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美咲の剣  作者: きりん
五章 変わらぬ営み
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十八日目:混血の隠れ里2

 運ばれてきた料理を、美咲は死んだ魚のような目で見ていた。

 美咲の前に置かれたのは、どうみてもグラタンだ。それはいい。むしろ、元の世界と同じような料理を食べられるのは、美咲としても願ってもないことである。喜ぶべきことだ。

 問題は、具の方。

 焦げ目のついたチーズの下、野菜に混じってホワイトソース塗れになっている白い肉。色だけで見ると鶏肉のようだが、勿論違う。

 丸っこく、ぷりっとした見た目で、節があって、太った虫が、何匹も美咲の前でやあと挨拶をした。もちろん、あまりにショックを受けた美咲の幻覚と幻聴である。


(ミーヤちゃんに図られた……)


 思えば、警戒するべきだったのだ。美咲が注文する時、取り繕おうとして失敗していたくらい、ミーヤがとても嬉しそうだったことに。


「お姉ちゃん、ミーヤもおすそ分けして欲しいなぁ、なんて。駄目?」


 思い切り食欲に流されたミーヤではあるものの、一応、悪いとは思っているようで、愛想笑いを浮かべて、ミーヤは美咲に強請る。


「おお、そっちも美味そうですなぁ。むむ、エルダマラでも良かったかも」


 美咲の目の前で湯気を立てる焼きたてのグラビリオンのグラタンを見て、グモが羨ましそうな顔をする。

 どうやら、この世界ではグラタンのことをエルダマラというようだ。魔族語ではないようなので、おそらく名称の由来は別の言語だろう。

 そういうグモの前には、何の変哲もない鶏肉料理が並んでいた。もちろん肉はよく似た魔物の肉だが、甘辛いタレの照り焼きで、とても美味しそうだ。


「良いですよ、交換しても」


「いやいや、女子どもならグラビリオンのエルダマラの方が大好きな味付けでしょう。御代はわしが持ちますから、どうぞ味わってくだされ」


 むしろ代わってくれという美咲の訴えは、無駄に気を利かせたグモによって、素で退けられた。


「……ミーヤちゃん、いくらでも食べていいよ」


 張り付いた笑顔を浮かべたまま、美咲はグラタン皿を隣のミーヤの方へ押しやる。


「最初の一口は、お姉ちゃんが食べて!」


 悪意の無い迷惑な善意が美咲に襲い掛かった。

 ミーヤはまずは美咲自身に味わってもらいたいらしく、もう一度美咲の方に押し返してきた。ミーヤは美咲もグラビリオンのことが好きだと思っているので、混じり気なしに善意である。はた迷惑な善意ではあるが。

 スプーンを握り締め、美咲は震える手でグラタンを掬う。グラビリオンは避けて口に運んだ。

 次の瞬間、口の中に溢れたのは、濃厚なホワイトソースの甘み。


(……あれ?)


 不味いどころか、普通に美味しいグラタンに、美咲の価値観が揺れる。

 ミルクの味は、グルダーマの乳だろうか。グラタンのレシピと同じなら、アゴーレ粉とグルダーマのモッサムも使っているだろう。

 ちなみにアゴーレ粉は元の世界の小麦粉に当たり、モッサムはバターである。

 しかし、感じる甘さ、コク、まろやかさは、これだけの材料では出るとは思えない。間違いなく、それ以外の材料も使っているはずだ。

 そう。例えば生クリームとか。


(凄く、美味しい……)


 あのグラビリオンが具として入っているのに、と、美咲は釈然としない表情で咀嚼し、飲み下す。


「ゾォイタァ(実は)ウヘェ、フゥオワェアオィツスーサァウ(ホワイトソースにも)ノォイム、サァウロォイタバソテェア(すり潰した)ガレボロウォン(グラビリオンを)ゥオメジィエ(混ぜてるのよ)チラヌゥオユ。ウォオィソォイオヂィエ(美味しいでしょ)ソユォ?」


 料理を運んできた少女は、自慢げに父親の料理がいかに美味かを口にした。


「ぶっ! げほっ、げほっ」


 注文の時のやり取りで反省した少女は美咲が聞き取り易いように意識してゆっくりと話しており、そのため美咲には少女が口にしている魔族語の意味が分かってしまい、思わず咳き込んでしまった。

 既に飲み込んだ後だったのは幸か不幸か。中身を口に含んだままだったなら、盛大に噴出していただろう。


「そうなんだ! だからこんなに美味しいんだね! モグモグ」


 子どもらしい無邪気さで、ミーヤが美咲が一口食べたのを確認し、自分の皿にグラタンをごっそりと取り分け、食べ始める。

 グモも物欲しそうにグルダーマのグラタンを見つめる。


「ああ、本当に美味そうだ。美咲さん、わしにも一口だけ、くださらんか?」


「……どうぞ」


 二人とは別にすっかり食欲を無くした美咲は、若干青い顔でグラタン皿を押しやった。

 味は悪くない。むしろ美味しい。見た目さえ気にならないなら、間違いなく美咲にとっても好物になるだろう。


(これでむ、虫でさえ無かったら……!)


 味自体は文句なしに美咲も気に入ったので、余計に悔しい。

 いくら美味しくても、生理的に無理なものは無理なのである。


「お姉ちゃん、これ、お返し」


 グラタンを食べ終えたミーヤが、自分の串焼きを何本か美咲に分けてくれた。


「わしからも返礼ですぞ」


 グモも自分の肉料理を適当な大きさにナイフで切り分け、分けてくれる。


「うう、二人ともありがとう……」


 美咲は有り難く二人のお裾分けを食べた。

 ちなみに、最後に残ったグラタンの余りは、喜んでミーヤが食べた。



■ □ ■



 食事が済むと、宣言通りにグモが代金を支払ってくれた。

 勿論美咲は遠慮したのだが、グモの「美咲さんは魔族の通貨をお持ちで?」という疑問に撃沈した。

 美咲が持っているのは人族の間で流通しているペラダ銅貨、レド銀貨、ランデ金貨のみである。


「なら、最初に両替屋に行きますかな。金が無いと何かと不便でしょう」


 まさにグモの言う通りだったので、美咲は一も二も無く頷く。

 隠れ里はラーダンやヴェリートに比べれば狭く、いつかエルナと立ち寄ったザラ村程度の広さしかないので、隠れ里に一軒しかないという両替屋には、歩いてもすぐに着いた。


「いらっしゃいませ。……あら、グモじゃないの」


 両替屋の店主は、黒い羽と羽毛が美しい魔族だった。

 見た目は人間の顔と胴体を持つ黒髪の美女で、どこかエキゾチックな雰囲気を漂わせている。

 ただ、人間には無い黒い羽毛が服から首や足などを覆っていて、本来腕があるべき場所には、代わりに漆黒の濡れ羽が生えていた。

 尻にも尾羽があり、太股から下は完全に鳥の足になっている。

 彼女を見て、美咲はハーピーを連想した。

 原典であるギリシア神話のハーピーではなく、フィクションに出てくるような、後世においてセイレーンなどと混同された、美女として描かれている方のハーピーだ。


「今日のレートは上々よ。一、一で受け付けているわ」


「おお、同率とは珍しいですな。今なら損失なしで両替できますぞ。ささ、こちらへ」


 店主のハーピーと謎の会話を交わしたグモは、おっかなびっくり店内に入った美咲とミーヤを、店主の前に案内した。

 ちらりと美咲とミーヤに目をやった店主は、その黒い瞳をまん丸に見開いて、驚きを露にする。


「混血……じゃないわね。人間?」


「悪い人間ではありませんぞ。わしを助けてくれた、命の恩人ですじゃ」


「そう。久しぶりね、この隠れ里に人間が辿り着いたのは」


 最初に驚きこそしたものの、グモの説明を聞いた店主は、どうも人間に対して敵対心を持っていないようだった。


「私の店に来たのは初めてね? なら自己紹介しておこうかしら。私はミルテ。ご覧の通り、魔族よ」


 名乗った店主に、美咲も名乗り返した。


「藤原美咲です。仰る通り、人間です」


「フジワラミサキ? 不思議な響きの名前ね。それに長いわ」


 微妙に勘違いをしているミルテに、美咲は苦笑して言い直す。


「そうではなくて、藤原が苗字で、美咲が名前です」


「あら。姓持ちなの?」


 意外な様子のミルテに、美咲はきょとんとする。


「お姉ちゃん、姓があるのは貴族だけだよ。平民は名前だけで、名乗る時には、出身の村や町の名前をつけるの。だから、ミーヤなら、ミーヤ・ヴェリートだね」


「ちなみに、魔族でもそれは変わりませんぞ。この隠れ里には名がついておりませんから、特に付け足す名前はありませんが。ちなみにわしの場合は、姓の代わりに、氏族の名がつきます」


 ミーヤとグモが、口々に説明をしてくれた。

 どうやら魔族も人間も、名前の付け方に対してさほど違いが無いらしい。

 それよりも、美咲は貴族しか姓を持っていないということに驚いていた。

 いや、良く考えれば、昔は美咲の世界でもそうだったのだから、驚くのは間違いなのかもしれないが、少なくとも美咲の周りでは姓を持つのが当たり前だったから、姓を持たないと言われても、ぱっとこないし違和感しか沸かない。


「じゃあ美咲ちゃん、でいいのかしら。今日はいくら両替するの? ペラダ、レド、ランデ、全部対応出来るわよ」


「えっと、なら、とりあえずこれだけお願いします」


 接客モードに入ったミルテに対し、美咲は少々慌てながら、懐の巾着からペラダ銅貨とレド銀貨を全て取り出した。

 ランデ金貨までは出さない。それほどの大金がこの隠れ里で必要になるかは分からなかったし、面倒事が起きるのを危惧したからだ。

 美咲だって、少しは学習しているのである。


「ペラダ銅貨が七十枚に、レド銀貨が五十枚ね。両替できる額は、手数料込みで全部で五トォイと一ソォイになるわ」


 硬貨の枚数を数え終わると、ミルテは店の金庫から、千円札を一回り小さくしたような紙幣一枚に、千円札と同じくらいの大きさの紙幣を五枚持ってきた。

 紙幣にはそれぞれびっしりと文字が書かれていて、美咲は書かれている文字を目を皿のようにして見つめる。

 勿論美咲には読めない。読めないが、これは。


「もしてかして、これって、魔族文字ですか?」


 自分の身体に刻まれている死出の呪刻に少し印象が似ている気がして、美咲は当てずっぽうで言ってみたら、ミルテが目を見開いた。


「あら、よく知ってるわね。ええ、魔族文字よ。魔族は人族みたいに貴金属の価値で取引するんじゃなくて、魔族文字の価値で取引するから、嵩張る硬貨にする必要が無いのよね。だからそのものには価値が無い紙幣を採用しているの」


「これ、何て書かれてるんですか?」


「"治癒"よ。紙幣によって魔族文字の完成度は厳格に定められているけれど、全ての紙幣には同じ"治癒"の魔族文字が書かれているの。実際に使うことも出来るのよ。使うとお金としての価値は無くなっちゃうけどね」


 この世界では、人族は美咲の世界がかつて取っていたのと同じ、金本位制の貨幣制度を採用しているようであるが、魔族はいわば魔族文字本位制とでも言うべき、特殊な貨幣制度を採用しているようである。

 これは、金本位制と管理通貨制の二つの制度に共通する要素を含んでおり、いわば良いとこ取りと言える。

 美咲は感心しながら、何気なく置かれた紙幣を手に取った。

 その途端、紙幣に書かれていた文字は消え、トォイ紙幣もソォイ紙幣も、ただの羊皮紙になってしまった。


「ん?」


 思わず美咲は羊皮紙に変化した元紙幣を凝視する。

 いくら穴が空くほど見つめても、価値が一瞬にして下落した事実は変わらない。


「あのー、文字がいきなり消えちゃったんですけど……」


「は?」


 さすがにミルデも初めての経験らしく、唖然とした顔になると、慌てて美咲から元紙幣だった羊皮紙を回収する。


「……嘘。本当に消えてる。紙幣の治癒魔法を発動させたわけでもないのに。ごめんなさい、新しいのを今用意するわ」


 ミルデが用意した新しい紙幣は、今度は美咲が触ってもどれも文字が消えることは無かった。

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