十八日目:ミルデのお願い1
ミルデの両替屋で魔族文字紙幣を入手した美咲は、ミーヤとグモを連れて隠れ里内の道具屋にやってきていた。
目的は、戦争で消費した道具類の補充である。
ここでまた、美咲は驚かされることになった。
「……何か、物価が安いような」
ガラス瓶に詰められた魔法薬の値段を確かめた美咲は、ラーダンで買えば一番安価なものでもニレドもする魔法薬が、僅か一ソォイで買えることにあんぐりと口を開ける。
一ソォイは一小治癒紙幣なので、五十ペラダに相当する。日本円に直すと五千円だ。
つまり、ラーダンでも二万円もする魔法薬が、この隠れ里ではたった五千円で買えるということになる。
「魔法を使っているものが、全部凄く安いね。やっぱり、人族と魔族じゃ、魔法の価値にも差があるのかな」
久しぶりに商売人の娘としての血が騒ぐのか、ミーヤが熱心に品物の値段を確認していた。
「魔族なら、誰でも魔族語が使えますから、価値が違うのは当然ですな」
どこか自慢げに、グモが胸を張った。どうやらグモは自分を受け入れてくれたこの隠れ里に、それなりの愛着を持っているらしい。
現在の手持ちは五トォイと一ソォイなので、買えるものには限界があるものの、魔法薬類が安いのは有り難い。
(……私には効果が無いから、魔法薬ばかり安くても微妙かも)
魔法薬は安いが、他の傷薬や日用品は、むしろラーダンよりも若干高めだ。これはおそらく、品物を仕入れる際の輸送コストなどが関係しているのだろう。ラーダンは商業都市というだけあり、運河なども整備されていて、品物の輸送手段が発達していた。
ヴェリートで汚水を含んで破棄せざるを得なかったフックつきロープや、今も残る腕の怪我に定期的に塗り込んで消費している傷薬を買い込んだ美咲は、溜息をついた。
(ラーダンと比べると、結構値が張ったなぁ。ラーダンとは違ってお店の数そのものが少ないから、選り好みできないし)
多少高くても、妥協して買わざるを得ない。そう考えると、ラーダンの買い物事情は恵まれていたのだなと、美咲は今さらそんなどうでもいいことに感心してしまった。
道具屋での買い物を終えた美咲は、グモの家に戻る道すがら、グモに尋ねる。
「そういえば、グモって今働いているのよね? でないと暮らせないだろうし」
収入が無ければ、食べていけないのは、当然の理屈である。それは元の世界だろうと今の世界だろうと変わらない。
「はい。主に隠れ里の中で、田畑を耕して食い扶持を稼がせてもらっております。もっと強ければ、隠れ里の外に出て、魔物を狩って生計を立てることも出来たんですが、わし、ゴブリンですし」
どこか、恥ずかしそうにグモは自分の種族を口にする。
「冒険者ギルドとかは無いの?」
あれば美咲も何とか自分の食い扶持を自分で稼げるので尋ねてみたものの、グモから帰ってくる答えは芳しくない。
「基本的に外界との接触を断っておりますから、訪れるのは昔から親交のある旅商人くらいで、冒険者ギルドはありませんな。仕事が欲しければ、里の人間と顔馴染みになって、斡旋してもらうという手もありますが」
(それは……敷居が高いなぁ)
美咲はいつまでも隠れ里に留まっているつもりは無い。
今はバルトの治療のために腰を落ち着けているだけで、治り次第動くつもりだ。美咲の命の期限まで、もう二週間も無いのである。それまでに、バルトを癒し、もう一度仲間を集め直さなければならない。
(……せめて、皆が居てくれたら)
美咲は拳を握り、押し寄せる寂寥に耐えた。
騒がしかった日々が懐かしい。セザリー、テナ、イルマに始まり、ペローネ、イルシャーナ、マリス、システリート、ミシェーラ、ニーチェ、ドーラニア、ユトラ、ラピ、レトワ、アンネル、セニミス、メイリフォア、アヤメ、サナコと、最後は寂しさを感じる暇も無い大所帯になっていた。
振り返れば隣にはいつも誰かが居たのに、今ではミーヤと二人きり。
(ミーヤちゃんだけは、私が守らないと)
気を失っていた間に全てが終わってしまったから、美咲にはあまり、仲間が死んだという実感は沸かない。
けれど、誰も側に居ないということによる喪失感だけは、ありありと感じ取っていた。
あんなに温かい空間を知ってしまったら、もう一人きりで居るのには、耐えられそうにない。
(それに、アリシャさんとミリアンさんの消息も分からない。無事なのかな。逃げられたのかな)
ただでさえ死霊の群れが押し寄せてくるというのに、死霊魔将と、牛面魔将までもが現れた。魔将から美咲を逃がすため、残った二人の行方は知れない。
もう生きていないという可能性はあまり考えたくはないが、アリシャ本人が以前言っていた。「二人掛かりでなら、魔将一人であればなんとかなる」と。
現実は一対一だ。無事である保障は何処にもない。
グモの家に戻り、美咲は手持ち無沙汰になった。グモはこれから仕事らしい。
「今日は何の仕事なの?」
興味本位で聞いてみると、グモは照れたように頭をかいて答える。
「畑の草むしりです。はい」
「そっか。グモはもう、すっかり溶け込んでるんだね」
「努力しましたからな。何せ、ここを追い出されたら行く当てもありませんし」
苦笑するグモの表情は、どこか自慢げだった。
■ □ ■
出かけるグモを見送った美咲は、手持ち無沙汰になって回りを見回した。
「それじゃあ、お姉ちゃん、ミーヤも出かけてくるから。お昼には帰ってくるよ」
「えっ!?」
続いてミーヤも出かけようとしたので、美咲は驚く。
「行ってきまーす」
子どもならではの行動力で、ミーヤは美咲が何か言う前にグモの家を飛び出して行ってしまった。
「ちょ、ミーヤちゃん!」
慌てて追いかけた美咲だったが、初動の遅れが災いして見失ってしまった。
「大変、ミーヤちゃんを探さないと」
青くなった美咲は、慌ててまごつきながらグモの家に戻って戸締りを済ませると、見失ったミーヤを探す。
まずは知っている場所を探そうと思い、美咲は道具屋と両替屋を順に回るものの、ミーヤは見付からない。
グモに相談しようにも、グモにどこに畑があるのか聞き忘れてしまった。
「……とりあえず、道行く人に、ミーヤちゃんを見なかったか聞きながら、地理の確認から始めた方が良さそう」
急がば回れの精神で、予定を立てた美咲は、改めて隠れ里の中を歩き回る。
隠れ里は隠れ里と呼称されることもあって、山奥に広がる森林の中にひっそりとあった。
四方が全て鬱蒼とした木々に覆われていて、家々は木々に埋もれるようにして立っている。
大っぴらに切り開いて集落にしていないのは、上空から発見されるのを恐れてのことだろう。魔族には、空を飛べる者も多いのだ。
歩いている途中で何人かの魔族に出会い、美咲はまだ使い慣れているとは言えない魔族語を駆使して、何とか彼ら彼女らとコミュニケーションを図る。
欲しいのは、ミーヤの居場所と、この隠れ里の情報だ。具体的には、里の見取り図と、里自体の現在位置が何処なのか知りたい。位置が分かれば、バルトなら傷さえ癒えれば魔王城まで飛べるはずだ。
聞き込みの結果分かったのは、隠れ里がある山を、里の住人たちはただ簡潔に「お山」と呼んでいることと、住人たちは畑仕事よりも、狩りで生計を立てているということだった。
考えてみれば、当然である。こんな山奥の土地では、ろくな作物が育たない。木々に遮られて日の光は入りにくいし、根が複雑に絡まり合って張っている地面は、そもそも開墾するのが一苦労だ。
苦労に見合わぬ畑を整備するよりも、その時間を使って里の外で魔物を狩った方が、はるかに効率が良いし、肉も手に入る。
美咲もやるとするなら、狩りだろう。
結局、ミーヤは隠れ里の入り口に居た。
唯一隠れ里から森の中に入れる場所で、そこだけが整備された道になっている。
入り口の門は閉じられており、里の人間が一人、警護についている。
ミーヤは森に向けて、一心不乱に魔物使いの笛を吹いていた。
そんなミーヤに、門番の男が呆れた声を漏らす。
「無駄だと思うがなぁ。隠れ里近くは俺らが狩ってるから、魔物は寄りつかねえよ」
答えずに、ただ一心不乱に、ミーヤは魔物使いの笛の音を響かせていた。
ペットたちに、届けとばかりに。
自分の居場所を知らせているのだ。
魔物にしか聞こえない音なので、美咲や門番の男には聞こえないものの、近くにいればミーヤが居ることに気付けるだろう。
(邪魔、しないでおこう……)
どこか必死なミーヤの様子に、美咲はそっと踵を返す。
普段は美咲にべったりなミーヤが、美咲に行き先を継げずにやっていることなのだ。それはつまり美咲に知って欲しくないということ。ならば、知らない振りをしよう。いつか、ミーヤは自分から話してくれるようになるまで。
「……どうしよう。凄く、手持ち無沙汰だわ」
色々歩き回ってみたものの、隠れ里での自分の立ち居地を見出せなかった美咲は、最終的に酒場へとやってきていた。隠れ里に一軒だけある酒場だ。まだ朝なので、まだ開いていない。そもそも、あまり酒を飲めない美咲は酒場に用は無い。
だから望んで来たわけではなく、辿り着いたと言った方が正しい。
「ああ、良かった。やっと見つけた。こんな所に居たのね」
「えっ」
声をかけられて美咲が驚いて振り向くと、両替屋の女主人、ミルデが息を切らせて立っている。
「あの、私に何か御用ですか?」
隠れ里の人間とはいえ、魔族。
若干警戒心を滲ませながら美咲が尋ねると、ミルデが美咲に向けて微笑み、手を差し出した。
「ねえ、もし貴女さえ良かったら、私のお店で働かない? お給料は弾むわよ」
「はっ?」
まさか勧誘されるとは思わず、美咲は素っ頓狂な声を上げる。
しかし、すぐに美咲は頭を働かせた。
ミルデが美咲を雇おうとする理由は分からない。でも、これは良い機会ではないのか。
(でも、私が此処に居られるのは)
美咲は、いつまでも留まっているつもりは無い。隠れ里に滞在するのは、数日程度だろう。
「もちろん、この里に居る間だけでいいの。貴女を見込んで、手伝って欲しいことがあるのよ」
キラキラと目を輝かせているミルデは、出会った当初のミステリアスな雰囲気を投げ捨てている。
勢いに押された美咲は、詰め寄ってくるミルデにこくこくと頷きを返したのだった。