十七日目:嵐の前の静けさ2
城門から城内に入ると、狭い廊下が続いていた。
廊下は迷路のように枝分かれし、倉庫などに続いているようで、一部屋ずつ確かめたものの、美咲の気を引くものは何も無い。調度品などはあるので、略奪を目的とするなら宝の山かもしれないが。
「さすがにここまで静かだと、不気味に感じます」
「テナちゃんセンサーに感有り。なんかビンビン反応してる」
「何か変なこと言ってるけど、大体テナちゃんの言う通りですぅ。静か過ぎですよぅ」
セザリー、テナ、イルマの三人娘はとても不安そうにしている。
若干一名が発言的に余裕ありそうに見えるものの、実際に様子を見れば空元気であることが分かる。
廊下は外に面した城壁の一部である側塔へ続いており、側搭を抜けて先に進むとこれまた人一人がやっと通れるくらいの小さな扉があった。
扉から出た先は城門に面して張り出した建物の屋上で、ここから城門に張り付いた敵に攻撃できるようになっている。
回りを見回した美咲の目に、まず門番や衛兵たちの住居でもある門衛棟が飛び込んできた。
視線をずらせば城本体の分厚い城壁が聳え、門衛棟からこれまた一人ずつしか通れないような細い階段が門塔へと続いている。
本来ならこの門搭にも兵士が詰めていて誰何をしてくるはずなのだが、相変わらず誰の姿もなく、声も聞こえない。
後に続くペローネが表情を顰めた。
「不気味だね。無防備過ぎる。魔族軍兵士だけじゃなくて、元々ヴェリートに住んでいた住人たちまで居ないなんて」
ペローネは不安そうに周りを見回している。
いちいち建物内は廊下が狭く入り組んでいる上に、外に出れば建物が目立つ位置に経って視界を塞いだりしていて、やっぱり死角が多い。魔族兵が多数待ち構えているような気配は感じないものの、やはり防衛の要である城塞都市というだけあって、全体的に造りが防衛に特化している。美咲が召喚された城もそうだけれど、美咲が思い描く城とは随分と違った。イメージでは、城といえばベルサイユ宮殿のような優雅なイメージがあったのだ。
「もしかして、もう引き上げた後なのかしら。住人たちは奴隷として連れて行かれたとか?」
訝しげな表情でイルシャーナが爪を噛もうとして止めた。
どうやら、美咲は気付かなかったがイルシャーナは考え事をすると爪を噛む癖があるらしい。
爪が歪むから、あまり感心はしない。
「それでも全員というわけにはいかないでしょ。このヴェリートにどれだけの人間がいたと思ってるのさ。陥落した時にいくらか減ったとしても、それなりに纏まった数は居たはずだよ。実際に、街にだって生活してた痕跡がいっぱいあったみたいだし。なのに誰も見当たらない。絶対におかしい」
マリスが反論して疑問点を述べる。
ところどころ血痕などが付いていたであろう痕跡があるので、過去に戦闘が行われたのであろうことは分かる。おそらくは、ヴェリートが陥落した時のものだろう。ゴブリンがヴェリート市街に侵入した時か、それとも美咲がラーダンに逃げ延びた後、ブランディールや魔族軍兵士たちも加わった後か、どちらなのかは分からない。重要なのは、捕虜が出たかどうかだ。もし捕虜がいたなら、それは城壁よりも高く聳える本塔の一番地下にある、地下牢にいる可能性が高い。環境が劣悪なのは容易に想像がつくので、存在するのなら早急に助け出す必要がある。
門衛棟の中は多少散らかってはいたが、おおむね綺麗に整えられていた。内装が妙に簡素なのは、陥落時に魔族軍兵士たちの略奪を受けた名残だろうか。門衛搭は無駄に入り組んでいて、部屋数も多く、初めて入った人間を存分に迷わせる造りになっている。兵士の詰め所であると同時に、防衛陣地の一つでもあるのだ。
兵士たちはさぞ暮らしにくかっただろうなと、美咲はそんな感想を抱いた。
全て調べ終えても誰も居なかったので、門衛棟を出て次に向かう。
「何も見つかりませんでしたね。何かあると期待していたのですが」
ミシェーラが風で飛ぶ髪を押さえながら言う。
だんだん高度が高くなっていくからか、風が強くなってきた。別に寒いというわけでもないのでどうでもいいのだが、ここまで誰もいないと、何でもない風さえも不気味だ。
一応わき道に逸れる城壁塔に続く廊下も探索し、城壁塔にも誰もいないことを確認する。時折血痕の痕があるのを見る限りでは、過去に戦いがあったのは事実のようだ。
城壁内部はまたしても入り組んだ造りで、その複雑さは今までの通路が易しく思えるほどだ。
似たような造りの通路が延々と続いていると思ったら、実際同じ場所をぐるぐると回らされているだけだったり、同じ階でもいったん別の階に下りないと行けない部屋があったりと、虱潰しに探すには大変苦労する。
「疲れた……なんでこんなに複雑なんですか」
肉体精神共に疲労し、美咲はぼやいた。
他にも体力が少ないディアナや、戦闘ができないシステリートやセニミスの体力が切れてきているので、美咲は一レンほどの小休憩を取る事にした。
一レン、つまりたかが十分ほどとは言っても、休めるのと休めないのとでは疲労の蓄積度合いが全然違う。休憩が終了すると、一行は少し元気を取り戻してしっかりした足取りで先に進んだ。
やはり途中途中で通路は枝分かれしていて、進んだ先にはいくつか部屋がある。一つ一つ調べてみると、ほとんどが倉庫だった。食料が備蓄してあったり、武器防具が保管してあったり、木材が積んであったり、種類や用途はさまざまだが、多くの資源が納められている。
一つ一つ確認する必要があるので、全て確認するのには時間が掛かる。かといって明らかに異常な現状、手分けして探索するのも危険だと判断し、美咲は面倒でも順番に確認していく。本当に逃げただけならば、美咲たちは時間稼ぎに引っかかっていることになるが、それよりも、油断して各個撃破される方が美咲は怖い。
全ての部屋を確認するが、新たな場所に続きそうな扉のようなものは見当たらない。
「うーん、外観から見たら、絶対上にいっぱい建物があるはずなんだけど。どうやって入ればいいのかしら」
魔族語を使える人間を集めて、一気に外から外壁を上ってしまうという手があるものの、人族軍には通用しても、魔族軍が同じであるとは限らず、出口探しは難航を極める。
眉を潜めて考え込む美咲の横で、ユトラが不思議そうに声を上げる。
「……あら?」
ユトラが調べていたのは、数ある倉庫のうちの一つだったのだが、壁の一箇所だけ、色が違う。
「ねえ、美咲。ここ、おかしくないかしら」
呼ばれた美咲はユトラに連れられて壁を見て、考え込む。
「……確かに。他は均一に汚れてるのに、ここだけ特に汚れてる」
美咲はじいっと壁を観察した。何かに気付いて、目を丸くする。
「これ、手垢だ」
「手垢、ですか?」
不思議そうな表情のユトラに、美咲は推論を展開する。
「もしかして、スイッチか何かになってるんじゃないかな。押す必要があるから、触れるここだけ特に汚れてるのかも」
「なるほど。私が押してみていい?」
傍で聞いていたラピが、早速立ってスイッチらしき壁の煉瓦を押し込もうとしているのを見て、美咲は制止した。
「ああ、ちょっと待って。私たちは一応部屋の外に出ましょう。もしかしたらダミーで閉じ込められるかもしれないし」
「げっ! そういう可能性もあるの!?」
寸前でスイッチを押すのを止めたラピがとても嫌そうな顔をした。
「進入者を惑わす仕掛けとしては、利に適ってるかもね。時間を稼げるし、うまくいけば分断して戦わずして敵の戦力を削げるもの」
納得した様子でうんうんと頷くユトラだが、ちゃっかり美咲を連れて部屋の外に避難している。
「ユ、ユトラの薄情者。あんたも来なさいよ」
「もしも本当に罠だったら、二人も足止めされちゃうじゃない。ほら、ラピ、女は度胸よ。押してみなさい」
冷めた表情で唯一目だけ笑みの形に歪めながら、ユトラは怖気づくラピを煽った。
明らかに確信犯である。
「く、くそ、こうなったら押してやるわよ」
やけくそになったラピが涙目で勢い良く煉瓦を押し込んだ。
どこかでガコンと音がし、天井から梯子が下りてきた。同時に部屋の入り口にも格子戸が下りてきて、出入り口を塞ぐ。
「……出口らしきものは見つかりましたけど、分断されちゃいましたね」
「これ、全員入ってた方が良かったよね?」
美咲とレトワが何とも言えない面持ちで言う。
「……この格子戸、壊せないかしら」
困った様子のユトラは、格子を掴んで思い切り力を込めた。ぎしぎしと格子は軋み、少しだけ歪んだが、それだけだ。壊れそうで壊れない。
「魔法を使えば簡単だと思う。筋力を強化すればこんなの曲げられる。ドーラニアなら、限界突破してる私たちの中でも特に力が強いから、強化なしでもいけるかも」
アンネルが眠そうな表情で呟くと、ドーラニアが待ってましたとばかりに一番前に出てきた。
頭を使うのは苦手なので、得意な力技で解けそうな事態に喜んでいる。
「よし、やってやるぜ」
隆々とした腕でしっかりと格子を掴み、力を込める。多少耐えた様子を見せて、格子はぐにゃりと曲がった。
「よっしゃ、あとは広げるだけだ」
にやりと笑い、ドーラニアは無理やりぐにぐにと格子の隙間を押し広げ、人一人が入れそうな隙間を作り出した。
全員部屋の中に入り、梯子を上って外に出る。
この梯子も小さく、一人ずつ上るしかできないようになっていた。
防衛上必要だからか、とにかく大人数が一度に進入できないように徹底している。
「わあ、綺麗……でもないわね」
外の風景に感嘆しかけた美咲は、所々に荒れた光景が混じっているのに気付く。
最初に目に入ったのは中庭で、綺麗な花が咲いている花壇は、所々が踏み荒らされていた。これもヴェリート陥落時の名残だろうか。
茎の折れた花が力なく萎れ、枯れているのが何ともいえない。
近くに井戸もあって、中を覗いてみた限りでは、汚物で使えなくなっているような様子はない。もっとも見た目で判断しただけに過ぎないので、過信はできない。
中庭からは、礼拝堂に居住棟、多目的棟、そして主塔へ行くことができる。主塔とは、日本のお城でいう天守閣のようなものだ。
「うーん、どこから行こうかしら。っていうか、地下牢ってどこにあるの?」
元の世界の城の構造にも詳しくない美咲が、異世界の城の構造など知っているはずも無く、美咲は全く地理が分からない。
「普通に考えたら、あっちにあると思うんですけど、梯子がありませんね」
システリートが五ガートほどの高さにある主搭の入り口を指差した。
五ガート、つまりは五メートルだ。約二階ほどの高さに当たる。
「これ、どうやって入ればいいの?」
美咲は困り果てた。
外から見る限りでは入り口は目前に見える一つだけのようだし、入り口自体も今までの扉に比べ、さらに小さくなっている。美咲ですら、入るためには若干屈まなければいけなくなりそうだ。
考え込んでいたニーチェが、美咲の疑問に答えた。
「ヴェリート落城時に、兵士たちが梯子を落としてそのままになっているとニーチェは推測します」
「えっ。じゃあ、魔族軍たちはその間どうやってここに出入りしてたの?」
不思議そうな表情の美咲に、セニミスが告げる。
「大事なことを忘れてるわよ。魔族たちは全員が高度な魔族語使い。五ガート程度なら、空を飛ぶなんて朝飯前よ」
「あ、そっか」
得心し、美咲は頷いた。
ヴェリートに駐屯していたのは、ゴブリンだけではないのだ。魔族軍だってもちろんいた。占領後にただのゴブリンが主塔に上がる機会があったとは思えない。ここまで来れるのは魔族やゴブリンの中でも一部に限られていただろうから、梯子は必要なかったのだろう。
「じゃあ、予定通り私とミリアンはここに残るぞ。ここは城の中でもっとも堅牢だから、敵がいるかもしれん。思う存分他の場所を調べたら戻ってこい」
「ここの警戒は任せてねぇ。他の傭兵団や騎士団の奴らが来たら、私かアリシャのどっちかが美咲ちゃんに知らせに行くからねぇ」
主塔の前に佇み、アリシャとミリアンは早速警戒を始める。
「分かりました。後はお願いしますね」
美咲はアリシャとミリアンに主塔の警戒を任せ、先に別の施設を調べることにした。