十七日目:第二次城塞都市攻防戦5
今まで忌々しくも後退しながら魔法で人族軍を削っていた魔族軍の間に、動揺が走ったのをエルバートは見逃さなかった。
長らく耐えてきた努力が報われた。今こそ好機、全力で攻め立てれば、敵は大混乱に陥るだろう。
足を止めて浮き足立つ魔族軍をしっかりと見据え、叫ぶ。
「ベルナドたちは上手くやったようだな! この機を逃すな! 全軍突撃せよ!」
怒号のようなエルバードの号令共に、突撃合図である大太鼓が盛んに打ち鳴らされる。
騎士や傭兵を含む、人族連合騎士団主力の兵士たちは爆発するかのような鬨の声を上げ、一気呵成に魔族軍に襲いかかった。
これに慌てたのが、魔族軍指揮官のヴァルダーである。
今後の混乱を予想し、まだ統制が効いているうちに何とかヴェリートの蜥蜴将軍ブランディールに援軍要請の伝令を出すことを成功させたものの、背後のベルナド率いる奇襲部隊の対応に追われているうちに、人族軍主力が突撃をかけてきた。
「何としてでも持ち応えよ! 蜥蜴将軍殿が来れば、勝利は我らのものぞ!」
辛うじて瓦解するのを押さえながら、ヴァルターは魔族軍兵士たちを鼓舞し続ける。指揮を取りながら、ヴァルター自身も己の剣を抜き、魔法を放ち、包囲して押し潰そうとする人族軍を迎え撃った。
「魔族め、覚悟ー!」
「温いわ!」
ワルナークに乗り突っ込んできた人族の騎士を、すれ違い様に槍を掴んで引き摺り下ろす。
溜まらず騎士は落馬し、地面に落ちた騎士に、ヴァルターは己の槍を突き立てた。
魔族であるヴァルターは人間よりも恵まれた体躯と、人族騎士の突撃に力負けしないだけの腕力を備えていた。もちろん全ての魔族がそんな芸当をできるはずも無く、そこかしこで魔族兵たちの怒号や悲鳴が上がる。
周りの騎士を全て叩き伏せたヴァルターは、その場を味方に任せ、苦戦している別の味方の救援に入る。
「た、助かりました!」
「油断をするな! まだ来るぞ!」
やや突出していた歳若い魔族兵の少年に一喝して注意を促し、ヴァルターは人族軍へ牽制の魔法を放つ。
その隙に魔族兵の少年は味方と歩調を合わせ、防御陣の中に戻る。
同じようなことが、幾度も続いた。
「抜けると思ったが。魔族の奴らめ、諦めが悪いにもほどがある」
何度目かの突撃を終えたベルナドは、未だに組織だった抵抗を続ける魔族軍を眺め、悪態をつく。
ニ方向から同時に攻め立てられているにも関わらず、魔族軍は崩れることもなく、応戦している。
時折崩せそうなほどの打撃を与えても、素早くやってきた魔族がフォローに入ってしまい、人族軍は攻めきれない。
ベルナドと同じくエルバートもまた、思った以上の魔族軍の粘り強さに、誤算を覚えていた。
「予想外だな。ここまで持ち応えるとは」
それでも、エルバートは今の状況に悲観を感じてはいない。依然として人族軍が有利なのは変わらず、このまま攻め続ければいずれは押し切れるのが明白だからだ。
むしろ、エルバートはここまで善戦する魔族軍の指揮官を賞賛したい気分だった。
だが、時間の流れは人族軍だけに味方しない。
エルバートが奮戦するさらにその上空で、そのエルバートを見下ろしている者が居た。
ヴァルター率いる魔族軍が決死の防衛で時間を稼いだお陰で、古竜バルトを駆る蜥蜴魔将ブランディールが、救援に間に合ったのだ。
両軍の上空を飛ぶブランディールが状況を見て取ったところ、奇襲を受けた魔族軍は思ったより善戦している様子で、見るからに不利ではあるが、今にも潰れそうな様子はない。
同時に攻めかかられながらも、冷静に攻撃を弾き返している。
「ふむ。ニ方向から攻めかかられているな。数が少ない方が別働隊か」
「オイ。ドッチヲ狙ウンダ。早クシロ」
「そうだな。少し待て。……ん?」
己を急かすバルトに言葉を返しながら地上を見回すブランディールは、人族連合軍主力部隊の背後にある大量の馬車に気がついた。
「何だあれは」
まだ補給部隊の概念が薄いこの世界では、一目で見抜くことはできず、ブランディールが目に留めたのは、一際大きな馬車から降りてきた少女だった。
「どこかで見た顔だな」
少女の顔を見たブランディールは、不思議そうに首を傾げた。
何処となく知った顔のような気がするものの、何故、見覚えがあるのか分からないのだ。
「ワスレタノカヨ、オイ」
見覚えはあれども思い出せないブランディールに、バルトは呆れた顔をする。
「お前は覚えているのか」
「当タリ前ダ。オ前ノ頼ミデ俺ノ背ニ乗セテヤッタンダカラナ」
そこまで言われればブランディールも思い出し、意外そうな表情で少女を見つめる。
「あの時のガキか。せっかく見逃してやったのに、何でまたこんなところに」
「知ラン。ソレヨリドウスル」
しばらく顎に手を当てて考え込んだブランディールは、にやりと笑った。
「よし、まずは先に予定通り人族軍の指揮官を殺ろう。それから念のため馬車も奪おう。もしかしたら中身は補給物資かもしれん」
どうやらブランディールは美咲など眼中に無いらしい。基本的にブランディールは敵味方に限らず強者を好むので、美咲のことになど興味を払わない。その生死にすら興味がない。
だからこそ先の戦いでも美咲をあっさりと逃がしたし、その後で追いかけもしなかった。
ブランディールが求めるのは強者との戦いだ。血沸き肉躍る戦いこそが全て。それ以外は全て瑣末事だ。魔族と人族の戦いも、永遠に続けばいいとさえ思っている。
そういう意味ではブランディールは魔族ではあるが、人族を根絶やしにしようなどとは、かけらも思っていない。
「行くか」
「オウ」
短い言葉のやり取りと共に、竜と蜥蜴は一体となって急降下していく。
急に地面が陰り、エルバートが怪訝な顔になる。
「……何だ? 影だと?」
数瞬遅れて、エルバートがハッとして上を見上げる。
狙われたエルバートが気付いた時には、既にブランディールは大剣を振り下ろしていた。
「しまっ……!」
反応する間もなかった。
叫びかけたその瞬間、エルバートは騎乗していたワルナークごと両断され、血と内臓を撒き散らして絶命する。
落下と表現しても遜色ない急降下速度と、大剣の重量を生かした良い一撃だった。これでは例えエルバートが気付いて防御しようとしても、防御ごと斬り伏せていただろう。
突然の人族軍指揮官の死に、一瞬両軍ともに静まり返った。
一瞬の静寂を、ブランディールは腹の底から響く大音量の声で破る。
「人族の兵どもよ! お前たちの指揮官はこの俺が討ち取った! 俺は蜥蜴魔将ブランディール! 命が惜しくない奴から掛かってくるがいい!」
啖呵を切ったブランディールに、両軍の兵士たちから視線が注がれる。
乱入してきたのが誰なのか、殺されたのが誰なのか、殺したのが誰なのか。それが事実として両軍に浸透した次の瞬間、魔族軍から歓声が、人族軍から悲鳴が上がた。
魔族軍の士気が大幅に上がり、優勢だった人族軍は逆に恐慌状態に陥る。
「今だ! 死に物狂いで押し返せ!」
我に返ったヴァルターが素早く魔族軍を反攻に転じさせ、水を得た魚のように猛然と反撃を始める。
突然盛り返して勢いを増した魔族軍の抵抗に、別働隊を率いるベルナドは完全に勢いを殺がれていた。
もはや奇襲の有利は無くなった。一刻も早く離脱しなくてはならないが、牽制のようにしつこく飛んでくる魔法が、それを許してくれない。全員が魔法を使える魔族軍と、ほとんどが魔法を使えない人族軍の差がここで出た。
そして、魔族軍にとっては最高の、人族軍にとっては最悪のタイミングでベブレとライジ率いるゴブリン隊が戦場に到着する。
「我が軍が優勢のようですね。このまま後詰として仕掛けて勝負を決めてしまいましょう。私は数が少ない方を叩きます。ライジさんは完全に統制を乱している向こうの主力を叩いてください」
「おうよ! 従うぜ! お前の指揮で外したことはないからな!」
ベブレとライジはそれぞれ二手に別れ、他のゴブリン兵を率いて人族軍主力と別働隊の後背から襲い掛かった。
たまらないのは大混乱の渦中にある人族軍主力部隊の面々と、完全に虚を突かれる形で奇襲を喰らったベルナドたち奇襲部隊だ。
「弱い! 弱い! 弱いぜぇ!」
まるで狂戦士のように暴れまわるライジは、手に持った巨大な金属製の棍棒で、片っ端から人族軍兵士を叩き潰していく。
中には応戦を試みる兵士もいるものの、ゴブリンらしからぬ恵まれた巨躯のライジを止めることが出来ず、逆に棍棒で滅多打ちにされ人の原型を留めない肉の塊と化す。
ライジが思う存分暴虐の限りを尽くす一方で、ベブレもまた別働隊に攻撃を仕掛けていた。
「|ワェアリィエレヌゥオチコォイノハァウケイェニマロゥオ!」
ベブレが唱えた眠りの魔法が、必死の抵抗を続けていた別働隊の面々を襲う。
自分の周りで肩を並べて戦っていた騎士たちが突然次々にワルナークから落馬していくのを見て、ベルナドは目を見開いて声を荒げる。
「何だ! 何が起こった!」
慌てて回りを見回したベルナドは、自分たちの背後から押し寄せてくるゴブリンの軍勢を見て凍り付いた。
普段ならば、ゴブリンなどいくら群れていようが蹴散らせる雑魚に過ぎない。
だが、ベルナドが見たゴブリンは異様だった。
連携など理解せず、戦術のせの字も知らないはずのゴブリンたちが、一糸乱れぬ隊列を組んで、どうしてまるで優秀な軍隊の兵士のように攻めてくるのか。
「……馬鹿な」
信じられない光景を見つめるベルナドの声は、すぐにゴブリンたちの足音と罵声でかき消された。
電光石火の不意討ちでエルバートを屠った後、人族軍主力と別働隊の一部始終を空から見届けたブランディールが、どこか残念そうに呟く。
「何だ。これでもう決まっちまったか。歯応えが無いな」
鼻を鳴らして周りを見回したブランディールは、慌しく馬車から出てくる美咲たちを見て、口が裂けるような笑みを浮かべる。
「まあ、念のためあの嬢ちゃんも始末しておくか。もしかしたらちっとは強くなってるかもしれないしな」
「ヨワイモノイジメカ。格好悪イナ」
「俺だって進んでやりたくはねえが、仕方ねえだろ戦争なんだから!」
どこか漫才じみたやり取りを繰り広げる主従は、緊張感を欠きながらも、凄まじい速度で飛んでいった。