十七日目:今一度、あの戦場へ3
騒ぎは数時間後に起こった。
天井にいたニーチェ、セザリー、テナ、イルマが、最初に異変に気付いた。
四人は一行の中では、一番目が良い。もしかすると、騎士団の物見よりも目が良いかもしれない。騎士団よりも早く発見したこともあり、或いは本当にそうなのかもしれない。
「……向こうの雑木林の中に、何かが見えますぅ」
「確かに。光って見えるわね。テルマ、美咲様に連絡を。テナは私たちと一緒に観察を続けて」
「ほい来た」
「分かりました。行ってきますぅ」
即座に切れの良い返事をし、テナは目を凝らす。距離がまだあるので、詳細は分からないが、見間違いではないようだ。
テナの背後で、イルマが梯子で中に降りていく。
中に戻ったイルマが、美咲に上ずった声で美咲に報告する。
「前方の雑木林に何かいるみたいですぅ」
報告を受けた美咲は即座に何かが起きたことを察すると、イルマに尋ねる。
「騎士団は何か反応があった?」
「えっと、無いと思いますぅ」
美咲は騎士団に知らせるべきか思案する。
その時だった。
「オーガだ! オーガが輸送物資を狙ってる!」
「ちくしょう、どうしてこんなところでオーガが出て来るんだ!」
「知るか! 魔王軍のオーガか何かなんだろ!」
外から騎士たちの慌しい足音と声が聞こえてきて、美咲は反射的に外に飛び降りた。馬車の列は止まっていて、動き出す様子はない。
馬車の外では、既に御者をしていたタティマ含め、外部座席にいたミシェル、ベクラム、モットレー、タゴサク、イルシャーナ、マリス、ドーラニア、ユトラ、アヤメ、サナコが装甲馬車の周りに展開し、起きるであろう戦いに備えて警戒している。
「どこから攻撃があるか分からない! 注意を怠るな!」
タティマの声が飛び、ミシェル、ベクラム、モットレー、タゴサクが返事を返す。
「おう!」
「分かったよ!」
「了解でやんす!」
「承知したでござる!」
残るイルシャーナたちも、男に負けず、いつでも戦闘に入れるよう、臨戦態勢に入っている。
「総員警戒態勢! 美咲様の馬車を囲みますわよ!」
素早くイルシャーナが叫び、応じて他の女性たちが素早く散らばり、馬車を背にする。
既に一部では戦闘が始まっているようで、オーガらしき咆哮や、何かを激しくぶつけたような金属音が四方八方から聞こえてきた。
「全部の馬車をボクたちだけで守るのは無理だね。他の馬車は騎士団の人たちに任せよう」
冷静に状況を観察しながら、マリスは腰の双剣を抜く。細めた目のように、マリスの殺気が細く鋭く研ぎ澄まされていく。
木々の間から、ぬっと筋骨隆々の亜人が何人も顔を出す。
「敵はオーガか。腕が鳴るねぇ!」
ついに姿を見せたオーガに、相対するドーラニアが口笛を吹く。
ドーラニアの瞳には炎が燃え上がり、気炎のような闘気が渦を巻いている。
オーガたちは粗末な腰布を身につけ、手には木からそのまま削りだしたかのような棍棒を携えている。
「皆、油断はしないで。特に補給物資には手を出されないように! 万が一火をつけられでもしたら大惨事よ!」
振るわれるオーガの棍棒を、自分もメイスを振るって真正面から迎撃するユトラは、全くオーガに対して打ち負けていない。
「私たちはそれでいいが、騎士団の奴らが守りきれるかどうかだね」
容易くオーガを一匹屠りながら、アヤメがちらりと他の馬車に視線を向けた。
アリシャとミリアンの馬車は問題ない。どちらも、持ち主が近付くオーガを瞬殺しており、オーガは彼女たちの回りには近付こうとしていない。
二人の強さはやはり別格だ。ドーラニアやアヤメとて決して弱くはないのだが、比べるのが間違っているくらい、アリシャとミリアンは強かった。
特にアリシャは作業を中断されたのが気に入らないらしく、文字通りオーガを相手に千切っては投げ、千切っては投げ、圧倒している。
ミリアンもミリアンで、オーガの胴体をハンマーの一撃で粉砕する様は、どっちが魔物か分からないほどだ。
だが問題は騎士たちである。
「見たところ、人数はともかく質はそれほど良さそうには見えませんけど、大丈夫でしょうか?」
オーガに対して、常に二人以上で対処しているのに、戦う騎士たちの姿は酷く危なっかしい。
彼らは最前線で戦う騎士ではないのか、オーガに対して動揺を露にし、連携らしい連携もできていない。
そんな有様ではオーガをまともに抑えることはできず、次々破られそうになっている。
問題は、隊列が長過ぎて、前方を歩く騎士団の主戦力に状況が伝わっていないということだ。
もちろん伝令は放たれているだろうが、下手をすればそれまでに補給部隊を護衛する騎士たちが敗れてしまいそうである。
そこへ美咲がイルマたちを連れて、外に飛び出してきた。回りを見回した美咲は、素早く指示を下す。
「イルシャーナさん、ドーラニア姉さん、アヤメさん、サナコちゃんは私に着いてきて! 他の皆は引き続き馬車を守って! 私たちでオーガを片付けるわよ!」
「分かりましたわ!」
「おう!」
「分かった!」
「はい!」
かけられた号令にイルシャーナ、ドーラニア、アヤメ、サナコの四人が返事をし、美咲の回りに集まってくる。
揃ったのを確認し、美咲は走り出す。
輜重隊を護衛していた騎士団は、実際に襲撃があるなんて思ってはいなかった。ここはまだ人族の領域だし、ラーダンからも結構近かったからだ。
騎士団側は襲撃は無いと踏んで、護衛には練度の低い騎士を置いていた。それがここにきて裏目に出ている。
剣と盾を放り出した騎士が、這い蹲って美咲たちがいる方向に逃げようとしている。その騎士の後ろから、オーガが二匹追いかけてくるのが、美咲には見えた。
美咲は剣の柄に手をかけ、引き抜く。ずっしりとした鋼の重みが、美咲の腕に負荷をかける。やはり、少し重い。
(……それでも、いける)
重くても、剣を振るえる。振るえるならば、殺すことだってできる。
「一匹はアヤメさんとサナコさんが相手をしてください。イルシャーナさんとドーラニアさんは、私と一緒にもう一匹の退治を。積荷を守るためにも、あまり時間をかけてはいられません。畳み掛けて一気に殲滅しましょう」
「美咲様、私たちが援護いたします!」
セザリーの声が響き、オーガ目掛け矢が飛ぶ。セザリー、テナ、イルマの援護射撃だ。
装甲馬車を振り返れば、天井の上からセザリー、テナ、イルマが自前の弓で一体一体オーガを狙い撃っている。
戦闘弩座にはニーチェ、システリート、セニミス、アンネルが張り付き、馬車に近付こうとしているオーガを迎撃している。
援護を得て美咲は足を踏み出した。その美咲を置き去りに、イルシャーナが流星のような速さで地を駆ける。
「速っ!」
あまりの速度に、あっという間に離された美咲が驚いて声を上げる。槍に刻まれた魔族文字『加速』の恩恵で、イルシャーナはたちまちオーガとの間合いを詰め、槍による一刺しを加える。素早く槍を引き戻し、続いてニ撃目。突き刺した槍を、捻りながらもなおオーガの体内に抉り込む。
「ギィイイイイイイイイアァアアアアアアアアアア!」
オーガの悲鳴を他所に、イルシャーナは槍を引き抜くと、邪魔物とばかりにオーガ目掛け、横殴りの一撃を放つ。クリーンヒット。よろめいたオーガが多々良を踏み、ダメ押しとばかりに放たれたイルシャーナの突きを胸に受け、絶命する。
鮮やかな手並みでオーガを一匹屠ったイルシャーナは、バックステップを踏んで素早く後退し、槍を一振りして血を払い、穂先を次のオーガに向けて構える。
そこへ、ようやく美咲たちが追いついてきた。
「遅いですわよ! 私一人で、もう一匹倒してしまいましたわ!」
「凄いですけど、単独で突出するのは止めてください! 囲まれたらどうするんですか!」
自分の横に並んだ美咲を横目で見たイルシャーナは、その紅い唇をにいと凄絶に釣り上げた。
「その時は、味方の援護を期待しますわ! わたくし、美咲様たちのことは信頼しているんですのよ!」
「う、嬉しいですけど嬉々として突撃しないでくださーい!」
再度オーガの群れに突っ込んでいくイルシャーナに置いていかれ、美咲は慌てて追いかける。
「ありゃ止まらねえな。あたいも負けてられねえぜ」
楽しそうに呟いたドーラニアが走る速度を上げ、美咲を悠々と追い抜いていく。
「どうしてドーラニア姉さんまでそんなに速いの! 私だって本気で走ってるのに!」
「馬鹿! あたいが速いんじゃなくて、お前が遅いのさ!」
泣き言を漏らす美咲に、ドーラニアは言い捨てて背中に固定していたバトルアックスを外し、両手で構えた。
みちり、と音を立て、ドーラニアの筋肉が膨張する。全身が一回り大きくなるかのような錯覚すら伴い、ドーラニアはイルシャーナが暴れまわる戦場に飛び込んだ。
剛風の如きバトルアックスの一閃は、衝撃破を伴い、オーガの肉を裂き、骨を断ち、臓腑を抉り、吹き飛ばす。バトルアックスを腹にまともに受けたオーガが、夥しい血と赤黒い千切れた中身を撒き散らしながら吹き飛ぶ。何度かバウンドして地面に倒れたオーガの腹は、バトルアックスを叩き込まれた衝撃で半分以上が失われていた。
イルシャーナの槍ほどの鋭さは無いが、ドーラニアのバトルアックスには、槍には無い質量という一番の武器がある。その威力で持って、多少の抵抗など問題にもせず粉砕するドーラニアの戦いもまた、凄まじい。
「ちっ。腹が抉れててもまだ生きてやがるか。魔物はしぶといねぇ」
なおも戦意を失わない目を向け、立ち上がろうとするオーガにドーラニアは止めの一撃を放つ。
頭蓋を断ったドーラニアに、近くにいたオーガが咆哮を上げて飛び掛った。
その身体が、横合いから飛んできた巨大な矢に貫かれ、吹き飛ぶ。
反射的に矢が飛んできた方向を見たドーラニアは、にやりと笑った。
「やるじゃないか、あいつらも」
視線を向けた方向には装甲馬車があり、その天井では、セザリー、テナ、イルマの三人の他に、ニーチェ、ディアナ、システリート、セニミスの四人が戦闘弩座で支援射撃を行っている。今の一撃は、この四人のうちの誰かが放ったものだろう。
「こりゃ、あたいも負けてられないな」
舌なめずりをしたドーラニアは、雄たけびを上げると手近なオーガにバトルアックスを叩き付けた。
高速で戦場を駆け回るイルシャーナと、当たるを幸いとばかりにオーガを薙ぎ倒すドーラニアを見て、我慢し切れない者がいた。アヤメである。
「どうせだから、私も暴れるか。サナコ、主殿の護衛は任せる」
「はい。アヤメさん、お気をつけて」
頭を下げるサナコに手を振ったアヤメが、全く上下にぶれない滑らかな踏み込みで、オーガを自分の間合いに捉える。刀は既に抜き放たれ、アヤメの右手に握られていた。
目の前に立ったアヤメを殺そうと、オーガが手に持った棍棒を振り上げる。
その棍棒が振り下ろされるよりも早く、アヤメの手が閃き、銀光が走った。
棍棒を持った手が切断され、振り下ろされることなく棍棒ごと地面に落下する。
「ギ?」
不思議そうな声を上げて断たれた自分の腕を見るオーガの残る片手両足が、続くアヤメの斬撃によって斬り落とされた。
手足を失いダルマのようになったオーガが血を噴出しながら地面に倒れる。
自由すぎる仲間たちに、美咲がぽつりと呟いた。
「皆好き勝手に戦い過ぎですって……」
当初の美咲の予定では、辛うじて持ちこたえている騎士団を押しているオーガたちを後ろから強襲するつもりだったのに、美咲が指示を出す前に皆動き出して、なし崩しに乱戦になっている。しかも、個々が強いのでそれがかえってオーガたちの統制を見出し、騎士団が態勢を整えることに一役買っていることが、美咲には納得いかない。
「美咲さん、私たちも攻めましょう。お供いたします!」
そして、サナコまで脳筋だった。
「……まあ、なっちゃったものは仕方ないか」
幸いと言っていいのかは分からないが、オーガ相手と彼女たちの間には無双できる程度の実力差があるようなので、美咲はそのまま自分も戦うことにした。
主に、イルシャーナ、ドーラニア、アヤメが討ち漏らしたオーガを狙う。
そういうオーガは多少の知恵があるのか、三人の背後を狙おうと動いているので、美咲はそうはさせないとばかりに、逆に背後を取って襲い掛かる。
死角から振り下ろした美咲の剣が、オーガの肩口に食い込む。だが分厚い筋肉の層で止まり、ドーラニアやアヤメのように切断するとはいかない。
斬り付けられたことを感じたオーガが、美咲を振り払おうと闇雲に手を振り回した。
剣を引き抜く暇もなく、美咲は危険を感じてその場から飛び退く。先ほどまで美咲が居た場所を、オーガの腕が通っていった。そのままいたら掴まれていたかもしれない。
「アリシャさんの剣……借り物なんだから、取り返さないと」
「なら、私が囮を勤めましょう。美咲さんはそのうちに、武器を取り返してください」
サナコが二本の鉄扇を抜き放ち、手に携えてオーガに近付いていく。
肩に食い込んだままの剣をオーガは抜きたそうにしていたが、近付いてくるサナコに気付くとたちまち目に敵意を灯し、サナコを睨んだ。
「ふふ。そんな目で見ないでください。……思わず殺したくなっちゃうじゃないですか」
何だか怖いことを言いつつ、サナコは自分目掛けて伸ばされるオーガの右手を鉄扇で思い切り殴りつけた。
「グガァ!」
悲鳴を上げたオーガが右手を押さえ、サナコを見る目に更なる敵意の炎を灯す。
だが、今の一撃でオーガの右手は使い物にならなくなっていた。関節が破壊されていたのだ。
驚くことに、サナコは正確に振るわれるオーガの腕の位置を見極め、当たった時関節に急激な負荷が掛かる方向に鉄扇を打ち込んだ。サナコの目論見通り、オーガの右腕は封じられた。
それでも、オーガが棍棒を左手に持ち替え、サナコに殴りかかろうとする。
「遅いですよ」
サナコの服の裾が翻り、すらりとした美しい脚線美が露になる。
素早く踏み込んだサナコが、棍棒を振り上げたオーガの左手上腕ニ頭筋と三頭筋の間の、脇腹を密着する部分に片手を添え、上に押し上げている。密着した状態で限界まで突っ張った腕はつっかえ棒のように、オーガの腕を捕らえて離さない。
同時にサナコの右腕が閃き、オーガの左腕を圧し折った。
「グギイイイイイイイイ!?」
今度こそ絶叫を上げるオーガのがら空きの下半身に、サナコが笑顔で右足をめり込ませた。狙ったのは股間である。たまらずオーガが棍棒を取り落としても、サナコの追撃は止まらない。
狙うは首元、人型の生き物に共通する急所の一つである。そこに鉄扇を突き刺す。
気道を潰されたオーガは、窒息して倒れた。
「囮でしたが、弱かったのでついそのまま倒してしまいました。さあ、美咲さん、剣を回収しましょう」
たった今体格で勝るはずのオーガを楽々と撲殺したサナコが美咲に振り向き、ニコリと微笑んだ。
「うん……そうする」
美咲が倒せない敵を誰も彼もが楽々屠ったのを見て、美咲は自分の力不足を実感して唇を噛みながら、アリシャから借りた剣を回収した。
(やっぱり、私が相手を上回るには、魔法を使うしかない、か……)
半ば暴走させるような魔法を、自爆覚悟で放つ。またはその際に生まれる莫大な運動エネルギーを、移動の補助や攻撃の威力強化に使う。それが、この世界で戦うために、美咲が編み出した手法だった。
美咲の体質は、魔法のダメージそのものだけでなく、その衝撃で発生した運動エネルギーによって生まれたダメージすらも、自分に対するものだけ無効化してしまう。だからこそ、本来なら欠陥魔法、自爆魔法と呼ばれる魔法こそが、美咲の切り札になる。
だがそのためには、一人で戦うことが最低条件だ。回りに味方がいる状態でそんな戦い方をすれば、味方を巻き込んでしまう。いくら加護服を着込んでいたって、どれほど魔法を耐えられるかはやってみないとわからない。
万が一殺してしまったら。そう考えると、到底そんな方法を取る勇気は出せない美咲だった。
(大丈夫よ。皆強いもの。それに、全部の魔法が使えないわけじゃないし。威力の小さい魔法を補助に使えば、私だってそれなりに戦える、はず)
弱気をかき消し、美咲はサナコを伴って次のオーガを狩りに行く。
しばらくの後、全てのオーガは殲滅された。