十七日目:嵐の前の静けさ7
少し時間を遡って、美咲、ミーヤ、セザリー、イルシャーナ、ミシェーラの一班は、一階左手にある扉を開け、案の定やたら曲りくねった廊下を通り、その先の厨房にたどり着いていた。
もちろん電化製品などあるはずもないので、厨房は暖炉や竈など昔ながらの調理設備が備わっており、調理代の上にはいくつかの食材が放置されたままになっている。
さすがに火は消えているようだが、まだ厨房の中はほんのりと暖かく、廊下との気温差がはっきりと感じ取れる。
また、食材そのものの匂いやそれが調理される際の匂いなど、なんとも食欲をそそる匂いの残滓が漂っている。
火傷しそうなほど熱いわけではないので、少しは時間が経っているようだが、それでもせいぜい数時間といったところだろう。
「ここも、つい最近まで人がいたみたいですね」
美咲が厨房の中を見回して言う。
暖炉にはたくさんの串焼きが立てかけてあり、火が入っていれば肉汁が滴る様を見せていたであろうことがはっきりと窺える。
「串焼きーもったいないー」
ふらふらとミーヤが暖炉の串焼きに近付こうとしたので、美咲は腕を引っ張って止めた。
「状況が分からないから、食べちゃ駄目よ」
「うー。目の前にいっぱいあるのに……」
お預けを食らったミーヤは、暖炉の串焼きを物欲しげに見つめた。
状況が分かっていても、勿論拾い食いはいけないので、美咲はミーヤにこれらの食べ物を食べさせるつもりはない。
他にも鍋いっぱいに作られたスープや、調理台の上に置かれたままの、詰め物がいっぱい入った鳥型魔物の丸焼き、何かのひき肉が詰められたパイなど、さまざまな料理が調理途中で放置されている。
厨房の温度具合からいって、最近まで使われていたことは間違いない。おそらくは、美咲がブランディールと死闘を繰り広げていた時は、まだ人がいたはずだ。戦闘が終わってからヴェリートに着くまでの間に、何があったのか。
ぐるりと厨房を見渡したセザリーは不審そうに眉を顰めた。
「使用人居住区でも感じましたが、妙ですね。何かに襲われたにしては、部屋に散らかった様子がありません。まるで、作業途中でどこかに自主的に出て行ったような、そんな印象を感じます」
美咲はセザリーに同意する。
この厨房だけでなく、少なくとも通った場所全てがそんな状態なのだ。明らかに異常事態である。
一箇所だけならば偶然という理由で納得も出来ようが、全てとなると話は 別だ。
きな臭い。
「そうだね。確かにそんな気がする。ここだけじゃなくて、ヴェリート全体がそうなってるよね。明らかに変だけど、どうしてこんな状態になってるのか、その事実を知るにはまだ材料が足りない」
考え込む美咲に、イルシャーナが尋ねた。
「探してみます? 何か手がかりがあるかもしれませんし」
イルシャーナは早速やる気になって、腕捲りをし始めている。一言美咲に命じられれば、嬉々として行動を開始するだろう。
「この城全ての食事を賄っているにしては、少々規模と材料の量が少ないような気もするわね」
厨房の中央にまで足を進めたミシェーラが、調理台の上の食材や竈、暖炉に設置されている食材をその場でざっと確認しながら不審そうな表情を浮かべる。
勿論役目や身分などによって分けられているだろうから、全員分とは行かないだろう。せいぜいが、必要とされるのはヴェリートを治めていた領主一族を賄える程度の数である。
考え込んだ美咲は、一つ仮説を立てた。
「もしかすると、この厨房は太守とその家族だけの食事を作っていたのかもしれない。兵士や使用人たちの食事は別の場所で作ってたのかも」
美咲が知る現代の一般家庭の台所と比べれば圧倒的に広いが、それでも大きなホテルなどに比べれば小さな台所だ。
住み込みの兵士や使用人なども含めれば、城に住んでいたであろう住人の人数は、間違いなくホテルなど比べ物にならない。
(うー、食べたいなぁ)
一方で、難しい話よりも串焼きに心を奪われているミーヤは、いかにして暖炉の串焼きを手に入れるか、その手段を考えていた。串焼きが食べられないものだとは考えもしない。ミーヤにとって串焼きは食べて当たり前のものであり、どうしても食べたいものだったからだ。駄目と言われて、ミーヤは余計に食べたくなっていた。
暖炉の串焼きの串に手を伸ばしかけたミーヤは、ちょっと躊躇した後でえいと串を掴んだ。
思ったより熱くなく、ほっとしたミーヤは笑顔で串焼きを一本暖炉から引き抜いた。
「ほら、マク太郎、この串焼き味見して?」
満面の笑顔を浮かべたミーヤに、串焼きを口元に突きつけられ、マク太郎が嫌そうな顔をした。
熊型の魔物の癖して、妙に表情豊かである。
「くまくまくまくま……(オレに変なもの食わせようとするなよ……)」
気づいた美咲が慌てて走り寄ってきた。
「ちょ、ミーヤちゃん何やってるの。止めなさい」
嗜める美咲に、ミーヤはふるふると首を横に振る。
「やだ。食べたいもん。マク太郎が食べても大丈夫なら、きっとミーヤが食べても大丈夫だよ」
完全に駄々をこね始めたミーヤを、美咲は粘り強く説得する。
「駄目よ、マク太郎がお腹壊したら大変でしょ」
その横で、調理台の材料をせしめたペリ丸が脳天気に言った。
「ぷうぷうぷうぷう(ぼくはこの野菜をかじってみるのー)」
「ペリ丸待ちなさい!」
さっそく戦利品の食材に歯を立てようとしたペリ丸を、美咲は寸でのところで止める。
先に手を出したペリ丸に倣い、着いてきていたベウ子の娘の働きベウたちが、次々と材料を持ち出して美咲のところに飛んできた。
「(これで)」
「(肉団子)」
「(作っていい?)」
「(ママへのお土産にしたいの)」
見た目が巨大化したオオスズメバチなので、喜怒哀楽が分かりにくいベウたちだが、何となく楽しげだ。羽音も軽快に響かせている。
親愛の情を示そうと、働きベウたちは美咲に纏わりついた。
腕やら背中やら頭やら、思い思いの場所に働きベウたちに引っ付かれ、美咲の表情が盛大に引き攣る。
虫に対する生理的嫌悪から、美咲は盛大に体中を掻き毟りたい衝動に駆られた。
さらに言えば、見た目が災いして、もし刺されたら、という危機感も美咲の中にはしぶとく残っている。
理性では魔物使いの笛で仲間になったのだから、針で刺されるようなことはないというのを理解していても、見た目のインパクトによる危機感というのは、反射的に湧き上がってくるものだ。これは条件反射に近いもので、仕方ない。
「作るならもっと安全な材料にしようね! ね!?」
美咲は説得の末に、何とか働きベウたちを思い留まらせることに成功した。
「ばうばうばうばう(肉は生きたまま食うに限る)」
「ばうばうばうばう!(踊り食いとか最高よ!)」
ゲオ男とゲオ美は行儀良く伏せをして待っているが、サークレットから伝わってくる鳴き声に込められた意思は物騒極まりない。
「ぴいいいいいい(これ見てたらお腹空いたよ)」
「ぴいいいいいい(食べちゃ駄目なの?)」
「ぴいいいいいい(パパが駄目って言ってたよ)」
「ぴいい(ちぇー)」
ベルークギアの幼竜四匹は、兄弟姉妹間で自己完結したようだった。
騒がしく鳴く魔物たちを、イルシャーナが苦笑して見つめた。
「こういう時、美咲様みたいに魔物の言葉が分かればいいのにと思いますわねぇ」
魔物たちとコミュニケーションが取れるのは、サークレットをつけている美咲ただ一人で、他は魔物使いの笛の現在の持ち主であるミーヤすらできない。
なので、ミーヤを含む美咲以外の人物が魔物とコンタクトを取るためには、美咲の存在は必須だった。
「私たちには必要ないでしょう。美咲様が分かっていれば、それで十分よ」
セザリーの言葉は正しいが、セザリー本人も自分はともかく、他の人にはあった方がいいかもしれないと思い始めている。
「ミーヤも分からないのは、少し可愛そうよね」
いつも美咲に通訳してもらっているミーヤを思い受かべ、ミシェーラがため息をつく。
それから美咲たちは調理台の下や壁の隅、暖炉の灰の中など様々な箇所を調べたが、何も出て来ずに、調査は空振りに終わる。
再び話し合う美咲たちは、結論を出す必要性に迫られていた。
「うーん、やっぱり怪しいところは無さそうですね。隠し部屋とか期待したんですけど」
残念そうに唇を尖らせる美咲は、空振りに終わったことで、不満半分、安堵半分の複雑な表情を浮かべている。
危険はないに越したことはないというのは間違いないものの、一切変化がないというのもそれはそれで問題がある。
「厨房に隠し部屋を作る理由は分かりませんが、確かに何も見つかりませんね。いたって普通の厨房のようです」
セザリーが美咲に調査した結果を報告している。
「きっとただの厨房なんだよ。だから串焼き持って帰ってもいいでしょ?」
串焼きに手を出すのを美咲に禁じられたミーヤは、ここぞとばかりに美咲に甘えて強請った。
「駄目。ラーダンに帰ったら買ってあげるから、我慢しなさい。我慢できるなら、普段よりもたくさん買ってあげる」
ため息をついた美咲が出した妥協案に、ミーヤあれだけ出していた我侭をとたんに引っ込めた。
「わーいじゃあ我慢する!」
新しい串焼きを買ってもらえるのが確定して上機嫌になったミーヤは、完全に元の串焼きから興味を無くしたらしい。どう考えても時間が経って冷めかけた串焼きよりも作りたての串焼きの方が美味しいので、ある意味当然の反応である。
美咲がミーヤの反応を苦笑しながら見つめていると、イルシャーナが問いかけてきた。
「美咲様、どうします? 何も見つからないなら、皆さんと一度合流するのも、手だと思いますわよ。他で何か進展があったかもしれないですし」
少し考え、美咲は助言を求めた。
「そうね……。ミシェーラさんはどう思います?」
自分が頼られるとは思っていなかったのか、ミシェーラは少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに真剣な表情で考え、美咲にアドバイスをする。
「大体怪しそうなところは探し終えて、結局何も出なかったし、切り上げていいのではないかしら」
「分かりました。じゃあ、戻りましょう」
頷いた美咲は、皆を見回して、探索終了を告げた。