十七日目:今一度、あの戦場へ1
輜重隊の隊列に混じり、美咲たちを乗せた装甲馬車は街道を往く。
三頭のバルガロッソは物資満載で普段よりもずっと重い装甲馬車を見て、露骨に引くのが嫌そうな思念を鳴き声に乗せて送ってきたが、美咲は彼らを宥めすかして何とか馬車を引くことを了承してもらった。
しぶしぶバルガロッソたちは、普段よりも重い馬車を引いて歩いている。彼らを見ながら、美咲は後で休憩時間になったらたっぷりと肉を食わせてやろうと心に決めた。
美咲は今、装甲馬車の屋上から景色を眺めている。補給物資で埋まった馬車内よりも、馬車の上や御者席の後ろの外部座席の方が今は人気がある。
馬車の屋上からは、遠くまで伸びる騎士や兵士たちの列が良く見えた。
「ほえー。凄い一杯いますね。全部で十万人くらいいそう」
「さすがにそんなにはいない。ざっと見たところ、総数は五万程度だと思うよ」
まるで当たり前であるかのようなアリシャの言い草に、美咲は不思議に思って聞き返す。
「どうしてそういい切れるんですか?」
「仮にそれ以上出せるほど余剰兵力があっても、補給の面でいえば、それが限界なのさ。何しろ武器、防具、馬、食料、薬、各種道具……補給品は挙げればキリがない。それら全てを持っていくんだ。大量の馬車や馬が必要になる。そんな大量に用意できるほどベルアニアも国庫に余裕があるわけじゃないし、食料保存の観点から行っても、それが限界だ。下手に増やしても腐って無駄になっちまう」
アリシャはこんこんと、補給の重要性を美咲に説く。
いくら乾燥させたり、燻したりと手を凝らして保存性を上げても、食料は永遠に保存できるものではない。消費しなければいつかは腐ってしまうものであり、腐ってしまえばもう食べられない。食べてしまえば腹を壊し、最悪死ぬからだ。そうなれば戦どころではなく、士気の低下も甚だしくなる。
よって、動員人数は食料を積める馬車や馬の量に比例し、この世界の保存食事情では、一度に五万人を動員するのがやっとであった。
これは当然のことであり、ある程度は現地調達で賄うこともできるものの、美咲の世界でも五万を超える数を動員できるようになったのは、缶詰や瓶詰めが大量生産できるようになってからである。
この世界は瓶詰めはあっても缶詰はないし、瓶詰めも作る作業に手間とコストが掛かり、数を揃えるのは難しく、そういった理由から糧食としては好まれず、未だに動員数は上がっていないという事情がある。
「なるほど、補給ですか……。だから最初にこの馬車を見た騎士の人たちは、私から馬車を取り上げようと必死だったわけですね」
納得がいった美咲は、あそこまで騎士たちが強行しようとした理由をようやく知り、納得のため息をつく。
何しろ美咲の装甲馬車は、普通の馬車よりもかなり大型で、三倍から四倍程度の大きさを誇る。しっかりした強度のある鋼鉄製のフレームに、分厚い鉄板を外壁とし、アリシャの馬車のようにあくまで補強材として使うのではなく、外側丸々を覆ってしまうことで、馬車として最大の防御力を得ることに成功した。
代償としてかなりの重量を持ってしまったが、それも力の強いバルガロッソを用いることで、解決している。逆に、バルガロッソの馬力を利用した装甲馬車の突撃は、とんでもない殺傷力を伴うだろう。轢かれればその超重量から鎧は拉げ、身体は潰れる。
「何だかんだ言って、私たちの馬車にまで積まれちゃったしねぇ」
苦笑したミリアンが、自分の馬車の手綱を握りながら、ちらりと後ろを振り返る。
外からは見えないが、ミリアンの馬車の中にも、騎士団の補給物資がいくつも置かれている。それはアリシャの馬車も同じだ。
「むうううう……」
外を歩くタゴサクが、アリシャとミリアンを見て何かを悩む様子を見せている。
「どうしました?」
美咲は不思議に思い、タゴサクに尋ねてみた。
「じ、実は、拙者もミリアン殿のファンでござる! まさかお会いできるとは……。ありがたやありがたや」
どうやら、タゴサクはミシェルがミリアンからサインを貰っているところを見ていたらしい。
土下座して、ミリアンを拝み始めた。
「えっと、美咲ちゃん、何これ?」
愉快な行動を取るタゴサクを見て、美咲が苦笑しながらミリアンに説明する。
「えっと、多分タゴサクさんの国では、こうやって感動を表すのが普通なんだと思います。たぶん」
「そうなの? 変な国もあったのものねぇ」
故国を変な国呼ばわりされたタゴサクが微妙な顔をした。
「間違っていないでござるが、もう少しマシな説明をして欲しかったでござるよ……」
「えっ、間違ってないんですか!? 口から出任せだったんですけど!」
びっくりして美咲が尋ねると、タゴサクはがっくりと肩を落とした。
「知らないで言ってたのでござるか!」
美咲とタゴサクのやり取りを見て、アリシャが噴出した。
「中々テンポのいい掛け合いだね」
情けない顔で、タゴサクはアリシャを睨む。
「別に漫才してるわけじゃないでござるよ!」
これに美咲が反応した。
漫才は、元の世界では日本で発祥した言葉だ。漫才そのものは似たようなものが他国にもあるが、漫才という言葉は当てる漢字こそ違えど、遡れば平安時代から存在している。当時の萬歳は新年を寿ぐ歌舞の一種で、現在の漫才とは全く違うものだ。
「えっ、漫才知ってるんですか?」
思わず問いかけた美咲に、タゴサクが苦笑して答える。
「知ってるも何も、拙者の故国の伝統芸能でござるよ」
まさかの異世界での共通項に、美咲はタゴサクの故国というのが凄く気になった。
普段着が着流しで戦争では戦装束、さらには髪を剃りこそしていないものの、総髪に髷を結っているタゴサクの見た目からして、見るからに時代劇に出てくるような浪人風であり、タゴサクの出身国が昔の日本に似ていることが窺える。
(もう滅んじゃってるんだよね。行ってみたかったな)
以前に小耳に挟んだ話を思い出し、美咲は残念に思った。
「ミリアン殿、もし良ければサインなど頂けないでござるか?」
「えっ!? サイン!?」
まさか一日に二回もそんなことを言われるとは思わなかったのか、タゴサクの頼みにミリアンは驚いた顔をした。
(どうしてそんなに驚くのかな。特級冒険者になるって、凄いことなんでしょ?)
一瞬不思議そうな顔をした美咲だったが、タゴサクが頼んでるんだし、ということで便乗することにした。
「私も欲しいです! 良かったらください、ミリアンさん!」
「ああもう、仕方ないわねぇ」
情けなく眉を下げたミリアンが苦笑して承諾し、アリシャがそんなミリアンの様子を見て、堪えきれないかのように笑い出す。
「あははは。折角だから私も書いてやろうか?」
「もう、アリシャったら悪乗りし過ぎよぉ」
文句を言うミリアンだったが、アリシャの言葉に激しく反応した人間がいた。
「アリシャさんのサイン!? ぜひください!」
まるでアイドルに傾倒するミーハーな少女のように、美咲は目にハートマークを浮かべてアリシャに詰め寄った。
今までの経験から、アリシャには心を開き、誰よりも懐いている美咲である。美咲にとってアリシャのサインは宝石よりも価値があるものだった。
それに、全てが終わった時、アリシャとは別れなければならないが、貰ったサインは思い出の品物として、元の世界に持って帰れる。それは、美咲にとって、この世界で過ごした日々、出会った人々、経験したことの全てを、夢幻ではなく、現実に起きたことであることを証明するものだった。
「へっ?」
まさか冗談を本気で受け取られるとは思わなかったらしいアリシャが、珍しく素っ頓狂な声を上げる。
「あ、飛び火した」
矛先が変わったことを感じ取ったミリアンが、調子を取り戻して好物を目の前にした時のようなにやぁっとした笑みを浮かべた。
「ねえ、あげちゃいなさいよ。減るもんじゃなし」
「私のサインなんて貰って誰が喜ぶんだ」
アリシャは苦し紛れに疑問を口にする。
「少なくとも私は喜びますよ?」
きょとんとした美咲によって当たり前のことであるかのように、あっさりと疑問を解消され、アリシャが思わず頭を抱える。
一頻り笑ったミリアンが、涙の滲む目の端を指で払って、美咲に話しかけた。
「確かにそうよねぇ。アリシャのサインを貰って、美咲ちゃんが喜ばないはずないわよねぇ」
「ええ、大事にします。宝物にします」
何がツボに嵌ったのか、またもや笑いの発作を起こすミリアンに対して、アリシャは苦い顔をする。
「くっ、仕方ない。書いてやる」
話の流れと、美咲にやや甘い気のあるアリシャは、渋面になりながらも潔く美咲のためにサインを書くことにした。
「おお、書いてくれるでござるか!」
喜色を前面に押し出すタゴサクに、ミリアンは微笑んだ。
「書いてあげるわよ。何に書けばいい?」
「この色紙にお願いするでござる! こんなこともあろうかと、常日頃から常備しておいて良かったでござるよ!」
すかさず懐から色紙を取り出してみせたタゴサクの言葉に、ミリアンは半歩引いて微妙な表情になった。
「あー、うん。そう」
「お前も出せ。今なら何にでも書いてやるぞ」
ほら、と手を差し出すアリシャに、美咲は慌てて懐をまさぐった。サインを書くのに適当なものは持っていただろうか。
あいにく、美咲の懐からは塵しか出てこない。道具袋はどうだろうか。
「ちょ、ちょっと待っててくださいね!」
美咲は慌てて梯子を降り、馬車の中へと降りる。
騎士団の補給物資が山と積まれた馬車の中、美咲は自分の道具袋を見つけると、中身を漁る。
流石に傷薬の入れ物とかに書いてもらうのは何だか微妙だし、服に書いてもらうのもアレだ。何か紙でも持ち合わせていれば良かったのだが、生憎美咲は持っていなかった。通学鞄の中には教科書やらノートやらがあったはずだが、この世界に召喚された時には無くなっていたから、通学鞄自体を持ち合わせていない。
食料の包み紙なども考えたが、せっかくのサインをそんなものに書いてもらうように頼むのも失礼だし、そもそもゴミと間違えて捨ててしまいかねない。
考えた末に、美咲は勇者の剣を手にして天井に上がった。
「……美咲様、それを使うのですか?」
同じ天井にいるのだから、話が聞こえていたのだろう。セザリーは美咲が抱えている勇者の剣を見て、目を丸くする。
「私にとっては大事なものだから。やっぱり、大事なサインなんだから、書いてもらうのも同じくらい大事ものにしようと思って」
「ふうん……。その剣が、美咲にとっては大事なものなのね」
しげしげと興味深そうに、テナが勇者の剣を眺める。美咲が勇者の剣を手に戦うところはテナとて何度も見ているが、美咲の口からはっきりと大切だと聞かされるのは初めてである。
「うん。貴重なものだし、何より友達の形見なんだ」
勇者の剣は、エルナが命を懸けて取り戻してくれたもの。美咲にとっては、自分の命を別にすれば、他の仲間の命と同じくらい大切かもしれない。
「必要とあらば、私の身体に刺青という形で彫ってもいいですよぅ」
「気持ちだけ受け取っておくね?」
服を捲って肌を見せてくるイルマに、美咲は苦笑して断る。
さすがにサインが欲しいからといって、他人の肌に刻ませるのは違うだろう。自分の肌ならともかく。いや、自分の肌だろうと美咲はするつもりはないが。
「アリシャさん、これでどうですか!?」
手を掲げて勇者の剣を見せる美咲を見上げ、地上からタゴサクが歩きながら呟く。
「……剣でござるか」
同時に、美咲の横でニーチェがしげしげと勇者の剣を観察した。
「そういえば、主様の剣の銘を何と言うのですか?」
ニーチェの質問に、美咲も首を傾げた。
「さあ。知らないわ」
「知らないってお前な。銘も分からんものを使ってるのか」
呆れた顔のアリシャに、美咲は頬を膨らませる。
「だって、知りませんもん。知ってそうな人は誰も教えてくれなかったし」
聞かれなかったから答えなかっただけで、もし聞いたら答えてくれたかもしれないが、王子にしろ、エルナにしろ、共に過ごした時間は少ない。美咲が知らないのも無理はない。
「まあ、いいんじゃない? 私は鞘にするから、アリシャは剣の方にしなさいよ」
「仕方ないな。美咲、こっちの馬車に来い。書いてやるから。そっちのチョビ髭もな」
頷いたアリシャに、美咲は弾けるような笑顔を浮かべ、頷いてみせた。
「はい!」
「チョビ髭でござるか……」
いそいそと梯子を降りていく美咲とは対照的に、アリシャにチョビ髭呼ばわりされたタゴサクが複雑な表情をしているが、美咲は気付いていないし、アリシャもミリアンも意に介さない。
「タゴサクさん、行きましょ!」
「あ、待つでござる、美咲殿!」
まだ天井にいるタゴサクに声をかけると、返事と共にタゴサクが少し慌てた様子で梯子を降りた。