十七日目:美咲の選択1
自らが新しい主と定めた美咲の帰りを、ディアナは待ち続けていた。
ディアナだけではない。セザリーもテナもイルマも、ペローネ、イルシャーナ、マリス、ミシェーラ、システリート、ニーチェ、ドーラニア、ユトラ、ラピ、レトワ、アンネル、セニミス、メイリフォア、アヤメ、サナコの十五人に加え、タティマ、ミシェル、ベクラム、モットレー、タゴサクといった、奇縁に恵まれて知己を得た冒険者パーティもだ。
そして何よりも、美咲を姉と慕うミーヤが、一番美咲の身を案じ、その無事を祈り続けている。
「あっ、お姉ちゃんだ!」
ミーヤが突然声を上げ、馬車から飛び降りて駆け出す。
弾かれたようにディアナがミーヤの駆けていった方向を見ると、手に持っている何かをアリシャに渡した美咲が、ミーヤへと同じように走り出していくのが見えた。
「ただいま、ミーヤちゃん! 私……勝ったよ!」
一度間が空いた勝利報告には、美咲の万感の想いが込められている。
「お疲れ様でした、美咲様。無事を心よりお喜び申し上げます」
堅苦しく挨拶をするディアナを突き飛ばすように追い越し、セザリ、テナ、イルマが己の主に抱き付いた。
「あいたっ。もう、何するのよ。……あらあら」
小さく悲鳴を上げてたたらを踏んだディアナは文句を言おうとして振り返り、泣きながらお互いの無事を喜ぶ美咲とセザリーたちを見て、文句を飲み込んだ。
主が帰ってきて嬉しいのは、ディアナだけではないのだ。
「美咲様! よくご無事で帰ってきてくださいました!」
「ごめんね! テナたちも一緒に戦えなくて!」
「良かったですぅ! 私たちが生きてるのも、美咲ちゃんが生きてるのも、両方とも良かったですぅ!」
合計四人に抱きつかれている美咲は苦笑しながらも、美咲は一人一人を丁寧に抱き締め返した。
「お疲れ様。何はともあれ、皆無事だし、戦争にも勝った。後は戦力が激減したヴェリートを攻略するだけだね」
張っていた肩の力を抜いて、ペローネが安堵の表情を滲ませて言う。
きっと、態度には出さずとも、勝てるかどうか不安に思っていたのだろう。口では怖くないと言えても、実際に死の恐怖を克服するのは難しい。美咲も一時的に理性を感情が上回ったからこそあそこまで戦えたのであって、普通なら絶望して諦めていてもおかしくなかった。
「ニーチェを早速偵察に向かわせておりますの。直に戻ってくると思いますわよ」
飄々とした態度でイルシャーナが美咲に報告する。
何だかんだで行動が早い。聞けば、イルシャーナが直接ニーチェに提案して頼んだらしい。
普段は騒々しく騒ぎを起こす側のイルシャーナだが、その実一番精神的には頑丈なのかもしれない。
褒めて欲しそうなイルシャーナは、背筋を伸ばして自信に満ちた表情を浮かべている。ドヤ顔の一歩手前だ。割とうざい。
そんな彼女に対して、普段なら飛んでくるマリスの突っ込みが飛んでこない。
マリスは少し疲れた様子で、それでも美咲を見るとにこりと微笑んでくる。
「でも、驚いたよ。味方が次々逃げちゃうんだもの。実質ボクたちだけで勝利したようなものだよね」
笑顔でありながらも言葉の端々に人族軍への不満が見え隠れしている。
補給部隊を置いて逃げていった兵士たちに、マリスは怒りを抱いていた。
本来護衛を務めるはずだった兵士たちは真っ先に逃げてしまって、残ったのはマリスたちと同じような、馬車を提供することで消極的に参加している非戦闘員がほとんどだった。
もちろん非戦闘員が激しい戦いで生き残れるわけもなく、ほとんどが死亡している。生き残りは、重装甲の装甲馬車で戦うことができた美咲たち一行を除けば、極めて少ないだろう。
「もう少し彼らが持ち応えてくれれば、私たちも他に手段の取りようがあったのだけれど」
最終的に、敵本陣に奇襲をかける羽目になったミシェーラがため息をつく。アンネルの大規模幻術に、セザリー、テナ、イルマ、タティマ、ミシェル、ベクラム、モットレーたちによる弓の猛射、ディアナ、ペローネ、セニミス、メイリフォアの戦闘弩による援護射撃。これらが上手く組み合わさったからこそ、一か八かの賭けに、ミシェーラ率いる奇襲部隊は勝つことができたのだ。
「騎士団の連中は、指揮官が討たれて一気に総崩れしてしまいましたもんねぇ。そのせいで逃げ遅れた私たちが死に物狂いで戦うハメになったんですけど、彼ら、その落とし前はつけてくれるんでしょうかね」
囮部隊の指揮を取っていたシステリートは、喉下を過ぎているからこそ苦笑に留めているが、戦っている当時は生きている心地がしなかった。戦闘はシステリートの本分ではないはずなのに、色々な事情が組み合わさって戦闘指揮を取らされている。
(あんな無茶をしないといけないような状況は、そう何度も起こらないと思いたいですね。今後も続くようなら、ディアナに指揮官としての知識を入れておいて貰えるように、頼んでおいた方がいいかもしれません)
本来システリートの本分は裏方なのだが、美咲を除くと他に適任がいない。アリシャやミリアンなら楽々こなすだろうが、彼女たちがいつまでも協力してくれる保障もないのだ。自分たちでどうにかできるよう、準備を整えておかなくてはならない。
偵察からニーチェが戻ってきた。得意と豪語する辺り、本当に仕事が早い。
「ヴェリートの街に立てこもっているのは、潰走した兵士たちを含む魔族軍正規兵千五百に、ゴブリン軍千ほどみたいです。敗戦の報が伝わって、士気に著しい影響を与えています。攻めるなら今でしょう」
ニーチェの報告を聞いて皆が考え込む中、ユトラが意見を言う。
「時間をかければ、敵にも立ち直る時間を与えてしまう。このまま一気呵成に攻め込むのも手といえば手ね」
ラピがユトラに振り向き、怪訝な表情になった。ユトラの言うことはもっともだが、可能かどうかはまた別の問題だ。まだヴェリートの街には合計二千五百もの敵兵がいることになる。士気が低いとはいっても、やはり数は脅威だ。
それに、野戦だった前回の戦いとは違い、今度は攻城戦になる。元々ヴェリートは要塞都市と呼ばれるくらい、難攻不落で知られていた。落とすのは容易ではない。
「人手は足りるの? 私たちだけじゃ絶対足りないわよ」
焼け残った馬車から無事な食料を集めながら、むしゃむしゃとつまみ食いしているレトワが、ラピの疑問に答える。
「借りてくるしかないよね」
食べる合間に話すレトワは、食べながらなので行儀が悪いものの、今は誰も咎めない。それどころではないので。
「でも、借りてくるってどこから?」
大掛かりに幻術を展開した疲労で、今にも寝そうなアンネルが、目を擦りながら疑問を口にする。
普段なら問答無用で寝ているところなので、アンネルも時と場合は弁えているようである。
「せめて、潰走した人族軍の兵士たちが戻ってきてくれるといいのですが」
メイリフォアがため息をつきつつ人族軍が逃げ去った方向を眺める。
もちろん、草原の地平線が広がるばかりで誰の姿も見えない。
「あ、そのことですけど、戻ってきつつありますよ。さすがに全員じゃないですけど」
物見や伝令で辺りを走り回っていたニーチェは、かなり広範囲を移動していたらしく、その際に人族軍の小規模集団がいくつか、再びこの場所に集結すべく移動しているのを見かけていた。
どうやら魔族軍が潰走したのに気付いた騎士や兵士たちが、慌てて戻ってこようとしているようだ。
「何だと?」
「あらそれは、意外ですねぇ」
予想外だったらしいアヤメとサナコが驚いた表情になった。
そんな彼女たちを遠くから眺めながら、タティマがぼやく。
「いやあ、入り込み損ねたな」
「俺たち、忘れ去られてないか?」
美咲の回りはがっちりと女たちが囲んでいて、今さらミシェルが入っていける雰囲気ではない。特にミシェルは容貌が野卑なので、完全に美女の中に紛れる野獣である。
「僕たちも弓で射ったり、白兵戦でカバーに入ったり、色々やってたんだけどねぇ」
苦笑して嘆息するベクラムは、確かにセザリー、テナ、イルマに負けず劣らずの弓術の冴えを見せていた。もしかしたら、彼女たちよりも弓の腕は上かもしれない。
現に、以前セザリー、テナ、イルマがまだ洗脳状態にあった時に襲撃をかけられ、タゴサクがベクラムの名を呼んでいた。
彼らの間では、弓といえばすぐにベクラムの名が挙がるほど、その腕には信頼が置かれている。
「あっ、こっちくるでやんすよ」
モットレーが自分たちの方に歩いてくる美咲たちの姿を見て、忙しなく仲間の反応を窺う。
「美咲殿……」
小さな声で呟いたタゴサクは、強敵を打倒した美咲に対して、複雑な思いを抱く。
ああいう戦いにこそ、タゴサクは自分をぶつけて欲しかったのだ。
女を守ってこそ男の本懐。
それが自分の我がままであることもタゴサクは重々承知している。敵本陣の奇襲と蜥蜴魔将との一騎打ち、どちらが危険かと尋ねられても、ほとんどの人物は口を濁すに違いない。
タティマたち冒険者パーティの前に立った美咲が、腕を後ろ手に組んで片足を一歩下げ、腰を落とすベルアニア式の挨拶をして、礼を述べる。
「ありがとうございます、タゴサクさん、タティマさん、ミシェルさん、ベクラムさん、モットレーさん。あなたたちがいなくては、今回のような決着はなかったかもしれません。もし宜しければ、この後のヴェリート攻めにも参加してくださると有り難いです」
礼儀良く頼む美咲に、タティマが破顔した。
「おうともよ。魔王とかが出張ってくるならさすがに無理だが、ここまで来て途中離脱なんてしねえよ。最後まで協力するぜ」
男として、異性に頼られてタティマは悪い気がしない。特に、タティマにとって、色々と危なっかしい美咲は、手の掛かる妹のような気がしてきている。
目を離せない妹分、という言葉なら、タティマが美咲に抱く感情としてはしっくりくるかもしれない。
「脈絡なく魔王がヴェリートに居たら、泣きますって。でもさすがに無いでしょう。居るならこの戦いでとっくに出てきているでしょうし」
苦笑した美咲は、タティマの冗談染みた軽口を否定する。
「俺も付き合ってやるよ」
ぶっきらぼうにミシェルが手伝いを申し出る。
自分の容貌が女性受けしないことを知っているミシェルは、自分を見た目だけで判別して色眼鏡で見ない美咲に、好感を抱いていた。
「人手はあった方がいいだろ?」
髪をかき上げて、ベクラムが薄く笑う。金髪の貴公子然としたベクラムは、そんな何気ない動作でもいちいち様になっている。ミシェルと並んでいると、特に一目瞭然だ。これでミシェルとベクラムの二人は仲が良いのだから、人間関係というのは摩訶不思議である。
「あっしも努力するでやんす!」
実はこの中で一番身分が高いのに、全くそんな雰囲気を出さず、それどころか下っ端根性を全開にしているモットレーが、ビシッと敬礼をした。
敬礼の仕方が美咲が良く知るものとよく似ていたので、美咲は少し驚く。
良く考えれば、この右手を右の額に添える敬礼は、元はといえば兜の面覆いを上げる動作から来ているという説があるくらいなのだから、おかしくはない。
「皆、美咲殿の力になると決めたでござる。今さら約束を違えはしないでござるよ」
タゴサクの言葉が嬉しくて、美咲は泣きそうになってしまった。
皆、こんな自分を買ってくれている。彼らの期待に応えるためにも、いっそう努力をしなければと、美咲は決意を新たにした。
「各自、残った補給物資を確認して。まだ無事な馬車の数も数えてください。レトワはそろそろつまみ食いやめてね。使える補給物資がどれくらいあるのか把握してから、進むか戻るか決めましょう。そうしているうちに、騎士団の人たちや兵士たちも戻ってくるかもしれませんし」
美咲が指示を出すと、遠慮がちにディアナが懸念事項を尋ねる。
「言いにくいのですが、彼らは必ず戻ってきてくれるのでしょうか。私たちだけでは、さすがに街を攻めるのは厳しいですよ」
疑問に思うのはもっともなので、美咲は人員が足りない場合の予定を伝える。
「ええ。だから、もし誰も来なかったなら、いったんラーダンに戻ることになるわ。当初の計画通りバルトを仲間にできたから、またできることも増えるはず」
説明しながら何気なく馬車にちらりと視線を向けると、開け放たれた扉の向こう、馬車の中でバルトが魔物たちに集られて困惑している様が見える。
器用に翼を折り畳んで、身を縮めて馬車に入るバルトは、それでも手狭なようで、みっちりと詰まった姿には哀愁が漂っている。安置してあるブランディールの遺体に寄り添いたいという気持ちを尊重した美咲だったが、彼のために買ったばかりの馬車をさらに大きくするべきか、選択を迫られていた。
「ぴいいいい?(私たちに似てるね?)」
「ぴいいいい?(でも何か違うよ?)」
「ぴい? ぴい?(仲間? 仲間?)」
「ぴいいい(遊んでー)」
ベルークギアの幼体であるベル、ルーク、クギ、ギアの四兄弟姉妹が、無邪気にバルトの回りで遊んでいる。
一応同じ竜種ということもあって、興味を抱いている様子だ。
「がきドモ、俺ニジャレツクナ!」
我慢できなくなったバルトが吼えて追い散らすのだが、しばらくするとまた寄ってきて、バルトの回りでぴーちく騒ぎ出すのだから、バルトとしてはしんみり友との別れを惜しむ暇すらなかった。
「くまくまー、くまくまくま(お前、新参の癖に偉そうだぞ)」
「何ダ。まくれーあガ俺ヲ敵意タップリノ目デ見テルナ」
今まで魔物たちの中でエース的な立ち位置にあったマク太郎は、先輩風を吹かせてバルトと睨みあっている。さすがのマク太郎でも、竜を相手をするには分が悪く、いつものようには強気で出れないようだ。
「ぷうぷう。ぷうぷう。ぷうぷう(ぶるぶる。ドラゴン怖い。なんでいるの)」
一方で、バルトの姿を見た瞬間から全身マナーモードと化しているのが、魔物たちの中で唯一草食であるペリ丸だ。
「オイ! ソコノぺりとん! オ前ガ踏ンデルノハぶらんでぃーるノ死体ダ! 喰ワレタクナカッタラ今スグ退ケ!」
よりにもよってペリ丸の立ち位置は布を被せたブランディールの真上で、バルトの怒りを買い追い払われる。
「ぷううううう!(ごめんなさーい!)」
泡を食って逃げ出したペリ丸は、積んである補給物資の隙間に入り込むと、尻を向けて入り込んで行く。隠れたつもりらしいが、ぷるぷると震える丸い尻尾がついたお尻が見えている。
「(娘たちに荷物運びを手伝わせるわ。いいわよね? って、こら、止めなさい、そのドラゴンは味方でしょ、威嚇しない!)」
「今度ハべうカ! 何ナンダコノ馬車ハ! 魔物ダラケジャナイカ! クソ、狭クテ動ケン!」
あらかじめ美咲に断ってから働きベウたちに指示を出そうとしたベウ子は、偶然巣に近付いたバルトに一斉に顎を打ち鳴らす働きベウたちを叱る。
「あははは……。ごめんねバルト」
馬車の中で散々な目に遭っている様子のバルトを見て、美咲が笑顔のまま表情を引き攣らせた。
「ミーヤも触るー!」
本当は、美咲と一緒に帰って来てから触りたくてしょうがなかったのだろう。ペットたちがバルトとじゃれているのを見て、我慢できない様子でミーヤが馬車に走っていく。
「今度ハ人間ノがきカ! コラ、尻尾ヲ無遠慮ニ掴ムナ! 鱗ヲ剥ガソウトスルナ!」
子どもらしい傍若無人さを発揮するミーヤに、バルトは文句を言いつつも健気に耐えていた。なまじミーヤに悪意がないから、今のバルトには乱暴な手段が取れない。
何しろバルトが力を込めればミーヤなど簡単にひき肉になってしまうに違いないので、実力行使に出れないのだ。
「くぅーん(竜がいるぞどうすんだこれ)」
「くぅーん。くぅーん(私たちゲオルベルなんて、所詮竜のご飯になる程度の存在なのよ)」
尻尾を股の間に丸めて完全に怖気付いた上体で、ゲオ男とゲオ美が二匹揃って寝転んで腹を向けている。さあどこからでもお食べくださいと言わんばかりの服従っぷりである。
「エエイタワケメ! 俺ダッテ仲間ヲ食ワナイクライノ分別ハアル!」
バルトが怒鳴ると、ゲオルベルの二匹は弾かれたように起き上がり、そそくさと補給物資の陰に隠れた。