十七日目:最も長い一日の始まり9
ニーチェに蹴り飛ばされたシステリートは、錐揉み回転しながら豪快に吹っ飛んでいく。
いくらシステリートでも、このまま地面にぶつかれば怪我をするだろう。
戦争前に負傷するとかちょっと笑い事じゃない。
「おー、大丈夫か?」
慌てた美咲よりも早く、ドーラニアが飛んでいくシステリートを、無造作に丸太のような腕を伸ばして捕獲し、様子を見る。
「ひ、日に日にニーチェちゃんの突っ込みが鋭くなってきている気がします。がくっ」
「……案外大丈夫そうだな、こいつ」
何故か幸せそうな表情で、しかもわざわざ擬音を口に出して気絶したシステリートに、ドーラニアは苦笑し、彼女を収納式のベッドを引き出して横たえた。
「えっと、ありがとう、ニーチェちゃん。でも、システリートさん大丈夫かな」
「手加減したので問題ないのです。私たちはこんなことくらいじゃ死なないのです」
えっへん、とばかりに胸を張るニーチェの言う通りで、システリートには気絶する前に演技をする余裕すらあった。いや、もしかすると気絶すらも演技かもしれない。
「システリートさん、裸のままなんだけどいいのかな」
若干絶句している様子の美咲は、たわわに実ったシステリートの双球がつんと綺麗に上を向いているのを見ながら呟く。将来垂れる心配が無さそうな良い乳だ。
「変態は放っておくに限るのです」
間違ってはいないが、地味にシステリートに対して酷いことを言っているニーチェに、美咲はこっそり少しだけ同意した。
(ごめんね、システリートさん。でも、あなたが変態すぎるのがいけないのよ)
悪い人間ではないし、自分に尽くしてくれているのも良く分かるので。美咲は決してシステリートのことを嫌っているわけではない。
ただ、ちょっと開けっぴろげに迫ってこられるのはちょっと恥ずかしい。自分を変態と称して憚らないのも。
「ニーチェちゃんはもう準備は終わったんだね」
「早めに行動するのはニーチェの得意技なのです!」
得意そうに胸を張るニーチェの格好は、鎧下の上から目の細かい鎖帷子を着込み、その上からは服と外套を着込むという、一見では武装していると分かりにくい格好をしていた。
美咲のイメージで言えば、忍者に近い格好だろうか。この世界に忍者はいないだろうし、そもそも忍者という概念があるのかすら怪しかったが、自慢の俊足で斥候、物見に活躍してくれるニーチェだから、案外イメージ的にはぴったりかもしれない。
イメージでいうなら、ニーチェだけなくペローネ、アンネル、メイリフォアなど、忍者のイメージに合いそうな人物は複数居る。戦争の際には、彼らに情報収集やかく乱役で動いて貰ってもいいかもしれない。
(あ、そういえば、人数増えたから私一人で指揮するよりも、細かく分けて別々に動いて貰った方がいいよね)
何しろ、タゴサクたちも人数に含めれば、総勢二十七人にもなる大所帯だ。これら全てを美咲一人で束ねるには無理がある。それでも行うにしても、やり方を考える必要があるだろう。
後でアリシャやミリアンと話し合おうと、美咲は心のメモ帳に思いつきを書き留めた。
「よし。終わったぜ」
「……凄く、ドーラニア姉さんらしいですね。また、過激な格好で」
かけられた声に振り返り、ドーラニアを見上げた美咲は、相変わらず肌面積の広さがおかしいドーラニアの格好に、ため息をついた。
装備の点検で根本的な問題に気付いてくれることを期待していたのだが、そう上手くはいかないようである。
「そうか? これでも、急所はちゃんと守ってるつもりなんだが」
きょとんとするドーラニアに、美咲は胡乱な目を向ける。
ドーラニアは胸と股間を布で覆い、その上から革の胸当てを着け、腰巻で腰から下を隠している。確かに一番大事な心臓は隠れているが、他に色々見えすぎである。
「せめて肩当てくらいつけてくださいよ」
懇願する美咲に対し、ドーラニアは、気まずそうな顔になりながらもきっぱりと拒否する。
「嫌だ。動き辛くなる。当たらなければ問題ねぇ」
美咲のお願いでも断る辺り、本当に嫌なようだ。
「……あんまり、ハラハラさせないでくださいね」
強情なドーラニアに説得は無理だと判断した美咲は、心配そうにドーラニアを見つめる。
「そんな顔するな。簡単に死にゃしないさ」
ぽんぽんと軽く頭を撫でられ、美咲は目を細める。
ごつごつとした、巌のような手。
アリシャとよく似たドーラニアの手の感触は、美咲は嫌いではない。
訓練の積み重ねの証であるその手は、美咲の心に安らぎを与えてくれる。アリシャやミリアン、ドーラニアが持つこの手に、美咲は両親の手を重ね合わせた。美咲の両親がこのような手の持ち主であるわけではないけれど、美咲にとってこの手は間違いなく、大人を象徴とする手であったから。だからこそ、美咲はドーラニアのことを、姉さんと呼ぶのかもしれない。
「ドーラニア姉さん……」
美咲が感極まって涙ぐんでいると、出し抜けにベルークギアの幼生体であるベル、ルーク、クギ、ギアの四体が騒ぐ声がして、美咲は思わずドーラニアから離れて辺りを見回した。
「ぴいいいいいいいい!(食べられちゃううううう!)」
「ぴいいいいいいいい!(本当なら、食べるのは俺たちの方なのにいいいいいいい!)」
「ぴいいいいいいいい!(このニンゲン、怖いよぉおおおおおおお!)」
「ぴいいいいいいいい!(助けてえええええええ!)」
見れば、笑顔でよだれを垂れ流すレトワが、ベルたちを追い掛け回している。
息を荒げ、目を爛々と輝かせる様は、一言で言えば異様だ。
「味見させて! 尻尾の先っぽだけでいいから!」
よくよくさらに辺りを見回せば、レトワの後ろには必死に己の身体を舐めて毛繕いをするペリ丸、マク太郎、ゲオ男、ゲオ美の姿がある。ベウ子とその娘たちは、天井に作った巣に避難し、巣にしがみ付いて顎を打ち鳴らして威嚇の大合奏をしながらレトワの様子を窺っている。
またレトワか、と呆れた美咲は、思わず天井の巣を二度身した。
「って、あれ!? ベウ子ったらもう巣作り終わったの!? はやっ!」
「(今追及すべきは、絶対そこじゃないわよね!? あの惨状何とかしてよ! 何なのあのニンゲンの子! お腹空いたってぶつぶつ呟いてたと思ったら、私たちのこと食物を見るような目で見て噛み付いてきたのよ! 一応仲間でしょ私たち!?)」
ベウ子はすっかり警戒してしまったらしく、レトワに向けて盛んに顎をカチカチ鳴らしている。それでもまだ仲間としての分別があるらしく、退避するだけで、レトワを敵とは認識していないようだった。
完全に食欲に支配されているレトワを、ミーヤが止めようとする。
「レトワちゃんミーヤのお友達いじめちゃ駄目ー!」
「苛めてないよ! ちょっと味見させて貰うだけだよ!」
じゅるる、とよだれをすするレトワを見て、ミーヤは目を剥いた。
「味見!? ももも、もっと駄目だからねー! その子たちは食べ物じゃなーい!」
いきなり混沌と化した場面に、美咲の目が点になった。
(あ、あれえ~? 今、シリアスな場面だったよね?)
事態についていけずに呆然としている美咲に、ドーラニアがにやりと笑って尋ねる。
「止めないのか? あたいは面白いからどっちでもいいが」
「と、止めますよ! 止めるに決まってます!」
「なら早くした方がいいぞ。中々面白いことになってる」
「はい?」
美咲がドーラニアに示されて、再び目の前の光景に意識を向けると、何故かミーヤがレトワに追い回されていた。
「もうミーヤでいいやー。味見させて! 先っぽだけでいいから!」
「ミ、ミーヤ食べ物じゃないもん! ていうか先っぽってどこの!?」
泡を食った美咲は、慌ててミーヤの下に駆け寄り、ミーヤを背後に庇った。
「ダ、ダメー! あなたはこれでも食べてなさい!」
咄嗟に自分の道具袋から薬草飴の瓶を掴み取り、美咲は中の飴をレトワの口に押し込んだ。
「わーいアメさんだー」
喜んで薬草飴を舐め始めたレトワだったが、すぐに薬草飴の苦さに気付いて渋い表情になる。
「に、苦いよー」
泣きそうになりながらも、それでも舐めている薬草飴を吐き出さない辺り、レトワの食への執念は凄まじい。
むぐむぐ微妙な表情で飴を舐めるレトワが落ち着き、ベル、ルーク、クギ、ギアの四体がミーヤと美咲の足元に避難した。
騒ぎが落ち着くと、何気なく隣を見たメイリフォアが、慌てて美咲に告げた。
「美咲様、アンネルちゃんが着替えの途中で寝てます! お尻丸出しで!」
「はぁ!? 今度は何がどうしてそうなったの!?」
驚いた美咲がメイリフォアが指差す方向を見ると、アンネルが確かに寝ている。四つんばいの腕を立てていない状態で、脱ぎかけか穿き掛けか分からないが、パンツが太ももまでずり下がった状態で、自分の新しい加護服に顔を埋めている。
「この馬鹿、どういう状況でこんな格好になるのよ! 窒息死しそうになってるじゃない!」
遅れて状況に気付いたセニミスが慌ててアンネルを引っ張り出した。
やがて目を覚ましたアンネルは、皆を見回して厳かに言う。
「寝ようと思ってパジャマに着替えようとしたら眠くなっちゃって寝た。反省しているけど後悔はしていない」
「威張ってる場合かー!」
「セニミスちゃん落ち着いて! それ以上はいけないわ! いくらアンネルちゃんでも死んじゃうと思うの!」
がくがくアンネルを揺さぶっていたセニミスが勢い良く床にアンネルの頭を叩きつけようとしたのを見て、メイリフォアがさすがに止めた。魔族と戦う前から仲間割れで人死にとか洒落にならない。
どうやらツボに入ったらしいアヤメとサナコが、蹲り無言で床を叩いては肩を震わせている。笑いたいのを堪えているようだ。
「皆、準備はどうしたの!? 終わったの!?」
ついに大声を上げた美咲に、何人かがそそくさと準備をしに戻って行った。その中にはレトワとアンネルも含まれている。
「ああもう、疲れる」
ずっしりと疲労感を溜め込んだ美咲が、がっくりと項垂れる。
そんな美咲の肩を、一歩引いて事態を眺めていたアリシャとミリアンが、生暖かい笑顔を浮かべて慰めるように叩いた。