十七日目:今一度、あの戦場へ2
馬車の中から外に出ると、温かい日差しと小鳥の声が美咲を出迎える。
仮にも行軍中だというのに、輜重隊は後方に位置しているからか凄くのんびりと進んでいる。たっぷりと荷物を積載した馬車ばかりのせいもあるだろう。ゆっくりと進む輜重隊は、少し駆け足するだけで追い越せてしまえるほど、歩みが遅い。
アリシャの馬車も一番遅い馬車に合わせて動いているため、美咲はすぐに乗り込むことができた。
「お、来たな。気を利かせてミリアンも来たぞ」
「やっほー美咲ちゃん。えっと、アンタ誰だっけ?」
仮にも自分のファンだというのに、ミリアンはタゴサクの名を覚える気がないようだった。
まあ、ミリアンといえども、別に有名になってファンが欲しくて特級冒険者になったのではないだろうから、仕方ないことなのかもしれない。
「名前くらい覚えて欲しいでござる! タゴサクでござるよ!」
「ああ、そうだった。そんな感じの名前だったね。じゃあまずは君から」
ミリアンが差し出した手に、タゴサクは若干緊張気味に色紙と羽ペン、インクを手渡す。
サラサラとベルアニア文字で自分の名前を書いたミリアンは、隣のアリシャに羽ペンを渡した。
同じようにアリシャもベルアニア文字で名前を書くと、インクが乾くのを待ってタゴサクに返した。
「おおお……拙者、一生の宝物にするでござる」
二人の名前が書かれた色紙を、タゴサクは震える手で持ち、掲げる。
ためつすがめつして感動を味わったタゴサクは、満足そうに色紙を懐に仕舞った。
「美咲、剣と鞘を貸せ」
すぐさま美咲はアリシャに勇者の剣を鞘ごと渡す。躊躇のなさはもはや条件反射の域である。
勇者の剣を受け取ったアリシャは、鞘だけをミリアンに渡す。
「んー、どこに書こうかなぁ」
鞘を受け取ったミリアンは、綺麗な縁取りの装飾を施され、宝石で飾られた鞘を見て、目を細める。まるで儀式用かと見間違うような鞘だが、これでも剣の方はきちんと実用に耐え得るものだ。
考えていたミリアンは、隣から聞こえた会話を聞いて、思わず振り返った。
「ただベルアニア文字で書くだけじゃ味気ないな。魔族文字を刀身に彫ってやろう」
「はああ!?」
驚いたミリアンは、親しげに美咲と会話するアリシャを見て目を剥く。
「ちょっとちょっとちょっと! それはやり過ぎでしょいくらなんでも!」
「いや、そうでもないだろ。これから大きな戦いが控えてるんだ。これくらいの手助けなら問題ない」
何でもないことのようにアリシャは言うが、当の本人である美咲自身も萎縮してしまっている。つまるところ、アリシャは、勇者の剣に加護をつけると言っているのだ。加護つきの武器や服がとんでもない値段だったことを考えると、元々が貴重な勇者の剣の価値は、それこそ天井知らずになるに違いない。
「戦場に着くまでには済ませる。その間は、私の馬車から適当な武器を持っていっていいぞ」
「えっ、でも、私、それしか重くて持てませんよ」
「お前もあれから鍛えてるから、筋力が多少は上がってるはずだ。軽いやつに絞ればいけるんじゃないのか?」
アリシャの指摘にしばし考えた美咲は、そうかもしれないと思い直す。
勇者の剣以外の武器を試したのは、最初も最初、まだ旅に出る前の一幕に過ぎない。それ以来美咲は勇者の剣以外のまともな武器を握ったことがなかったから、あれから自分の力がどれくらい増したのかを正確には知らないのだ。
「分かりました。見てきます」
頷いた美咲は、アリシャの馬車内に移動し、見繕う。装甲馬車に移ってからまだ大して時間が経っていないのに、美咲はどうしてだか懐かしい感じがした。まるで田舎に帰って来たかのような感覚で、そんな感覚を覚える自分に、美咲は我ながら笑ってしまう。
馬車の中は扉を閉じてしまうと薄暗く、美咲は小さな声で魔族語を呟き、明りを出した。生まれた小さな光は、ふわふわと浮いて空中に留まり、うっすらと光を放つ。
儚い明りを頼りに、美咲は武器を見て回る。以前見た時と同じく、アリシャの馬車には色々なタイプの武器が積まれていた。
おなじみの大剣に、大剣に次いで使う弓矢、あまり使っているところを見たことのない槍、美咲との稽古に用いた剣など、本当に様々だ。
美咲は中から、比較的細くて刀身が短めの直剣を一本選び、持ち上げた。
持つだけで、ずしりとした重みを手に伝えてくる。やはり重い。
「でも、持ち上げられない重さじゃない……」
驚いた表情で、美咲は握った剣を見つめた。
以前はこの程度の剣でさえ、美咲はろくに持てなかったのだ。それが今では、多少重くはあるものの、きちんと持ち上げられている。
試しに、剣を持ったまま立ち上がった。すぐに落とすようなことはなく、美咲はしっかりと剣を保持している。
ニ、三度振ってみれば、風を切り裂く鋭い音がした。
「私、成長してる……」
ようやく得られた実感に、美咲はポロポロと涙を流した。声を上げれば、アリシャは気付くだろう。こんなことで困らせたくなくて、美咲は声を殺して嬉し泣きをした。
急いで涙を拭い、持った剣を鞘ごと腰の剣帯に吊るし、美咲は外に出る。足取りも重量が増えた分重いが、それでも歩くのに支障が出るほどではなく、アリシャに声をかける。
「選びました。これにします」
「おう。楽しみにしてなよ」
剣を見せる美咲に、アリシャは手を振った。
「仕方ないわね。乗りかかった船だし、アリシャに免じて、私も本気でやってあげるわ」
ため息をついたミリアンは、鞘を手に取りよく調べ始めた。
魔族語を彫るといっても、下準備は彫り手の魔族語に対する造詣の深さによって出来栄えは変わるので、一筋縄ではいかない。
それでも、アリシャとミリアンならば、きっと最高の出来のものを作り出すだろう。特級冒険者と、その特級冒険者に対して同等の強さを持つ傭兵が彫り手なのだ。勇者の剣の希少金属との相乗効果で、勇者の剣の元々高い価値が、さらに天井知らずに引き上がるに違いない。
アリシャの馬車から離れた美咲は、自分の装甲馬車に戻る。
「美咲様、こちらに来ませんか?」
まだタゴサクが戻っていなかったので、外部座席の方に行ってみようか少し迷った美咲は、ディアナに声をかけられた、ディアナは扉を開け、中に美咲を招く。せっかく誘われたのだからと、美咲は素直に中に入った。
物資のせいで相変わらず狭いが、狭いなりに、皆スペースを確保していた。
中にはディアナ、ペローネ、システリート、レトワ、ラピ、アンネル、セニミス、メイリフォアがいて、戻った美咲を上から発見したのか、梯子を降りてミーヤもやってくる。
「こちらへどうぞ。席をご用意しております」
ディアナが美咲を皆が集まる一角へと案内した。とはいっても、そのスペースは狭い。所狭しと物資が積んである中、辛うじて収納式のベッドを一つ確保しているだけだ。当然たった一つのベッドに全員が座るわけにはいかないので、半分くらいは床に直接座り込んでいる。
案内された席は、ベッドの真ん中で、クッションが三段重ねで置かれていた。既視感を覚える光景である。どうやら彼女たちのうちの誰かが、美咲がアリシャの馬車の中で尻の痛みに苦しんでいたことを、覚えていたらしい。
遥かに揺れはマシになっているとはいえ、完全に無くなったわけではないので、美咲としてはありがたいことには違いないのだが、やっぱり恥ずかしいのも事実だ。
何気なく天井を見上げれば、ベウ子たちが巣作りをしているのが見える。一応ベウ子も考えているのか、外から見えない場所に巣を作っているので、中に入り込まないと巣を見ることはできない。
(……これは、知らない人を馬車の中に上げられないな)
席に座って、思わず美咲は苦笑した。
三段重ねのクッションは、ふんわりと美咲の尻を受け止め、優しく包んでくれた。まるで尻を叩かれるかのような振動とは違う、静かな揺れが伝わってくる。
元の世界を走っていた車に比べればもちろん揺れはあるのだが、それでもかなり快適だ。
ゲオ男とゲオ美もその辺に寝そべってゴロゴロしているし、マク太郎も大きな身体を縮こまらせて大人しくしている。さすがにマク太郎ほどの大きさになると、いくら装甲馬車でも窮屈そうだ。
(っていうか、マク太郎を隠すみたいに補給物資が置かれてるし。マク太郎出れなくない?)
物資の積み代えは美咲たちの手で行ったので、もしかしたら、誰かがマク太郎を匿おうとしてやったのかもしれない。マク太郎は少しかわいそうだが、不自由な代わりに外からはばれにくい。
何となく、美咲は皆を観察する。
両隣には、それぞれ左にシステリート、右にラピが座っている。他にレトワをアンネルを見張るかのように、セニミスとメイリフォアが一箇所に固まって床に座り込んでおり、少し離れた場所にペローネが一人で座っている。
ペローネは、自分の短剣を一つ一つ手入れしていた。ものによって刀身の材質が違うらしく、ただ布で拭くだけのものから、油を垂らして丹念に磨き上げるものまで、様々だ。
おそらく、拭くだけのものは、きっと錆に強い、元の世界で言うステンレスのような金属で出来ているのだろう。錆止めの油を塗っているのは、炭素鋼か。
(……そういえば、勇者の剣は軽く布で拭うくらいで特に手入れなんてしてないけど、錆びる気配がないなぁ)
美咲はアリシャとミリアンに預けている勇者の剣を思い浮かべた。貰ってからまだ三週間ほどしか経っていないが、ゴブリンを殴打したり、ゲオルベルを斬ったり、ゾンビになったルアンを斬ったり、様々な魔物を斬り捨ててきた剣である。そろそろ錆が浮いてもおかしくない頃だが、アリシャが抜いた時に見た限りでは、刀身には錆どころか曇りすらなかった。
勇者の剣が戻ってくるまでの代替品として借りた剣に、美咲はちらりと視線を向ける。腰に下げた剣は勇者の剣と違い、ずしりとした重みを美咲に感じさせる。アリシャらしいといえばいいのか、余計な装飾のない、実用的で無骨な直剣は、ともすれば腰に下げていることすら忘れそうになる勇者の剣に比べ、不思議な存在感がある。命を奪う武器の重みとでも言えばいいのか、凄みがあるのだ。
「そういえば、腰の剣、変えたの?」
目ざとく、ペローネが美咲の得物が普段と違うことに気付いて声をかけてきた。
はにかんで美咲は答える。
「はい。アリシャさんとミリアンさんが、魔族文字を彫って加護をつけてくれるそうなので、預けてるんです。その間武器が無いのもまずいから、これは、それまでの代わりっていうことで、貸して貰ってるんです」
さすがに、正直に「サイン彫ってもらってます」とは言い出し辛くて、美咲は微妙に誤魔化した。まあ、事実とそう違いはしないだろうし、実際美咲にしてみれば、自分の武器にアリシャの名前が彫られるというのは、願掛けみたいなものなのだ。
「ご主人様、実は私からも一つ、渡しておきたいものがあるんです」
畏まったシステリートに言われ、美咲は首を傾げつつ少し警戒した。
システリートの悪戯好きな性格を、美咲はよく知っている。
騙されないぞとばかりに、美咲は身構えてシステリートが何を出してくるのか、確認しようと身構えた。
「そんな、露骨に警戒しないでくださいよ。私はご主人様のためなら、何でもしますのに」
苦笑したシステリートの口からいつものフレーズが出て、美咲はさらに疑り深くなった。この流れから美咲が要望を出して、断られるのがいつものパターンだ。
「じゃあ、ご主人様っていうの、止めてくれる?」
「それはちょっと」
案の定の答えで、美咲はため息をつく。
「ともかく、受け取って欲しいのはこれです」
システリートは美咲にあるものを渡した。
「何これ。ワッペン?」
「お揃いのエンブレムですよ。仲間意識を高めるという意味でも、こういうのはちゃんとしないと。他の人にはもうつけて貰ったので、ご主人様も好きな位置につけてください。オススメは肩とか、胸とかですね」
言われた通り、確かに美咲が馬車内にいる他の女性たちを見てみると、それぞれ色々な場所にエンブレムをつけていた。
花と剣が意匠化されたエンブレムで、剣は勇者の剣にどことなく似ているが、花は美咲の知らない種類の花だ。
「モチームはご主人様の剣と、ベルアニアの国花なんですよ。名前もかなり似ていて、ベルニアっていうんです」
赤いベルニアの花を背景に、勇者の剣が描かれたエンブレム。
予想とは違う結果になり、美咲は疑っていた自分を少し恥じた。
大部分がシステリートの自業自得とはいえ、一応自分を守ってくれる女性たちの一人なのだから、もう少し普段から信用してみようと思う。
いや、今までだっていざという時は信用していたし、信頼だってしているが、普段が普段なので、それ以外の場面ではいまいち信じ切れない。
少し考えて、美咲は外套を外して床に広げる。どういう素材を使っているのか、外套にエンブレムを当て、美咲が手を離すと、そのまま外套の生地にエンブレムの意匠が吸い込まれ、転写された。エンブレムだったものは、白地の布に変化している。
(さすがファンタジー……。何がどうなってこうなったのか全然分からないや)
「使い終わった布は回収しますよ」
気を利かせてくれたシステリートに布を返し、美咲は外套を拾い上げると目の前で広げ、エンブレムを見た。
(なんか、格好いいかも)
綺麗に描かれたエンブレムに、美咲は少し気分を良くして外套を着直す。
「いっぱい食べ物あるし、一つくらい食べても構わないよね?」
レトワが今にもよだれを垂らしそうになりながら、積み込んだ補給物資の一つを見つめている。
「構うわよ! 騎士団の糧食よそれ!?」
ふらふらと補給物資に近付いて、開封しようとするレトワを、セニミスが体を張って止めた。
「むー。少しくらいいいじゃん」
セニミスは不満げに唇を尖らせるレトワを叱り飛ばした。
「良くないわよ。もしそれがばれたら、騎士団だけじゃなくて美咲からも怒られるわよ!? 美咲に嫌われてもいいの!?」
嫌われるというフレーズが聞いたのか、レトワは少し大人しくなる。
「う。それは嫌だ」
「なら我慢しなさいよ!」
説得の甲斐あって、しぶしぶではあるが、レトワは補給物資のつまみ食いを諦めた。
「ちぇ」
今度はレトワに代わって、アンネルが問題を起こした。
「私は寝る。スヤァ」
「戦場に着いたら起きてくれるのよね? そうよね?」
困り顔でアンネルにメイリフォアが尋ねるが、アンネルから返事は無い。
「も、もう寝ちゃってる……」
これには唖然としたらしく、メイリフォアが乾いた声で呟いた。