十七日目:美咲の選択3
人族軍の全軍のうち、戻ってきたのは三割程度だった。
具体的には、千五百人ほど。
騎士はほとんどおらず、八割程度が兵士と傭兵だ。
そして僅かな騎士たちの中に、美咲は見知った顔を見つけた。
「フランツさん! 良かった、無事だったんですね!」
「美咲殿!」
数人の騎士と共に馬に似た魔物であるワルナークを駆ってフランツがやってくる。
他の騎士たちに先んじて下馬したフランツは、美咲の下へと走り寄ってきた。
「申し訳ない、一番最後まで踏み止まるべき我ら騎士が、一番に崩れてしまいました。追撃の手が急に緩んだので、何とかこうして部隊を再編成して加勢に参りました」
しゃちほこばったフランツは、緊張しているのが丸分かりだった。
どうやら指揮官が戦死したことで、指揮官権限の行方が曖昧になり、最終的にフランツが持つことで落ち着いたようだ。
「ありがとうございます。敵は部隊指揮官と魔将を失い、ヴェリートに敗走しました。私たちは余勢を駆ってヴェリートを攻めるべきか話し合っていたんですけれど、人数的な問題で行き詰っていたんです」
分かり易く簡潔に、美咲はフランツと他の騎士たちに状況を説明する。
敗走していた彼らには戦場の空気の変化は伝わっても、詳しいことは分からない。まずは情報の共有に努めるべきである。
そういう意味では、説明する美咲の意図は正しく働いた。
「指揮官と魔将を討ち取ったのですか?」
驚いた表情をみせるフランツの後ろで、残りの騎士たちがざわめく。
「ええ。魔将の方は死体も収容してあります。ご覧になりますか?」
勧めてみる美咲に、恐縮した様子でフランツが頷く。
「お願いします。美咲殿を信じないわけではないですが、やはりこの目で確かめないことには」
「じゃあ案内しますね。狭いので、フランツさん以外は待っていてください」
既に馬車の中はパズルみたいに隙間を埋めている状態なので、余っているスペースがあまり無い。必然的に動き辛く、大人数が入るには無理がある状態だった。
中にはミーヤのペットである魔物がいるが、礼儀正しく善良そうなフランツなら、見せても問題ないと美咲は判断した。
「すまない。悪いが皆、待っててくれ」
他の皆は外に残して、美咲はフランツを連れて装甲馬車の中に入る。
最初にフランツは、積まれた補給物資の山に驚いていた。
前に見た時より、明らかに量が増えていたからだ。
「幸い、補給物資はいくらか無事でしたので、各自の馬車に積み直してあります」
増えた訳を説明する美咲に、フランツは謝罪した。
「重ね重ね、申し訳ないです。指揮官が討ち取られたことで、早々に指揮系統が瓦解してしまった私たちのために、そこまでしていただけるなんて」
(……別に、あなたたちのためじゃないんだけどね)
あくまで自分たちのためにやったに過ぎない美咲は、心の中で舌を出す。
狭い隙間からペリ丸が顔を覗かせて、フランツがぎょっとした顔をした。
「わっ! ま、魔物!?」
驚いて剣を抜こうとするフランツを、美咲は手で制す。
こんな狭い間所で抜かれたら、美咲にも当たって大惨事になりそうだ。
「味方ですよ。仲間に魔物使いがいますので」
合点がいったらしいフランツは、感嘆の息をついて笑みを浮かべる。
「なるほど。驚きました。マクレーアやベウまでいますね。しかも向こうでこちらに背を向けているのは、竜ではないですか?」
マク太郎が見慣れないフランツを警戒して先ほどからじっと視線を向けている。ベウ子も働きベウを偵察に向かわせているようだ。
驚かせてしまった彼らには、後で謝っておこうと美咲は思った。
「ええ。ちなみに、蜥蜴魔将の元騎竜ですよ。蜥蜴魔将を倒したら、蜥蜴魔将が褒美だと言って譲ってくれました。本人が納得してるかどうかは分からないんですけどね」
なんでもないことのように美咲は言うものの、聞いているフランツにしてみれば、にわかには信じ難い話である。
「き、危険ではないのですか……?」
恐る恐る尋ねるフランツに、美咲は肩を竦めた。
「あくまで蜥蜴魔将個人に仕えていて、魔族軍に属していたわけではないみたいです。蜥蜴魔将の死体を丁重に扱い、弔うことを条件に、とりあえずは大人しくしてもらってます」
美咲の言葉を聞いて、フランツは渋面になる。
「……戦意高揚のためにも、敵指揮官と蜥蜴魔将の死体は、私どもに引き渡していただきたいのですが」
「敵指揮官は構いませんけど、蜥蜴魔将の死体は渡せませんよ。バルトと約束してますから。あの死体に関しては、仲間と同じ待遇で扱うつもりです」
きっぱりとブランディールの死体の引渡しを突っぱねた美咲の声を聞いて、バルトがぴくりと身じろぎした。そわそわしながら、聞き耳を立て始める。
「ですが、折角の味方の戦意高揚と、敵の士気を挫くのを同時にこなせる機会を、みすみすふいにするのは……」
「そんなの、バルトが味方になったことを知らしめるだけでも十分でしょう。むしろ、下手に向こうの英雄の死を粗雑に扱ったら、怒って士気が上がっちゃうんじゃないですか?」
フランツと意見を戦わせている美咲の腕を、騎士の一人が乱暴に掴んだ。
「緊急事態だったから今までのことについてはとやかく言わんが、俺たちが戻って来たからには指揮権は返してもらう。軍に頭脳が二つあると、命令伝達に齟齬が生じるからな。貴様たちはこのまま我々の指揮下に入れ」
「おい、止めろ。失礼じゃないか!」
止めようとするフランツの手を、美咲の腕を掴んだ騎士は邪険に振り払った。
「お前は傭兵如きに下手に出過ぎなんだよ。俺たちは騎士だ。俺たち騎士が今まで血反吐を吐いて戦ってきたからこそ今があるんだ。それに元々軍の指揮権は俺たちにある。補給物資も俺たちが集めたものだ。返却を要求するのが筋ってもんだろ」
「だがそれは兵士たちに対する指揮権であって、傭兵たちまで組み込めるほどの権限はないはずだ。それに私たちは補給物資を捨てて逃げたんだ。無事だったのは、彼女たちが火の手や魔族軍の略奪から守ってくれたからに過ぎない。一度捨てたものを再度要求するのは筋が通らない。筋を通すならば、せめて彼らの努力に見合った対価を示すべきだろう。そもそも彼ら傭兵はれっきとした独立集団で、命令系統は独立している。それをこちらの指揮下に下れというのは厚顔無恥な上に横暴という他ない。頭を冷やせ」
説得するフランツの言葉に、騎士は耳を貸さない。他の騎士たちも黙っているものの、心情的には同じようで、止める様子はない。
「そんなこと言っていられる場合か。今は好機なんだぞ。攻めればヴェリートを取り返せるかもしれないところに来てるんだ。ただでさえ傭兵如きに大一番の手柄を奪われたんだぞ。これ以上取られたらたまった物じゃない」
(たまったものじゃないのはこっちよ!)
耐え切れず美咲は心の中で悪態をついた。
こちらは騎士団が逃げるために敵を押し付けられた形になって、それでも必死に戦ったというのに、当の騎士から、謝罪の言葉ではなく、こんな言葉を吐かれる始末。
同じく苛立たしい気持ちになったのか、アリシャが鋭い目でぼそりと呟いた。
「私たちを置いて真っ先に逃げ出した奴らが、偉そうに」
「何だと!」
激昂して睨んでくる騎士を、アリシャはニヤニヤ笑いながら見つめた。
「おや、気に障ったかい? 坊や。あまりふざけた口を利くなよ。お前たちが逃げた穴を埋めたのも、逃げる時間を稼いだのも、私ら傭兵だ。もっと言えば、この美咲が率いる美咲の剣傭兵団だ。……おい、大事な場面だぞ。どうして顔を隠して蹲る」
急にその場にしゃがみ込んで両手で顔を覆った美咲に、アリシャが怪訝な顔をした。
(自分の名前がついた傭兵団……他人の口から聞かされると予想以上に恥ずかしい! つけるんじゃなかった!)
後悔しても、後の祭りである。
「さらに言えば、蜥蜴魔将を倒したのは団長の美咲ちゃんだし、敵指揮官を討ち取ったのは団員たちよ。後から現れて指揮権を主張するのは、違うんじゃないかしら」
ミリアンもアリシャと同じように、騎士たちの態度が癪に障ったらしく、挑戦的な微笑みを浮かべた。
「そうですよ。むしろご主人様にあなたたちが従うべきです!」
尻馬に乗ったシステリートが、便乗して自分の意見を述べた。美咲が大好きなシステリートは、本気でそう思っているようだ。
「その場合、指揮するのはあなただとニーチェは思います」
「あれぇ!?」
冷めた目のニーチェに突っ込まれ、システリートが素っ頓狂な声を上げた。
「美咲様の傭兵団に所属している一員としては、私たちは私たちで動いた方が、勝率は高くなるのではないかと」
控えめに、ディアナも自分の意見を述べる。
あまり戦闘では活躍できないからこそ、ディアナはこういう時に率先して行動するようにしている。
発言したディアナを皮切りに、次々に意見が飛び出してきた。
「そもそも、私たちは補給品の残り状況、食料の備蓄量、予備の武具の個数等、全部調べて把握しているわけですが、それらの情報を無条件で提供した上に、物資そのものも出せというのは横暴ではありませんか?」
厳しい目でフランツたちを見つめるのはセザリーだ。
フランツ自体は同僚騎士の態度を諌めようとしていたのでともかくとして、当の本人の同僚騎士の態度は、セザリーの腹に据えかねるものだった。
自然と声も尖り、鋭くなっている。
そんなセザリーに続いて、呆れた表情のテナが言い放つ。
「テナからも言わせてもらっていい? 正直、後方の私たちを置いて逃げた奴らには信用して命を預けられないわよ」
騎士たちに向かってべえっと舌を出すテナは、あからさまに嫌悪を露にしていた。
「申し訳ありませんけれど、頭ごなしじゃ私たちも従う気になんてなれないですぅ。ロクデナシどもはいっぺん死んでおととい来やがれですぅ」
姉二人の影に隠れながらも、イルマもしっかりと文句を言う。
この姉妹の三女は、一見か弱い女の子に見えて、内面は結構強かだ。目立たないのをいいことに、割と言いたい放題である。
「この、傭兵如きが言わせておけば」
主にイルマの挑発に腹を立てた騎士が、己の剣に手をかけようとするのを、素早くフランツが制す。
「止せ。彼女たちの言うことはもっともだ。私たちは一度逃げて、勝ち馬に乗ったに過ぎない。いくら弁明しようと、事実は事実だ」
「嘘だろ、認めるのかよ」
止められた騎士だけでなく、他の騎士からもフランツを責める声が上がるが、フランツは気にしなかった。
今はもっと優先すべき問題があるのだ。些細な問題にかかずらっている暇はない。
「でなければ話が進まない。私は建設的な話がしたいんだ。美咲殿、私たち騎士団と美咲殿の傭兵団で、改めて連合を組むのはどうだろうか」
フランツの意外な提案に、美咲たちは顔を見合わせた。