十七日目:嵐の前の静けさ4
ペローネ率いる三班が担当することになったのは、二階にある部屋のうち、真ん中の部屋だ。
螺旋階段を上った先にある二階は、廊下から一階が見渡せるようになっている。
今はディアナを中心として集まり、話し合っている。おそらくもしもの場合に備えて作戦会議をしているのだろう。ただ退路を確保するといっても、安全確認をしていればいいというわけではないのだ。
(まあ、その辺りはディアナたちに任せて、あたしたちはこっちに集中しないとね)
同じ班になったアヤメ、サナコ、イルマ、ニーチェを連れ、ペローネは扉の前に立ち、仲間たちに振り返り、相談する。
「罠、あると思う?」
「可能性は低いと思うぞ。あっても防犯程度のもののはずだ。普段過ごす場所に致死性の罠を仕掛けて、万が一自分で引っかかったら洒落にならんからな」
アヤメの助言を受けて、ペローネは決めた。
「確かにね。じゃあ、一応扉を開けてもすぐには入らないように。待ち伏せを警戒しよう。一応ね」
念のため、安全策を取ったペローネは、部屋の中から自分の姿が見えないように注意してドアを開ける。
「状況変化なし。ペローネさん、どうします?」
しばらく待っても部屋の中から物音などは聞こえず、サナコがペローネに次の指示を求める。
「イルマとニーチェが入り口から中を観察して、見える範囲でいいから目で安全確認して。見た目大丈夫そうだったら、あたしたちが入って詳しく調べる。二人とも、もしもに備えて遠距離攻撃手段は準備しておいた方がいいわよ」
ペローネは慌てずに、矢継ぎ早に指示を出した。
普段はあまり目立った態度を見せないが、意外と冷静で、そつなく指令塔をこなしている。
「了解ですぅ」
「分かりました」
弓を携えたイルマと、袖に隠している遠距離用の暗器の位置を確かめたニーチェは、注意しながら入り口の前に立ち、目視で素早く中を確認した。
「……居間、みたいですぅ」
「奥に暖炉。その前にテーブル、ソファーがあります。壁際には絵画が掛かってますね。本棚もあります。照明は蝋燭と、天井のシャンデリア。……敵影見つかりません」
目の前の光景からどんな部屋か一言で述べるイルマと、見たままの場面を詳しく説明するニーチェは対照的だ。
意外と大雑把なイルマと、いちいち物事を細かく捉え、神経質で融通が利きにくいニーチェの性格がよく出ている。
「じゃあ、私たちも入ろうか。イルマとニーチェはあたしたちが探索している間、廊下を警戒してね」
指示を出すペローネへ、次々返事が返ってくる。
「了解した」
「分かりました」
アヤメとサナコが頷き、ペローネと三人で中に入ると、同じように頷いたイルマとニーチェが入れ替わりで外に出る。
「はいですぅ」
「ニーチェに任せるのです」
部屋のドアからは廊下と転落防止用の柵が見えているだけで、廊下に出ないと状況は分からない。そういう意味では、イルマとニーチェの役目は責任重大だ。イルマが右方向を、ニーチェが左方向を警戒する。それぞれタティマたちとユトラたちの班の人員が同じように見張りに立っているのが見える。
一方、部屋の中に入ったペローネ、アヤメ、サナコはしばらく武器に手をかけて警戒していたが、しばらく待っても何も起こらないことに気付くと武器にかけていた手を離した。
「本当に誰もいないわね。内装も、これは確かに居間みたい」
ぐるりと部屋の中を見回して、ペローネが呟く。
「略奪の痕跡があるな。魔族軍が持ち去ったのか? 壁には絵画がかけられていた跡があるし、陶器の壷みたいな、持ち運べる調度品が一つもない」
アヤメは部屋の中の不自然な空間に目ざとく気付き、過去にヴェリートが落ちたとき、略奪があったことを看破した。
「でも、ついさっきまで部屋を使っていた痕跡がありますよ。ほら、暖炉の炭がまだほんのり暖かいです」
部屋の中に進み出たサナコは、火が入っていない暖炉の中を触ってあっと驚いた声を上げる。
報告を聞いて考え込んだペローネは、どうせなら虱潰しに探してみることにしたらしい。
「テーブルとか、ソファーを退かしてみよう。床も絨毯を剥がして調べてみようか」
自ら率先してテーブルを移動させ始めるペローネに、呆れた様子のアヤメが声をかける。
「ずいぶん本格的に探すんだな」
なんだかんだ与えられた仕事はきっちりこなすことが信条のペローネは、小さく肩を竦める。
「美咲に頼まれたし、美咲の安全にだって関わることだから。おざなりにして、美咲を危険に晒したんじゃ目にも当てられないわよ」
「確かに。それは言える。手を抜いて主を危険に晒すようでは、本末転倒というもの。護衛失格だ」
重々しく同意するアヤメは、サナコに目をやる。視線を向けた先では、サナコが真剣な表情で入り口に顔を向けていた。もちろん絨毯が敷かれた廊下と手すりが見えるばかりで、他には何も見当たらない。
「美咲さんの班、大丈夫でしょうか」
心配そうにぽつりと呟くサナコを、ペローネが慰める。
「味方を信じるしかない。あたしたちはまず、与えられた役割をしっかりこなさないと」
テーブルとソファーを退かした場所の床を叩いて反響音を確認するペローネは、自分で言うだけあって、手を抜く様子が無い。
「そうだな。それが一番良い」
作業を繰り返すうちに、頷くアヤメとペローネとの間に習熟度の差が現れてきていて、探索ペースにも差が出てきていた。
「もうちょっと広ければいいんですけどねぇ」
ため息をついてぼやくサナコに、ペローネが苦笑する。
「ヴェリートは防衛を前提とした街だもの。その城も、自然と防衛を意識したものになる。狭くて入り組むのは仕方ない」
さすが城塞都市と呼び表され、長らく魔族軍の猛攻を食い止めてきたヴェリートらしく、残された据え置きの調度品も質素で、生活の利便性よりも、防衛に比重を置かれていることが分かる作りだ。
「防衛する側としては、至極当然の論理だな」
納得するかのように、うんうんとアヤメが腕組みをして頷く。
「一度に攻め込まれるのはぞっとしませんものね。狭くて入り組んでいた方が、確かに守りやすそう」
攻められる様を想像でもしたのか。サナコがほうとため息をつく。
時間が流れ、しばらく探索が続く。
元々がそれほど広い部屋でもないので、長々と時間を必要にせず、探索は終了した。
「……本格的に、何も見当たらない、ときたわね」
訝しげな表情で、ペローネが首を捻った。
調べれば調べるほど、普通の居間だ。何か仕掛けがあるわけでもないし、壁の向こうに不審な空洞があるようにも思えない。
三人がかりで散々探したので、間違っているとは考えにくい。
「そうだな。となるとこの部屋は外れか」
肩透かしを食らってつまらなさそうな表情で、アヤメはため息をつく。何もないに越したことはないというのは重々承知なものの、ずっと警戒し続けるというのはなかなか骨が折れるものなのだ。
「敵もなし、隠し扉や隠し階段もなし。本当にただの居間でしたね」
不満そうにサナコが口を膨らませる。サナコにとっては面白くない結果だったようだ。美咲を危険に晒したいわけではないものの、事態が動くことそのものは歓迎なのだろう。
「暖炉の灰がまだ熱を持っていたことといい、誰かがいたことは間違いなさそうなのに誰の姿も見当たらない。ちょっときな臭いけど、これ以上探す場所も無さそう」
それでも一応不審な点は見つかったので、ペローネはこの辺りで一度探索を切り上げることにする。一度、他の班の探索が終わるのを待って、情報を共有する必要があるだろう。もしかしたら、そうすることで分かることもあるかもしれない。
頷いて退かしていたソファーやテーブルを元の位置に戻しながら、アヤメは探索の感想を述べる。
「一階で見つけた使用人部屋と同じような状態だったな。全部の部屋を調べ終えたわけではない以上断言は出来んが、元からの住人や魔族の兵士に関わらず、全員が一度に姿を消した可能性は高そうだ。いまいち意図が分からんのが不安だな」
「どちらにせよ、一度に姿を消したのは問題ですね。大掛かりな罠か、それとも何か想定外の事故や事件でもあったのか」
作業を手伝いながら、サナコがアヤメの話に相槌を打った。
「何かありましたぁ?」
外で廊下を見張っていたイルマが尋ねてきたので、ペローネは探索の終了とこれからの方針を伝える。
「分かったのは、城から住民か魔族か分からないけど、いなくなってからそう時間が経っていないってことね。大広間に戻って、他の班の報告を待とう」
「ニーチェはその意見に賛成します」
賛成を得られたので、ペローネ率いる三班は部屋の探索を終了し、階段を下りて一階に戻る。
ペローネたちを、大広間を警護していたディアナたちが出迎えた。
「あら、終わったんですか? どうでした?」
戻ってきたペローネたちに気付き、大広間をくまなく警戒していた五班のメンバーが集まってくる。
それでも皆目はペローネではなく受け持った場所に向いており、自分たちに任された仕事を続けているようだ。
「部屋の作りそのものには異常は見当たらなかったわよ。ただ、やっぱり略奪の跡があったのと、灰がまだ暖かかったから、暖炉の火が消えてそう時間は経ってないみたい。他の部屋の探索が終わらないとなんともいえないけど、何か変ね。どうなってるのかな」
不思議そうに首を傾げるペローネの報告を聞いて、マリスが宙を見つめて思案する。
「今まで敵の姿が無かったから、残っているはずの敵の人数を考えると、そろそろそこかしこで出てきてもおかしくないよね。でも、そっちにはいなかったんだ。見落としてる可能性はなし?」
向き直ったマリスが尋ねると、ペローネは明確に否定する。
「それは無いと言い切れる。隠し部屋の有無は特に確認した。こっちも幻影魔法にでも掛かってるような気分で、腑に落ちないわ」
考え込んでいたラピが、若干顔色を青くした。
「……まさか、本当にいつの間にか掛けられてて、敵がいるのに素通りしてたり、なんてことはないわよね」
ラピ自身はそんな兆候を感じてはいなかったが、自分たち以上に相手が手練ならば、可能性はある。そう、例えば魔王とか。遠く離れているであろう魔王城から、美咲に死出の呪刻を刻むほどなのだ。その程度のことは造作もないだろう。
「さすがにそれは。そんなことになってたら、今頃私達死んでますよ。それに、仮に私達に魔法が掛けられていたとしても美咲さんが絶対気付くはずですよ」
悲観的になるラピとは対照的なのが、システリートだった。
仕掛けるなら、もっと前に仕掛けていてもおかしくない。それこそ、ブランディールが生きているうちに手を出す。そう考える方が、理に適っている。
「本当にそんな状況だったら今頃美咲姉が大騒ぎしててもおかしくないよね。でもそんなことにはなってないみたい。二階から見張りに立ってる人たちのおしゃべりの声が聞こえたくらいだよ」
レトワもラピの心配を明確に否定し、美咲たちが調べている一階左側の扉に目を向けた。
扉は開かれており、入り口の前にはセザリーとミーヤが立ち、その周りをミーヤの魔物たちがたむろしている。座り込んだり兄弟姉妹で取っ組み合いしてたり、平和なものだ。セザリーは苦笑しながらも微笑ましそうに見つめ、ミーヤはにこにしている。
「ちなみに、イルマとニーチェの声もばっちり聞こえてたわよ。緊張感が無いわね、あなたたち」
呆れ顔で指摘するセニミスに、イルマはいたずらっぽく舌を出した。
「ばれてたですぅ」
一方で、ニーチェは自慢げに胸を張ると、よく話を振ってくれたとばかりにふんぞり返った。
「わざとなのです。ニーチェは雑談によって敵影なしということを絶えず周りに伝えていたのです。実際は油断してませんよ」
お互いの台詞を聞いて、イルマとニーチェが驚いた表情で見詰め合う。
「え? そうなの?」
「え? イルマは違うのですか?」
「……分かりにくいから、次からは普通にしてた方がいいんじゃない?」
セニミスが呆れた表情で肩を竦めた。