十七日目:死の都市から脱出せよ6
ニーチェが放った毒矢は傷を付けることに成功し、その毒を魔王の体内に流し込んだ。
だがしかし、毒に対して抵抗があるのか、普通の人間ならば致死量の毒を受けても魔王は倒れない。
「ぬん!」
一瞬は動きが止まった魔王だったが、その岩のように硬い漆黒の身体は力も尋常ではないらしく、鞭を掴み、ミシェーラごと振り回そうとする。
寸前で鞭から手を離して難を逃れたミシェーラだったが、魔王はミシェーラの鞭をそのまま飛び掛かってきたニーチェに叩き付けた。
「あぐっ!」
苦悶の声を上げて、ニーチェがバランスを崩して倒れる。
セザリーが声を張り上げた。
「今よ! 一斉射撃始め!」
「ちい!」
ニーチェに止めを刺そうとした魔王は、降り注ぐ矢や爆発物、短刀に石といった飛び道具の対応をするため、ニーチェへのとどめを中断せざるを得なくなる。
その隙に、起き上がったニーチェがその場から退いた。
「ありがとうなのです!」
「なら結果で示してよね!」
軽口を叩きながら、テナが矢継ぎ早に魔王目掛け矢を射掛ける。
「喰らいやがれですぅ!」
テナと合わせて、イルマも射撃を行った。
三人娘は、出来るだけ射撃間隔を合わせているようだ。一発の密度を上げて、確実に動きを止める作戦を取っている。そうでないと、魔王は強引に攻撃してくる可能性がある。強引に来られては、いつまでもそう支えてはいられない。倒す必要は無いのだ。時間さえ稼げれば、美咲を逃がすことが出来る。
このまま様子見のような攻撃を続けてくれるのが一番良い。
「全く、効いてる気がしないね。味方のフォローができてるからまだいいんだけど」
自分の投げたナイフがあっさり魔王の手で払われたのを見て、ペローネが乾いた声を漏らす。
ペローネは本気で投げたというのに、魔王の動作はろくに力が込められておらず無造作だった。
基礎的な力が違うのだ。いくらペローネたちが筋力のリミッターを外して限界を超えられるといっても、魔王はその体格と、魔法による身体強化でさらにその上を楽々と飛び越えている。
せめて身体強化を無効化できればいいのだが、それは美咲にしか出来ない芸当だ。そして美咲が戦うには、タイミングが悪過ぎた。ある意味千載一遇の好機とも言えるのに、肝心の美咲が気絶していては、逃がす以外に選択肢が無い。
「どおりゃあ!」
正面からドーラニアがバトルアックスを振り上げ、斬りかかる。
バトルアックスを魔王は腕で受け止め、そのまま鍔迫り合いに入った。
自分の腕力に絶対の自信を持つドーラニアだったが、魔王が相手だとさすがに分が悪く、拮抗したのは数秒で、押し切るどころか逆に押し切られそうになる。
「非力だなぁ、人間というものは!」
「畜生!」
鍔迫り合いに負けたドーラニアが弾かれ、体勢を崩しながら転がるようにして後退する。
もちろんそんな離脱を魔王が許すはずもなく、無慈悲な一撃が放たれた。
「スゥオリィエヘェアウォツロォイユ!」
そこへアンネルが幻影魔法を発動させ、ドーラニアの姿を幻影に置き換える。
「ちっ、外したか」
幻影で目測を誤った魔王は、何もない地面を粉砕した腕を持ち上げた。
その間に、ドーラニアは弾けた礫で細かい傷を負っているものの、無事に距離を取って体勢を立て直した。
「助かった。危なく死ぬとこだったぜ」
「気をつけて。あなたが死ぬにはまだ早過ぎる」
礼を言うドーラニアに、アンネルは余裕がない表情で、魔王を見据えたまま答えた。
魔王が動き出す前に、離脱したドーラニアの代わりにユトラがラピとレトワを連れて飛び込んでいた。
ラピが前に出ながらユトラに叫ぶ。
「正面は私が押さえる!」
「なら、私達は側面からしかけるわ! レトワ、行くわよ!」
ラピが盾を構えて魔王に突進し、遅れてユトラとレトワが横合いから襲い掛かる。
「中々の連携だ! だが、地力が足りん!」
ユトラのメイスも、レトワの鎌も、ラピの剣も、魔王に有効打を浴びせることは出来ず、岩のような肌に弾かれてしまっている。
「鈍器を弾くなんて、ただ固いだけじゃないわね。弾力性もあるわ」
舌打ちをして、ユトラはメイスを構え直す。魔王の肌は、岩のように硬くても肌なのだ。硬いものをぶつけても衝撃を吸収されてしまう。
「うー。刃が欠けちゃってるよ……」
手元の鎌を見て、レトワが下唇を突き出して悔しそうにしている。ろくにダメージを与えられずに、一方的に自分の武器が刃こぼれしたのだ。不満を言いたくなるのも仕方ない。
反撃とばかりに魔王がラピ目掛けて拳を振り下ろした。
ラピは下がらずに、盾を掲げてその攻撃をいなそうとする。
真正面から受け止めたわけではなく、ずらして受け流し、衝撃を分散させたというのに、盾に拳が当たった直後、ラピが踏みしめる地面が陥没した。まともに受けていれば、ラピは盾ごとぺしゃんこになっていたかもしれない。
「気をつけて! こいつ、速い上に攻撃が重い!」
痺れた左腕を庇いながら、ラピは皆に注意を促す。攻撃が重すぎて、ラピですら何度も受けてはいられない。覚悟してはいたけれど、勝つための道筋が全く見付からない相手だ。
「サナコ、私とお前も左右から仕掛けるぞ! タゴサク、貴様も手伝え!」
「はい! 分かりました!」
「っ! 承知でござる!」
アヤメがサナコとタゴサクに叫び、駆け出す。
即座にサナコが呼応し、一拍送れてタゴサクも走り出した。
三人は初めてとは思えない連携を見せ、魔王を翻弄した。
特に意外だったのはタゴサクで、彼の実力はアヤメよりも上だった。
二度アヤメが斬り付けるのと同じ時間でタゴサクは三度斬りかかり、さらにはアヤメやサナコのフォローにまで回っている。
見た目はチョビヒゲ髷姿の冴えない男なのに、戦う姿は勇猛そのものだった。
「これはいけるんじゃないですか!? アヤメさん!」
「油断するな! 全く有効打を与えられてない! 反撃が来るぞ!」
惜しむらくは、そのタゴサクを加えた三人であっても、魔王には殆どダメージが入っていないというところか。
「ホォイユォアゥグゥオカァウノメェアリィエチクウォロタカゲオィオ!」
魔王が朗々と魔法を唱えた。
詠唱を聞いたサナコが、顔色を変える。サナコは魔族語を理解できないものの、それでもそれが魔族語だということは分かる。
「いけません……! 魔法が来ます!」
サナコは戦う仲間たちに慌てて注意を促した。
「皆急いで下がれ!」
「間に合わんでござる!」
顔色を変えたアヤメが叫んでサナコと共に飛び退り、距離を取ろうとするが、それよりも魔王の魔法が発動する方が早い。
離脱を諦めたタゴサクが、とっさにアヤメとサナコの前に割り込む。
だが魔王の魔法は全方位を襲い、最初から魔法の範囲外に立っていたセザリー、テナ、イルマ、ペローネ、アンネル、メイリフォア以外の全員を飲み込んだ。
それは、猛吹雪だった。
息をしようと口を開ければ、口の中の水分がたちまち氷結し、それは身体の内側まで及んでいく。
同時に肌の表面も凍り付き、たちまち分厚い氷に覆われていく。
イルシャーナ、マリス、ミシェーラ、ニーチェ、ドーラニア、ユトラ、ラピ、レトワ、アヤメ、サナコ、タゴサク。
上がった悲鳴は吹き荒ぶ吹雪に掻き消され、魔法の発動が終了した後には、凍った大地と、十一人の氷像が出来上がっていた。
「カァウデェアキィエトォイリ!」
魔王の更なる魔法が発動し、全ての氷像が粉砕された。
あっという間に前衛で戦っていた仲間が全滅したのを見て、誰もが声を失った。
やがて、セザリーが震える声で言う。
「……私達で、例え全滅してでも美咲様が逃げる時間を稼ぐわよ。絶対に、美咲様と魔王を出会わせてはならない。まだ、美咲様が魔王と戦うには、早過ぎる」
もはや、後衛の彼女たちを庇って戦う仲間は居ない。全員魔王に殺された。
「そう、だね。いくらなんでも、予想外だよ。強すぎ。こんなの、勝てっこない」
その事実に、テナは心底恐怖した。
だがそれでも、逃げ出すことはしない。そんなことをしても意味がないと分かっているし、テナにとっても、美咲を生き延びさせることが第一条件だからだ。それさえできれば、例えここで全滅することになっても、テナたちの勝利だ。美咲を逃がすという一番の目的を達成できるのだから。
「ここで死ぬなら、もっと美咲ちゃんと話しておけば良かったですぅ……」
半泣きになりながら、イルマは未練たらたらな様子でぼやくが、それは逆説的に、イルマが己の死を受け入れていることを示している。イルマもまた、義姉二人と同じように、ここで果てることを覚悟していた。
蒼白になった相貌で唇を噛み締めたペローネが、砕け散った仲間たちの氷の残骸にちらりと目を向ける。
「せめて、一レンは持たせたいわね。あたしたちの命が、それより安いとは思いたくない」
一レン、つまり十分だ。セザリー、テナ、イルマ、ペローネ、アンネル、メイリフォア、六人分の命で十分間の時間を買う。彼女たちがしようとしているのはつまり、そういうことだ。
「この戦いが終わったらたっぷり寝るつもりだったけど、永遠に寝ることになりそう」
アンネルが軽口を叩く。彼女は笑おうとして、失敗して頬をひくつかせていた。笑うことで、感じる恐怖を克服しようとしている。
「洒落になってませんよ……!」
泣き言を言いながらも、メイリフォアも覚悟を決めていた。いざとなったら魔王に特攻して、隠し持つ爆裂岩を全て爆発させるつもりだった。至近距離での大爆発をまともに喰らえば、魔王も少しは傷ついてくれるだろうか。
「テナ、イルマ。剣に持ち替えて私達で前衛を努めましょう。全員後衛のままじゃ、蹂躙されて終わりよ。持たないわ」
「分かった!」
「はいですぅ!」
弓を捨てた三人娘が、腰に差した鞘から剣を引き抜く。
「幻影は必要?」
言葉短く尋ねるアンネルに、セザリーは首を横に振った。
「要らないわ。さっきみたいな無差別攻撃には無意味だもの。むしろ誘発させることになりかねないし」
頷いたアンネルは、静かにスリングショットを構える。
「分かった。……気をつけて。できるだけ、私達も援護するから」
「善処する、と言いたい所だけど、こればかりは、どうかしらね」
苦笑すると、セザリーは自ら先陣を切って魔王に飛び掛かった。