十七日目:死の都市から脱出せよ2
ルフィミアは結局居館にはおらず、彼女を見つけたのは、主塔の最上階、番兵の詰め所でのことだった。
ここに詰めていた、夜通し見張りをしているはずの人族軍兵士たちは、皆ルフィミアの足元に倒れ伏している。
月が雲に隠れていて暗く、彼らが生きているかどうかは分からない。ただ、何故か、エルナが死んだ日のことを美咲は思い出した。
あの時の記憶を想起させるような何かが、ある。
思い出そうとして、ようやく気付く。
──目の前のルフィミアから漂う、隠し切れない血の臭い。
まるで、そう。エルナの血が流れた寝室で、目を覚ました時のような。
「だ、大丈夫ですか!? な、何があったんですか!?」
怪我でもしているのかと思い、慌てて駆け寄ろうとする美咲を、アリシャが手で引き止めた。
「待て。様子がおかしい」
「美咲ちゃん、警戒しなさい。兵士をやったの、多分彼女よ」
いつの間にかミリアンも戦闘態勢を取り、自分の獲物であるハンマーを構えていた。
「え?」
きょとんして、美咲が思わずアリシャとミリアンに目を向ける。
そこで初めて美咲は、ルフィミアの姿をよく見定めた。
──蝋人形のように血の気が引いた肌。
生気の感じられない瞳。
服についた、暗闇のせいで黒い模様にも見える真新しい何かの染み。
「あなたがいけないのよ。早く帰れって言ったのに、帰らないから。夜になってしまった。夜は死者の時間。私はもう、衝動に抗えない」
くすくすと笑うルフィミアの背後の窓から月が雲の合間から顔を出し、詰め所の中を照らす。
いくらか明るくなったことで、見えなくなっていた詰め所の惨状が露になる。
壁を濡らす血飛沫の痕。
苦悶の表情を浮かべたまま倒れた兵士たち。
彼らの身体からは夥しい血が流れていて、彼らは明らかに事切れていた。
「妙だとは思っていたが、やはりか。お前、死人だな」
「ええ、そうよ。何の因果か、こうして迷い出てしまった。いえ、この場合は、迷い出さされたって言った方が正しいのかしら。決して望んだ終わりじゃなかったけれど、私は満足して死んだもの。私の死を美咲ちゃんに背負わせちゃったから、せめてそのまま消えてなくなれば良かったのに、私は現世に呼び戻された。生きながらにして死んでいるというのは惨めよ。普通の食事は美味しいと思えないし、喜怒哀楽のうち、喜と楽が殆ど感じられなくなっている。感じられても、とでも鈍くしか感じられない。そのくせ妬み、恨み、そんな負の感情ばかり敏感で、生きていた頃の行動を後悔してしまう。自分の選択の価値を、自分で貶めてしまう」
「耳を塞ぎなさい、美咲ちゃん。死者の恨み言なんて、耳を貸す必要はないわ。囚われるだけよ」
ミリアンが美咲に忠告をするが、美咲にはミリアンの言葉が耳に入らない。ルフィミアが既に死んでいるという、その事実を、未だに認められないでいるのだ。
「どうしてあの時、あなたを庇っちゃったのかしら。あなたなんて、助けなければ良かったのに」
その言葉は、鋭いナイフとなって、美咲の胸に突き刺さった。
どうして自分なんかが庇われたのかなんて、美咲の方が聞きたい。それはエルナが死んだ時、ルアンが死んだ時、そしてルフィミアが死んだ時、その全てで美咲が悩み続けてきたことだ。
音もなくアリシャが疾走し、大剣をルフィミア目掛けて突き出した。
しかしその一撃は、ルフィミアに届くよりも前に、空間から滲むようにして現れた黒いローブを纏った髑髏によって防がれる。
「やはり貴様の仕業か! 死霊魔将アズール!」
『カカカカカ! いかにも! この女を死人人形に仕立て上げたのは我である!』
髑髏がけたたましく笑った。
同時に、ルフィミアの側に倒れていた兵士たちが、ゆっくりと身を起こす。
『今宵、今この時を以って、ヴェリートは死者が跋扈する死の都市となる! お主らも潔く諦めて、死者の仲間入りをするがいい!』
アズールが叫ぶと同時に、城の内外を問わず、街中が鳴動した。何かが決定的にずれたかのような気配と共に、城や街中が死の気配で覆い尽くされる。
「今まで誰の姿も無かったのは、今この時のために隠していたのか! 貴様、自分の策略のために、味方が駐屯する街一つを丸ごと巻き込んだな!」
突然次々と現れる気配に、アリシャが焦った声を上げた。
静かだったヴェリート中に、アズールによって蘇らされた人間や魔族の死体が徘徊を始め、騎士や兵士、傭兵たちを次々に見境なく襲い始める。動く死者の中には、元々ヴェリートの住民だった者や、ゴブリンの姿も数多くあった。
「逃げるぞ、急げ!」
すぐに撤退の判断を下したアリシャは、放心している美咲の首根っこを引っつかみ、抱え上げて走り出す。
『カカカカカ! 逃がすと思うか! やれ、忠実なる我が手駒よ!』
アズールは哄笑を上げ、ルフィミアに指示を下した。
「嫌よ。美咲ちゃんを殺したくない。守ったものを自分で壊すなんて馬鹿げてる。でも、やりたくないのに憎しみが止まらない。どうして私はまだ生きてるの。何で死なせてくれないの。皆死ね、死んでしまえ」
もはや錯乱ともいえる状態で呪詛を撒き散らしながら、ルフィミアが魔法の詠唱を始める。
「アリシャ、ここは私が押さえる! あなたは今のうちに美咲ちゃんを連れて脱出を!」
「……すまん!」
自主的にその場に残ったミリアンを置き去りにして、アリシャは主塔から脱出した。
美咲を放り投げ、美咲が滞空しているうちに中庭に降り、降ってきた美咲を抱きとめたアリシャは、礼拝堂や倉庫、別棟などの中庭に面する建物からも死人が溢れ出てきたのを見て舌打ちをする。
「ちっ、こんなところにまで現れるか!」
囲まれる前に走り出したアリシャは、居館に逃げ込むと、目を見張った。一階の厨房や使用人たちの部屋から、騎士や傭兵たちの姿をした死人が出てきたのだ。
片手で大剣を抜いたアリシャは、進行を邪魔する死人をなぎ倒し、二階に上がる。
「さっさと起きろ、馬鹿者ども!」
怒号を発したアリシャに抗議するかのように、三つの部屋の扉がほぼ同時に開いた。
美咲が泊まっていた寝室からは、すぐに完全武装のセザリー、テナ、イルマが飛び出してきた。
「もうとっくに起きています! こんな状況で寝ていられるわけないでしょう!」
セザリーはアリシャに怒鳴り返すと、二階への螺旋階段を登っている死人に斬りかかり、一撃で斬って捨てた。
崩れ落ちる死人を蹴り倒し、後ろの死人ごと階下まで転げ落とす。
だが、死人はしぶとい。巻き込まれて落ちた死人だけでなく、胴を分かたれた死人も、上半身だけで再び這いずって階段を登ろうとする。
「……強くはありませんが、恐ろしくタフですね。厄介な」
その様子を眺め、セザリーは呟いた。
「やっば! もうこんなにいっぱいいるよ! 早くしないと出れなくなる!」
同じようにテナも螺旋階段を登る死人を次々に斬っては蹴り落としているが、殺すまでには至らず、中々階段の安全を確保できていない。
「数が多すぎますぅ! 窓から出られませんかぁ!?」
剣で果敢に斬りかかりながらも、イルマは涙目だった。やけっぱちである。
同時に客室からはニーチェ、ドーラニア、ユトラが飛び出してきた。
「ニーチェも戦闘に参加します!」
暗器を駆使し、ニーチェは立体的な動きでセザリー、テナ、イルマの援護をする。
美咲に買ってもらって以来愛用しているバトルアックスを携え、ドーラニアが回りを見回して階段の状況を確認する。
「よっしゃあ、暴れるぜぇ! おい、誰か変われ! ずっと戦ってるとすぐに潰れちまうぞ! 休憩挟めよ!」
やってくるドーラニアに気付いたセザリーとテナが、イルマに叫んだ。
「先にイルマが下がりなさい!」
「テナちゃんもまだ戦えるからね! 一番体力が少ないイルマから下がりな!」
義姉二人の言葉に従い、イルマはドーラニアが前に出るのと入れ替わりに後ろに下がり、今度は弓で死人を狙い打つ。
「お、お言葉に甘えますぅ! でも、その間に弓で援護しますよぉ!」
イルマが放った矢は正確に死人の頭に突き立った。
ふらりと揺れた死人は、そのまま地面に崩れ落ちる。どうやらセオリー通り、頭を潰すというのは有効らしい。
「すぐに皆も出てくるわ! 私達で支えているから、美咲は今のうちに準備を! 正面の出口はもう使えない! イルマの言うとおり、二階の窓から逃げましょう! 急いで!」
ユトラが言った通り、すぐに残りのメンバーも出てくる。
二階から一階を見渡したペローネは、もはや一階を埋め尽くす量になっている死人たちと、踊り階段で戦う仲間たちとを見比べて、唖然とした顔になった。
「何が何だか分からないけど、どうなってるの!?」
寝ていたペローネにしてみれば、多少不可解だったとはいえ順調にここまで来て、あともう少しで帰れるというところになって、この襲撃である。油断していたわけではないけれど、それでも寝耳に水だ。
「ホホホホホホホ! いまいち事情はさっぱりですけど、とりあえず逃げれば宜しいのですよね? 露払いをいたしますわ!」
こういう場合、根が単純な方が順応が早いらしく、状況に対する理解をすっ飛ばして自分が何をすべきかだけ察知したイルシャーナが、助走をつけると階段の手すりを蹴り、ロケットスタートをしたように空中で加速して、セザリーを飛び越えて死人の群れに槍の一撃を加える。
加速の槍の効果だ。『加速』の加護を身にまとったイルシャーナは、己の髪の色と同じ金色の燐光に包まれていた。
「イルシャーナ! ここはいいから、美咲様のところへ!」
死人を一匹階段の下に叩き落したセザリーが、腕の甲で汗を拭いながらイルシャーナに叫ぶ。
「あなたはあくまで接近戦もできるというだけで、専門ではないでしょう。接近戦はわたくしどもにお任せあれ」
飄々としたイルシャーナはセザリーが死人を一匹相手にしている間に、三匹を纏めて階下に叩き落していた。
セザリーとて総合的な実力では決してイルシャーナに劣っていないものの、近接戦に限れば明らかに実力差があり、イルシャーナに任せた方が効率的であることは、セザリー自身の目にも明らかだった。
なので、セザリーはすぐに決断し、義妹たちに声をかける。
「……分かったわ。なら、私達が美咲様の援護に回ります。テナ、イルマ、行くわよ」
「ほいきた!」
「はいですぅ!」
先んじて戦線を支えていたセザリー、テナ、イルマが一斉に退く。
入れ違うようにして、マリス、ラピ、レトワの近接戦闘組が空いた空間を埋めた。
「こいつら、全員死人か。人がいなかったのは、軒並み死人に変えられてたからだったんだね」
振るわれる双剣は縦横無尽。攻撃をいなすと同時に一撃を加える攻防一体の剣技は、マリスの幼い容姿とは裏腹に、どっしりとした安定感を感じさせる。
「ちっ、今まで静かだと思ったら、全部罠だったのね!」
舌打ちをしたラピが、振るわれる死人の腕を盾で打ち払い、そのまま盾を構えて突進してその死人を階段から突き落とした。死人にしてみれば、鉄の壁と激突したのと変わらない。勢いよく吹っ飛び、死人は仲間の群れの中に沈んだ。
「死人さんって、食べられるのかなぁ」
「食べれないから、食べようと思うんじゃないわよ!」
どことなく物欲しそうな顔のレトワは、即座に入ったラピの突っ込みに、頬を膨らませた。
「ちぇ。つまんなーい」
不機嫌そうな顔をしながらも、レトワの身のこなしは俊敏だった。
伸びてくる腕に無造作に片手の鎌の刃を引っ掛け、引く。独特な鎌の形状はそれだけで死者のバランスを崩させ、前のめりにさせた。本来ならこの隙にがら空きの急所に鎌を当て、斬りながら関節を極めてさらにバランスを崩させ、さらに斬りながら極めのループに入るのだが、死者相手には技巧を凝らすような戦い方よりも、力で押し通す原始的な戦い方の方が向いている。
無理をせずに、レトワはふらついている死者を容赦なく前蹴りで蹴り落とした。階段から転げ落ちても当たり所が悪ければ十分人は死ぬので、もしかしたらこれだけでも動かなくなるかもしれない。可能性は低いけれども。
「せっかく気持ち良く寝てたのに。呪ってやる」
三度の飯よりも大好きな睡眠を楽しんでいたところを叩き起こされたアンネルは、ぶつぶつ言いながら、スリングショットで石弾を放ち、戦う仲間たちの合間を縫って、近付いてくる交戦していない死人の頭に正確に当てる。
アンネルの狙いはけん制だ。生きている人間ならともかく、死人は石を当てた程度は中々死なず、効率が悪い。なので、アンネルは徹底的に、死人の集団を仲間に近付けさせないことに重きを置いている。その作戦は功を成し、戦っている近接戦闘組はだいぶ余裕がある。
「間違っても喰うな! 腹壊すわよ!」
「生き延びられたら好きなだけ寝ていいから! 今は起きてないと死んじゃうわ!」
セニミスとメイリフォアが、それぞれ同時にレトワとアンネルに向けて叫んだ。
怪我人が出ない限りセニミスの出番は無いし、メイリフォアは獲物が爆発物なので、味方を巻き込みかねない今の状況ではやることはない。なので、すぐにやる気を無くすレトワとアンネルを叱咤していた。
「……二人は相変わらずのようね」
遅れて美咲が泊まっていた寝室から出てきたミシェーラが、彼女たちの様子を見て、苦笑する。
「ある意味らしいですけどねー。あー、戦えないのが歯がゆいですね、こういう時は」
戦いの様子を観察したミシェーラは、眉を寄せた。
階段という限られた空間の中で近接組が暴れ回る中、精密狙撃で援護する遠距離攻撃組。
扱う武器の性質上戦うのに多くのスペースを必要とするミシェーラでは、実力を出し切れないだろう。
判断を下したミシェーラは、この場は彼女たちに任せることにした。
「システリート。私達は美咲の援護に回りましょう。おそらく、上手く居館を脱出できたとしても、戦いは続くわ。きっと私達の力が必要になる」
「分かりました。でも、戦えない私の力がどう役に立つんですかねぇ」
頷いたシステリートだが、彼女自身は非戦闘員だ。強化されているといっても、死人に取り囲まれて無事で済むとは言い難い。
「さあ? でも肉壁にはなるでしょ」
「ちょ。それ酷くありません?」
適当なミシェーラに、システリートは唇を尖らせた。
同時に客室から残るアヤメとサナコが飛び出してくる。こちらも完全武装だ。
「真夜中に大層な出迎えだな! サナコ、飛び込むぞ!」
「背後はお任せください!」
走り出した二人は手すりに飛び乗ると、器用にその上を疾走した。
音を立てて手すりを蹴り、螺旋階段の戦いに飛び込んで加勢する。
その頃ようやくタティマたちが起きてきた。
武装を整えたタティマは、慌てたように廊下に出てくる。
「すまん、遅くなった!」
「くそ、どうなってやがる!」
「うまく行き過ぎてると思っていたけれど、こういうからくりだったのか!」
「ヒエー! 死にたくないでやんす!」
「とにかく戦うでござるよ!」
騒がしく話しながら、タティマたちが階段の戦いに加わった。
大人数が同時に動けるほど広いわけではないので、代わりに先ほどまで戦っていたペローネ、ニーチェ、アンネルが美咲の下へ戻ってきた。
「うわーん、お姉ちゃん、怖いよ!」
「ミーヤちゃん、私達は戦いの邪魔にならないように、美咲様の手伝いをしましょう! それが私達にできる、負担にならない一番の方法です!」
「う、うん! ミーヤ頑張る! お姉ちゃん、何をすればいい!?」
恐慌を起こしかけて大泣きしていたミーヤだったが、ディアナに説得され、泣き止んで気丈に美咲に指示を仰ぐ。
美咲はまず、メンバーの確認から始めた。
自分を含め、今この場にはミーヤ、アリシャ、セザリー、テナ、イルマ、ニーチェ、アンネル、システリート、メイリフォア、ディアナの計十一名がいる。
この人数で、居館を脱出する方法を探らなければならない。
「……さっきイルマちゃんが言ってた通り、窓から降りれる場所を探しましょう。並行して、下りるための梯子を作らなきゃいけないから、二手に分かれた方が良さそうね」
「梯子作りなら私に任せてください! 大得意です!」
すかさずシステリートが手を上げた。攻城に使う梯子とはまた違うが、ようは安全に下りられればいいのだ。こういう時、システリートの物作りの知識が役に立つ。
「私も梯子作りに回ります。戦えませんから、こっちの方がお役に立てるかと」
控えめに、ディアナも手伝いを申し出る。
顔を上げ、考え込んでいたニーチェも意見を表明した。
「ニーチェとアンネルも手伝います。人手は多いほうがいいでしょう」
「何で私まで……」
アンネルの文句に、ニーチェが振り返る。
「なら、脱出場所を探す方にしますか? そっちの方が大変だと思いますけど」
「……いい」
よく考えたら、ニーチェの言う通りだと気付いたアンネルは、首を横に振った。
やり振りが固まったのを見て、美咲が締め括る。
「じゃあ、私とミーヤちゃん、アリシャさん、セザリーさん、テナちゃん、イルマちゃん、メイリフォアさんで行きましょう。二階の窓の下を調べて、包囲が薄い場所を探します」
「全員で同じ場所を探すのは効率が悪い。班を分けた方がいいぞ」
アリシャの指摘を受け、美咲はすぐに割り振った。
「あ、そうですね。じゃあ四班に分かれましょう。私とミーヤちゃんで一班、アリシャさんでニ班、セザリーさん、テナちゃんで三班、メイリフォアさんとイルマちゃんで四班。一班から三班は寝室、居間、客室の各部屋の窓を、四班は二階廊下の窓を調べてください。急ぎましょう。時間がありません」
階段で奮戦している美咲の仲間たちも、いつまでも支えきれるとは限らない。セニミスがいるから即死でなければ傷を癒せるが、治療中はもちろん戦えない。治療を受けている本人はもちろん、セニミス自身も身を守る手段がほとんどないので無防備だ。
いつ崩れてもおかしくない以上、あまり時間はかけられない。
各自、すぐに作業に取り掛かった。