十七日目:第二次城塞都市攻防戦11
ライジの苛烈な攻撃を、ミリアンは冷静に避けていく。
「ぬおおおおおおおおおお!」
ゴブリンキングであるライジの戦い方は単純だ。とりあえず武器を持っていればそれで叩く。素手ならば殴る。普通のゴブリンと全く変わらない、武術のぶの字もない戦い方だが、ゴブリンキングという突然変異種の、恵まれた身体能力の高さが、そんな戦い方でも彼を実力者に押し上げた。
だが、才能に頼っただけの戦い方では、決して勝てない相手というものが、現実に存在する。
恵まれた才能を持って生まれ、さらにその才能を不屈の努力で磨き上げた者。いわゆる、英雄と呼ばれる存在だ。
そして、特級冒険者という肩書きを持つミリアンは、間違いなくそんな英雄と呼ばれるに相応しい一人だった。
「ふあははははははは! そらそらどうした! 逃げてばかりではこの俺に勝てんぞ!」
ライジが棍棒を振るう度に、ミリアンの目は冷めた色を深めていくのだが、ライジは気付いていないかのように、高笑いを上げながら、ミリアンに向けて棍棒を振るい続けている。
(……あの人間は、底が知れない。ライジは確かに馬鹿ですが、それでもその身体能力は馬鹿にできないはずなのに。このまま戦いが続けば、まず間違いなく、負けるのはライジだ)
戦況を、ベブレは冷静に分析していた。
一見ライジが果敢に攻め立てているように見えるが、その実ライジはミリアンに攻めさせられているに過ぎない。ミリアンが一転して攻勢に転じれば、容易に状況は逆転するだろう。
(だが、悪い情報ばかりでもない。先ほどから、あの人間はかわしはしても、ライジの攻撃を受けようとはしない。それはつまり、彼女にとっても、ライジの攻撃は当たれば致命的ということに他ならない)
二人の変異種ゴブリンのうちライジが武に秀でているなら、ベブレは知に秀でている。敵の分析はベブレの仕事であり、また、得意分野でもある。ベブレはライジとミリアンの攻防を、じっと観察し続ける。
(ところで、何故あの人間は私に攻撃して来ないのか。ライジを手玉に取るほどの実力があるなら、まずは倒しやすい私を狙うはず。何しろ、私はライジと違って、戦闘能力そのものは普通のゴブリンと比べても大差がない。前回の戦いで生き残りを取り逃した以上、私が眠りの魔法を使うのは知られていると考えて間違いない。対策済みなのか? いや、私の魔法は眠りだけではない。対策されていたとしても別の魔法で崩せばいい)
「よくもよくもここまで避け続けるものだ! その身軽さだけは褒めてやろう! だが、それがいつまで続くかな!」
聞きなれた同族の野太い叫び声で、ベブレは思考の淵から引き上げられた。目を向けると、ライジとミリアンが再び対峙していて、ライジが啖呵を切っている。
確認してみても、どちらも傷一つ無い。
並外れた体力を持つライジが息を乱していないのは予想通りだが、ずっと回避し続けているだけの人間までもが息一つ切らせていないのは、ベブレにとっては予想外だった。
「折角攻撃させてあげてるんだから、がっかりさせないでよね。期待外れでないことを祈るわ」
相変わらず、ミリアンの口調は冷めている。声に感情が乗っていない。
ここまで戦っていながら、ミリアンは全く攻撃していなかった。攻撃をしていないので、もちろん本気だって出していない。
確かにライジは強い。だがそれ以上に、ミリアンが強いのだ。
ゴブリンキングであるライジを手玉に取れる人間など極めて数が少ない。ミリアンはその数少ない例外だ。
「俺様を体力馬鹿と甘く見るなよ。ウォリィエセェアメヘセオィコォイユォア!」
「……魔族語!」
初めて、やる気なさげだったミリアンの感情が揺れた。その目に浮かぶのは警戒。ミリアンは、ライジが口にした魔族語で、何が起きるのかを危険視している。
ライジの肉体が、膨張した筋肉で一回り膨れ上がる。元々ゴブリンとしては大きな体格だったが、もはやゴブリンの常識を覆す大きさだ。むしろオーガと呼んだ方がよほどしっくり来るだろう。
オーガというのは、知性ある魔物の一種で、肉食の亜人だ。恵まれた体格を持ち、ニ、三メートルの巨体から繰り出される攻撃は、それだけで脅威と呼ぶに相応しい威力を備えている。
「我に敵無し! 俺様は、無敵なのだぁ!」
再びライジは地を蹴った。
ミリアンに飛び掛るその速度は、先ほどよりもさらに素早くなっている。
驚きながらも、ミリアンはすぐに冷静さを取り戻し振るわれる棍棒を避けた。感情のコントロールが良くできている。その気になれば、ミリアンは身体の末端までをも正確に制御できるかもしれない。この落ち着きようを見ると、そうであってもおかしくはない。
動きが乱れたのは最初だけで、ミリアンはすぐに余裕を取り戻した。速くなった攻撃を、余裕すら見せて見切っている。もしかすると、今までのライジの攻撃は、遅過ぎてかえってミリアンには避けにくかったのかもしれない。今の方が楽なように見える。
(今は、まだ我慢です。あの人間の女が隙を見せるまで、待たなければ)
その時、激しい地鳴りと共に、地面が揺れた。魔族軍の陣地にバルトが突っ込んだのだ。
さすがに予想外だったのか、ミリアンが僅かにバランスを崩す。
待ち続けた先に訪れたチャンスを、ベブレは見逃さなかった。
「スゥオヌケェアレデヘソォイボリィ、ウォメェアイェヘアゥグゥオキィエネオ!」
ベブレの魔族語を聞いたミリアンが、驚きで目を見開いた。
その瞳を見た瞬間、ベルゼは己の勝利を確信する。
「千載一遇の好機です! ライジ、今ですよ!」
「うおおおおおおお!」
麻痺を受けて動けないミリアン目掛け、ライジが棍棒を振りかぶった。
■ □ ■
勇者の剣が、ブランディールの腹を貫いている。
「……やるなあ、嬢ちゃん」
炎に包まれながら、ブランディールが声にならない声で呟く。
既に美咲の炎に呑まれているブランディールの声は小さくて、美咲にしか届かない。
「悪かったなぁ。弱者なんて、馬鹿にしてよ。俺の目が節穴だった。確かにお前は、変わった。強くなった。見違えたぜ」
ブランディールの口元が、弧を描く。笑っているのだ。
「俺にとっては全力とは言い難いが、これがお前の全力の結果だってんなら、仕方ねえ。この首、欲しいのなら持っていけ」
腹を貫く勇者の剣握り締め、突き出した状態で、ブランディールに密着するかのような勢いで突撃した美咲は、無我夢中のまま手元の勇者の剣を握る手を捻り上げた。
傷口をかき回され、うめき声を上げたブランディールが苦笑する。
「容赦ねえなあ。おっと、これも忘れちゃいけねえ。俺を倒した褒美をやろう。特別に俺の相棒をくれてやる。バルトっていうんだ。あいつには俺を倒した奴に従えって普段から言ってある。拒否するなら俺の最後の命令だって伝えて無理やり言うことを聞かせちまえ」
未だに燃え盛る炎の中で、ブランディールの緑色の鱗が、焼け焦げ、赤く色付き、やがて黒へと炭化していく。
「ついでに一つ、忠告もしてやろう」
死に際に、ブランディールが遺した言葉は、美咲に衝撃を与えた。
「お前の仲間の中に裏切り者が紛れている。そいつらはお前の敵だ。気を許すなよ」
事切れたブランディールが倒れ付しても、しばらく美咲の頭の中は真っ白になったままだった。
(……どういう、こと?)
美咲には全く訳が分からない。
その情報が本当かどうかも、そもそも誰が裏切り者なのかも、まるで分からない。
ふと地面が陰って、美咲は顔を上げた。
「ぶらんでぃーるぅぅぅぅぅ!」
傷だらけの古竜バルトが、悲鳴のような声を上げながら、美咲の側、正確には息絶えたブランディールの側に舞い降りる。
「何故ダ! 何故ヤラレタ! 俺ニ、コンナ女ニ仕エロトイウノカ!」
泣き喚くバルトの姿が、いつかルアンやルフィミアと死に別れる美咲自身の姿と重なり、バルトの慟哭が、真に迫って美咲の胸に叩きつけられる。
バルトを追って、アリシャも降りてきた。
アリシャは炭化したブランディールの死体に縋りつくバルトと、それを見つめたまま、抜き身の勇者の剣を手に呆けた表情で立ち尽くす美咲を見つめると、そっと目を伏せて美咲に近寄っていく。
「……そんな顔をするな。お前は勝ったんだ。勝って、仇を取った。それでいいじゃないか」
振り返った美咲の瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。唇を震えさせ、歯を噛み締める美咲から、嗚咽交じりの声が漏れる。
彼らは敵だ。しかも、この世界の人間を滅亡へと追い込んでいる敵だ。
倒せばもっと爽快な気持ちになれるものなのだと思っていた。
「何ですか、これ。何なんですか、これ。私、正しいことをしているはずなのに。どうして、こんなに後味悪いんですか。ルフィミアさんの仇を取ったのに、どうして」
この世界に落ちてから、がむしゃらに生きてきた美咲にはそんなことを考える余裕なんて無かった。
だから、美咲には、その理由が分からなくて、ただ泣きじゃくることしか出来ない。
「それが、命を奪うってことなんだよ」
泣く美咲をの頭にぽんと手を置いたアリシャは、少し間を置いてから、不器用な仕草で美咲を胸にかき抱く。
「魔物を殺す時は、違ったんです」
「人間と魔族は本質的に同じだ。会話することが出来て、共に誰かを愛することが出来る存在で、同じように笑い、泣く。そんな存在を殺めるんだ。綺麗ごとだけじゃ、回らないことだってあるさ」
美咲の目が見開かれる。
その言葉は、美咲の胸に不思議とすとんと落ちた。
思えば、ゴブリンだって、グモのように美咲と友達になれた個体があった。
魔物使いの笛があれば、魔物とだって心を通わせられた。
なら、魔族とだって仲良くなることは、不可能じゃない。
「……どうして、人と魔族は分かり合えないんですか?」
「それは、難しい質問だね」
ぽつりと呟く美咲に、アリシャが苦笑する気配が伝わる。
何も言わずに言葉を濁すアリシャの代わりに、静かな声が美咲の問いに答えた。
「人と魔族の関係が、積み上げた互いの屍の上に成り立っているからよ。理屈じゃないの。積もりに積もった憎しみは、もうどちらかを殺し尽くすまで止まることは無いわ」
「ミリアン」
咎めるような眼差しを向けるアリシャに、ミリアンはため息をつく。
「何よ。ここで嘘を教えても、仕方ないでしょ」
激闘の痕跡を窺わせるミリアンは、大きな怪我こそ負っていないものの、その身体は随分と草臥れている。
着込んでいる鎧は所々凹んだり皹が入っているし、肩当てなど片方が吹き飛んで一つしかない。
鎧の上から着込む外装もあちらこちら解れていて、破けているところまである。
「それにしても、お前ともあろう者が随分と梃子摺ったみたいだな」
どこか面白がるような声音のアリシャに、ミリアンは少しばつが悪そうに目を逸らし、唇をひん曲げた。
「仕方ないじゃない。思ってたより強かったんだもの。危なくなって奥の手を使って殺そうとしたら逃がしちゃうし」
「なんだ。倒せてないじゃないか」
完全にアリシャは人の悪い顔で笑っている。
やはり面白がっていたアリシャに、ミリアンは不満げに唸って弁解した。
「私そんなに足速くないのよ。瞬間的にならそれなりの速度は出るけど、逃げる相手を追い詰められるほどの速さは出ないわ」
「情けないな。こっちは美咲が大金星を果たしたぞ」
アリシャの言葉を聞いたミリアンが、黒く焼け焦げたブランディールとその傍らに伏せるバルトを見て、目を見開いた。
「……蜥蜴魔将。本当に、美咲ちゃんが倒したのね」
「ああ。これでようやく人族にも芽が出てきた。もっとも、これはあくまで始まりで、乗り越えなければならない試練はこの後もまだまだ山積みで残っているが」
一頻り泣いた美咲にも、ようやく実感を抱けてきた。
自分が、この強敵を打倒したのだ。それはきっと、誰も対しても胸を張って自慢できる偉業に違いない。
(……あなただったら、褒めてくれますか? ルフィミアさん)
胸の中でもういない恩人にそう問いかけて、美咲は頭を切り替える。戦争はまだ終わりではない。美咲とブランディールの戦いは終わったが、まだヴェリートは取り戻せていないのだ。美咲は、ミーヤのために故郷であるヴェリートを取り戻してあげたい。
「ミリアンさん。ゴブリンたちはどうなりましたか?」
「ん? ああ、ゴブリンキングとゴブリンマジシャンならさっき言った通りよ。雑兵どもまで念入りに殺して回ったわけじゃないけど、ある程度は始末しておいたからヴェリートに逃げ帰ったゴブリンは少ないはずよ」
「……そうですか」
ほっとしたような、ちょっと不満なような、複雑な気持ちで美咲は彼らの死を受け入れた。
ルアンの仇を取れなかったのは悔しく思う気持ちもあるが、美咲にはグモとの約束があるので、積極的にゴブリンの殺害に手を貸すわけにはいかない事情がある。撃退することは出来たのだから、納得するべきだろう。グモにも、この結果なら顔向け出来る。
「ところで皆、何処にいるんでしょうか」
美咲が戦っていたであろう仲間たちの安否を尋ねると、アリシャが答えた。
「馬車のところだろ。空で戦いながら見てたが、向こうは向こうで、大変だったみたいだぞ」
「行ってあげた方がいいんじゃない?」
そうミリアンも勧めてくるし、美咲も行きたい気持ちはやまやまだったが、まだ片付けなければならない問題が一つ残っている。
古竜バルトの処遇である。
ブランディールが遺した言葉によれば、バルトはブランディールを倒したことで美咲の騎竜になってくれるはずなのだが、当のバルト本人がそれを受け入れているかどうかはまた別の話である。
バルトが落ち着くのを待ってから、美咲は話を聞く。
「えっと、バルトって名前でいいのよね。私に従ってくれるっていうのは、本当のことだと思ってもいいのかな」
「……確カニ、俺ハぶらんでぃーるトソウイウ契約ヲ交ワシテイタ。俺ハ本来魔族ニモ人間ニモ味方シナイ竜ダッタ。俺ハ個人ニコソ仕エルガ、人族ト魔族ドチラカ片方ニ肩入レスル者デハナイ。ダガ、俺ヲ使イタイトイウノナラ、ぶらんでぃーるニツイテハ盛大ニ弔ッテクレ。コンナ奴デモ、友ダッタノダ」
「もちろんそれは……なんです?」
頷こうとした美咲は、アリシャによって遮られ、きょとんとした顔をする。
「ブランディールが死んだと証明できるものが必要だ。出来れば首が一番いいが。果たしてあの竜はそれを許してくれるかな」
「……あ」
思いつきもしなかったことを指摘したアリシャを、美咲は驚いた表情で見つめる。
「駄目ダ。コレ以上ぶらんでぃーるノ遺骸ヲ傷ツケナイデクレ」
バルトも真っ先に異を唱え、美咲は途方に暮れた。
「だってさ。美咲ちゃん、どうするの?」
皮肉げに笑って、ミリアンも美咲に意見を求める。
「一部分って考えるからいけないんです。このまま馬車に積んで、改めてお墓を作って葬って、立派なお社を建てて奉りましょう。一度目、私は見逃されましたし、バルト君のことを考えたら、彼に対してそれだけのことをする理由があると思うんです」
「……呼ビ捨テデ良イ」
まさか君付けで呼ばれてるとは思わなかったのか、バルトが憮然とした顔をする。
一方で、アリシャは感心したように美咲の話す内容に聞き入っている。
「神殿を作るのか? そういう考え方もあるのか……」
どうやらお社、奉るなどのこちらの世界に無いものについての言葉は、既にある物に置き換えてくれるようで、日本の神社が関係するような言葉でも、サークレットは正しく意味をアリシャたちに伝えてくれた。
目を丸くして、ミリアンが不思議そうに美咲に尋ねる。
「倒した敵を神として奉るなんて、変な考え方ねぇ。美咲の世界じゃ、そういう考え方が一般的なの?」
「世界規模でそうなのかは私には分かりませんけど、日本に関してだけいうなら、そうだと思いますよ。怨念を鎮めるためとか、そういう意味があったと聞いています」
聞きかじりの知識なので美咲とて詳しいわけではないが、聞いた話では、いかにも信憑性あるような話だった。
「ソコマデシテクレルノナラバ、俺モ異論ハナイ。キチント約束ガ果タサレルナラ、従ッテヤッテモイイ」
「ありがとう、バルト。それじゃあ、馬車に運ぼう」
美咲はマントを脱ぐと、焼けて縮んだブランディールの遺体を丁寧に覆い、持ち上げた。
水分が蒸発してすかすかになったブランディールの遺体は軽く、美咲でも一人で運ぶことができた。
ルフィミアを殺した憎い敵だが、死なば皆仏だ。
そう考えると、日本には良い言葉が沢山あるな、と美咲は妙な感慨に耽った。