない。



■ □ ■



 それから、グモは畑仕事の続きをしに出かけ、ミーヤも再び魔物使いの笛を吹きに行った。

 残された美咲は、ミルデと一緒に、偽札の始末と本物の紙幣の片付けを行う。


「私のお金が……たったのこれだけに……」


 魂が抜けかけたミルデの呟きが切ない。

 九割が偽札といっても、高額紙幣になればなるほど枚数が多く、小治癒紙幣であるソォイ紙幣は、殆どが本物だったのに比べ、大治癒紙幣のデェア紙幣は逆に殆どが偽札だった。中治癒紙幣のツォイ紙幣はその真ん中で、偽札はほどほどの枚数に収まっている。

 これでは、発覚しにくいのも当然だ。

 残った具体的な枚数は、デェア紙幣五千枚、トォイ紙幣二万枚、ソォイ紙幣五万枚のうち、デェア紙幣が十枚にトォイ紙幣が一万枚、ソォイ紙幣が四万五千枚だった。

 金額に直すと、デェア紙幣一枚がランデ金貨五十枚と同価値なので、日本円にして約五千万円、トォイ紙幣がレド銀貨五十枚と同価値なので約五十万円、ソォイ紙幣がペラダ銅貨と同価値なので約五千円になる。

 つまり、デェア紙幣だけでも二兆五千億円あったのが実質的に五億円にまで減ったのと同じことになり、トォイ紙幣なら百億あったのが五十億、ソォイ紙幣ならば二億五千万円あったのが、二億二千五百万円にまで減ったことになる。

 合計すると、二兆五千百二億五千万円だった全財産が、五十七億二千五百万円になってしまったことになる。


(何というか……数字が大き過ぎて、現実感が沸かないなぁ)


 計算でどれくらいの金額の変化があったのかは分かったものの、美咲の金銭感覚では二兆も五十億も使い切れないという意味では変わらない。


「高額紙幣ばかり偽札になってるのは痛いですけど、もしかしたら、里に出回ってる偽札の枚数は、それほどでもないかもしれませんね」


 ミルデにとって慰めになるかどうかは分からないけれど、美咲は自分の所見を述べた。


「里の人たちが買い物にデェア紙幣を使うとは思えませんし、せいぜい里に出回っているのはソォイ紙幣が中心で、トォイ紙幣までだと思うんですよね。ですから旅商人の換金も普通ならソォイ紙幣、トォイ紙幣が中心になるはずですから、ぶっちゃけ頻繁にデェア紙幣を換金に来る旅商人が一番怪しいと思いますよ。心当たり、ありませんか?」


 尋ねた美咲に、しばらく考え込んだミルデは、若干青くなった顔を上げて答える。


「あるわ。毎回たくさんの商品を売りに来てくれる旅商人なんだけど、来る度に必ずデェア紙幣やトォイ紙幣をランデ金貨とレド銀貨に換金していくの。色んな場所を回ってるし、次の商売の資金にするためって言ってたから、信用していたんだけど、まさか……」


 ならばと、重ねて美咲は問いかけた。


「その人に、ランデ金貨からデェア紙幣に換金を頼まれたことはありますか?」


「あるけど、最初の一回だけよ」


 重々しく美咲は告げた。


「だとしたら、次の換金で複数枚デェア紙幣の偽札を出してきたら、限りなく怪しいですね」


 何しろ里人がデェア紙幣を二枚も三枚も用意できるとは思えない。出来ても、せいぜいが一枚くらいだろう。何しろ、一枚が五十ランデ、つまり五千万円だ。言うまでもなく大金である。

 涙目のミルデが、美咲に取り縋って両手を握り締めた。


「……実は、今日、その旅商人が来る日なの。お願い、手伝って」


「分かりました。お付き合いします」


 美咲とて、ミルデには恩がある。恩返しが出来るのなら、否は無い。

 ミルデの頼みを、美咲は快く承諾した。


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