十七日目:集いし戦士たち4
しばらくすると、今回の作戦指揮官を務めるベルアニア騎士が現れた。
(……この人)
騎士の顔を見て、美咲は思わず言葉を詰まらせる。
「私はこの度お前たちの指揮を務めることになったベルナド・ラ・ダム・ロッド・グァバである」
傭兵たちの前に現れたのは、共の騎士を従えた、ルアンの次兄、ベルナドだった。
ベルナドは集まった傭兵たちを見回す。
当然美咲の姿も捉えていたが、ベルナドは何の反応も示さない。
屋敷で会った少女だと気付いていないのだ。というより、あの時点で殆ど興味がない素振りだった。
実際に、ベルナドは美咲の顔を名前を覚えていない。
(ヴェリートに比べると質が落ちるな。やはり、あの要塞都市は何としても奪還せねばならぬ。そのためには傭兵など全て使い潰すくらいの心持ちで挑まねば)
騎士階級であり、同時に貴族でもあるベルナドは、ルアンとは違い、特権意識が強く、選民思想を持っていた。
同じような特権階級である騎士や貴族には礼を尽くすが、一般市民や貴族籍を持つ者が多いといえども、実態はごろつきに近い冒険者や傭兵に対しては、ベルナドは偏見を抱いている。
そしてそれは、多くの騎士に共通した偏見だった。ベルナドだけが特に酷いわけではない。
「これより作戦行動の説明に入る。諸君、傾聴するように」
口を開きながら、ベルナドは心中で毒づく。
(ふん。前回の戦争で、私は己の役目を十二分に果たした。にも関わらず、再びこのような輩を率いさせられるとは。とんだ貧乏くじを引かされたものだな)
前回の戦争でヴェリートが落とされた時、ベルナドは別働隊を率いて破竹の戦果を上げていた。にもかかわらず、総指揮官が一騎討ちに破れ戦線は崩壊、突出していたベルナドたちは一転してピンチに陥った。ベルナドたち騎士は辛うじて生き残ったが、別働隊の傭兵たちには大きな被害が出た。その責任を取らされる形で、再びベルナドに白羽の矢が立ったのだ。
(まあいいさ。せいぜい傭兵たちには役に立って貰おう)
僅かに口元を酷薄な笑みの形に歪めたベルナドは、よく通る声で説明を始めた。
「まずは全体の作戦概要を説明しよう。我々の目標は、要塞都市ヴェリートの奪還にある。我々に課せられた任務は、主力が敵主力の目を引き付けているうちに、ゴブリン共が巣くっていた洞窟を通り、背後から強襲、これを殲滅することにある。主力である人族連合軍はもうすぐ出発する。我々も遅れぬよう、各自準備に掛かれ」
傭兵たちが出発の準備に動き始め、美咲たちもそれに合わせて傭兵ギルドを出た。
外に出て、馬車のところに戻ると、何やら騒ぎが起きていた。
どうやら騎士たちと、留守番していたディアナたちが揉めているようだ。
「いいから、その装甲馬車を我らに渡せ! 貴様ら傭兵共が使うよりも、我ら騎士団が使うべきなのだ。傭兵ごときには過ぎた代物だぞ!」
怒鳴る騎士団所属らしき騎士の前で、ディアナは気丈にも顔を背けず、直立不動で拒否し続けている。
「お引取りください。この馬車は我らが主の所有物であり、必要なものです。例え騎士様といえど、差し上げるわけには参りません」
「いいから寄越せというのだ! 我らが甘い顔をしているうちにな!」
業を煮やした騎士の一人が、ディアナに手を上げて暴力で無理やり言うことを聞かせようとする。騎士にしてみれば、その行動はごく当たり前のことであり、強権を持つ彼らにとっては、やり慣れた手段に過ぎない。
騎士の手を、寸前で逞しい手が掴んだ。
「その言葉、そっくり返すぜ」
万力のような力で握り締めているのは、ドーラニアだ。もともとの腕力に優れている上に、ディアナの調整を受けて筋力の限界を己の意思で超えられるようになっている。純粋な筋力で彼女に勝てる人間は、そうそう居ない。
「き、貴様ら! われら人族騎士団に逆らうというのがどういうことなのか、分かっているのか!」
もう一人の騎士が、ドーラニアの力に負けて脂汗を浮かべる同僚の騎士を助けようと、剣を抜いた。
その鼻先に、刀の切っ先が突きつけられる。
アヤメだ。
「お前たちこそ分かっているのか。お前たちの行為は、そこらの山賊と何ら代わらないことに。理解したなら去れ。私たちの目がまだ黒いうちに」
二人が押さえる騎士たちは、完全に力負けをしていて振りほどくことができない。
「我らに逆らってただで済むと思っているのか!」
残った騎士が恫喝する。
セザリーが冷たい声音で告げた。
「私たちの主はあなた方ではない。従う理由がありません。それも、このような狼藉に出る者に、どうして敬意を払う必要があるのでしょうか」
「そうそう。あんまり大きな態度取らない方がいいよ? 恥ずかしい醜態を晒したくなければね」
「あなたたち、前も私たちから薬を巻き上げていったですぅ。騎士というより、ならず者ですぅ」
テナとイルマも、舌鋒を閃かせる。
「ガキ共が、言わせておけば……!」
残りの騎士たちが一斉に抜剣し、一触即発の状況になりかける。
その状況に冷や水を浴びせるかのように、ペローネの冷たい声が響いた。
「一応言っておくけど、あたしたちの方が数は多いわ。変な気を起こすのはお勧めしない。分かったなら武器を納めな」
騎士たちがディアナたちと会話している間に、残りの女性たちが騎士たちを包囲できるように動いていたのである。ペローネが口を開いた時には、ペローネ自身は既に騎士の一人の背後を取り、ダガーを首筋に添えている状態だ。
「まあ、いちいち忠告して差し上げるなんて、ペローネさんたら気前がよろしいのね。こんな輩は、問答無用で叩き潰してしまえばよろしいのですわ」
同じように騎士の背後を取ったイルシャーナが、槍の穂先を騎士の背中に突きつけながら言った。
「そういうわけにはいかないんじゃない? 一応味方なんだし。まあでも、腹が立つのは確かだよね。懲らしめる?」
酷薄な微笑みを浮かべ、マリスは双剣を騎士が着けている鎧の隙間にぴたりと当てている。その気になれば、いつでも殺せるという意思表示だ。
「ニーチェの拷問で泣かせてやるのです。爪を一つずつ剥いで、指を一本ずつ潰して、その次は……」
「はいはい怖い事いう子はこっちに行きましょうね」
物騒な発言をしたニーチェは、システリートに引きずられて後ろに下がっていく。
「何をするのですかシステリート。ニーチェは開放を要求します」
システリートに苦言を呈するニーチェは、ある程度離れたところで自力でシステリートの拘束を解く。
振り解かれたシステリートの方も、力尽くでもう一度捕まえようなどということなく、素直にニーチェを解放した。
「そもそも拷問する時間も理由もありませんからね。そこまでして何か聞き出したい情報があるんですか?」
問いかけるシステリートに、ニーチェは思い切り渋面になった。
欲しい情報があったわけではない。ただ埋め込まれた知識にあった拷問を実践してみたかっただけだ。何しろ知識はあってもそれを行う機会なんてそうそうあるものではない。
「……ありません」
「駄目じゃないですか」
ぷくっと不満そうに頬を膨らませるニーチェと、肩を竦めるシステリートに、いつでも剣を抜けるように油断無く盾を構えたラピが注意を促した。
「そこの二人、漫才するのはそれくらいにしておきなさいよ。もしかしたら、この場で戦いになるかもしれないんだから」
すんすんと鼻を鳴らし、レトワがだばぁっとよだれを垂らした。
「あの人たちから美味しそうな匂いがする」
レトワの視線は、騎士たちの懐にロックオンされている。
アンネルが寝起きの頭を揺らしながら、感心して笑う。
「さすがレトワ、動物並みの嗅覚。食べ物とか持ってるのかな」
騒ぎで叩き起こされたアンネルは、若干まだ眠そうな顔で、魔法の準備をしている。それでも同時にスリングに石を込め、いつでも投擲できるように準備している辺り、判断力はしっかりしているようだ。手つきにも無駄がない。
「そりゃ、あの騎士たちも戦争に参加するんでしょ? なら個人の食料くらい携帯してるんじゃないかしら。まあ、本格的な兵糧は輜重隊とかを作って別に運ぶんでしょうけど」
システリートと同じく馬車の傍まで避難しているセニミスが、アンネルに対して言葉を返した。
「あの、あんまり騒ぎになるようなことはしない方が」
これからのことを考えるとあまり騒ぎを起こすのもまずいと思っているのか、メイリフォアは青い顔をしている。
おろおろとしているメイリフォアを、サナコが叱った。
「そんな弱気でどうするのですか? 美咲さんの僕たる私たちは、毅然としていればいいんです」
年下に叱られたメイリフォアは涙目になった。
「えっと……どういう状況?」
事態についていけていない美咲が、呆然として声を漏らす。
「ディアナたちが騎士に絡まれてると思ったら、逆に全員で騎士に絡み返してるね。すごーい」
ミーヤは目を輝かせて状況を見つめている。
「ぷうー! ぷうぷう!(やれー! やっちまえ!)」
抱かれているペリ丸が、ミーヤの腕の中で物騒な声援を送った。美咲にしか伝わらないのは、ある意味幸運かもしれない。ウサギに似たペリトンといえども立派な魔物、基本的には好戦的なのであるが、可愛らしい見た目にはそぐわない。
「何やら面白そうなことをしているねぇ」
「混ざって乱闘する? しちゃう?」
面白いものを見た、とでもいうように、目を合わせてニヤリと笑い合うアリシャとミリアンは、ゆっくり一触即発の雰囲気を漂わせているディアナたちと騎士たちに近付いていく。
「ちょ、何言ってるんですか」
慌てて引きとめようとした美咲の手は一歩遅く、宙を掴んだ。
「ユトラ、私たちも加勢しましょう」
「分かったわ、ミシェーラ」
あくまで真面目にアリシャとミリアンに続くミシェーラとユトラに、美咲は頭を抱えた。
「あああ、ミシェーラさんとユトラさんまで」
以前から薄々感じていたことだが、美咲を慕うあまり、彼女たちは好戦的過ぎる嫌いがある。
相手に非がある状態だと、話し合いをすっ飛ばして、力で解決したがるのだ。そうでないのは戦闘能力の無いディアナ、システリート、セニミスくらいであるが、システリートとセニミスは機嫌によっては回りを嗾けたりすることもあるので、気が抜けない。実質ストッパーはディアナだけだ。そして大概は、ディアナは一人で話し合いで何とかしようとして、不利と見た誰かが駆けつけてそれを切っ掛けに全員が集まってくるので手が負えない。
「何事だ!」
そして、外の騒ぎを聞きつけて、ベルナドまでやってきてしまった。
「隊長! 実は、こやつらが我らの徴発に応じようとせず……」
「何?」
ベルナドは部下の騎士から話を聞き、装甲馬車を見る。
「……これは、たまげたな。これほどの馬車は滅多に見られんぞ」
装甲馬車を見上げるベルナドの声には感嘆が込められていた。
「確かに、これほどの馬車ならば、洞窟には入らんし、捨て置くには惜しい。主力部隊の方に回すべきだな。所有者は誰だ」
ぐるりと回りを見回すベルナドの前に、美咲は進み出た。
「……私です」
美咲を見たベルナドは、訝しげに眉を寄せた。
「女子ども、だと……?」
真っ直ぐな目で、美咲はベルナドを射抜く。
「私をお忘れですか? ルアンの屋敷で一度、お会いしましたよね」
こんなところで会うとは思わなかったのか、ハッとした顔で、ベルナドが美咲を凝視する。
「君は、ルアンが助けた娘か。何故、馬車を差し出さない。薬は出してくれただろう」
どうやら、ベルナドは、薬を徴発した時のことも思い出したらしい。
肩を竦めて美咲は堪えた。
「大所帯ですから、この馬車じゃないと全員乗ることはできないんです」
何せ、アリシャとミリアンの馬車に乗っていた時は、二手に分かれていてもキツキツで狭かったのだ。タティマたちが加わって、ますます人数が増えた今、この馬車を手放すわけにはいかない。己の馬車を持つアリシャとミリアンの人数は差し引くとしても、それでも多い。タティマたちは自分の馬車を持っていないからなおさらだ。
「具体的には何人いるんだ? 必要ならば、交換で騎士団所有の馬車を出してもいいが」
「二十八人です」
珍しく、ベルナドは悪辣な騎士としてはかなりの譲歩をしたが、それでも美咲が口にする人数に思わず黙り込む。
「……さすがに多過ぎるな。分かった。それほど人数がいるなら、別働隊にいるよりも主力部隊に合流した方がいいだろう。私から向こうの指揮官宛に一筆書いてやる。それを持って向かえ。今ならまだ門を抜けていないはずだ。しばし待て」
部下に命じて羽ペンと羊皮紙を用意させ、ベルナドはさらさらと書状をしたためると、くるくると丸めて革紐で留め、蝋で封をしその上から印を押す。
「これを渡せば後は向こうが取り計らってくれるだろう。急げ。出遅れるなよ」
美咲に対して、意外なことにベルナドは紳士的に接してきた。
そのからくりとしては、ルアンと同じ勘違いを、ベルナドがしていることにあった。服装を変えても、身に染み付いた習慣や動作は簡単に消えてはくれない。育ちがいい美咲は、この世界の水準では、貴族階級に見られてもおかしくないだけの下地を持っていたのだ。
いくら傭兵や冒険者を見下すベルナドであっても、全てにそうあるわけではない。実力がある者には一定の敬意を払うし、貴族として好感が持てる相手だと判れば同様に扱う。
それに、アリシャとミリアンの存在があることも大きい。ミリアンは特級冒険者として名声が轟いているし、そんなミリアンと旧知の仲で、親しく接しているアリシャも、ベルナドの目には相当の強者に映った。
他の女性たちも、皆肝が据わっていて、騎士を前にして全く引かない胆力にも、ベルナドは好感を抱いた。
(二十八人。それほどの仲間を集めるのは並大抵の苦労ではなかっただろう。それほどまでに、故国再興を願っているか。……戦争が終わった暁には、口添えしてやってもいいかもしれんな)
またしてもエクストリーム勘違いが生まれているが、やはり美咲には知る由もないので、訂正する機会は失われた。
去っていくベルナドたち騎士を見ながら、美咲は声をかける。
「あの!」
「何かね」
振り向いたベルナドに、美咲は時々どもりそうになりながらも、一息で言い切った。
「ゴブリンの洞窟の先は草木が生い茂る草原地帯で、回りがよく見えないんです。気をつけてください」
「そうか。情報提供感謝する」
短く謝辞を述べ、今度こそベルナドたちは去っていった。