十八日目:隠れ里での昼食1
とりあえず、お昼になったので、美咲はひとまず昼食を取りに、ミルデに断りを入れることにした。
「あの、私これからお昼ご飯食べに行きますけど……大丈夫ですか?」
口から魂が抜け出そうになっているミルデの様子を、美咲はハラハラしながら見つめる。
「ああ……、うん、いいわよ……。行ってきて……私は大丈夫だからぁ……」
割と駄目そうである。
どこかで食べて済ませてくるのではなく、テイクアウトできるものを買って、なるべく早く戻って来ようと決めた美咲は、申し訳なく思いながら、ミルデの両替屋を後にした。
(……ミーヤちゃんとグモにも、お手伝い頼もうかな。規模が大き過ぎて私の手に余りそうだし)
無意識に、美咲の口から溜息が漏れる。美咲が滞在している間に、解決出来ればいいのだが。
美咲はまず、ミーヤと合流しようと、里の入り口に向かった。
里の入り口では、ミーヤがまだ魔物使いの笛を吹いていた。
門番の男に会釈をして側を通り、美咲はミーヤに近付いて声をかける。
「もうお昼だよ、ミーヤちゃん」
「お姉ちゃん」
吹くのを止めて振り向いたミーヤは、空を見上げてすっかり日が昇っていることに、目を丸くした。
「あれっ? もうこんな時間?」
どうやら笛を吹くのに夢中で、時間の経過に全く気がつかなかったらしい。大した集中力である。
「お昼食べに行こう。ミーヤちゃんは何がいい?」
「串焼き!」
迷わずに答えたミーヤに、予想通りだと美咲は苦笑した。
本当に、ミーヤは串焼きに目が無い。
「持ち帰りできるものにしようと思ってるんだけど、そういうお店、あるかな?」
「さあ?」
二人とも隠れ里内の地理については詳しくなく、美咲とミーヤは揃って首を傾げる。
ラーダンなら美咲もそれなりに詳しくなっていたし、そもそも店が乱立していて少し探せば条件に合った店が見付かったものだが、里の中ではどうだろう。
(まあ、無ければ最悪、材料だけ買って自分たちで調理すればいいか)
火なら魔法で起こせるし、もしかしたらグモの家かミルデの両替屋で台所を借りられるかもしれない。
ミーヤを連れ、次はグモを迎えにグモの家に向かう。
ノックをしても、グモは出てこなかった。というか、家からは何の物音もしない。
不思議そうな顔で、ミーヤが言う。
「まだ帰ってないみたいだね。お仕事長引いてるのかな」
「そうみたいだね。迎えに行ってみようか」
「うん!」
話し合い、美咲はミーヤの手を引いて来た道を引き返す。
午前中とは違い、昼時ということもあって出歩いている人が数人おり、畑の場所を聞き出すことが出来た。代わりに興味津々の彼らに美咲たちのことを根掘り葉掘り聞かれてしまったが。
畑に着くと、何人かの里の住人に混じって、矮躯のゴブリンが畑作業に精を出しているのが見えた。
里の住人たちは、限りなく人外に近い人も居れば、殆ど人間と変わらない見た目の者も居る。グモと一緒に畑仕事をしているのも、そんな住人たちだ。
(うーん……魔族の人ばかりだと思ってたけど、そうでもないんだなぁ)
案外溶け込めているグモを見て、美咲は感心する。
人間ばかり、魔族ばかりであれば、姿かたちが違う者が居ればとても目立つ。しかし、入り混じっていればどちらも埋没して目立たなくなるのは、よく考えてみれば当たり前のことだ。
どちらにしろ、グモが溶け込めているのはいいことである。
「ミーヤちゃん、グモの作業がひと段落するまで、待ってようか」
「うん!」
畑作業をするグモにミーヤも興味津々だったようで、くりくりとした大きな目を好奇心で輝かせて、グモを見つめている。
しばらくして休憩時間になったのか、グモを含めて畑で作業をしていた面々が畑から引き上げてきた。
「グモ!」
「おや、美咲さんではないですか。それにミーヤさんまで」
首にかけた布で汗を拭きながらやってきたグモは、美咲とミーヤの姿を見つけて目を丸くすると、笑顔を浮かべた。
美咲も気さくにグモに話しかける。
「私たち、これからお昼買いに行くんだけど、良かったら一緒にどう?」
「もちろんご一緒させていただきますぞ」
グモが承諾すると、ミーヤが美咲とグモの手を取って駆け出す。
「よーし、行くよ!」
「ああもう、ミーヤちゃん! 急に走ると危ないよ!」
苦笑しながら、美咲もグモのもう片方の手を引いて走り出した。
これに目を白黒させたのはグモだ。
異世界人である美咲は、ゴブリンに対する先入観が無いから、グモに対しても朗らかに接する。
それはまだ分かる。
しかし、ミーヤまで同じような態度を取ったのが意外だった。
子どもとはいえ、ミーヤはこの世界の人間だ。ゴブリンとこの世界の人間との間に横たわる溝は決して浅くないというのに、ミーヤは美咲に倣ってグモに接していた。
「あ、そうだ。グモ、串焼きを持ち帰りで売ってそうなところ、知らない?」
思いついて、美咲は物は試しとグモに尋ねてみる。
「すみません。何分、小さな里ですし」
申し訳なさそうな表情のグモに、美咲は苦笑する。
「いいよいいよ。無いなら仕方ないもんね。食料品店に行って材料を買おうか。その方が、ミーヤちゃんの希望に合わせられるし」
さすがに食料品店そのものが無いというのはないだろうと思って美咲が提案すると、グモから快諾の返事が返ってきた。
「そうですな。そうしましょう。案内しますよ」
グモに連れられ、美咲とミーヤは里にやはり一軒しかない食料品店に向かう。
基本的にどの店も一軒だけのようだ。住人の数が限られているからだろう。外からは殆ど人が来ることはないから、二軒以上あると客の奪い合いになって共倒れになるのだ。
食料品店の中はスーパーというよりも、昔ながらの八百屋のようで、違いは肉でも野菜でも果物でも、パンと飲み物以外なら何でも扱っているところだろうか。同じ食べ物でも、パンは特別らしい。
「どれにしようかなー」
ミーヤは早速目を皿のようにして、串焼きに使う食材を選んでいる。
「やっぱり、グラビリオンは定番だよね!」
「ソウダネー」
「美咲さん、棒読みになってますよ」
満面の笑みで白い某芋虫を選んだミーヤの台詞に、死んだ魚のような目で相槌を打った美咲は、不思議そうな顔のグモに突っ込まれた。
■ □ ■
材料を買い込んだ美咲は、グモやミーヤと一緒にミルデの店に戻ってきた。グモの家にしなかったのは、地味にミルデが心配だったからだ。ショックを受けすぎて、倒れているかもしれない。
ミルデはただの羊皮紙と化した無数の偽札の前で、乾いた笑い声を上げている。
「うふふ……あはは……これ全部偽札……? もう、首括るしか……」
そのままどこからかロープを持ち出して吊るし始めたミルデを、美咲は必死に押し留めた。
「ちょ、正気に戻ってくださいミルデさーん!」
「後生だから死なせてぇ! こんなになるまで偽札に気付かなかった鳥目の店主なんて、絞められて鳥肉になるのが関の山なのよぉ!」
ミルデは翼をばたつかせて泣き喚き、店内に羽を撒き散らした。ついでに元偽札の羊皮紙の山も一部が崩れて散らばった。
「ふわー、これ全部偽物なの? 凄いねー」
「この分だと、里中で被害状況を確認する必要がありますな。大事ですぞ。……わしの金、大丈夫かな」
ミーヤが目を丸くし、その横でグモがそわそわと心配そうな表情をしている。
グモの給金も元を辿れば、ミルデの両替屋を通っている。それは、この村が口の堅い旅商人を通して外と交易を行っているからであり、外貨などが一定量入ってくるためだ。村で流通しているのは魔族の通貨であるソォイ、トォイ、デェアのみであるが、貨幣自体は時期次第では人間の通貨であるペラダ、レド、ランデも誰でも手に入れられるのだ。
「ほら、ミルデさんもお昼にしましょうよ! お腹空いてるから気分も暗くなるんです! ここはお昼を食べて気持ちを切り替えるべきですよ!」
「そうかしら……。確かにお昼時だけれど」
ちらりと窓に目をやったミルデが溜息をつく。開け放たれた窓の外では太陽が頂点に昇っている。
日差しが店内に差し込んでくるので、閉めてなくとも結構暖かい。
くぅ、と小さな音が鳴り、ミルデが自分の腹を押さえて顔を赤らめる。どうやらミルデの腹の音らしい。
「じゃあ、この山は片付けましょうね!」
張り付いた笑顔で美咲は素早く元偽札の羊皮紙を片付け始める。
「あ、ごめんなさい。手伝うわ」
それを見たミルデが、美咲に倣って後片付けを始めた。
「ミーヤもやる!」
「わしも手を貸しますぞ」
面白そうだと思ったのか、ミーヤは目を輝かせて美咲とミルデの真似をして地面に散らばった羊皮紙を拾い集め、グモもおっとり刀で協力する。
四人がかりで片付けた甲斐もあり、比較的短時間で片付けは終わった。
「良かったら、店の台所を使ってちょうだい。手伝ってくれた御礼よ」
片付けを終えるとミルデが美咲に台所の提供を申し出た。
両替屋を営むミルデの店は、正確には店舗兼住居となっており、店の二階には生活スペースが確保されている。台所もその一つであり、あまり使われていないのか、台所も器具も綺麗なままだ。
(あまり自炊をしないのかな?)
台所を見て素朴な疑問を覚える美咲だったが、わざわざ面と向かって聞くようなことでもない。
「ミルデさんも一緒にどうですか? 食材ちょっと買い過ぎてしまったので、消費を手伝ってくださると助かるんですけど」
なので、美咲はあくまで「自分たちの都合でそうして欲しいと思っている」風に匂わせて、ミルデを誘った。こういう誘い方であれば、誘われた方は断りにくいし、承諾もし易い。ただ誘うだけでは、ミルデも恐縮してしまうだけだろう。
「あら、悪いわね。なら、お言葉に甘えようかしら」
実は誘われて嬉しかったらしく、ミルデはニコニコと機嫌が良さそうに微笑みを浮かべる。
「なら、そういうことで。じゃあ、ミーヤちゃん、食材を台所に運ぶの手伝ってくれる?」
「はーい!」
元気よく返事をしたミーヤが食材が詰め込まれた袋を運んでいくのを見て、ミルデが腰を浮かす。
「待って、私も手伝うわ」
それを見たグモが周りを見回して一人になったことに気付き、慌てて立ち上がった。
「わしも、お手伝いしますぞ」
結局全員が台所にやってきたので、美咲は少し不思議に思ってミルデに尋ねる。
「お店、そういえば誰も居なくなっちゃいますけど、店番とかいいんですか?」
「ああ、そうね。ちょっと待ってて」
ミルデは店に引き返し、カウンターに「御用の方はお手数ですが、呼び鈴を鳴らしてください」と書かれたプレートを置き、その横に握り拳程度の大きさの呼び鈴を置いた。
「これで良し。待たせてごめんなさいね」
店からミルデが戻ってきて、改めて美咲は調理台に材料を並べ始めた。