十七日目:嵐の前の静けさ5
扉の前まで来たタティマたち一行は、少し離れた場所で止まった。
そこそこ複雑な彫刻が施された扉ではあるものの、貴族の端くれであるタティマたちにしてみれば、質素に入る外観の扉だ。
「モットレー、罠が無いか調べてくれ。まあ、無いとは思うが、一応な」
「はいでやんす!」
タティマの指示に、モットレーは頷くとしゃがみ込み、床を調べ始めた。床だけでなく、壁などもくまなく調査し、最後に扉を調べる。
蝶番、ドアと床の隙間、鍵穴、ドアの周りの壁、床と壁の継ぎ目など、あらゆる可能性を鑑み、モットレーはてきぱきと、しかし時間をかけて念入りに罠の有無の確認を行った。
モットレーが得意とする罠探知や危険探知は、冒険において彼ら冒険者パーティの生命線と言っていい。
五感、時には精神的な第六感すら駆使して行うそれらの技術は、そのまま彼らの生存率に直結するため、文字通り命綱である。
そして、タティマたちはモットレーに全幅の信頼を置いている。積み重ねてきた、それだけの実績があるのだ。
「罠はないでやんすね。でも、扉には鍵が掛かってるでやんす」
最後に扉のドアノブを回して確認したモットレーが、固い手ごたえを感じて言う。
「鍵穴から中は見えそうか?」
腕を組んで考え込みながら、タティマがモットレーに尋ねた。
罠の有無を確認してから鍵穴に目を近付け、モットレーはタティマに振り向いて首を横に振る。
「ほとんど見えないでやんす。暗いでやんすね」
顎に手を当てると、タティマは唸る。
「ふむ。となると、外からの明かりが入ってきてないのか。外から見てこの部屋に窓は無かったよな?」
さすが冒険者というべきか、タティマたちは探索しながらもきちんとヴェリートの地図を書き記していた。防衛上の観点から地図が出回ることのないこの世界では、手書きであろうと地図は貴重である。
以前ゴブリンの洞窟で美咲が自分で書いたような、素人のなんちゃって地図ではなく、縮尺もそれなりにきちんとした手書きなりに丁寧に作られた地図だ。
「そのはずでやんす。いやあ、さすがにこれだけ入り組んだ道を間違えずに記録するのは骨が折れたでやんすよ」
モットレーが苦笑した。謙遜しているが、苦労したのは事実である。何を隠そう、地図作成も、モットレーの仕事なのだ。
「鍵はどうするでござる。壊してもいいなら拙者が壊すでござるが」
静かに刀の鯉ロを切ったタゴサクは、タティマに扉の鍵を斬ってもいいか尋ねた。
「いや、壊すのは最後の手段だ。モットレー、開けられないか?」
首を横に振ってタゴサクを制止し、タティマはモットレーに問う。
「楽勝でやんす。これ、巷に出回ってる鍵と作りが同じでやんすから、ほら、この通り」
モットレーは懐からピッキング用の針金を取り出し、鍵穴に差し込むと十数秒で開けてしまった。
「相変わらず器用な奴だなぁ」
ミシェルが呆れ半分、感心半分の笑みを浮かべる。
開錠された扉を前に、タティマは後ろを振り返って仲間を見回す。
「よし。ミシェルとベクラムはこのまま出入り口を確保して退路を作っといてくれ。モットレー、タゴサク、俺たちで中を探すぞ」
タティマの指示に従い、ミシェルとベクラムが扉の前で外を見張り、タティマ、モットレー、タゴサクで室内に踏み込んだ。
部屋の中は暗く、扉を開けているから多少明るいが、閉めてしまえば真っ暗になってしまうであろうことは、事前にモットレーが鍵穴から中を覗いた時点で証明済みだ。
一番目に付くのはシングルサイズのベッドが二つで、後はテーブルと椅子などのちょっとした家具が置かれている。他にも何かが置かれていたような木製の台があったが、持ち去られたようで痕跡があるだけだ。
「ここは……寝室か?」
部屋を見渡し、タティマが呟く。
「少なくとも、居間には見えないでござるな」
ベッドがあることから、少なくとも居間ではないと判断し、タゴサクが己の顎髭を扱く。
「客間って可能性もあるでやんすよ」
せわしなく首を動かして部屋を確認しながら、モットレーが言う。
その隣を通ってベッド脇のサイドテーブルに近寄ったタティマは、複数ある引き出しを開けていく途中で目を見開いた。
「ん? 何かあるぞ」
タゴサクが近寄り、タティマの横から引き出しの中身を覗き込む。
「メモ……のようでござる。二枚あるでござるな」
目と目を合わせ、タティマとタゴサクは意思疎通を交わすと、タゴサクがメモを取り上げた。
「何て書いてあるでやんす?」
目を通すタゴサクに、恐る恐るモットレーが尋ねる。
メモに書いてある内容を、タゴサクはそのまま読み上げた。
動揺していたのだろうか。メモの筆跡はかなり乱れている。
「『恐ろしいものを見てしまった。死者の冒涜、神をも恐れぬ畜生の所業。早くあの方にお伝えせねばならぬ。だが、どうやって外に出ればいい。私は見張られている』」
怪訝な顔でタティマが首を捻った。
「……えらく抽象的だな。もう一つにはなんて書いてある」
「『すばらしい。すばらしい。どうして私はこうなることを恐れていたのか。ぜひ、あの方にも教えて差し上げなくては。それにしても、この肉はうまい』」
読み上げたタゴサクは、変なものを誤って飲み込んでしまったかのような顔をした。なんともいえない奇妙な面持ちをしている。
メモの一枚目と二枚目で、随分と印象が違う。
一枚目は悲壮感に溢れていたのに、二通目は正反対に喜びに満ちている。
筆跡も乱れに乱れている一枚目と違い、二通目は綺麗だ。
異様さがモットレーにも伝わったのだろう。
モットレーはメモの内容を聞くと唖然とした顔になった。
「……なんでやんすか、それ」
「分からんでござる。だが、読んでると何故か背筋が冷えてくるでござるよ」
「あっしもでやんす。不思議でやんすね」
首を傾げるモットレーの隣で、タゴサクは眉根を寄せた。
露骨に怪しいメモ。大した意味はないと判断して捨て置くのは簡単だが、どうしてヴェリートに誰も居ないのか、判明する手掛かりになるかもしれない。
今は何も分からずとも、誰かの知恵を借りれば分かる可能性もある。
「一応回収しておいてくれ。後で皆に見せよう」
「了解でござる」
タゴサクと同じ結論に到ったのか、タティマがメモを取っておくようタゴサクに指示し、承知したタゴサクが己の懐にメモを仕舞う。
さらに部屋の探索を続けたものの、他にはめぼしいものは何も無かったので、タゴサクたちはその場を後に、一階の大広間に戻ってきた。
大広間にはディアナの班だけでなく、ペローネの班も先に探索を終えて戻っていた。
帰ってきたタティマたちを、ディアナが出迎える。
「お帰りなさいませ」
メイドらしく恭しいディアナの態度は、かつて屋敷での生活で身についたものだ。
主がいつの間にか魔族に入れ替わられていた挙句に奴隷売買の片棒を担がされていたディアナであったが、幸か不幸か、それでも貴族に仕えるメイドとして、恥ずかしくない程度に立ち居振る舞いは洗練されている。
ディアナの態度で、さらに大広間にたむろしていた何人かがタティマたちに気付く。
振り向いた面々に、タティマは気さくに手を上げて挨拶した。
「よっ、早いな、あんたら。何か収穫はあったか?」
タティマの挨拶に一番最初に挨拶を返したのはペローネだ。
ペローネが首を横に振る。
「生憎、何も。そっちはどう?」
「こっちは変なメモが二枚あったきりだ。虱潰しに探してみたが、他には何もなかった」
尋ね返したペローネにタティマは答える。
「へえ、メモですか。どんな内容です?」
興味が沸いたのか、システリートが話に入ってきた。
同時にに、マリスもひょっこり顔を出す。
「ちょっと気になるね」
好奇心を隠さないマリスに苦笑したタティマは、タゴサクに顎をしゃくった。
「タゴサク。見せてやれ」
許可を得たタゴサクは、懐から回収したメモを取り出し、皆の前で広げる。
「これでござるよ」
身を乗り出したシステリートは、タゴサクからメモを受け取って、中身を読む。
「へえ、これですか。……うーん」
目を通したシステリートは不思議そうに目を瞬かせる。
一通目は筆跡が乱れた走り書きであるのに対し、二通目は字体がきっちりとしていて丁寧に書いてあるのが分かる。
「不気味ね、これ」
続いてメモを読んだラピが、不機嫌そうに唸る。
「何て書いてあるんだ?」
尋ねるアヤメに、ラピは無言でメモを渡した。
アヤメがメモを読む中、ミシェルが肩を竦める。
「俺たちも見たが、よく分からん」
書かれている文字はベルアニア語なので、書いてあることを読むのは簡単だ。内容から、このメモを書いた誰かが何かを目撃したのであろうことは分かる。だがそれ以外がいまいちはっきりしない。
「一枚目と二枚目で、何か感じが変わってる気がします」
さりげなくアヤメの隣でメモを覗き込むサナコが、メモを読んで感想を述べる。
「同感だ。二枚目の方、やけに落ち着いてる気がする。筆跡も一枚目と比較すると断然綺麗だ」
ベクラムがサナコに同意する。一つ目と二つ目を書く間に、何があったのか。
「一枚目は急いでて混乱もしてて、でも二枚目はそういうのが全部無くなっちゃってるみたい。変なの」
おやつの干し果物を頬張りながら、レトワが不思議そうにメモを見下ろす。さっきからレトワは何かしら食べている。相変わらずだ。
「これ書いたのって、誰だと思いますぅ?」
イルマが皆に尋ねた。
考え込む面々のうち、早めに結論を出したモットレーが一番に答える。
「まあ、普通に考えれば、ヴェリートの生き残りの可能性が高いでやんすね」
続いてニーチェが忘れてはいけない可能性を述べる。
「魔族兵かもしれないと、ニーチェは推測します」
「可能性は無いとはいえないでござるが、どうでござろうな。人族側の密偵、という可能性もあるでござる」
ニーチェと一緒にタゴサクが首を捻る中、ディアナが方針を決める。
「どちらにしろ、見逃してはおけませんね。誰もいない今の状況の手がかりかもしれません。ひとまず、他の班が戻るまで待ちましょうか」
否定は出ずに、タティマたちはこのまま待つことになた。