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美咲の剣  作者: きりん
四章 死闘
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十七日目:最も長い一日の始まり8

 続いて向かうのは、イルシャーナのところだ。ペローネに貰った美容薬を懐にしまいつつ、歩く。とはいっても、同じ馬車内なのですぐそこだ。

 イルシャーナはちょうど、買ったばかりの加護服の上から、鎖帷子を着込んでいるところだった。どうやら鎖帷子の調整をしていたらしい。

 他の巨乳と特筆されるような女性たちに比べれば、イルシャーナの胸は小さい。だがそれは決してイルシャーナが貧乳というわけではなく、鎖帷子はイルシャーナの胸のラインに沿って緩やかに曲線を描いている。

 鎖帷子を着込んだイルシャーナは、続いて外套をつける。外套は首元、背中、腰を主に覆っており、そこから下はスカートのように長く伸びてたなびく構造になっている。

 金髪の巻髪を揺らし、勝気な表情で石突を下に向けて縦にした槍を担ぐイルシャーナは、気品と共に、普段には見られない戦う者としての野蛮さが同居していた。

 完全武装したイルシャーナは、続いて道具袋に道具を入れていく。中身は主に傷薬、魔法薬、包帯などの救急用品などだ。

 準備をしている途中で、ふとイルシャーナは手を止めた。どうやら美咲の視線に気付いたらしい。


「あら? 美咲様。何か用ですの?」


「ううん、見てるだけだから、気にしないで」


 にっこり笑いながら美咲がそういうと、イルシャーナは不思議そうに首を傾げながらも作業に戻った。

 懐から取り出した小さな袋を、イルシャーナがいそいそと大事そうに道具袋にしまう。


「それ、何?」


 気になった美咲が尋ねると、イルシャーナはびくんと背筋を伸ばし、美咲を振り向いて言った。


「何のことでしょう?」


 誤魔化すような笑みを浮かべるイルシャーナに、美咲はこちらもにこりと微笑む。


「さっき後から道具袋に入れた小さい袋があったでしょう。ちょっと気になって。教えるのが嫌なら無理にとはいわないけど」


「話しますわ。話しますから、そんな目で見ないでくださいまし。ゾクゾクしてしまいますわ」


 若干ヘンタイチックなイルシャーナの発言を聞かなかったことにしつつも、美咲はイルシャーナの説明を待つ。


「これは、茶葉の袋ですのよ。街を出歩いている時に買ったのですが、試飲してみたら気に入ってしまいまして。実は、こっそりティーカップも買ってあるのです」


 小さな声で告げるイルシャーナは、自分の道具袋を開いて、中にある二つのティーカップを美咲に見せた。

 イルシャーナが好みそうな、繊細なデザインのティーカップだ。


「へえ、いいじゃない。今度私もご相伴に預かりたいな」


「良いですとも!」


 嗜好品としての茶などここしばらくは飲んでいなかった美咲が物珍しくなって頼むと、イルシャーナは目を輝かせて即断してきた。


「是非わたくしからもお願いしますわ! 美咲様と二人きりのティータイム……。うっふふふうふふふ」


 怪しい含み笑いを浮かべてトリップし始めたイルシャーナを、傍にいたマリスが叩く。


「正気に戻りなよ、イルシャーナ。お姉さんが引いてるよ」


「はっ。わたくしとしたことが」


 我に返ったイルシャーナが元に戻ったのを確認し、マリスもまた自分の準備に戻る。

 美咲はイルシャーナから視線を移し、今度はマリスに目を向けた。

 マリスはこれから防具の点検をするようで、ゆっくり革の鎧を脱いでいく。

 鎧下姿になったマリスは、少女らしい特徴を色濃く残していた。

 大人の女性のような完成された美しさが無い代わりに、少女特有の瑞々しさがある。完成された美しさと、未完成であるが故の美しさ。マリスは間違いなく後者の方だ。幼いというわけではないが、大人というにも足りない、いわば過渡期にあるといえるだろう。

 防具の点検を終えると、買ったばかりの加護つきの鎧下の上から、革の鎧を着込む。鎧の下に着れるよう、厚手の布に綿を入れて作ってあるこの鎧下は、ふわふわで防具の重さを軽減するためにある。もちろんこれ一つで防具の重さ自体が変わるということはないが、普通の服では鎧が重みで身体に食い込んで痛いのだ。革の鎧ならそうでもないものの、鎖帷子の場合は顕著である。それが、この一着で解消できると思えば、悪くはない。

 加護は美咲以外全員共通で、『対衝撃』『耐刃』に揃えられている。本来はこれに『耐炎』あたりを加えたかったのだが、さすがに予算をオーバーしてしまうので諦めた。

 イルシャーナと比べ、鎖帷子は纏わない。身軽さをできるだけ維持したいがためだ。見比べてみれば鎖帷子と革鎧という差はあるけれども、イルシャーナとマリスの胸の起伏の差が分かる。マリスの胸は小さめだ。


「どうしたんだい? そんなにじっと見つめられると、ボク照れちゃうよ」


 突然マリスが、美咲に振り向いてにこりと微笑んできた。


「あれ、見てたのばれた?」


 悪戯が見つかった子どものようなバツの悪さを感じ、美咲は落ち着かない気分になった。


「ううん、そんなことないよ。むしろもっと見て欲しい。ほらほら、どうせなら、ボクの恥ずかしいところも特別に見せちゃうよ?」


「いらないから! ノーサンキューだから!」


 マリスの纏う雰囲気が妖しい空気を帯びてきたので、美咲は全力で距離を取った。


「あ、そこまで露骨に引かなくてもいいのに」


 台詞の割には、マリスは美咲の行動にショックを受けている様子はない。チェシャ猫のような笑みを浮かべ、面白そうに美咲を見つめている。


(私よりも年下よね!? なんか私の方が手玉に取られてるような気がする!)


 年上の威厳とか矜持とか、色々なものに皹を入れた美咲は、近くにいたミシェーラの背後に逃げ込んだ。

 戸惑うミシェーラの向こうから、我慢し切れなくなったのかマリスが噴出して笑い出す声がする。

 一言二言ミシェーラと会話をし、マリスは自分の準備に戻った。


「……えっと、大丈夫?」


 若干呆れが滲んだ声で、ミシェーラが振り向いて美咲に尋ねてくる。


「色々迷惑かけてすみません……」


 若干灰色に煤けた美咲が、項垂れてミシェーラに謝罪した。


「別に、迷惑なんかじゃないけど。それより、自分の準備は終わったの?」


「はい。今は、皆の様子を見てるところです」


「そう。コミュニケーションを取ろうとするのはいいことだわ。美咲と話すのは、私たちにとって何より楽しいことだもの」


 穏やかな微笑みを浮かべるミシェーラを、美咲は意外なものを見る目で見つめた。

 ただの会話がそこまで大事に思われているなんて、美咲は思ってもいなかったからだ。


「そんなに不思議かしら。私たちには過去がない。あるとすれば、奴隷として扱われていたろくでもない過去の、それも一部分だけ。そんなものに思いを馳せるよりも、これから美咲とどう生活していくか、どうやって役に立てるかを考える方がはるかに有意義だし、私たちも楽しいの。これは私の持論だけど、皆もそう変わらないはずよ」


 美咲はハッとして、今まで話しかけたセザリー、テナ、イルマ、ペローネ、イルシャーナ、マリスを見る。

 確かに皆笑顔で、楽しそうだった。

 セザリーがふざけるテナとイルマを叱り、テナとイルマがセザリーをからかい、怒らせる。怒りながら、怒られながら、三人は必ず最後には笑顔になっていた。こんなしょうもないことでさえ、楽しくてたまらないといった顔で。

 そんな彼女たちを、ペローネが見て笑っている。イルシャーナが高笑いをし、マリスに足を払われて転ばされている。すぐに起き上がってマリスに突っかかるイルシャーナは、怒ってはいても生き生きとした表情をしている。

 マリスも同じだ。イルシャーナのきんきん声に耳を押さえ、我慢しきれなくなって実力行使に及んだあと、マリスはニコニコ楽しそうに笑いながらイルシャーナの相手をしている。


「皆、今が楽しい。そして、その楽しさを私たちに与えてくれたのは、美咲なのよ」


 告げるミシェーラの目は優しく美咲を見つめている。その目は慈愛に満ちていた。


「……皆幸せそうで、良かった」


 ぽつりと、美咲の口から言葉が漏れる。

 彼女たちを引き取った美咲は、自分の行動の責任を持つつもりではあったけれど、正しいと思ったことはない。自分が良かれと思ってやったことが、必ずしも本人にとっていいことだとは限らないことを、美咲は知っているのだ。

 本当に彼女たちのことを思うなら、美咲は彼女たちがさらわれる前の過去を探す努力をしなければならなかった。それをしなかったのは、美咲の我がままに過ぎない。そんなことをしていたら、時間がいくらあっても足りない。すぐに、期日は過ぎてしまうだろう。だからこそ、美咲はそうするべきだと知った上で、その選択肢を取らなかった。

 ただ生きていて欲しいと思うなら、置いていくべきだっただろう。行き着く先が、奴隷だった頃と結局は大して変わらない娼館だったとしても、命の危険に晒されることはない。ただ生きていくだけなら、難しくはないはずだ。その中で、ささやかな幸せだって得られたかもしれない。

 置いていかなかった理由には、打算が含まれている。美咲は仲間が欲しかった。魔王城まで同行し、命がけで美咲と一緒に戦ってくれる仲間が。でも、いざ仲間に引き入れてから、美咲はそのことに罪悪感を感じていた。

 ルアン、ルフィミア。仲間になると言ってくれた一人は死に、一人は生死不明になっている。美咲を召喚したエルナも死んだ。魔王と戦うまでに、何人が生きていられるだろう。そして、戦った後に、何人生き残っているだろう。

 生きて帰れない可能性があることを、彼女たちは知っている。知っているその上で、美咲に従ってくれているのだ。


(皆の決意を、無駄にしたりはしない。魔王は必ず殺す。それが、元の世界に帰るための必要条件でもあるんだもの)


 決意を新たにする美咲は、背後から乳に襲われた。


「なっ、何事!?」


 頭に当たった誰かの乳に目を白黒させながら、美咲は振り返る。乳が邪魔で顔が見えない。美咲は少し殺意を覚えた。何その大きさ。喧嘩を売っているのだろうか。美咲は乳に目を奪われている。


「ご主人様ー。そんな険しい目してるよりも、ご主人様は笑ってる方が可愛いですよー」


 乳が喋った。じゃなかった、乳の持ち主であるシステリートが喋った。

 声と自分に対する呼び名で、美咲は彼女がシステリートだと気付けた。自分をご主人様と呼ぶのはシステリートだけだし、もう一人主様と似たような呼び方をする者はいるが、彼女はこんなに大きな乳ではない。


「えっと……とりあえず離れてくれません? 頭が重いです」


「お断りしまーす」


 笑みを含んだシステリートの声に、美咲は実力行使する決心をした。

 抱き締められている腕に力を込め、無理やり抜け出そうとする。


「簡単には抜け出せませんよー。これでも、私だって皆と同じなんですから」


 美咲は全力を振り絞っているのに、システリートの腕は美咲の身体をがっちりと抱え込んで離れない。戦闘には向いていないとはいえ、肉体自体のリミッターは他の人物の例に漏れずシステリートも取り払われている。そのため、鍛えたとはいっても限界を超えたとはとても言えず、この世界で過ごした日数も少ない美咲は、容易にシステリートを振り払えない。

 形振り構わず、魔法を用いて美咲が自爆すれば話は別だが、そんなことをすればシステリートは死ぬだろうし、周りにも確実に被害が出る。力で解決できない以上、美咲はされるがままになるしかなかった。


「く、屈辱だわ。っていうか、システリートさん何で裸なの」


「装備点検の途中だからに決まってるじゃないですかー」


 くすくす笑うシステリートに、美咲の目が半眼になる。


「なら私に絡んでないで早く終わらせて着替えてくださいよ」


「ご主人さまが元気になったら考えまーす」


 茶化すようなシステリートの声に、美咲は思わず押し黙った。


「……私、そんなに落ち込んでいるように見えた?」


「落ち込んでいるというより、ミシェーラと話してる途中で、また何か悩み始めたように見えましたね。ご主人様は気にしなくていいんですよ。着いていくって決めたのは、他でもない私たち自身なんですから。それに最近は、私たちも考えてるんです。魔王との戦いに生き残れたら、その時は自分のしたいことをしようって。別に、死ぬことが前提で着いていくことを決めたわけじゃない。だから、ご主人さまは何も心配しなくていいんですよ。ちなみに私のしたいことは、美咲様のペットになることです」


 からかう時とはうって変わって、穏やかな声音のシステリートに、美咲は何も言えなくなってしまった。

 システリートが言った言葉は確かに美咲の心を軽くして、同時に嫌な予感を抱かせた。

 強敵との戦いの前に、未来について語り合うって、まるきり死亡フラグではないか。


「ありがとう、システリート。でも、未来について考えるのは、魔王を倒した後に取っておいた方がいいわよ。たぶんね」


「あれ? もっと突っ込むべき場所があったと思うんですけど。ボケ殺しですか? おーい」


 力の抜けたシステリートの拘束からするりと抜け出すと、美咲は軽くなった心でシステリートに振り返る。


「その希望は却下よ! だって私、既にシステリートさんにご主人様って呼ばれてるもの!」


 美咲の返しに目を丸くしたシステリートは、ぷっと吹き出した。


「これは一本取られましたね! その通りです! なら、ご主人様の顔をべろべろ舐め回すのも、ペットなら許されますよね! とおおおおおおう!」


「ニーチェは変態に天誅を下すのです!」


「ぐぇっ」


 美咲目掛けて鼻息荒く飛び掛ったシステリートは、横合いから伸びるニーチェの飛び蹴りを喰らって体勢を崩し、吹っ飛んだ。


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