十八日目:ミルデのお願い2
両替屋に戻ると、ミルデはカウンターの奥の部屋に美咲を案内した。
従業員の休憩所にでもなっているのだろうか、テーブル一つに椅子が四脚置いてある。
その一つを、ミルデは美咲に勧めた。
「どうぞ、どこでもいいから座っちゃって。今、お茶を入れるわね」
ミルデの魔族語は発音がはっきりとしていて聞き取り安く、あまりヒアリングが正確とは言えない美咲でも、きちんと内容を理解出来た。
「あの、お構いなく」
恐縮する美咲に、ミルデはくすりと笑う。
「遠慮しないで。私も飲みたいのよ」
ティーカップを二つ用意すると、ミルデは戸棚の中を漁り始めた。
「確か、この前行商人が持ってきたのが、この辺りに……。あったわ」
取り出したのは茶葉の缶だ。
慣れた手つきで、ミルデは二つのティーカップに茶を注ぐ。
茶は紅茶のような、琥珀色をしていた。
一つを美咲の前に置き、もう一つを自分の前にいたミルデ、美咲が座ってティーカップに口をつけるのを見てから、口を開いた。
「まず、一つ確認しておきたいの。あなた、異世界人でしょ?」
「えっ」
まさかいきなり言い当てられるとは思わず、美咲の表情が凍りついた。
身体も硬直しており、中途半端に持ち上げていたティーカップを思わず取り落としそうになる。
「わっ、わっ」
中身入りのティーカップを辛うじて保持し、ぶちまけることを回避した美咲は、恐る恐る上目遣いにミルデを見上げる。
「ど、どうしてそれを」
美咲は出会ったばかりのミルデに、自分の境遇を話したことは勿論無い。彼女がそんな結論に至る情報など、無かったはずなのだ。
しかし、それは思い込みで、美咲は知らず知らずのうちに、重大な手掛かりをしっかり残してしまっていた。しかも、エルデの目の前で。
「これよ」
ミルデが懐から取り出して見せてきたのは、両替えの際に最初に渡された、ツォイ紙幣五枚とトォイ紙幣一枚だ。今はどちらもただの羊皮紙になってしまっている。
差し出された六枚の羊皮紙を、美咲は受け取ってまじまじと見つめた。
どう見ても、ただの羊皮紙にしか見えない。
「実はこれ、偽札なのよ。いえ、正確には、偽札だったもの、と言うべきかしら」
「はあ、偽札ですか」
いまいち実感の沸かない美咲は、やや戸惑った顔で、手元の羊皮紙とミルデを見比べる。
「本物の紙幣はね、専門技術を持った職人が、一枚一枚文字を彫り込んで作るの。だから流通量は限られているし、治癒魔法の効果を持つ道具としての信頼性も高いわ。でも、偽札は別。こういう偽札は、魔法で外見を似せたものに過ぎないから、治癒魔法が発動しないのよ。だから、偽札自体に価値は無い」
「はあ、そうですか」
話を聞きながらも、内容と自分への関わりがいまいち理解しきれていない美咲は、要領を得ない顔で相槌を打つ。
にこやかな微笑みを浮かべ、ミルデは続けた。
「問題は、そんな偽札が私の店に紛れ込むと、とても不味い状況になるっていうこと。里の人間は皆私の店を利用するし、定期的にやってきてくれる行商人も私の店で換金をするわ。だから、偽札はすぐに駆逐しないと信用に関わるのよ。偽札を間違って受け取って両替えしてしまったら大損だし、その偽札を気付かないままお客さんに渡してしまう危険性もある。だから、私の店みたいな両替屋では、偽札の駆逐は最重要優先事項なの」
そこまで聞いたところで、ようやく美咲にもミルデが何を言いたいのか把握出来てきた。
「あの、それってつまり」
「本当は、供給源そのものを断ちたいくらいなんだけど、基本的に今までは誰が持ち込んでくるのかすら分からなかったから、私には手が出せなかったのよね。だから、場当たり的に対策するしかなかったわけだけど、実際に使ってみないと本物か偽物かどうか分からなくて、困っていたのよ。その点あなたなら、触るだけで、使う前に判断できるわ」
次第に話を飲み込めてきた美咲は、ダラダラ冷や汗をかきながらミルデを見つめた。
どうやら、ミルデは偽札によほど手を焼いているらしい。一応表情は笑顔のままであるものの、偽札の被害について語る目は真剣を通り越して殺意すら篭っている。
「そんな折に、触れるだけで一発で判別出来る子が来たものだから、私、どういうことか分からなくて年甲斐もなく舞い上がっちゃって。調べてみたら、あるじゃない、該当例が」
何だか身の危険を感じた美咲は反射的に席を立とうとした。
逃がさないとばかりに、ミルデはにこやかな表情のままガッと美咲の手を掴む。
「というわけで、手伝って頂戴、異世界人の藤原美咲ちゃん! お給金、弾むわよ!」
「うひっ」
思わず仰け反る美咲に、すかさずミルデは畳み掛ける。
「とりあえず完全出来高制で、偽札一つにつき一ソォイでどうかしら? 人族通貨の支払いでもいいわよ。それに、引き受けてくれるなら、特別にあなたの両替えは手数料無料にするわ。どう? 何なら三食食事に部屋も貸すわよ!」
やたらと必死なミルデに、美咲は凄まじく嫌な予感がした。
正確には、面倒事に巻き込まれる気配がした。
でも、人が良い美咲は、ここまで必死に頼み込まれると、とてもではないが断れない。
「わ、分かりましたよ!」
「ありがとう、美咲ちゃん! 恩に着るわ! とりあえずまずはお昼までお願いね!」
承諾した美咲に、ミルデは満面の笑顔で金庫の鍵を開けた。
■ □ ■
テーブルの上に、大量の紙幣が積み上げられる。
紙幣はいくつかの束になっており、ソォイ紙幣、ツォイ紙幣、デェア紙幣で分けられているようだ。
まずはミルデが整理をして、美咲が判別しやすいようにする。
よほど嬉しいのか、にこにこ笑顔を浮かべながらミルデが言った。最初のミステリアス美人な第一印象は完全に崩壊している。
「まずは、デェア紙幣からお願い。そう簡単に見付からないと思うけど、頑張ってね」
「分かりました」
美咲は紙幣の山からデェア紙幣の束を一つ取り出すと、ばらばらにして一つ一つ手に取り確認を始めた。
「それじゃあ、時間かかると思うから、私はひとまず店番に戻るわね。終わったら呼んで頂戴」
スキップしそうな勢いで去っていこうとするミルデを、美咲は申し訳ない気持ちになりながら呼び止める。
「あの……」
「どうしたの? 何か質問?」
キラッキラッと無邪気な微笑みに胸を痛めながら、美咲は告げる。
「さっそく一枚見付かりました」
「えっ」
ミルデの微笑みが凍りついた。
気まずい思いになりながら、美咲はただの羊皮紙になったデェア紙幣を見せる。ちなみに一枚目の偽札であると同時に、調べた一枚目でもある。
だらだらとミルデが脂汗をかく。
デェア紙幣は一番高額の大治癒紙幣で、価値はランデ金貨五十枚分に当たる。日本円にして、五千万円もの価値があるのだ。その額に相応しく、発動させた治癒魔法は最上質で、死んでいないならどんな怪我でも癒してしまうという法外なもの。しかし美咲には効かない。体質というものは厄介なものである。
「ま、まあ。幸先が良いわね。その調子で頑張って頂戴。さすがにもう無いだろうけど」
「ごめんなさい。これも偽札です」
二枚目を選んで手に取った途端、紙幣に描かれていた文字も模様も全て消えてただの羊皮紙になったのを見て、美咲ははらはらする思いを抱えながら一枚目の上に重ねた。
「……」
無言のミルデが掻く脂汗の量が増えた。
まあ、仕方ない。日本でいえば、いきなり一億円がただの紙切れに変化したようなものだ。
「これも、これも、これも、これも……あの、どうなってるんですか。偽札ばっかりなんですけど」
一つ目の束は、数えてみたら百枚だった。そのうち、本物だったのはたったの十二枚。八十八枚が偽札だ。
日本円にして四十四億円がただの紙切れだったわけだ。いや、羊皮紙自体は上質なのだから、正確に言えばただの紙切れではない。でも正直慰めにもならないレベルである。
信じられないものを見る目でテーブルの上を凝視していたミルデは涙目になって美咲を見た。
「契約の変更、今からでも受け付けてくれる?」
美咲は一も二も無く頷いた。
最初の契約のままでは、この時点で美咲に約束された報酬は偽札一枚につき一ソォイ。つまり、五千円。それが八十八枚なので、四十四万円。この調子では、全て調べ終わる頃にはひょっとして億に届いたかもしれない。その場合、ミルデの両替屋は、偽札による損失と合わせて確実に潰れる。というか、信用という点は今の時点でもやばい。
相談の結果、全て調べ終えてから具体的な額を決めようという結論になった。
そして、午前中全て使って調べ終えた結果。
ミルデの両替屋の全紙幣が、デェア紙幣五千枚、トォイ紙幣二万枚、ソォイ紙幣五万枚で、そのうちの九割近くが偽札だった。
「ど、どうしよう! どうすればいいかな? これ、もうお店だけの問題じゃないわよ! 絶対里中に偽札が溢れかえってるわ! もしかしたら、行商人を通じて外に流出、なんてことも……! そうなったら、最悪里の存在が外にばれるなんてことに……!」
半狂乱になったミルデが、がくがくと美咲を揺さぶる。
「お、落ち着いてください!」
もはや半泣きのミルデを何とか引き離すと、さすがに気の毒になって、美咲は恐る恐る尋ねた。
「どうしてこんなになるまで放っておいたんです? 治癒魔法を発動させれば本物かどうか分かるんですから、何枚か調べれば良かったでしょうに」
「したわよ。ソォイ紙幣なら。でも、いくつか調べて全部本物だったから、途中で止めたの。もったいないもの」
まあ、気持ちは分かる。
調べたら紙幣としての価値が無くなってしまうのでは、調べる意味が無い。
「デェア紙幣とトォイ紙幣は?」
「しないわよ! 本物だったら無駄に減っちゃうじゃない!」
「駄目じゃないですか! これ、多分行商人の中に、偽札を持ち込んでいる人がいますよ! あなた、カモにされてます!」
ここまで来れば、美咲にも事の全体像が見えてくる。
まず前提として、此処は隠れ里であるから、外に里の存在を知られたくないという点があった。
そのためには、完全に外界との接触を断ち、自給自足の生活をするのが一番だが、全てを自給自足で賄うのには無理があり、足りないものは口の堅い行商人から定期的に買い付けているらしい。
そのため、里の人間よりも行商人の方が立場が強いのだ。そんな中に悪徳商人が紛れ込むと、こういうことになる。
本来ならば通貨偽造は厳しい取締りの対象であるが、隠れ里なのが災いして、偽札が溢れても露見しにくいし、偽札が原因で里自体が暴かれても困るので、例え発覚したとしても被害が外に出てこない。
「でも、里に来る行商人は、顔馴染みばかりよ? 私の父の代から来てる人たちばかりなのに」
思いも寄らない事態になって、困惑するミルデは頭を抱えた。