十七日目:最後の晩餐2
和やかな食事の時間は続く。
「……随分、にぎやかになったのね。良かったわ。美咲ちゃんことは、心配だったから」
料理を食べる手を止め、大きな食卓が全席埋まっている光景を眺めながら、ルフィミアがぽつりと言った。
ルフィミアと美咲の、たった二人きりでヴェリートに着いた時とは、何もかもが違う。
用意されていたフィンガーボウルで、手についた肉の汚れを落とした美咲は、食事を再開するでもなく、椅子に座ったまま、ぎゅっと両の拳を膝の上で握った。
「……私、変わらなきゃって思ったんです。ルアンが死んじゃって、ルフィミアさんも死んだかもしれなくて、私がもっと強かったら、違う結果になったかもしれないって考えたら、自分が弱いままでいるのが、許せなくて。だから、頑張りました。頑張って良かったです」
そう言って、美咲はルフィミアを見上げると、嬉しそうにはにかんだ。
心の底から美咲がルフィミアの無事を喜んでいることを知ったルフィミアは、何かを言おうと口を開きかけて、弾かれたように口を噤んだ。
「どうしたんですか?」
「何でもないわ」
美咲が尋ねると、ルフィミアから取り繕った答えが返ってくる。
「何だか、今日戦争があったばかりなのに、こんなしっかりした食事ができるなんて、妙な気分です」
ルフィミアの隣の席に座るセザリーが、蒸かしたグルント芋にグルダーマのモッサムをつけながら苦笑し、一口食べた。
「あら、美味しい」
セザリーの表情が綻ぶ。
グルント芋はジャガイモをそのまま大きくしたような芋で、ジャガイモに比べて大きさが二倍、三倍くらいになっている。グルダーマは牛に似た魔物であり、モッサムはバターのことである。
「肉ー肉ー。食べ放題なんて幸せだわぁ」
ミリアンの隣、セザリーの対面に座るテナは、豚と鳥を掛け合わせたような魔物、ギッシュの揚げ物を美味しそうに頬張っている。脂身が多いギッシュは、しっかり下味をつけて揚げ物にすると美味いのだ。いわゆるギッシュカツという、パン粉の衣をつけて揚げた、この世界の定番料理である。
後は腸詰なんかにも向いており、これは美咲も食べたことがある。火で炙ったギッシュの腸詰は、肉汁が腸詰内に溜まり、噛み千切るとトロリと流れ出してとても美味しかったのを覚えている。食感としては、美咲の世界のウインナーにハンバーグを混ぜたような感じだ。
「野菜も食べて、バランスを取らなきゃ駄目ですよぅー。テナちゃん偏食し過ぎですぅ」
テナの対角、セザリーの隣に座るイルマが、肉ばかりを己の皿に取り分けるテナに注意をする。
「えー。いいじゃん。いっぱいあるし。それに、イルマだってさっきから野菜しか食べてないじゃない」
けろりとするイルマは、逆にイルマの皿の内容に突っ込みを入れた。
イルマはテナとは逆に、先ほどから肉を避けて野菜ばかり自分の皿に取っている。
「う。いいじゃないですかぁ。お肉苦手なんですよぅ」
痛いところを突かれたイルマがしゅんとした。
結局のところ、偏食が酷いという点ではテナもイルマも五十歩百歩なのである。
「やっぱり、今日くらいは警戒した方がいいのではないでしょうか」
早めの祝宴を挙げていることに心配そうな顔をするセザリーの不安を、ペローネが否定する。
「騎士団も来てるし、私達より遥かに大きい規模の傭兵団が二つも来てる。何かあってもまず彼らが対応するはずよ。あたしたちが準備を整える時間は、十分あるわ」
ペローネはイルマの対面、テナの隣に座っている。テナもイルマも、両隣は大人ばかりなので、彼女たちの幼さが強調されている。
食事を取るペローネの姿勢は真っ直ぐ伸びていて綺麗で、食器を持つ手つきにも品がある。彼女の所作が美しいのは、元々彼女が娼婦だったためだろう。娼婦といってもその境遇は様々で、ペローネは中でも最高級に近い位置にあったに違いない。最高級ともなれば確かな教養を備え、芸に秀で、客を断る権利すらある。境遇としては、美咲の世界の花魁に近い。
そんなペローネが奴隷に落ちたのは、彼女を妬むライバルに蹴落とされ、最高級娼婦の座から引きずり下ろされた為である可能性が高い。
どの時代どの世界でも、女の争いというものは熾烈だということだ。
彼女が食べているのは、ヴァリオゲッツィの酒蒸しだ。ヴァリオゲッツィはベルアニアでは珍しくも無い食用の川魚で、よく獲れ大きさも手ごろなために、市場に多く出回っている。
ただ、川魚なので寄生虫のリスクがあり、生食には向かず、今回の酒蒸しのように、必ず加熱調理をして出される。他には塩焼きやムニエルなどでよく供される。
「わたくしたちは、もう十分働きましたわ。後はもう、騎士団の方々や他の傭兵団の方々に任せてもいいと思います。下手に嫉妬されても困りますもの」
こちらもペローネに負けず劣らずの行儀作法を見せているイルシャーナは、イルマの隣に座っている。美咲から見ると、ミーヤの方の列の五番目の席である。
イルシャーナが貴族の子女だった可能性はかなり高い。とはいえ貴族とはいっても数あるわけで、中には国ごと滅んでしまっている貴族の家も多々あり、イルシャーナの過去を特定するのは不可能に近い。さらにいえば、貴族らしく調整されているだけで、実際は貴族ではない可能性だってある。イルシャーナ自身が覚えていない以上、過去を辿るのは不可能に近い。姿形だって、昔とは変わっているかもしれないのだ。
ナイフをフォークを丁寧に使い、イルシャーナは牛型の魔物、グルダーマのステーキを小さく切り分けて頬張っている。
「結局はなるようにしかならないさ。それより問題は今後のことについてだよ。戦争は終わったけど、ボクたちはまだ魔王城の位置を突き止めてないんだから。まずはこれをやらないと、次の行動を立てられないよ」
アリシャの方の五番目の席には、マリスが座っている。ちょうどイルシャーナの対面で、マリスの左隣がペローネであり、右隣がシステリートになる。
マリスの言うことはもっともで、美咲の最終目的が魔王の殺害による呪刻解除後の帰還である以上、最終的に魔王城に乗り込む必要が必ず出てくる。あるいは魔王が向こうから美咲の前に出てきてくれるならまた話は別かもしれないが、わざわざそんな真似をする奇特な魔王もいまい。
ドルルーガの卵がマリスの好物らしく、綺麗に巻かれた卵焼きを、マリスは複数自分の皿に取り分けていた。
卵は美味いが、成鳥になったドルルーガの肉は固く、筋張っていて非常に不味い。雛ならば柔らかいので、肉を食べるなら雛を捌くのが一般的な鳥型の魔物だ。
鳥型の魔物の中ではとても大きく、獰猛でパワフルな習性を持つ。空は飛べず、代わりに地を軽快に走り、地方によっては騎鳥として扱われることもある。
姿かたちで一番近いのは、美咲の世界でかつて生息していた恐鳥類という括りに入る鳥たちだろう。太い二本の足で走り、大きな頭についた嘴で肉を啄ばむ。その力はライオンと同等なのだとか。ダチョウなどとは全く違う。
「確かに、マリスの言うとおりだわ。美咲様、明日になったら、帰りながらあのドラゴンの尋問をしましょう」
同意を示したミシェーラが、美咲に蜥蜴魔将ブランディールの愛竜であったバルトの尋問を提案する。
ミシェーラはイルシャーナの隣に座っており、ミーヤと同じ列になる。
ペローネやイルシャーナほど、食事の仕方が洗練されているわけではないものの、逆に特に問題があるわけでもなく、いたって普通だ。むしろ、普通の中では出来がいい方だろう。
手にはビールが入ったカップがあり、既にいくらか飲んでいるようで、ミシェーラの顔は僅かに赤らんでいた。つまみとしてか、自分の皿に取り分けたバステロ豆をちびちびと剥いて食べている。
バステロ豆というのは、以前美咲も食べたことのある、この世界の豆だ。見た目は枝豆に似ているが、枝豆のように緑ではなく、緑と茶色が混ざったような莢をつける。もちろん中の豆も同じ豆だ。初めて見た時、美咲は豆が古くて悪くなっているのかと疑ったものだが、この色が普通なので、新鮮な豆でも同じ色である。
食べる際には、莢ごと塩茹でするところも枝豆とよく似ている。
「はあはあはあ。ご主人様を食べてしまいたい」
久しぶりにシステリートが発作を起こして、危ない発言をしていた。どうやら今まで真面目にしていなければならない局面が続いていたために、ひと段落したところで限界が来てはっちゃけてしまったようだ。
幸いシステリートの席はミシェーラの対面なのでそれほど近いわけではなく、実害は無いので美咲は放っている。ただ、遠いわけでもないので、先ほどのようにシステリートの言葉は美咲の耳にも入ってくるのだが。
システリートはスープを飲んでいた。
スープはこの世界ではもっとも一般的な食べ物で、老若男女、貧富の差を問わず広く食べられている料理だ。
とはいっても、汁を飲むというより、具を食べるという表現の方が適切で、基本的に具沢山であり、スープというより煮物と表現した方が正しいこともある。
竈とシチューポットがあれば手軽に作れるため、旅の下でも作られることの多い料理の一つだ。店などでは、一度作ったスープに材料や汁を継ぎ足して作っているところも多く、補充が簡単で一度に大量に作れるのが特徴だ。
「変態は黙りやがれなのです」
ぼそりとミシェーラの隣に座っているニーチェが呟いた。
ニーチェは肉料理と野菜料理を満遍なく取っている。だが全てがパイで、むしろパイしか取っていない。ニーチェはパイ好きのようだ。
先ほどまではミートパイに何種類もの野菜のパイを皿に積み、満足そうにしていたのだが、システリートの発言を聞かされて気が削がれたらしく、露骨にシステリートにむけて舌打ちしている。
「うめえうめえ。これだけたくさん材料が残ってるなんてもったいねえな。魔族軍の奴らはどうして持ち出さなかったんだ? まあ、その分あたいらが食えるからいいけどよ」
豪快に骨付き腿肉のローストにかぶり付いたドーラニアが、肉を噛み千切って咀嚼する。ワイルド過ぎて、ますます美咲の目にはドーラニアが女山賊か何かにしか見えない。あるいは女海賊か。どちらにしろ賊なので、討伐されること必至である。
ドーラニアはニーチェの対面に座っており、さらに左隣がマリスなため、ますますその巨体が目立って見える。ついでに言えばドーラニアの右隣はこれまた美咲より歳下のラピなので、ドーラニアは三方を全て最年少組に囲まれていることになる。マリス、ニーチェ、ラピの三人の小さな頭の中央にドーラニアの大きな頭が聳えているのを見て、美咲はまるで山みたいだと思ったとか何とか。
「こうしてあらゆる物資が残されていて、始末もされていないし、毒が盛られているわけでもない。井戸を汚されている様子もない。此処まで来ると返って妙よね。それだけ魔族軍の撤退が、魔族軍自体にも予想外のことだったのかしら」
メメトと香辛料で味付けされたプルーネを食べながら、ユトラが訝しげに呟く。
料理を堪能して酒を楽しみながらも、懸念が残っている以上、宴の席であっても真面目な話題が上がらないということはない。
少なくとも、美咲たちは決して油断などしていない。人数が二十人以上いるのだから食事の量がそれだけ多くなるのは当たり前のことだし、結果的にまるで宴会のようになってしまうのは仕方ない。子どもたちもいるのだからなおさらだ。まあ、彼女たちの場合は、肉体改造の影響で幼さは戦闘能力の低さを保障するものではないのであるが。
ちなみに、メメトはトマトに似た野菜で、味もほぼトマトと同じである。ただ、色が違い、トマトが赤いのに比べ、メメトは黄色い。そういう意味では、栄養分析したらどんな結果が出るのか、少し恐ろしくもある。もしかすると、未知の栄養素が検出されるかもしれない。
プルーネは色を除けば米そのものだ。品種としては、元の世界の古代米に近いだろう。黒い米で、炊き上げると紫がかったご飯になる。ただ、ベルアニアでは米を炊くという調理法が浸透しておらず、米は大体茹でられて調理される。ユトラが食べているのも、炊き上げた米ではなく、米から調理されて味付けされたリゾットだ。
食事は賑やかに続いた。