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美咲の剣  作者: きりん
四章 死闘
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十七日目:第二次城塞都市攻防戦8

 反応が無くなった美咲を見て、詰まらなさそうに美咲の心臓を己の大剣で貫こうとしたブランディールだったが、ここで運が美咲に味方した。

 アリシャが魔法で引き起こした地割れの衝撃で、ブランディールが体勢を崩し、膝をついたのだ。

 狙いを逸れた大剣は、美咲の身体の脇に突き刺さる。


(……嫌だ。弱いなんて言われて。努力を鼻で笑われて。このまま、終わりなんて)


 今度こそ力のない美咲の左手が、ブランディールの腕を掴んだ。

 そうだ。諦めてはいけない。自分の命だけで済む問題ではないのだ。美咲が死ねば、ブランディールは自由に動けるようになってしまう。美咲を殺したその足で、他の戦場に加勢しに行くだろう。それがもしアリシャやミリアン以外の戦場だったら、間違いなく壊滅的被害を受ける。親しい人が皆死ぬ。そうでなかったとしても、アリシャやミリアンだって危ない。目の前の敵と戦っている最中に、ブランディールの不意討ちを受けて無事でいられるかどうかは謎だ。現に、不意討ちで一度ミリアンが敗北しているではないか。

 負けられなかった。死ねなかった。美咲は自分が背負っているものを思い出した。

 死者の想い。生者の想い。皆の命も、美咲の双肩には掛かっている。

 ──死ねない。


「ちっ、しくじったか」


 舌打ちをしたブランディールは、大剣を引き抜こうとして、ようやく異変に気がつく。

 本気を出さなかったとはいえ、怪我させないよう手加減したわけでもないのに、美咲の下半身にはブランディールの蹴りを受けておきながら怪我一つない。さらに言えば、潰れてもいいくらいの気持ちで踏んでいるのに、美咲の腕は潰れていない。傷口が開いて血が流れているが、それだけだ。

 さらなる異常がブランディールを襲った。引き抜こうとする大剣がみるみるうちに重くなり、びくともしなくなっていく。

 体中の力が抜け、ブランディールは自分の身体が鉛になったかと錯覚を覚えるかのようなだるさに襲われる。


「……て」


 身体を猛々しく包んでいた強化魔法どころか、無意識に保っていた普段の力でさえ、ブランディールからは失われた。

 戸惑うブランディールは、掠れるような声を聞いて、美咲を見下ろす。


「……して」


 蚊の泣くような声。

 ともすれば聞き逃しそうになるほどか細い声で、美咲が何かを言っている。

 ブランディールの腕が、みしりと音を立てた。

 気付けば、ブランディールの腕は、元から白い腕がさらに白くなるほどの力が込められた美咲の腕によって、ぎりぎりと締め付けられている。


「何だこれは。何なんだこれは。こいつ、どこからこんな力を!」


「……訂正、して」


 ゆらりと、美咲が立ち上がった。

 その動き方はふらついて頼りなく、まるで幽鬼のよう。

 だが、砕けんばかりに歯を噛み締め、涙を流した痕が残る目を見開いてブランディールを睨みつける美咲の瞳の奥で、激情が業火となって燃え盛っている。

 許せなかった。

 目の前の魔族が。

 ルフィミアの死を弄ぶ者がいることも。

 努力してなお届かないと諦めかけた、自分自身の弱さでさえ。

 エルナもルアンもルフィミアも、死ぬまで決して諦めなかったはずだ。彼らの願いを背負うと決めたのに、放り出しかけた自分が、美咲は一番許せない。

 美咲の心の中で、獣が吼えた。

 怯えて狩られるだけの獲物から、魔族を狩る気高き捕食者へと、獣はその姿を変えていく。


「もう守られる側なんかじゃない……! 私は負けない! アンタなんかにも、こんなクソっ垂れな現実にも! お前を殺して、死霊魔将も殺して、立ち塞がる魔族を殺し尽くして、魔王だって殺してみせるわ! そのための力は、ルフィミアさんがくれた!」


 美咲は今こそ、ルフィミアとの別れの直前に教えて貰った魔族語で魔法を唱える。

 彼女の遺した言葉、文章の長さ、内容の苛烈さなど、様々な理由で今まで使うことを躊躇っていた美咲の切り札。

 おそらくは異世界人である美咲が使ってこそ真価を発揮する、ルフィミアが編み出し美咲に託した炎魔法。


「ワェアリィエヘソォイゥオタァウギ(我は死を告げる焔)ラフゥオマレ! ホォイツゥオソカァウ(等しく)ウォワェアロゥオムテ(終わりを齎す者にして)レサムヌノソチィ、サァウビィエチゥオ(全てを)ヨェアコォイタカサ(焼き尽くす炎の化身)フヌウォヌキソン! ワェアゲユゥオボォイグイェ(我が呼び声に応じ)ノウォアゥゾイ(炎獄より来たれ)ングカァウユロコテリィ、ソォイヤゥアゥイェンヌゥ(終焉の炎よ)オフヌウォユ!」


 それを発動させる魔族語を、美咲は叫んだ。

 美咲の回りを、爆炎が、踊る。

 風景が赤く彩られていく。燃えているのは風景ではない。美咲自身だ。

 目の前で驚愕と狼狽の表情を浮かべるブランディールも、遥か上空で戦うアリシャとバルトも、赤い色に染められて消えていく。美咲の視界全てを炎が呑み込んだ。


「があああ……!」


 一瞬で巻き上がった炎は反射的に飛び退ったブランディールの肌を容赦なく焼き、気管支にまで入り込んで熱傷を与えた。

 本来なら即座に離脱できたはずのブランディールの身体は驚くほど弱々しく鈍間で、ブランディールは重度の火傷を負いながら転がるようにほうほうの体で炎から脱出する。


「ぎ、ぐ……き、"傷よ癒えろ"」


 ブランディールが魔法を唱えて、まず気管を治癒して呼吸困難を防いだ。

 ぜえぜえとまだ痛みが残る喉で息をしながら、続けて魔法を唱えて焼けどの治療をする。だが、得意でない治癒の魔法は効果が弱く、ブランディールの肌の火傷の治りは酷く遅い。


「な、なんて奴だ……! 最後の最後で、あの女みたいに自爆しやがった……!」


 悶えながら怪我が癒えるのを待つブランディールは、目を見開いて目の前の光景を見つめた。

 肩で息をするブランディールの前で、おかしな現象が起きている。


「火柱が、近づいて来る、だと……!?」


 信じられないとでもいうように上ずった声を上げたブランディールは、もう一度目前の光景を見て、今度こそ驚愕した。


「近付いてきてるのは火柱じゃねぇ……! あの人間のガキが、火柱を纏ってやがるのか!」


 冗談みたいな光景だった。直径が五十メートルを超えそうな巨大な火柱の中心に美咲が立っていて、火柱の中で、炎を涙のように散らして、ゆっくりとブランディールの下へ歩いてきている。

 反射的に後退ろうとしたブランディールは、恐慌状態に陥っている自分を自覚し、敢えてその場に踏み止まった。強者であるブランディールが、己より遥かに弱いはずの美咲に恐怖するなど、あってはならない。

 ブランディールに相対した美咲が立ち止まった。美咲を包む火柱は衰えを知らず、彼女の戦意を表すかのように、激しく猛っている。


「……尋常に勝負よ、蜥蜴魔将ブランディール。私は美咲。美咲の剣傭兵団団長にして、お前たち魔族を駆逐する勇者。訂正して。私はもう、弱者なんかじゃない。誰かを守る側に立ったのよ。それでも私を弱者と呼ぶのなら」


 美咲は炎の中で静かに剣を抜く。火中にあっても、美咲の剣は変わらずその輝きを維持している。


「──それでもいい。もう何も言わない。誤ったまま、その認識を抱えて死になさい」


「……勇者! 勇者と来たか!」


 満身創痍の身体も忘れて、ブランディールが叫んだ。

 叫び声には隠す気も無く喜びが混じっている。


「この俺を殺そうなど大言壮語もいいところだが、俺の状態と、今のお前を見るとなるほど口先ばかりでもないようだ! いいだろう、その勝負受けてやる!」


 それ以上の問答は無く、ただ、美咲の戦意を表すかのように炎が猛る。

 再び、両者は激突した。



■ □ ■



 突然ゴブリンたちを襲ったのは、質量を持った暴風だった。

 雑兵として数だけは多いゴブリンだが、その質はいまいちで、暴れまわるたった一人の女を誰も止められない。

 それどころか、指揮官であるゴブリンメイジのベブレと、ゴブリンキングのライジに、敵襲を伝えはするが、誰が襲ってきたのかは皆口々に違うことを言う始末。


「すげえゴリラが襲ってきました!」


「とんでもねぇ美女が突貫してきてます!」


「いいえ、人間の女です!」


「魔族の色っぽい女です!」


「でっかいおっぱいです!」


「ありゃ女じゃねえよ! 男だろ!」


「歩く災害ですぜ! 手当たり次第に全部薙ぎ倒していきやがる!」


 口々に話すゴブリンたちに、ベブレはしかめっ面をした。勇んで参戦してみればこれだ。


「訳が分かりませんよ。一体どういうことなんです。情報は統一させなさい!」


 ベブレが一喝すれば、元気よく「敵が襲ってきました!」という返事が返ってくる。

 思わず頭を抱えるベブレに、ライジが大笑いする。


「無駄だ無駄だ! こいつらにそんな器用なことができるもんか! お前ら、そいつの下へ案内しろ! この俺様が直々に片付けてやる!」


「止めなさい! まだ敵が誰かも分かっていないんですよ! せめて敵の強さがどれほどなのか、分析してからにすべきです!」


 慌ててベブレはライジを制止する。ライジはベブレ自身を含めても二人しかいない、ゴブリンの突然変異種のうちの一人なのだ。ベブレとライジ、どちらが欠けても自分たちゴブリンの戦力は激減する。

 ライジの武、ベブレの知。全ての能力が低く繁殖力しか脳のないゴブリンがヴェリートを落とし、ここまで大躍進を果たせたのは、突出した能力を持つこの二人が揃っていたからだ。

 ベブレだけでは真なる強者の前ではいくら小細工をしたところで突破されるのは目に見えている。現に、自分たちが圧倒的に有利だったゴブリンの巣の中でさえ、生き残りを出してしまったのだ。もしあの場でベブレとライジが一緒に居たならば、脱出を許すこともなく、洞窟内で勝負がついていただろう。

 また、ベブレが死んでも駄目だ。ライジは確かに戦闘において非凡な才能を発揮するが、その反面お頭があまり宜しくない。普通のゴブリンほどではないとはいえ、それでもその程度はベブレ自身と比べれば明らかで、多少毛が生えただけに過ぎない。つまり、猪突猛進で融通が利かないのだ。ライジ一人になれば、人間の中に少しでも戦術を知っている人間が居れば、ゴブリンを蹴散らすのは容易い。ライジは結局体格とその強さを除けば、他のゴブリンと大して変わらない。


「いやあ、暴れた暴れた。最近フラストレーションが溜まってたから、良い気晴らしになったわ」


 底抜けに明るい女の声に、ベブレの身体が震えた。

 動揺を隠して振り向けば、身体中を朱に染めた女が立っている。

 女は金属製の巨大なバトルハンマーを片手でくるくると回している。相当な重量があるであろう武器が、女の手の中で軽々と踊るのは、とても奇妙な光景だった。


「……何故」


「うん?」


 小さな声で呟いたベブレに女が反応して、首を傾げる。


「どうやってここまで来たのです……! 周りには、四千ものゴブリン兵がいたというのに!」


「ああ、そいつらなら弱かったからぶっ殺しちゃったわよ」


 こともなげに言う女の声音には、感情の揺らぎが感じられない。快活な声音だが、女の目だけが違った。


(……なんて、無感動な瞳。この女は、私たちを敵とすら、見なしていない!)


 ベブレは怒りから歯を噛み締めた。ゴブリンという弱種に分類される魔物をライジと共に纏め上げ、ヴェリートを落とすまでに成長させたベブレにとって、相手にされないというのは、酷い屈辱であった。


「おいおい、四千のゴブリンを一人でぶっ殺したってのかよ。そいつはちっとばかし、盛り過ぎってもんだぜ」


「なら、実際に試してみる? 二人同時に相手してあげてもいいわよ?」


 余裕を示す女に、ベブレの沸騰していた思考が急速に冷めていく。これは好機だ。女はゴブリンたちのあまりの弱さに、油断している。自分たちを同時に相手にすると言ったことからも、それは明らかだ。ベブレとライジが、ゴブリンたちとは別次元の強さであることを知らない。ならば勝機はある。


「いいや、それには及ばねぇ。お前一人、この俺様だけで十分よ」


「何を言っているのですかライジ! 悪いことは言いません! 二人掛かりでやるべきです!」


 折角立てようとした作戦を、当のライジに根本から覆され、ベブレは悲鳴を上げてライジに考え直すよう迫った。


「二人掛かりなんて情けない真似ができるか。あの女は四千人のゴブリンたちと戦って勝利したんだ。なら、俺もそれに敬意を表して、一人で相手するっていうのが筋だろうが」


「ふうん。じゃあ。私の相手をするのはお前だけなのね」


 人間の姿をした女は、つまらなさそうな顔でライジを見ている。その表情は、他の有象無象のゴブリンたちに向けるものと何ら変わらない。

 その様子に、ベブレは強い焦燥を覚えた。

 確かに、女は自分たちを侮っている。だが、ライジ自身も女を侮っている。これでは結果は見えているではないか。


「おい。お前からあいつの注意が逸れたら、タイミングを見計らって魔法で妨害しろ。不意討ちなら勝機もあるだろう」


 すれ違う直前小さな声で囁かれたライジに言葉に、ベブレは思わずライジを振り向いた。

 目を合わせたライジは、にやりと笑ってみせる。ライジは侮っている態度を取りつつも、その実決して油断してはいなかった。

 騙し討ち上等。狡賢くてこそのゴブリンである。

 ホッとして、ベブレは女にばれないように瞬きを二回した。了承の合図である。ベルゼとライジ二人の間では、こんな暗号的なやり取りの取り決めも決定してあったのだ。


「そういうことになる。まあ、心配するな。つまらない思いはさせんよ」


 ライジは、己が背負っていた巨大な棍棒を引き抜く。鉄製のそれは、ヴェリートを占領した後に略奪で手に入れたものである。

 多数の傭兵を抱え、城塞都市としても名高かったヴェリートは、武器防具が豊富にあった。その中で見つけた、ライジのお気に入りだ。

 ちなみに、魔族やゴブリンにとって、略奪品はもちろん人間も含まれる。特に女子どもは奴隷として需要があるため、片端から狩られた。魔族と人間の確執を深める原因だが、勝利者の権利として、当然のように行使されている。人間も魔族が住む街を落とせば同じことをするに違いないので、一概にどちらが悪いとはいえない。この世界では、略奪するのが当たり前なのだ。

 故に、ライジは目の前の女を倒せば、犯す気満々だった。理性的なベブレはともかく、精神的には普通のゴブリンと大して変わらないライジは、既に女の姿を見た時から二重の意味で臨戦態勢に入っていた。


「一応、最後に言っておくわ。私、戦わなくていい戦いはしない主義なの。ここでヴェリートに引き返すなら、あなたたちだけは見逃してあげてもいいわよ。あなたたち二人は、ゴブリンの中でも特別みたいだしね」


「上から目線の忠告ありがとよ。嬉しくて涙が出てくるぜ。……お前をぶっ倒して、犯しまくって孕ませてやる」


 軽い口調ながらも、ライジはプライドを刺激されて女を挑発する。

 ライジに犯すと宣言された女は、汚物を見るような目でライジを見た。


「ふうん、そう。あーあ、折角助かるチャンスを与えてあげたのにな。自分から投げ捨てるなんて馬鹿な奴」


 女が身構えると同時に、棍棒を振りかぶったライジが凄まじい勢いで突進した。


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